第33話 ただしツゲではなく桃の木櫛

 


「森の民の方がいらしていると聞いて、ご挨拶に伺いました。お久しぶりでございますおじ様。その節は大変お世話になりました」


 アヴィリアは軽くドレスの裾をつまんで頭をさげた。

 その自然ながらも洗練された動作に思わず頬を緩ませる。

 いまだ若干の幼さが残るものの、最近の娘は徐々に大人びてきて愛する妻の若い頃に似てきた。子供の成長は早いものだとしみじみ思う。


「お久しぶりでございますお嬢様。……貴族の方とは存じず、無礼な振る舞いを……」

「顔をあげてくださいませ……。私はむしろおじ様には感謝の気持ちでいっぱいなんです」


 腰を上げて自分以上に深々と頭を下げるルークスにアヴィリアは慌てた。


 レモンバーベナを手に入れることができたのも、ハーバル・ガーデンを暖かい空間に作り上げることができたのも、彼ら森の民のおかげ。

 ひいては、アヴィリアがルークスと出逢ったから。


 しかし、仕事上の取引は全てロイスが受け持っていたため、子供の自分に口をはさめる要素などなく、ハーブを入手し、お店の開店に力を貸してもらったにも関わらず、アヴィリアはあれ以来、彼とじかに会う機会に恵まれなかった。


 今の今まで、彼に直接お礼を伝えることができなかったのだ。


「ははは、それをわざわざ伝えに来たのかい?」

「えーと……、それもあるのですけど……。おじ様、こちらには商売でいらしているのですよね……?」

「はい。冬が来る前に何度か訪れる予定です」


 伺うように訪ねてくるアヴィリアにルークスは笑って答える。


「でしたら、以前私が買ったものと同じ櫛をお持ちではないかしら?」

「……? あれならば、商売の時は大抵持ってきておりますが……」

「よかった! そちらの品、すべて買わせてくださいな!」


 傍らで聞いていたロイスはその言葉にぎょっと目を見開いた。

 言われた当人のルークスも一瞬驚くが、すぐに顔を青ざめる。


「す、すべて、でございますか……? あの、申し訳ありませんがお嬢様。もしやあの櫛に何か不都合でもございましたでしょうか?」


 それほど頻繁に替えが必要になるということだろうか……。

 不安に肩を震わせるルークスに気づかずに、アヴィリアは楽しそうに笑って答える。


「いいえ、屋敷のメイドたちが欲しいと言っているんです。私がオイルにつけて使っていたものを見て…………」

「オイルに……?」


(ああ、やっぱり。これも浸透していないものなのね……)


「髪用のオイルを染み込ませるのです。直接髪につけるよりも全体にいきわたりますし、髪のまとまりも良くなるんですよ」


 アヴィリアは内心で息を吐きつつ、それを表には出さずに説明した。

 ちなみに同じことを、ついさっきメイドたちに言ったばかりである。


「遠い異国では木でできた櫛をこのようにして使うこともあると何かの本で読んで、試してみたのです。使うたびに艶も出るし、髪自体もとてもサラサラで綺麗になって。露店で買った櫛だと言ったら、みんな自分も欲しいって……」


 言いながら、「遠い異国の○○です」って便利な言葉なんだな……と、アヴィリアは思った。

 前世の知識である以上、下手に突っ込まれても返答に困る。

 同じ立場だった人が同じような言葉を残した意味をなんとなく察した。


「……………………」

「……? どうしました、お二人とも?」


 目をかっぴらいたまま仲良く固まっていた二人は、同時に我に返ると大声で叫びだした。


「「……っそれだああぁーーーーーーーーっ!!」」

「……ひぇっ!?」


 後に彼らは語る。あれぞまさに天の啓示だった、と――――……。




 こうして生み出されるにいたった、森の民製作による『オイル櫛』は瞬く間に国内に広がった。


 材料となる木材は大量にあるし、髪用のオイルもさほど高価なものではなく気軽に手に入る。なのに周りからの重要度は高め。


 さほど嵩張るものではないので委託販売という形でハーバル・ガーデンに置いてみたところ、お客が殺到。

 とくにこだわりを求める貴族のなかでは森の民に直接依頼し、櫛の表面に自分の名前や好きな柄を刻んでもらうということが流行った。


 素晴らしい案を持ち帰ってきたルークスは村の仲間たちによくやったと喜ばれ、新しい商売が上手くいったロイスも溢れる笑いが止まらない。


「お嬢様の発想は実に素晴らしい! まさに神の一手でしたな!」

「さすがアヴィリア! 我が娘!」


「「はっはっはっはっはっはっはっ!」」


 祝賀と称して真っ昼間から乾杯する二人の男たちを尻目に、全ての発端である当の本人は隅っこのほうで小さくなっていた。


(いや、喜んでるみたいだし……別に全然いいんだけど。普通に使ってただけなのに……、櫛にオイルつけただけなのに……)


 知らない間に膨れ上がり、トントン拍子に進んでいった話に毎度のことながら、全ての発端であるにも関わらずほぼほぼ蚊帳の外に追いやられていたアヴィリアは何とも言えない気持ちでただ一人そそがれたハーブティーを飲んでいた。

 正直、今ほど子供の身を恨んだことはない。


 このやるせない気持ちをお酒にぶつけたくてたまらないわ……。







――――――――――


木櫛を愛用しているのは実は私です(笑)

持ち運びやすいし使いやすいし、使い始めたらやめられませんね、あれ。

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