第50話 地雷原は身近にある

 

 殿下とは――――。

 皇族、または王族に対して使われる敬称である。


 このアースガルド王国において、王族と呼ばれる存在は三人ほどいる。

 国王、アークタルス。王妃、ベラトリックス。そしてこの国唯一の王子、未来のアースガルド国王、リオン。


 では何故、今この場でその言葉が使われたのか。

 ウェルジオが守ったのはレグのはずだ。彼と同じリオン王子の学友。


 なのに何故。公爵様は気まずげに目をそらしているの? お父様、なにその「あちゃー」とでも言いたげなお顔は……? 

 え? え? え??


「……君、本気で気づいてなかったのか?」

「へ」


 ウェルジオからは心底呆れたような眼差しを向けられる。


「申し訳ありません、殿下……。このような失態を……」

「あはは。いいよいいよ、いつかはバレることだったんだし。むしろ今まで気づかれなかったほうが奇跡なんだよ」


 んんん? なんでこうしゃくさまがれぐにあたまをさげているんだろう……。


 状況についていけないワタシ。とうとう脳が変換機能を放棄した。


「うそ、まさか…………リオン殿下?」

「ぴんぽんぴんぽーん。妹ちゃんだいせいか〜い」


 震える指でセシルがレグを指差せば、すっかり調子を取り直したレグがいつものおちゃらけた声で楽しげに笑う。


「……え。いやいや、え? でも名前……レグって」

「…………はぁぁ。君は自国の王子のフルネームも知らないのか」

「ふ、ふるねいむ……?」


 彼はとうとうため息を吐いた。大丈夫かこいつ、とでも言いたげな顔でこっちを見ないで。本当にちょっと待ってほしい。ほんの数時間の間にいろんなことが立て続けに起こりすぎて、そろそろ頭が本気でパンクしそうなんだけど? おかげで発音まで変換機能が仕事してないんですけど? 私か? 私がおかしいのか??


 いまにも煙を出しそうな頭を抱える私の前で、レグは楽しそうに微笑みながら美しく、見本のように完璧な会釈をする。


「改めまして、アヴィリア・ヴィコット伯爵令嬢殿。俺の名前はレグ――――――――“リオン・レグルス・アースガルド”。親しい人たちはみんなレグって呼ぶんだ。だから嘘なんてついてないよ」


 本当のことも言ってないけどねー。


 ケラケラ笑いながらあっけらかんと告げられた発言は、お世辞でもなく核爆弾並みの威力を持って私の精神を攻撃した。




 ***




「いや正直いつ気づくだろうなーと思ってたんだけどさぁ、全然そんな気配ないんだもん。俺結構グレーなこと言ったりやったりしてきたと思うんだけど?」

「そんなこと言ったって……、いや、そもそもその蒼い瞳なに!? 王族は紫色のはずでしょ!?」


 レグの爆弾発言により、あわや卒倒しかけた私は現在、公爵様が用意してくれた客間の一室で爆弾を仕掛けた張本人と向かい合っていた。


 セシルも詳しく話を聞きたそうにしていたけれど、今はまだお兄さんのそばにいたいという気持ちのほうが勝ったようで、公爵様と共にウェルジオの元に残っている。


 よって今この場にいるのは私たち二人だ。正直きつい。投げられた爆弾の強さはもとより、何よりも張本人の、この、軽さが! とても私一人じゃ受け止めきれないのよ!

 ああ、お父様。何故あなたもそちらに残ってしまったの……。私にはまだこの地雷原を一人で歩き切る度胸はありませんわ……。


「これはカラコン。紫の瞳なんて見られたら一発で身バレしちゃうからね」

「からこん……」


 身バレて。隠す気満々じゃねーか。


「ちなみに言っとくけどこれを作ったのは俺じゃないよ? 何十年も前から我が一族が愛用しているお忍び必須アイテムさ!」

「…………」


 さらりと新たな爆弾を投下された。何十年も前から王族のお忍び行動が当たり前のように行われてきたと言う衝撃の事実が明らかになった。

 ちなみにその度にもれなく行われる『リアル・王族を探せ!』は何十年も前から周りの人間を悩ませ続ける頭痛の種である。


 ウチの王族フリーダム過ぎる。なんだろう、ものすっっごく血筋を感じる。代々受け継がれているのは瞳の色だけじゃないって? 勘弁してください。


「アヴィって変なとこ鈍いよね。歳の近い王子様なんて世のご令嬢はもっと興味持つと思うんだけど?」

「…………第二王子は病弱で城からは出られないものだって思い込んでたからね……」


 思い返せば、会話の端々に欠片は散りばめられていた。

 公爵家の嫡男を友人として紹介「される」側にあったこと。

 第二王子の進言で勧められたはずのソーラーパネル式アイテムを自由に使っていること。

 どれもこれも、ただの貴族では絶対にあり得ないことばかり。これほどのピースが揃っているにもかかわらず、これっぽっちも組み立てられずに見事にスルーしていたとは……。

 己の鈍さに自分で呆れる。


「まぁ実際あの夢を見るまではそんな感じだったから、その印象もあながち間違ってないけどね。夢を見ないまま成長してたら今もずっと病弱なままだったろうし……、下手したらもう生きてさえいなかったかもしれない……。そういう意味でも、あの夢の世界は俺の運命を本当に変えてくれたんだと思うよ」


 そう言って笑うレグは、本当に優しい顔をしていた。

 まるで大切な宝物を想うような、愛おしいものを見るような、そんな笑顔。


 その言葉は多分正しいのだろう。

『夢』という後押しがあったからこそ、レグは自分自身の意思で動くことを決め、結果を得た。

 今のレグが在るのは、あの夢の世界の存在があったからこそ。

 何故あの夢を見たのか、何故レグだったのか、それはわからないけれど。


「おかげで君という友人を持つことができた。今まで対等に付き合える相手なんて、俺にはジオしかいなかったからさ。王子とか貴族とか、そういうのを気にせずに過ごす時間は本当に楽しかったんだ。騙してたわけじゃないけど、あえて隠していたのは事実だ、本当にごめん……」


 申し訳なさそうに眉を下げるレグは叱られた猫みたいにしょんもりと俯く。


 多分、こちらが怪しいんで問いかければ彼は素直に認めたんだと思う。でも、そうならないようにうまく立ち回っていたのは事実。

 今の関係が崩れてしまわないように。

 いつまでもこのまま、楽しく過ごしていられるように。


 それが、いつまでも続けられるものではないとわかっていても。

 いつかは必ず、真実が知られるときが来ると、わかってはいても。

 限られた時間が見せる真綿の夢は、彼にとって本当に充実した日々だったから。


「……いいわよ。おいそれと言えるような内容じゃないのは確かだし、最後まで気づかなかったのは私だしね」


 まったく。そんなふうに言われたら、これ以上何も言えないじゃないの。


「……あ、でも。じゃあルーじぃの孫っていうのも嘘だったのね?」


 事情はわかるが、わざわざウチの庭師を巻き込んで小芝居してまで丸め込まれたことに対しては若干の腹立たしさを感じる。これについては文句を言ってもいいはずだ。


「え、嘘じゃないよ、あれ俺のじいちゃん。本物」

「は?」


 しかしそんな苛立ちは、まるでただの世間話をしているとでも言うような楽観的な返しで打ち砕かれた。


「彼の本名は知ってる?」

「…………アルフォードよ。だからみんな、ルーじぃって……」

「はいでは問題です。先代国王のお名前は?」

「…………………………『アルフォード・アースガルド』……」

「ほらね?」


 ほらねじゃねーよ! ただの同名だと思ってたよ! まだあったのかよ爆弾! さすがにもう瀕死だよっ!!


「なんでそんな人がウチの庭師なんてやってんのよ!?」

「園芸は昔から好きだったみたいだよー? 隠居を期にこれからは自由に生きるーって息巻いて城出てさ、最初は森の中で緑に囲まれながら森の主よろしく花や野菜育てながら生活しようとしてたんだけど、周囲が必死で拝み倒して涙ながらに説得して、ちょうど庭師を募集してたヴィコット伯爵にこれ幸いと押し付けたんだってさー」

「マジかよっ!?」

「マジだよ」


 なんということでしょう。今日一番の威力を秘めた爆弾発言は父の胃痛が十年以上前から蓄積されたものであることを教えてくれました。


「これからどんな顔して会えばいいのよおぉぉっ」

「今まで通り仲良く花育ててればいいじゃん」

「できるかっ!!」


 悲報。ウチの王族がマジでフリーダムすぎる。


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