第32話 女性の必需品ですから。

 


 さらさらさら。

 薔薇色の髪がふわりと揺れる。


「お嬢様の髪は本当に綺麗ですねぇ」

「ツヤツヤしてて指通りもサラサラで。毎日整えるのが本当に楽しいですわ」

「ふふ、ありがとう」


 私の髪は毎日メイドが整えてくれる。

 さすがにお世話のプロだけあって、彼女たちの腕は確かだ。ヘタに自分で整えるよりずっと上手だから、本気で助かってる。

 前世ではどんな髪型してたのかって……? 普通にひっつめてましたけど? できるスタイリングなんてお団子かくるりんぱくらいでしたから。


「元から綺麗ではありましたけど、櫛を変えてからあきらかに変わりましたよね……?」

「今まで使ってたのも、それなりに良いものだったはずだけど……」

「木櫛ってそんなに髪にいいのかしら……?」

「ですがお嬢様……、これは確か祭りの露店で買ったものですよね?」


 疑問を顔に浮かべるメイドたちは、最近私が愛用している木を細工して作られただけの何の変哲もないただの櫛を不思議そうに眺めていたが、テラが発した言葉には驚きの声を上げた。


「そうよ、ただの木櫛。それをじっくり二週間オイルにつけてオイル櫛にしただけよ」


 ヘタに高いだけの高級品よりずっといい。

 オイルにつけた木櫛は前世からの私の愛用品。

 その櫛でとかすたびにつやつやとして髪のまとまりもいいし、使えば使うほどオイルが馴染んで味がでる。

 建国祭の露店で買ったあと、早速手持ちのオイルで作ってみた一品。ちょっぴりの香油も入れて使うたびにふんわりと香る花の香りがほんの少しリッチ感。うん、おしゃれー。


 ふふふと楽しく鼻で笑っていた私は、ついで問いかけられたテラたちの疑問に固まった。


「あの、お嬢様……?」

「おいるぐし…………って何ですか?」



 ……………………マジかい。




 ***




 その同時刻――――ヴィコット邸の執務室。

 ヴィコット家当主、ロイス・ヴィコット伯爵の元には一人の客人が訪れていた。


「伯爵様、ご機嫌麗しゅう」

「これはルークス殿。久方ぶりですね、息災で何より」


 ロイスの前で多少不恰好ながらも恭しく頭を下げる一人の男は、促されるままソファーに腰を下ろした。


 ルークスと呼ばれたこの人物はロイスの仕事上の取引先の相手。

 レモンバーベナを売り、ハーバル・ガーデンで使用されている木材を使った調度品を手掛けた森の民。

 アヴィリアが建国祭の露店で知り合った人物その人である。


「こちらには行商で?」

「はい。冬になる前にいろいろ蓄えておかなければならないもので……、その前にできるだけ売っておきませんと」


 森の民はその名の通り、森に住む一族。

 冬は雪も積もり、町との移動も困難になってしまうので、完全な冬が来る前に食料や生活に必要なものを蓄えておき、冬に備えるのだ。


「旦那様のおかげでそれらの準備も今年は随分余裕がありますよ。本当に、なんとお礼を申し上げれば良いか……」

「いやなに、私はただ娘のお願いを聞いただけですよ」


 深々と頭を下げるルークスにロイスは笑って答えた。

 その姿は一人娘を可愛がるただの親バカな父親にしか見えないが、彼と仕事上の取引を続けたルークスはこの男が相当のやり手だということを知っている。


「長年虫除け程度にしか使ってきませんでしたが……、あのようなお茶になるとは。村の者も驚いてましたよ」

「お店の方は見ていただけましたかな?」

「はい。ゆったりとした空間の良いお店でした。そこに使われている調度品を見て、私共の木工品に目をつけてくださる方もいて……、ありがたいことです」

「それはそれは」


 木工品は彼ら森の民の生活の要。

 彼らの特産品とも言えるそれに注目が集まるのはとても喜ばしいことだ。

 にもかかわらず、ルークスの表情には少々陰りが見える。


「ですが、屋敷のインテリアには合わないと、実際に購入してくれる方は少なく……」


 素材をいかしているがゆえの独特な見た目を持つ木工品。煌びやかな家具で溢れた貴族の屋敷では、どうしても浮いてしまう。

 せっかく興味を持ってくれているのに、特徴的な見た目がどうしても邪魔をする。


「それらを気にせずに済むような、貴族の方でも気兼ねなく幅広く使えるものはないかと、色々考えてはいるのですが……なかなか」

「ふむ……」


 ロイスは固い指で顎を撫でて考える。

 貴族にとって見た目の華やかさは必要不可欠。

 豪華であればあるほど、家の持つ力を周囲に見せつけることができるからだ。


(となると、家具類などの調度品は難しいだろうな……。幅広く使うことを考えるならば、無難なのは日用品だが……)


 二人揃って考え込んでしまい、執務室の中に静寂が落ちる。


 しかしそれはほんのわずかの間で、突如響いたノックの音によって打ち砕かれた。


「お父様、お話し中に申し訳ありません……。少しよろしいでしょうか?」


 扉の向こうから顔を出した娘にロイスは少々驚いた。接客中の執務室に訪ねてくるとは珍しい。


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