第44話 あなたとワルツを
――――……〜〜♬
ふと、ホールから漏れ聞こえていた音楽の曲調が変わった。
静かに流れるワルツは、ダンスタイムが始まったことを知らせてくれる。
「…………そろそろ戻らないといけませんね」
仮にも本日の主役、ダンスタイムをサボるのはまずい。できればもう少し、桜を見ていたかったけれど……。
「はぁ……」
正直、戻りたくない。
挨拶をしているときでさえあんなに絡まれたのに、ダンスタイムなんて声をかける絶好の場を相手に与えるようなものだ。
しかし残念なことに、貴族のパーティーにおいてダンスは必須、やらないわけにはいかない。ボディガードよろしく隣に居てくれた父も、さすがにダンスタイムまで張り付いてることはできない。
パーティーが始まる前、決して隙を見せるな、相手に主導権を渡してはいけないと、母からあれこれあれこれレクチャーを受けた。
もしも力ずくで来られた場合は何処其処をひねりあげればいいとか、何処其処を思いっきり踏んでやれとか、だんだん内容が不穏になっていったので、結局父にストップをかけられてたけど。
でも教えられた手前、もしものときはやらかしてもいいぞということよね。きっとうまくごまかしてくれる…………はず。
(…………はぁ、せっかくの誕生日なのに、なんだか疲れることばっかりだわ……)
そのときの私は、よほどうんざりした顔をしていたのだろう。
少なくとも、隣に座る彼に心情を見破られるくらいには。
「…………仕方ないな」
「はい?」
「来い」
突然立ち上がった彼は、そのまま私の手を掴んで歩き出す。
「ちょ、ウェルジオ様!?」
いきなりの行動に慌てて声をかけるも、彼から返される返事はなく、ただ私の手を引っ張ってずんずんと歩き続ける。
その足の向かう先にあるのは、音楽の流れるパーティーホール。
(いきなり何なの!? 乱暴じゃない!? ……いやそれよりも手、手を離して欲しいんだけどっ!)
それなりに強い力で引っ張られている腕は地味に痛い。
それに気付いてないのか何なのか、彼はお構いなしにそのままホールへと足を踏み入れた。
会場に現れた本日の主役の姿に、集まった人たちからの視線が一気に集中する。
「あの、ウェルジオ様……、腕を……」
会場中の視線が痛い。彼はいったい何を考えているの。こんなに注目を集めるようなことをして。
そんな私の心情など知らんとでも言わんばかりに、周りの視線を集めるだけ集めた彼はダンスホールの中心でようやく掴んでいた腕を離してくれた。
思わずほっと息を吐く。
その瞬間。
彼はそのままくるりと私に向き合うと、緩やかに腰を折り、離したはずの手をもう一度、今度は恭しく差し出した。
「私と一曲、踊っていただけますか? ――――――レディ?」
一瞬、本気で時が止まったのかと思った。
今まで聞いたこともないくらいに優しい、穏やかな声。
こちらをまっすぐに射抜くアイスブルーの瞳にはいつもの嫌味じみたものは欠片も浮かばず、どこまでも安心させるような、暖かい光だけが宿っていた。
「――――――……はい、よろこんで」
その光に引き寄せられるように、差し出される彼の手に自らのそれをそっと重ねる。
ホールを満たす静かなワルツ。
音楽に乗って緩やかに、二人同時に廻り始める。
「足を踏むなよ」
「失礼な、そこまで下手じゃありませんわ」
まるで羽が生えたように軽やかに。彼の腕の中でくるくると廻る。
しゃらりしゃらり……。ドレスが奏でる衣擦れの音。回るたびに美しく広がる白は蝶のように優美に翻り、シャンデリアの灯りをうけて煌めく薔薇色の髪をよりいっそう美しく魅せた。
その姿がウェルジオの纏うダークグレーのスーツととてもマッチしていて、一枚の絵画のような完成度を作り上げている。
さすがと言うべきか、ウェルジオのリードはどこまでも完璧で優雅だった。
ダンスのレッスンで踊ったときよりも、ずっと自然に、上手く踊れているのが自分でもわかる。
それがなんだか楽しくて、いつの間にか自然に浮かんでいた笑顔が少しだけくすぐったかった。
会場中からそそがれる視線も、もう気にならない。
声をかけようと目論んでいた者たちは不満気だが、こうなってしまっては下手に声などかけられないだろう。
公爵家の嫡男のパートナーに横からダンスを申し込むなど、不敬にもほどがある。
だから、彼は――――――…………。
「なんだ?」
「いえ、ただ……」
突然笑い出した私に、彼が訝しげに問いかける。
彼は。
いつだって嫌味ばかりで、女性の腕を強く引っ張るくらいに乱暴で、いつもいつも上から目線で。
『あの態度はなかったと思っているっ!!』
『何かあってからじゃ遅いんだぞ!?』
けれど、彼の言葉はいつだって真っ直ぐだ。
今、私をリードして踊ってくれる彼の腕は、こんなにも頼りがいがあって、どこまでも力強い…………。
「…………私、レッスン以外で踊るのは、今日が初めてなんです」
彼は本当に、優しい人だ。
「ウェルジオ様が初めてです」
ため息ばかりだった誕生日が綺麗に色を塗り変えていく。
今、この夜を心から楽しいと思えているのは、間違いなくこの人のおかげで。
だからこそ思える。初めてのダンスの相手が貴方で良かったと。
けれど、それを言葉にして伝えるのは、やっぱりちょっと恥ずかしいから。
心の底から浮かべるとびきりの笑顔で。
私は彼に微笑んだ――――――――。
ぎゅむり。
ヒールの踵がおもいっきり食い込む。
「――――――〜〜いぃいっっ!?」
「ウェルジオ様!? だだ、大丈夫ですか!?」
「これが大丈夫に見えるかっ!」
「な、突然止まったのは貴方のほうじゃないですか!」
「……っ、誰のせいだと……!!」
「えぇ……?」
足を押さえてうずくまる彼は赤い顔でこちらを睨みつけてくるが、物申したいのはこちらのほうだ。いきなり動きを止められて、危うくけつまずくところだったわ。
「アヴィーーーーっ!」
「ぅぐっ」
そこに、場の空気を一瞬にして払拭させてしまうほどの明るい声でセシルが飛び込んでくる。
……文字通り身体全体で。
そんな彼女をその身で受け止めるはめになった彼の口からはカエルのような呻き声が漏れ、同時に人体から聞こえていい類いのものではない音が聞こえたような気もしたが……、果たして気のせいだろうか。
「お兄様とばっかりずるいわ! ね、私たちも踊りましょっ!」
「えぇ!? でも女同士だし……」
「大丈夫! 私男性パートも踊れるから!」
「せ、セシル待て、さすがにそれは……」
「いいじゃない少しくらい! お兄様は休んでいらしたら? お疲れのようですし?」
前のめりに腰を抑えている兄を気遣うような言葉だが、そうなった原因は貴女では……?
「……いいのかしら?」
「いいわけないだろ!」
「大丈夫よ! 伯爵様には許可をもらったもの!」
「え」
セシルの言葉に、公爵様と一緒にお酒を飲みに行ったはずの父を見れば。
(ぐっ)
とても良い笑顔でサムズアップを返された。
もしかして、いやもしかしなくても。セシルをけしかけたのは貴方ですねパパン。
「いいじゃない、今日は特別! アヴィの誕生日だもん。ね!」
「…………そう、ね」
今日くらい。ちょっとだけハメを外してみても、いいわよね。
だって今日は、私の誕生日なんだから。
「セシル、ちょっと待て……」
「いいじゃありませんか、ウェルジオ様。……うちの父が許してしまったようですし……」
「しかし……」
「お兄様ったら頭が固いんだから! そんなに気になるならご一緒にいらっしゃれば? ただしっ、踊るのは私のあとですからね!」
「僕はたった今その誰かさんに思いっきり足を踏まれたばかりなんだがな?」
「あら。私は誰かさんのせいで危うく転ぶところでしたわ」
いつもの調子で嘲るように目を細めて笑う彼に、ムッとして言い返す。
けれど場の空気が悪くなることは、もうなかった。
セシルと手をつないで、ウェルジオと三人。揃ってホールの中心に立つ。
彼と手を重ねて踊っていたときのような、どこか甘さを含む穏やかな空気はそこにはないけれど、それを嫌だとは思わない。
むしろパーティー会場にはおおよそ似つかわしくないであろうこの雰囲気が、私にはとても心地よかった。
さっきとは逆に、私が彼の手を引いてみても。
彼がその手を拒絶することはなかったから――――。
そんな私たちの姿が、周りの人たちの目にはどう写っているのか、なんて。ちっとも気づかなかった。
ダンスタイムが始まった途端、親しげに手を繋いで颯爽と現れ、ホールの中心で踊り始めた幼い少年少女。
どこか照れくさそうな、初々しい雰囲気を持つ二人はぎこちなさを残すカップルのようで、周りで見ている者たちの心をどこまでも和ませた。
周囲からの暖かい眼差しはその後もおさまることはなく。
まるで、幼い少年少女の行く末を見守るかのように、いつまでもそそがれていた――――――――……。
――――――――――――――――
これにて第一章、完結となります。
次の投稿からは第二章に突入します。
第一章はまだまだ話の土台という感じで、さほどストーリーも動いていないのですが……、二章目からは徐々にストーリーも動いていくかな……? と思います(多分)
あの子とかこの子とかの関係にも変化が見られる……! かもしれない(笑)
ちなみに、女性同士のダンスというのは実際にあるらしいですね。
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