第41話 響け、心の叫び
「アースガルド筆頭貴族の令嬢に逆らえなかったんだろう? 己より身分の下のものを侍らせていい気になるなんて、ろくな人間じゃないよ。君も相当嫌な思いをしてきたんだね、貴族の令嬢が土いじりなんていう現実逃避をするまで追い詰められるなんて……、可哀想に…………」
男が私の目の前に立つ。
そっと肩に触れられる手が心底気持ち悪く思うのに、私は動けなかった。
「それにひどく乱暴のようだ、さっきもパーティー会場で兄君に対して暴力を振るっていたし、目の前でそんな光景を見せられて、さぞ怖かっただろうに……、だからこうして外に逃げてきたんだよね?」
時間が経つにつれ、男の声を聞くにつれ。全身からふつふつと湧き上がる、言い表し難い感情。
これは怒りだ。
強く握り締めた手のひらに爪が食い込んで皮膚を傷つけても、気にもならないくらいの。
「逆らったら自分が暴力を振るわれるかもしれないから、だから何も言えずに、ずっと我慢して、耐えてきたんだよね……? でも、もう大丈夫だよ、これからは僕が守って……」
―――――その瞬間。夜の空気に乾いた音が響いた。
抱きしめようとして思いっきり振り払われた男の手が、虚しく宙に浮いた。
あまりの衝撃に呆然と立ち尽くす男の顔を思いっきり睨みつける。
「お黙んなさいっ!!」
悲鳴のような叫び声が夜の闇に響く。
「な……っ、はしたないなレディ……。そのような乱暴なセリフは美しい君には似合わな……」
「大事な親友を貶されて黙ってられるわけないでしょうっ!!」
感情的になっていることはわかっていた。
こんな姿、お母様に見つかったらきっと叱られる。「貴族令嬢たるものそのように声を荒げるものではありません」って。
相手は
そんな子を相手に、本気になって怒りをぶつけるなんて、大人気ないったらありゃしない。
わかってるわよ、面倒な挨拶を交わしたときと同じように、笑顔を貼り付けてやり過ごせばいいんだって。それが一番、穏便に終わらせられる方法なんだって。
だけど不思議ね、全然止めようと思わないのよ。
腹の底から湧き上がってくる怒りが、これっぽっちも抑えられないの。
初めてだった。
こんなにも、我慢できないほどの怒りを感じることも。それを誰かに対してぶつけることも。
こんなにも、声を荒げて誰かを怒鳴り散らすことも。
(なんで、どうして……っ)
どうして、あの子が。そんなふうに言われなきゃいけないのよ。
「侍らせてるですって!? バカなこと言わないでっ、一緒にいられて嬉しいのは私のほうよ!」
アヴィリアには友人がいない。セシル以外に誰も近寄ってこない。
アヴィリア・ヴィコットの傲慢で我儘などうしようもない性格は、それほどに周りに知れ渡っていた。
貴族令嬢たちの大事な交流の場であるお茶会にだって、アヴィリアは一度だって呼ばれたことがない。
誰も呼ぼうとしない、誰も友好を深めようと思わない。
だからアヴィリアの周りには友達がいない。セシル以外に。
「あの子と一緒にいられて、私がどれだけ嬉しくて、助けられているか、知りもしないで…………っ」
むしろ侍らせていたのはアヴィリアのほう。
セシルがそばにいることで、筆頭公爵家がバックにいるんだと言わんばかりに振る舞った。
自分の前では公爵家の令嬢さえ、小さな存在なのだと、そう信じて疑わなかった。
自分は伯爵家令嬢という立場に収まりきらないほど、強く美しく高貴な人間なのだと。
「あの子の優しさにつけあがって、どれだけのことをしたか……」
馬鹿なアヴィリア。そんなことあるわけないのに。
アヴィリアのセシルに対する態度は決して許されるものじゃなかった。
なのに大きな問題にならずにいたのは何故だ?
そんなの決まってる。
“セシル”が、止めてくれたからだ。
不遜な態度を咎められることもなく、罰せられることもなくいられたのは、他でもないセシルが、それを望まなかったから。
けしてアヴィリアの力なんかじゃない。
そんなことにも気付かず、周りにどれだけ守られていたかも知らずにいた、愚かで無知なアヴィリア。
それでも変わらずに、そばにいてくれたあの子。
「あの子が友人でいてくれることに、私がどれだけ救われているか」
『私』が変わってしまっても、あの子は変わらなかった。
あの子がいなかったら、私はずっと一人ぼっちだった。
どれだけ。どれだけ…………。
「何も知らないくせに、勝手なことばっか言ってんじゃないわよっ」
――――――――――――これ以上、
「セシルを馬鹿にするなっ!!」
叫んだ。声の限りに。
恥も外聞も無い、貴族令嬢の顔もいらない。
心の底からの想いが、一気に溢れ出た。
「………………ちっ、人が下手に出てればっ!」
「っい!」
今まで浮かべていた人好きのする笑顔を消しさった男は、忌々しそうに顔を歪めて力任せに腕を掴んできた。
「ちょ、離しなさいっ!!」
「レディは博識ではあっても、頭は悪いようだ。わかってないようだから教えてあげるよ。……パーティーの最中、こんな場所で招待客と揉め事を起こすような令嬢なんて、どんな噂になると思ってるんだい?」
「なっ」
掴まれた腕を振り払おうとしても、ビクともしない。余計に力を入れられてキリキリと痛んだ。
子供とはいえ相手は男。十二の小娘の力では振り払うこともできない。
今更ながら自覚する。今の自分がまだ幼い、少女の姿であるということを。
(油断した……っ)
「ふんっ、ここ一年は人が変わったように大人しく振る舞っていたみたいだけど、化けの皮は剥がれてしまえばお終いだ」
今この屋敷には沢山の貴族たちが集まっている。
おしゃべり好きな彼らの手によって噂は瞬く間に広がるだろう。
ヴィコット家は今、少なからず貴族の間で注目を集めつつある、その注目の大半を担っているのが
その当人が、パーティーの最中に抜け出して招待客の男性と問題を起こしたなんて、噂されたら……!
ぎり、と唇を噛んだ。びくともしない腕が腹立たしい。
「社交デビュー前にそんな噂が流れたら……。さて、どうなるかな?」
愉悦に歪む笑顔が近づいてくる。その顔は自分の優位を信じて疑っていない。
どこまでも女をバカにしてくれる…………、だが。
(甘いわ、お子ちゃまが!)
お前の目の前にいる女をそこらの令嬢と一緒にしてもらっては困る。
こちとら中身はアラサー手前の社会人だぞ。子供の脅しに震えて萎縮すると思ったら大間違いだ。
ネット社会で生きてきた現代社会人女をなめるな。人の目が多いという場所ならばこそ、この手の女が取れる有効な手段がひとつある!
(悪女ヒロイン宜しく悲鳴をあげて、こっちから人を呼び寄せてやるわ!)
唸れ私の演技力!!
私は声を張り上げるために思いっきり深く息を吸った――――――――。
「…………へえ。どうなるって言うんだ?」
けれど、私が声を上げるより早く、辺りに響く別の声があった。
最近ではすっかり耳に馴染んでしまったその声。
導かれるように視線を向ければ。
「……ウェルジオ様」
月明かりの下でもわかる、氷のように冷たいアイスブルーの瞳を鋭く光らせて、ウェルジオ・バードルディがそこに立っていた。
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