第49話 心の向くまま
思い出すのは、飛んできた矢を一閃した鋭い銀の光。
なんでもないという風に取り繕った、あなたの姿。
あのときもこんなふうに、私たちは慌てて駆けつけて。
あのときもこんなふうに、あなたは血を流していた。自分以外の誰かのために。
生意気で、嫌味じみていて、プライドが高くて。だけど芯はいつだって強く前を向いていて。
その在り方に何度も叱責されて、実は密かに憧れた。こう在れたらと。
でもね、もうちょっと自分を顧みてくれてもいいじゃない。自分を大事にしてくれても。
あなたが傷つくことに心を痛めて、涙を流す人がいるのだということをもうちょっとだけ、重く受け止めてくれても。
なんて。
こんなことを言ったら、あなたはまた、何を甘っちょろいことをと、私を叱るのだろうけど。
***
思わず飛び出した叫びは自分でも信じられないくらいの大きな声で。
突然のことに周囲はたいそう驚いた。全員の身体がびくりと大げさなほどに震え、叫ばれた当人のウェルジオなど驚きのあまり目を見開いたまま固まった。目の前の現実が信じられない模様。
「どれだけ心配したと思ってるんですか! 慌てて駆けつけたんですよ!? 馬車をめいっぱい飛ばして! まあ私は座ってただけですけども!」
ズカズカズカと勢いよくベットまでにじり寄る。ウェルジオのそばにいたセシルとレグがサッと避けて場を明け渡した。曰く本能。そうしなきゃいけない気がしたと後日彼らは述べた。
さっきまで動けずにいたのが嘘みたい。ベッド脇に立った私の視線は彼よりも少し高くて、自然と見下ろす形になった。呆気にとられた顔でぽかんと口を開いて私を見上げる彼の姿は普段とは比べ物にならないくらいに間抜けで、こんな状況じゃなかったらきっと笑ってしまっていただろう。
「おかげで揺れはひどくてあちこちぶつけるし腰も痛いです! 痣になったらどうしてくれるんですかっ!!」
いや言いたいのはそこじゃないだろ私。ああでも思い出したらなんかまた痛くなってきたような気がするわ。何で馬車ってああも不便なのかしら、せめてシートベルトくらいつけるべきじゃないの。移動手段が苦痛を伴うって普通に考えて不便すぎない? 車の布教を心より希望する。今度からは分厚いクッションを持ち込もうと密かに決意。ああ、違うわそうじゃない。言いたいことはそれじゃない。
「泣いたのかですって!? そんなの当たり前じゃないですか! どれだけ泣いたと思ってんですか! 私だけじゃないんですっ! セシルだって、レグだって……っ、どれだけ苦しんだと思ってるんですか!!」
言ってることがめちゃくちゃだ。
ずっとずっと我慢していたものが次から次へと溢れて止まらない。引っ込んだはずの涙までぽろぽろ零れてきて言葉もだんだん引き攣ってきた。
感情のままにまくしたてて声を荒げて、まるで小さな子供みたい。
なんてみっともない。なんて情けないの。それでも伯爵家の令嬢なの。そんなだからいつも彼に小言を言われるんじゃない。なんて未熟。
それでも、喉の奥からほとばしるように溢れる想いを止めることは、どうしてもできなくて。
「……っほんとに、無事で……よか……っ」
震える手を彼に伸ばせば、指先に確かなぬくもりが触れる。
その暖かさを感じることができるという事実が、何よりも嬉しくて、嬉しくて。そのまま縋るように彼の肩に額を寄せた。
ウェルジオの身体が小さく震える。
そんな僅かな動作さえ、彼が生きているということを教えてくれて瞼が熱くなった。
零れる涙が彼の肩口を濡らしても、何も言わずに受け止めてくれる不器用な思いやりが、震える肩にそっと伸ばされた彼の手が、いっそ残酷なほどに暖かくて、優しくて。
また涙が零れた……。
「はいそこまでー」
べりっ。
そんな音が聞こえてくるかのような勢いで引き剥がされた。文字通り首根っこ掴まれて。ちなみに引き剥がされたのは私ではなく彼のほうだ。
「うふふふふふふっ、お兄様ったらまったくもう。どさくさに紛れてアヴィの肩を抱くなんて……、何やってくれやがんのかしら?」
「ばっ……、いやこれは違……っ!!」
「ひゅーひゅー。この一級ラブフラグ建築士め! よ、色男!」
「何の話だ!?」
セシル顔、顔怖いっ。背後に般若が見えるわよ般若が! そしてレグはそろそろ本気で空気読め。
その後ろでは、するどい嘴を突き出そうとしている眼光の鋭い朱い鳥と温和な笑顔を浮かべているはずなのにやたらおどろおどろしいオーラを背負って腰に下げている剣に手を添えているお父様が公爵様に抑えられていたりもしたが、あいにくとそっちにまで突っ込んでる余裕はない。相も変わらず周囲が物騒。
(――――〜〜っ、わわわ私ったら!? 人が見ている前でなんてことを……っ)
セシルたちの介入に我に返った途端、顔中に一気に熱がこもる。傍から見れば抱き合っているような状況に今更ながら恥ずかしさが湧き上がってきた。
慌ててウェルジオから離れる。
本気で恥ずかしい。顔中から、何なら全身から火が出てきそう。穴があったら入りたいとはきっとこんなときのことを言うのね。そしてそのまま永遠に封印してて欲しい。
「申し訳ありません公爵様……、出過ぎた真似を」
「ははは、いやいや。アヴィリア嬢の言葉は何も間違っていないよ」
よそ様のお屋敷でなんてはしたない真似を……。非礼を詫びて頭を下げれば、さほど気にした様子もなく、むしろ面白いものを見たとでもいうように笑って返された。
大の男一人と大きな鳥をがっちりと抑え込んでいたはずなのにどこにも堪えた様子はなくて、この人も大概只もんじゃないなと密かに思った。
「だが……、今回ばかりは私も肝が冷えたぞ、ジオ」
「……父上」
「身を呈して殿下をお守りしたのは立派だ。だがその代償がお前の命では、殿下のお心に一生消えない傷を負わせていたところだ」
ウェルジオが倒れたのはレグをかばったからだ。
目の前で自分をかばい、友が倒れる様を見たレグの心境はどれほどのものだっただろう。
ここに来たときの、絶望を写したかのように憔悴しきった彼の姿を見れば一目瞭然だ。
レグだけじゃない。セシルも、私も。きっとこの先ずっと心に傷を抱いたままだっただろう。
「ここにいる皆が、お前を想って涙を流したんだ。そのことをしっかり心に刻みなさい」
「……はい。ご心配をおかけしました」
息子の無事を確かめるように大きな手がくしゃりと彼の髪を撫でる。
猫のように目を細めてそれを受け入れる姿は、ただの子供のようでなんだか可愛らしかった。
だがしかし、ちょっといいだろうか。
「でん、か……?」
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