第12話 気兼ねないとはこういうこと
『“――”! そろそろ起きなさい!』
頭の奥に響いた声に意識を呼び戻され、“俺”は閉じていた瞳を開ける。
ぐぐっと凝り固まった体を伸ばせば、部屋の外から香る香ばしい匂いが鼻孔を突き抜ける。
――――今日の朝食はパンかな?
スープはコーンがいいな。ジャムは何があったっけ、なんて考えながら部屋を出て階段を降りる。
洗面台に立って蛇口をひねれば水が勢いよく流れ出した。
冷たい水で顔を洗えば、心なしか半閉じだった瞳もしゃっきりした気がする。
ふと視線を上げれば鏡に映る人物のそれと視線が絡み合う。
――――鏡の向こうで、優しい面差しがふわりと微笑んだ。
「……」
眠りの底にいたレグの意識は、そこで現実に呼び戻される。
寝ぼけまなこのまま辺りを見回せば、見慣れた王城の自室が夜明け前の薄暗い景色の中に広がっていた。
そのことを確認すると、レグは目元を隠すように腕を被せて覆い、再びまぶたを閉じた。
「…………っ」
ポタリとひとつ。
大粒の涙がレグの頬を伝い落ちた――――。
***
「いや〜、日差しが気持ちいいなぁ、やっぱ天気は晴れに限るよね! お日様出てると気分が上がる気がするよね〜、ビタミンDが作られてるよ〜」
「……」
「あ、ビタミンと言えばレモンにもたっぷり入ってるよね。このレモンのパウンドケーキもビタミンいっぱいだ〜もう元気100倍って感じ?」
「…………」
「なんか力が湧き上がってくる気がするなぁ、気分最っ高! こういう時は不思議と歌いたくなるよね。ら〜らら〜、るるるら〜〜っぶふっ!?」
「びーっぢゅっ!」
ピヒヨ▷つっつく攻撃! 効果は抜群だ。
「ピヒヨ! ステイ! さすがに場所がまずいわ!?」
先ほどからテンションマックス状態のレグの鬱陶しさに耐えかねたのか、とうとうピヒヨが攻撃を仕掛けた。
しかしさすがに今日はまずい。何がまずいって場所ですよ場所。
「ダメよピヒヨ。ここはいつものお屋敷じゃないのよ!」
「ぴっ」
舌打ちみたいに鳴くんじゃありません。
私はツーンとそっぽを向くピヒヨを抱えてキョロキョロと辺りを見回した。
私たちが今いるのはいつものヴィコット邸ではない。
アースガルド王都の中心地に立つ王城の中、さらに奥まった場所にある中庭のガゼボ。王族と、それに招かれたもののみが使うことのできる完全プライベート空間だ。
そんな場所で王子殿下に怪我などさせたとあってはひっじょーーにまずい。まずいなんて言葉じゃ済まされないくらいにはまずい。冗談じゃなく死ぬ。社会的に。
「そんな心配しなくても人払いはしてるから大丈夫だよ。と言うか俺の心配してほしいな?」
ピヒヨの高速突きを受けて真っ赤になったおでこをさすりながら言うレグの言葉通り、周りに人の気配はない。そのことに心の底から安心した。
「……ふう。はしゃぐ気持ちは分かるけど少し落ち着いて。今日はいつにもましてネジが外れてるわよ」
「それ遠回しにいつもネジ外れてるって言ってない?」
気のせいよ。
「ひっどいなぁ。だってしょうがないじゃないか! 五年ぶりだよ五年ぶり。二度と見れないかもと枕を濡らしたあの夜から五年! この感動を誰かに伝えたくて伝えたくて震えたよ。でも向こうのことを知ってるのアヴィしかいないしさ〜」
「だからってずっとそのテンションでいられてもついていけないわよ。ひとまず落ち着いて、ほら、せっかくの紅茶がすっかり冷めちゃったじゃないの」
『向こうの夢を見た』とレグから通話が入ったのは今朝のことだった。
元々王城に向かう予定があったので、レグのおねだりに答えはちみつレモンのパウンドケーキを手土産に本日は私のほうから訪ねてみたのだが。
会った瞬間からずーーっとこの調子で一向に止まる気配がない。
城のメイドが入れてくれたせっかくの紅茶も喋り続けるレグの口に入ることはなく、カップの中ですっかり冷め切ってしまっている。
王室御用達なだけあって匂いからして高級さが伝わってくる味も申し分なく絶品の紅茶だったのに。もったいないと思ってしまうのはしょうがない。こちとら中身は庶民だ。
「大丈夫だよ。この紅茶冷めても変な渋みとか出ないからアイスでも全然いけるんだ」
それはそれで美味しいかもしれないけどそうじゃなくて……。いや本人がいいならいいんだけど。というか王室御用達の紅茶はそういうところにまで気を配られているんですかさすがです。
王城の中庭。様々な花に囲まれた白いガゼボの下。
我が国の宝とも言うべき次期国王たる王子様と向かい合ってのお茶会……なんて、本当なら紅茶の味も分からなくなるくらい恐れ多すぎるシチュエーションなんだろうに。
(相手がレグだと言うだけでこんなにも肩の力が抜けるもんなのね……)
人に聞かれれば即不敬罪になるだろうことを考えながら、私は目の前でパウンドケーキをぱくつくレグを見つめた。
「紅茶もいいけど、アヴィの作るお茶のほうが俺の口には合うな〜」
「それはどうも……」
超の付く高級品とハーブティーを比べられてもね。
この紅茶作った職人に睨まれそう……。
「そういえば伯爵に聞いたよ。お茶会に招待されるようになったって?」
「ええ。何度かね」
「よかったじゃない、友達が増えるよ〜。どう? どう? 令嬢同士のお茶会。いわゆる女子会的な感じ?」
貴族令嬢の優雅なイメージが一気に庶民ぽくなったな。
「確かに、楽しくはあったけど……」
社交デビューを果たしてから、今まで遠巻きにされていたのが嘘のように同じ貴族の令嬢方からお茶会の招待状が届くようになった。
過去の悪評のせいで寄ってくる人間がいなかった頃のことを考えると確かにいい変化だ。
でも正直なところ、気の許せる仲であるセシルやレグとのお茶会とは違って多少の気疲れはある。
人との繋がりができることはもちろん嬉しいし、貴族令嬢にとって大切な交流の場であることも分かってはいるが……。
「私はやっぱり、セシルやレグと一緒にいる方が落ち着くし、ずっと楽しいわ」
遠慮のいらない友人同士特有の、ありのままでいられる空間。
結局どれだけ人の輪が広がろうとも、それに勝るものはないのだ。
「んもうっ、嬉しいこと言ってくれちゃってーっ! アヴィ大好きー!」
「はいはいわたしもよー」
「棒読み!」
おちゃらけた口調でひしっと抱きついてきたレグの頭をよしよしと撫でる。
彼がこの国の王子だと知ってから半年近くの時が流れたが、いまだどうにも王子様って感覚がわいてこない。百歩譲ってもちょっと手のかかる弟だなこれは。
さらさらの黒髪を撫でながらそんなことを考えていると、後ろから伸びてきた手がその黒髪をこつんと叩いた。
「滅多なことを口にして行動するな。変な噂が立ったらどうする」
「ウェルジオ様」
いつの間に来ていたのか、この国の騎士服に身を包んだ彼が後ろに立っていた。
何故かひどく不機嫌そうな声で眉間に深くシワまで刻んで。
「まったく。人払いをしているとはいえ、少しは慎め」
「す、すみません……」
確かに見る人が見れば王子に愛を叫ばれて抱きつかれてるように見えなくもない。
普段のノリでついつい受け答えしてしまったが、さすがに軽率だったと反省する。
彼が怒るのも無理はないと慌てて謝罪を口にした。
「えー、不機嫌の原因って本当にそれだけかな〜〜?」
ところがそんな彼の雰囲気もお構いなしに天然クラッシャーレグが動く。
「そーんな意地悪言うジオにはお菓子あげないよ〜? せっかくアヴィが差し入れにって持ってきてくれたのになー、手作りお・菓・子」
何がそんなに楽しいのか。ニヨニヨニヨといたずらを企むチェシャ猫のような顔で私が作ってきたはちみつレモンのパウンドケーキをウェルジオに見せつける。
ブチっと血管が切れるような音が聞こえた気がしたのははたして気のせいだろうか。
「おい鳥。腹が減ってないか? この菓子全部食っていいぞ」
「ぴぴーーーーっ」
ガツガツガツガツガツっ。
「俺のパウンドケーキイィィーーーーっ!?」
王城の中庭に哀れな王子の情けない悲痛の叫びが響き渡った。
芝生の上に膝をついておいおいおいと絶望に泣く姿のなんと情けないことか。これが将来この国を背負って立つ男の姿なのかと思うとこの国の行く末に不安を感じてしまう……。
「おい」
そんな姿など気にする必要もなしとばかりに華麗にスルーしたウェルジオは私に向き直り、真剣な眼差しで口を開いた。
「申請が通った。行くぞ」
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