第34話 少年はその名に苛立つ
「ねぇ、買った?」
「買った買った! すごいわよね!」
「私、髪が綺麗になったって、彼に褒められちゃったっ」
「最近乾燥しやすくなって、髪がパサついてたから助かっちゃった!」
「田舎の母親と妹に送ったら、すごく喜ばれたの!」
「お前最近しゃれっ気づいたか?」
「いや別に。使ってる櫛を変えただけだ」
「ヴィコット家の店で最近出したっつう、あれか」
イライラ。
「今まで扱ってたハーブとはちょっと違うけど……」
「けどあれも同じようにご令嬢が考案なさったんでしょう?」
「最近よく聞くなそのお名前」
「ああ、ご婦人がたの注目の的だってよ」
イライラ……。
「少し前までは手のつけられないほど傲慢なわがまま令嬢だ、なんて言われてたけど」
「噂だろそれ。実物は似ても似つかないお優しい令嬢だって実際に見た奴らが言って……ひぃっ!!」
「最近じゃ伯爵の地位を妬んだ奴らが適当に流した噂なんじゃないかって話も…………ひいぃっ!!」
(…………〜〜なんなんだ、さっきから……!!)
城の中に飛び交う名前。交わされる話題。
それらが耳に入るたびに、むしゃくしゃと湧き上がるものが己を支配して煩わしいというのに、すれ違うものたちみんながみんな、人を見てまるで鬼でも見たかのように悲鳴をあげる。
「ジオー、ちょっとこっち向いてー」
「あ"ぁ!?」
「うわ、怖っ! 顔こっわ! ちょっとやめてよその顔で城歩くの。君のそれ本気で怖いんだから、本気で全身凍るんだから!」
見てよ君の通ったあとを、と困った顔で後方を指差す友人の向こう側を見れば、凍りついたようにピクリとも動かない通行人が廊下の至る所に立っていた。
「まったくこの歩くツンドラ製氷機め」
「何だそれは」
「もう冬なんだから余計寒くなるようなことやめてよねって話。城の中で凍死とかシャレになんないからさ」
何故城の中で凍死の心配をしなければならない?
気温が下がってきたからといって、気が緩みすぎなんじゃないのか。
人の噂話などしている暇があったら、自分の体調管理でもしていたらいいものを。……ちっ。
「ジオ、眉間にしわ。何そんなに苛立ってるのさ」
「別に」
「城の中アヴィの作った新商品の話で持ちきりだねー。母上も欲しがっててさ。森の民にわざわざ注文してたよ。ジオは使ってる?」
「いらんっ。櫛なんて今使ってるので十分だ」
「男だって身だしなみには気を使わないと! 男の人もよく買いに来るってアヴィ言ってたよ?」
こいつの口から彼女の名が出るたびに、胸が鉛を飲み込んだように重くなる。
そうして押し黙った僕を見てこいつはまた楽しそうに笑うのだ。
「機嫌悪いねー。イラついてるときはお腹に何か入れるといいよ! そんなジオにはじゃじゃーんっ、これがおすすめっ」
「お前はイラついてなくても入れて……、なんだこれは……?」
まるで秘密兵器をお披露目するかのように大げさな振る舞いで差し出された大きめの紙袋にもっさりと詰め込まれたそれは、細切りの…………これはじゃがいも、か?
「ふっふっふー、アヴィに作ってもらったフライドポテトさ!」
「…………また行ったのか」
「たまにフッと食べたくなるんだよねー。フライドポテトとポテトチップスはわんぱく少年のソウルフードだからね。次はポテトチップス作ってくれるって約束なんだ」
「…………〜〜っ、またわけのわからん単語を……っ」
こいつは時折こんなふうに理解できない単語の羅列を並べて周囲を困惑させた。
どんな意味なのかすらわからないそれに、周りの人間は毎回首をかしげるしかできずにいた。…………なのに。
(…………彼女は、分かるんだな)
知り合ってほんの数ヶ月。お互いを認識してそれほどの時間が立っていないにも関わらず。
こいつの意味不明な言葉にも、彼女なら答えることができる。
そう、彼女なら――――――……。
「よかったらジオにも少し分けてあげよ〜か〜?」
にやにや〜と底意地の悪そうな猫のような笑顔でつつつつ……と近づいてくる。
殴りたいその笑顔。
しかしそんなことをすれば危ないのは我が身なので、腹いせに差し出された紙袋を力任せに奪いとり、その中身をざらざらと一気に口の中に放り込んだ。
「っああぁああぁぁああぁぁーーーーっ!!??」
悲痛に満ちた叫び声が廊下に響く。
近場にいた兵士たちが何事かと視線を巡らすが、その先にいるのが僕たちだと知って、さっさと視線を戻して素知らぬ顔で歩き出してしまう。
ここで起きる珍事の発信源は八割方目の前のこいつだからな。いつものことだ。
「なんってことするのさー! ジオのバカあぁーーーーっ!!」
空になった紙袋を手に涙目で訴えてくるやつを尻目に素知らぬ顔で咀嚼する。
ふんっ。人をおちょくるからこうなるんだ。これに懲りたら少しは自重しろ。
「こんな油っぽいものばかり食べていては身体を壊すだろうが。体調管理はきちんとしておけ、これから忙しくなるんだからな」
季節は冬目前。冬が来れば新年まであっという間だ。
年末から新年にかけてが、一年の中でもっとも城の中が忙しくなる期間だ。
それが過ぎれば、今度はあっという間に春になる。
「来年になれば、アヴィと妹ちゃんはいよいよ成人だね。アヴィは春生まれだからすぐだ」
「…………」
男子が十二歳、女子は十三歳で成人というのがアースガルドの法律だ。そのお披露目として社交界デビューを果たし、一般的にも大人のレディとして扱われる。
子供でいられる時間が終わりを告げる瞬間は、すぐそこまで来ている。
「そうなったら、お前も迂闊には会いに行けないんじゃないか?」
お互いに成人を迎えた男女が、何度も会っているなんて、それこそ良からぬ噂を立てられる。
そんなの彼女だって困るだろう。自分の将来に関わる。
親しくできるのは、子供だから。
自由に会うことができるのも、好きに言葉を交わすことができるのも。彼女が成人前の『子供』だったからだ。
『大人』になってしまえば、そんな自由にも枷ができる。
(こいつもそれがわかってるからこそ、今のうちに会ってるんだろうが……)
少なくとも、僕はそう思っていた。この二人が親しく過ごすことができるのは、子供のうちだけだ、と。
「アヴィは俺を遠ざけたりしないよ」
だからこそ、思いもよらぬレグの言葉には意表を突かれた。
「人間は誰だって孤独が一番嫌いな生き物だ。自分を理解してくれる相手を、拒絶なんてできないよ」
その言葉は、僕に気づいていなかった一つの事実をつきつける。
「アヴィも。俺も、ね」
彼女がレグのことを理解しているだけではない。
レグもまた、彼女を『理解している』のだと…………。
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