第10話 決着
「ああっ、お兄様ったら何やってるのよ!!」
ウェルジオの変化は誰の目から見ても明らかで、周囲の人たちもその変貌にざわざわとどよめきだす。
「ウェルジオ様……」
「どこか調子でもお悪いのかしら……」
剣術のことなどさほど詳しく知らないであろう令嬢たちですら、その姿に疑問を感じている。
(どうしたのかしら……、急に動きが悪くなったみたい)
防戦一方で、相手の攻撃をただただ受け流すだけの彼は、どう見てもおかしかった。
そして何度目かの攻撃を受け流したとき、とうとうウェルジオは手に持っていた剣を滑らせてしまう。
「……っあ!」
かろうじて取り落とすことはせずに体勢を立て直したようだが、私の視線はそんな彼の手元をしっかりと捉えていた。
彼の手が、その手に巻かれたハンカチが。
赤く滲んでいる…………。
(まさか……、さっきの怪我……!?)
そうよ、どうして気づかなかったの。
さほど大きな傷でなかったとしても、ろくな手当もせずに酷使し続ければ悪化するに決まっているのに。
重量のある剣を持って始終振り続けていれば負担がかかるのは当然じゃない。
あんな応急処置だけじゃ、何の意味もなかったのよ。
「私を、助けてくれたから……」
どうしよう、あの人が負けてしまう。
「ぴ!? ピピぃーっ!」
気づかないうちに力をこめて握り締めていた手のひらに爪が食い込んで血が滲んだ。それに気付いたピヒヨが慌てて手のひらをこじ開けるように身体を擦り付けてきたけど、それを気に留められるほどの心の余裕は、今の私にはなかった。
「わたしが……」
何も考えずに、飛び出したりしたせいで。
まるで鉛でも飲み込んでしまったかのように、心に重くのしかかる。
飛んでくる弓矢の前に飛び出すときは、怖いなんて、思わなかったのに。
(わたし、なんてバカなの……)
今更ながらに思う。セシルはあのとき、こんな気持ちでいたのかと。
自分の行動が親友にこんな思いを味あわせていたのかと思うと、余計に罪悪感が湧いて視界が徐々に涙でぼやけていった。
「大丈夫よ」
そんな私の耳に届けられた、驚くほど落ち着いた声。
「お兄様はそんなこと思ってないわよ」
顔をあげれば、そこにはいつもと変わらないセシルの笑顔。
「アヴィが言ったんじゃない。危ないと思ったら身体が勝手に動いたんだって。お兄様だってそうだったのよ、きっと」
エメラルドの瞳には微塵の動揺も浮かんでなどいない。そこにあるのは一片の曇りもない兄への信頼。
「見てて。お兄様は絶対負けないから!」
大丈夫、とセシルは笑う。
たった6文字の言葉が、こんなにも心強く感じたことが、今までにあっただろうか。
「ぴぃーい」
知らず力をこめてしまっていた腕の中は、きっと苦しかっただろうに、ピヒヨは抜け出すこともなく、そこでじっとしてくれていた。
窺うようにこちらを覗いてくるその小さな瞳は、まるで『ちゃんと見ないの?』と言っているようで……。
「……うん。そう、ね」
本当に、なんて情けないんだろう。
「ウェルジオ様! 頑張ってくださーーーい!」
「負けちゃいやーーーーー!」
周りの令嬢たちは、目を逸らすことなく応援を続けているというのに。
「ウェルジオ様は“大丈夫”よね!」
「ピィ!」
「とーぜんよ!」
私は溢れた涙を拭って、もう一度視線を前に向けた。
「どうしました、さっきまでの勢いが見る影もありませんね!」
「……っ、君はよく喋るね。舌を噛んでも知らないよ」
「はっ、この期に及んで負け惜しみですか!」
「……ぐっ」
力任せに打ち込まれる。戦略も何もあったもんじゃない正面からの攻撃だが、今の状態では受け止めることが精一杯だ。
「そんな怪我を携えて勝ち残れるほど、この大会は甘くありませんよ、そんなことも理解できないんですか」
「……っ」
「二度と剣が持てなくなる前に棄権すればよかったものを、自分の実力を過信するからこういうことになるんですよ!」
右手の怪我は当然相手にもばれた。
一目瞭然の弱点だ、そうと知るや否や何度も力任せにガンガンと斬撃を繰り返してくる。
そのたびに衝撃が腕を突き抜けて、ウェルジオの顔が痛みに歪んだ。
「いい加減棄権なさったらどうですか? もう勝負は見えてますよ?」
「……君のソレは、とても武人の言葉とは思えないな。勝敗は最後の一分一秒まで何が起こるかわからない。最後まで決して気を抜いてはいけない。……そんな基本すら君は知らないのかな?」
こんな状態でも、ウェルジオは余裕な態度を崩さない。
「っ、無様な姿を晒す前に下がればいいものを! 相手との力量差も分からないなんて! 所詮はどこまでも家柄だけの人間ですね!」
「君よっぽど好きなんだね、その理由」
まるで大したものでもないというふうに、嘲笑った。
「程度が知れるな」
誰がどう見ても勝っているのは自分なのに、優位に立っているのは自分の方なのに、まるでどうあがいても勝ち目などないんだと言われているかのように。
「……っ、いい気に、なるなーーっ!!」
その表情を崩してやりたかった。
みっともなく地面に這いつくばらせて、大勢の前で己の無力さに打ちのめされればいい……!
闘技場中に響く、ジークの雄叫び。高く振り上げられた剣が陽の光を反射して鈍く煌めく。
それを綺麗だとは思えなかった。
本能的に察する。これで決まる、と。
彼のあの手では、防ぎきれない、と……。
ピヒヨを抱きしめる手がこわばる。
それでも、今度は目をそらさなかった。
会場の気迫はこちらにまで伝わってきて、観客席に座る誰もがみな、思わず息をすることさえ忘れてしまった。
キィ―――――――……ン……
高い金属音があたりに響く。
思いっきり弾かれた剣がカラカラと虚しく転がる音だけが、シン……と静まり返るその場に響いた。
「悪いね」
地面に腰をついたジークは、何が起きているのか分からないまま、呆然とした表情で目の前で剣を握るウェルジオの顔を見上げた。
「僕は両利きなんだ」
「そこまで!! ―――――――――勝者、ウェルジオ!!」
審判の掲げた声に、今日一番の歓声が沸いた。
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