第38話 100の言葉よりも
「やあロイス、いい夜だな」
「お招きありがとうございます。ヴィコット伯爵」
しばらくの間、言葉もなく父の手に甘んじていると、新たに掛けられる声がひとつ。
馴染みある声に顔をあげれば、招待客であるバードルディ公爵と、その隣に立つセシルの姿。後ろには驚くことにウェルジオの姿まである。本日は三人で出席してくれたらしい。
「アヴィリア様、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございますセシル様」
社交の場での正式な挨拶は、交わすたびにおかしくって目を合わせて笑ってしまう。
――――全く私たちらしくないったら。
「しばらくだね、元気そうでなによりだ。活躍は耳にしているよ」
「ご無沙汰しておりますバードルディ公爵。改めましてハーブの件、お礼を申し上げます」
深く頭を下げる。そもそも最初にハーブティーを作ることができたのは、この人の手助けがあったからこそ。感謝してもし足りない。
「ははは、息子が役に立ったようで何よりだ」
「とんでもございません、助かっているのはむしろ此方の方ですわ」
「いやいや、君には以前から娘も世話になっていたからね、……最近では君だけでなく奥方の方にまで世話をかけてしまって……」
「……………………」
……ん? だんだん空気が重く…………。
「ちょっと前までは綺麗な服やらぬいぐるみやらを強請られたのに、最近は武器やら防具やらを強請るようになって…………」
公爵の目からハイライトが消えた。後ろに立っているウェルジオも気づけば同じ顔になっていて……。
周りの空気がどんよりと曇っていく。
「屋敷の書庫で筋肉の付け方の本を読んでいるのを見かけたときは本気でどうしようかと思ったよハハハハハ…………」
(うわ、それきっつい!!)
ほんの少し前まで(多少おてんばなところはあれど)絵に描いたような深窓の令嬢風だったのに、今となっては口より先に拳で語る肉体派令嬢。とんだビフォーアフターもあったもんだ。
蝶よ花よと育ててきた愛娘の変貌ぶりを見た父親の心境とはいかほどのものか。
…………心中お察しいたします。
虚ろな目で空をみつめている公爵の肩をお父様が慰めるようにポンと叩き、連れ立ってこの場をそろそろと離れていく。向かった先はパーティー用に沢山のお酒が用意されたテーブルで……ああ、飲まなきゃやってらんないってことですね。納得。
「アヴィ、今日のドレスとっても綺麗ね!」
「ありがとう、普段あまり着ない色だから似合うかどうか心配だったんだけど」
「大丈夫よ! とっても似合ってるわ、その白いドレス!」
しゃらりと軽やかな音を立てる、白のAラインドレス。
蝶のようにふわりと翻る何重にも重なったロングフィッシュテールスカートの裏地やレース、ウエストをキュッと締める大きめのリボンには暗くなりすぎないダークブルーを使用して、縁取りには光を反射する金の糸でさりげない刺繍が施されている。
薔薇色なんていう少々派手な髪色をしているので、お母様がいつも見立ててくれるドレスはクリーム色や若葉色など、落ち着いた色合いのものが多い。
今日のドレスも、お母様は当初青い色をしたものを考えていたのだけど、私ができれば白か黒のドレスでとお願いしたのだ。
今日のドレスに、どうしても合わせたいものがあったから。
鏡の前でこのドレスに袖を通したときは、あまりの素晴らしさにこの後の面倒なパーティーも悪くないかなとさえ思って、柄にもなく少しばかり浮かれた。
(ま、そんな気分もパーティーが始まってしまえばすっかり薄れてしまったけどね…………)
先ほどまでの地獄の挨拶祭りを思い出し気分はすっかりだだ下がり。ああ、せっかくのドレスが霞むわ…………。
「アヴィ、大丈夫? なんかすごく疲れた顔してる……」
「ちょっと挨拶疲れよ、お祝いの言葉以外にも色々と声をかけられて……」
「もしかして例のお店の話!? すごいわよね、私も初めて聞いたときはびっくりしちゃった!」
「……でも、やっぱりいきなりすぎないかしら……。上手くいくかどうかもわからないのに…………」
「何言ってるの、大丈夫に決まってるじゃない!」
迷いなく言い切ったセシルのエメラルドグリーンの瞳が強く煌めいた。
「アヴィの作ったもの、私とても好きよ。薔薇のジャムも美味しかったし、いつも出してくれるハーブティーもとっても美味しいわ。これから沢山の人にそれを知ってもらえると思うと、私すっごく嬉しいの!」
まるで新しいおもちゃを前にしたときの子供のように、キラキラとした笑顔で語るセシル。
『楽しみにしています』『頑張ってください』
噂が回り始めてから、そしてパーティーが始まってから、代わる代わるかけられた沢山の言葉。
嬉しいと思う反面、肩に重くのしかかるように感じたのは、それが見ず知らずの相手からの言葉であり、少なからず社交的な意味合いも含まれている言葉であると、自分自身が感じていたからだ。
けれど、セシルからかけられた言葉は違う。
ただ純粋に、一点の曇りもなく。心から楽しみに思ってくれていると、感じることができた。
「忘れないでよアヴィ。私、アヴィブランドの一番最初のファンなんだからね!」
「……ありがとう」
ぎゅっと握られた手が、暖かくも心強い。
100人に言われる沢山の『楽しみ』よりも、大好きな親友からのたったひとつの『楽しみ』のほうが、ずっと心に響いた。
「あー、でもひとつだけちょっと複雑かも……」
「え?」
「だって、お店ができたらあのジャムも商品になるんでしょう? 薔薇のジャムはアヴィが私の誕生日にって作ってくれたものだったのに、これからはみんなのものになるのかと思うとすっごく複雑!」
「あらあら」
目を合わせて二人で笑う。
あんなにも重苦しく感じていた不安という重石が、まるで羽を生やして飛んで行ってしまったかのように軽くなっていた。
「ま、せいぜい伯爵の役に立てるように頑張ることだな」
セシルの後ろでずっと黙って控えていたウェルジオが、初めて声を出す。
「ウェルジオ様、本日はようこそいらしてくださいました」
「父上はどうしてもヴィコット伯爵と飲みたかったようでね……。パーティー会場でセシルを一人にするわけにはいかないから、仕方なくだ」
言外に君のために来たわけじゃないと含まれるが、それでも私は嬉しかった。
私の誕生日を祝うパーティーに出席するなんて、一年前は考えられなかった。彼はずっと私と関わる場を避け続けていたから。
公爵からハーブの運搬係を命じられた彼とは、その度に顔を合わせることになり、言葉を交わす機会も同じように増えていった。
その中で少なからず距離が縮まっていったと思ってもいいのだろうか。
「店を構えるということは楽じゃない。周りの人間が見向きもしなくなったらそこで終わりだ。常に人を惹きつけるような商品を考え続けなければならない」
「分かっておりますわ」
「ならそんな沈んだ顔をするんじゃない、不愉快だ」
思いがけずかけられた辛辣な言葉に、肩が小さく震えた。
「そんな不安そうな顔で作られるものが良い物なはずないだろう。僕に正面から食ってかかってきた勢いはどうした。伯爵令嬢ともあろう者がいつまでもウジウジと。まったく情けない」
「ウェルジオ様……」
見下すような口調は、けれども決して嫌とは思えず。その内側に確かな気遣いを含んでいた。
「……ええ、本当にそうですね」
言葉は乱暴だけど、つまりこれって激励してくれている、んだよね? まさか兄妹にそろって励まされるなんて……。
「ご忠告、痛み入ります。貴族の名に恥じぬよう精進いたしますわ」
「ふんっ」
「ふふふ」
腕を組んでそっぽを向く。彼のいつもの仕草。
これが親しみ深く感じるくらいには、私たちの関係は良いほうに変わったのだろう。
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