第11話 日常のひとときレモン添え

 


 それはうららかな春が過ぎ、初夏の兆しがちらほらと見え始めた頃。


 ヴィコット邸、厨房の片隅で屋敷の料理全般を任されている料理人たちがこぞって頭を悩ませていた。


「どうするか……」

「どうしたもんでしょうねぇ……」


 悩ましいため息をつく彼らの前にはどさっと積み上げられた箱が2つ。

 中には色鮮やかな黄色いレモン。それが2つ。しかも箱。


「……これでどれくらい減ったよ?」

「5分の3くらいですね。料理に使って、あと他の連中におすそ分けして回って……、やっとそれです」

「やっとそれか……」


 はぁぁ。思わずため息が漏れた。


 このたんまり積まれたレモンの山。実は料理長の実家から送られてきたものだ。

 何でも今年は大のつく豊作だったようで、実家でも処理しきるのが難しく、どうしたものかと頭を悩ませた夫婦は伯爵家の厨房で料理長をしている息子のところに半ば押し付ける形で送りつけてきた。

 大きな木箱5つ分も。


「飲食店じゃねえんだから、こんなレモンばっかあってもこっちも困るっつの」


 山と積まれたレモンを前に思わず呟いてしまった息子の言葉である。

 無論、実家のレモンの味がいいのは承知しているのでありがたく使わせてもらってはいる、いるが。再度言うがレモンばっかあっても困る。毎日毎日レモン漬けとかできるわけがない。しかし手をつけなければ腐る。それはダメだ。料理人として食材をダメにするなどプライドが許さない。


「しょうがねぇ。市場に持ってって売るか」

「それっきゃないか」

「ああ。……でもその前に」

「そうだな。その前に……」


 料理人たちは互いの顔を見合わせてよし、とひとつ頷いた。




 ***




「なるほど話は分かったわ。…………で。なんでそれで私のところに来るわけ……?」


 今日も今日とて温室でみずみずしく育つハーブの世話に精を出していた私は突然訪ねてきた料理長に呆れたように声を上げた。


「いやぁ、なんかこういう時はお嬢様に聞いてみるのがいいってみんなの意見がまとまりましてね」


 それに対して料理長たちははっはっはっと爽やかに笑う。

 食材の新たな活用法=お嬢様に聞くって? 何その方程式。


「で。何かいい使用法はありますでしょうか?」

「ん〜〜。と言っても一通りは使ったんでしょう?」


 レモンのデザートにレモンジャム。レモンティー、レモンサラダ、レモン料理。最近我が家の食卓に並ぶことの多いメニューだ。

 確かにやたらレモン率高いなとは思ってた。


「そろそろ使い切らないとダメになっちまいますからね」

「なんとか使い切るか、何か保存のきくものに加工するか……」

「ふむ」


 保存のきく、ね。………………なら。


「ねえ料理長。はちみつは大量にあるかしら?」




 ***




 まずはレモン一つ一つを丁寧に塩でもみ洗い。これで農薬などをきれいに落とす。

 そして水で綺麗に洗い流したら乾いた清潔なタオルできちんと水分を拭き取る。

 2〜3mm程度の幅に輪切りにしたら、丁寧に種を取り除き、煮沸消毒済みの瓶に入れレモンがしっかり浸るくらいのたっぷりの蜂蜜をこれでもかと投入する。


「ほうほうなるほど。それから?」

「終わり」

「え」

「終わり」


 時間にしておよそ十数分。下準備はこれで完了。


「後は味がしっかりなじむまで最低でも一晩、できるなら数日は置いておくこと。時々ビンをひっくり返さなきゃダメよ」


 そうして一晩待てば。

 甘さと酸味が絶妙なとっても美味しい『はちみつレモン』の完成である。


「うーんっ。このドリンク美味しい!」

「ほんと、水で割っただけなのに」

「パンに乗せて焼いたやつも美味いぞ」

「クリームチーズと合うな」

「デザートみたい!」


 出来上がったばかりのはちみつレモンを試食として振る舞えば料理人たちからは歓声が上がった。


「お肉を漬け込んで焼いても合うし、お菓子の材料としてもかなり幅広く使えるわよ」

「「ありがとうございますっ!」」


 そう言うと料理長たちは早速意見を出し合い、はちみつレモンを使ったメニューを考え出す。


(よしよし、作戦成功)


 その姿を見てニヤリと笑う私。


(これでしばらく美味しいレモネードが飲めそうね。デザートも期待できそうだし。料理長たちのことだから、きっと他にも何か美味しいもの作ってくれるわ……)


 んふふふふ。これぞ仕込むだけ仕込んであとはプロにおまかせ作戦。

 自分で試せるようなものは前世で一通り試しちゃったのよね。彼らならきっとうまく使ってくれるわ。目指せ美味しいはちみつレモンライフ!

 そんな下心ありきで案を出した私の心情も知らずに料理人たちはあれこれと盛り上がっている。


「ときに、アヴィリア」


 脳内でこれから出来るであろうレモンデザートに舌鼓を打っていると、後ろからやたらと力のこもった手が私の肩をポンと叩く。


「はい。何でしょうお母様」


 振り向けば片手にしっかりはちみつレモンの水割り、いわゆるレモネードを持った母の姿がある。

 というかなぜここにあなたがいらっしゃるんでしょうか。突っ込んでいいのかどうか分かんなかったので何も言わずに放っておいたんだけど。


「このはちみつレモンというのは……、どのような効果があるのかしら?」


 ギランと光る母の目はこれから決戦にでも向かうような騎士のように鋭い。


「健康面では疲労回復、リラックス効果。ビタミン摂取による免疫力の強化が得られます。それによって美容面では主に美肌効果が見込めますね。シミなどが出にくくなります」


 母は無言で私を見つめたあと、おもむろにふっ、と笑うと言い放った。


「料理長、ひと瓶貰うわよ」

「私も」

「私も」

「私も貰います」

「新食材があぁーーーーっ!!」


 料理長の悲鳴にも似た叫びをバックに、山と積まれていたはずのはちみつレモンの瓶は残ることなくヴィコット家の女傑様率いる女軍団によって持ち去られていった。


(…………あれ、私のぶんは!?)


 女傑様の勢いに飲み込まれ完全に出遅れてしまいました。




 その後、はちみつレモンは瞬く間に屋敷の女衆全員に行き渡り、使用人たちの間でちょっとしたブームになった。


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