第42話 その裏に隠れた優しさ



「ヴィコット邸の庭には珍しく桜が植えられていると聞いてね……。せっかくだから拝見させてもらおうと思ったんだが……」

「……不躾ですね、こういうときは気を利かせるものではありませんか?」


 暗に逢瀬を邪魔するなと語るその言葉にさらなる怒りがこみ上げる。


(今からでも悲鳴あげたろか、こんガキャァ……ッ)


 思わずガラが悪くなる。が、心の中なので大目に見て欲しい。


「君にとっての仲睦まじい仲というのが、相手の手を無理やり掴みあげることを言うのなら、そうするが?」


 しかしそんな言葉もウェルジオは嘲るように、はっと鼻で笑って返す。

 凍てつくような冷たい瞳が、いまだ私の手を強く握りしめる腕を睨みつける。

 自分では気づかなかったが、月明かりの下でも分かるくらいに赤くなっていた。


「なっ、い、いや……これは……っ」

「――――――黙れ」


 しどろもどろになる男の声を、鋭い言葉が冷たく切り捨てる。

 ビリ、と空気が震えたのを感じた。

 身がすくむような氷の眼差しと低い声に、思わず息を飲む。


 はじめて、彼を怖いと感じた。


「大人しく会場に戻るんだね。…………招待された屋敷のご令嬢に無理やり不貞を働いた……などと噂になる前に、ね」


 脅しだ。


「…………ちっ!」

「ぃたっ……」


 掴んでいた手を乱暴に振り払い、男はまるで逃げるようにこの場を足早に去って行った。


(くぁ〜〜〜〜っ、最後までヤな奴ぅ……っ!)


 去ってゆく背中に、心の中で思いっきり舌を出す。

 レディに対してこんな扱いしかできないんじゃ、他のご令嬢が相手でも到底仲良くなんてできないだろうなあの男。

 それはそれでちょっといい気味だわ、と赤くなった手をさする。


「……ウェルジオ様」


 いまだ消えていった背中を睨みつけたままの彼と向き合う。冷え冷えとした視線はそのまま彼の不機嫌さを表していて、失礼ながら少しばかり身が震えた。

 それでも、結果的に助けてもらった形の彼にはお礼を言わなければなるまい。


「危ないところを、ありが……」

「バカか君はっ!!」


 紡ぎかけた感謝の言葉は、彼の怒鳴り声によって一気にかき消された。


「このパーティーで自分がどれだけ周りから注目されているのか分かっていないのか! 本当に呆れた女だな!」

「な」

「それをメイドもつけずにたった一人でっ、こんな暗い中、こんな人気のない場所でのこのこ出歩くなんて! いったい何を考えているんだ!!」


 こちらが反論も出来ないほどに次々にまくしたてられる。

 だけど、こんなにも険しい声で怒鳴られているというのに、私はといえば場違いにもポカンとなるばかりだった。


「僕が間に合ったから良かったものの!! 何かあってからじゃ遅いんだぞ!?」


 だって、この言い方はまるで。


「…………あの、ウェルジオ様」


 もしかして……。


「心配して来て下さったんです、か……?」


 思わず問いかけてしまった。

 だって、そうとしか考えられなくて。でも、まさか。


 ありえないと思いながらも彼の顔を覗き込めば、夜でもわかるくらいに一気に染まった。


「だだ誰が心配なんかするかっ! 主催者側の立場でありながらっ、会場を抜け出してどこかへ行くなんて主役の自覚が足りないと貴族として注意してやろうと思っただけだっ! 勘違いするなっ!!」


 わーお見事なツンデレ。なんてテンプレな返し方なんでしょう。

 そうですか図星ですか、なんてわかりやすいんだ……。


「そうでしたか。ありがとうございます、おかげで助かりました」


 しかしそこを突っ込んでしまうと余計ムキにさせてしまうので、ここは素直に受け止めておくに限る。彼と過ごす時間が増える中で学んだツンデレの対処法。


「……〜〜っ、はぁ……」


 ほら、こうすると彼もこれ以上は何も言えないのよ。

 けれど私のこの反応は、彼的には不完全燃焼でもあるようで、重いため息を吐いてさっきまであの男が座っていたガーデンチェアにどかっと音を立てて疲れたように腰をおろした。


「戻らなくて良いのですか?」

「いい。僕も少し疲れた」


 こういうパーティが苦手なのは彼も同じらしい。この場に彼を一人残して立ち去るわけにもいかず、私も彼の隣にちょこんと座った。


「…………」

「…………」


 会話がない。思えばいつも彼と会うときはセシルも一緒だった。おしゃべり好きな彼女が間に入ると、とくに会話に困るようなことはなかった。

 いや、以前一度だけあったかな。彼がハーブを届けてくれて、セシルも去った温室で二人きりになったことが。そしてそのときに……。


「……それ、付けてるんだな」

「え、ええ……。気に入ってるんです。季節的にもぴったりですし、今日のパーティーはどうしてもこれを付けたくて、ドレスもこれに合わせたんです」


 薔薇色の髪を飾る、小さな桜の髪飾り。

 あの夏の温室で彼から送られたもの。

 誕生パーティーではこれをつけたいとずいぶん前から決めていて、今日の白いドレスも、この髪飾りに合わせて作ってもらった。

 ちなみにドレスのデザインを決めている間中、母がずっとニヨニヨ笑っていたことも思い出す。ごまかすのが大変だったわ……。


「本当にありがとうございます」

「礼なら前に聞いた」

「ふふふ」


 ふい、とそらされる視線は一見素っ気ないようにも見えるけれど、かすかに色づいた耳元が、それをただの照れ隠しだと教えてくれる。


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