第37話 そして迎える春に



 いつのまにか雪が溶けて葉が色付き、庭に植えられた花々が我が家の玄関口を彩れば、今年もまた暖かなあの季節がやってくる。


(今年も綺麗に咲いた……)


 部屋の窓から外を眺めれば、遠く広がる青空をバックに咲く桜の花。

 去年の誕生日にお父様からこの樹をもらって一年。この樹がここに植えられて一年。本当にあっという間だった。


 ――――――思えばそう。全てはこの桜から始まった。


 この桜がここにあったからこそ、私は桜の塩漬けを作ること思いついて、そのきっかけがあったからこそ、薔薇のジャムを作ることができて、そこから今度はハーブへとつながっていった。


 すべてはあの日、ちょうど一年前の今日に。



「お目覚めですか、お嬢様」


 窓の外の桜をぼーっと見ていた私は、いつのまにか部屋にきていたテラにも気づいていなかった。


「今年も良いお天気で、良かったですね」


 かけられる声が優しい。

「今日」という特別な日をよりよく迎えられる。そのことを喜んでくれているのが分かって、なんだかこっちがくすぐったい。


「さあ、お嬢様。今日は忙しくなりますよ?」

「…………そうね、今行くわ」

「まずは湯浴みで全身をつるっつるのピッカピカに! そのあと肌を整えてー、着替えてー、髪を結い上げてー……」

「…………そうねー」

「やっぱりハーフアップでしょうか? それともシニヨン? ああっ、お付けになる香水はどうしましょうか? あまり匂いのきつすぎないもののほうが…………」

「…………ソーネー……」


 ウキウキと声を弾ませるテラに対し、私はテンションが下がるいっぽう。

 去年も味わったが、今日もこれから長い長い身支度という名の面倒な時間が始まる。


(まあ、今日の主役は私だから仕方ないけど……)



 ――――――桜の樹が植えられて今日でちょうど一年。



 アヴィリア・ヴィコット。

 本日をもって十二歳になります。




 ***




「アヴィリア様、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます。(ニッコリ)」

「まあ、なんて素敵なお召し物かしら」

「ありがとうございます。(ニッコリ)」

「去年は大活躍でしたね、お嬢様の商品は我が家でも重宝させて頂いております」

「私も、お嬢様発案の薔薇のお風呂を愛用させて頂いておりますのよ」

「ありがとうございます、これからも精進させていただきますわ(ニッコリ)」


 つ、疲れるわぁ……。

 これで何人目……? 十人目くらいからもはやわからないわ……。


「アヴィリア様は植物に興味がおありのようですな、いや、実はうちの息子も植物が好きでしてね」

「初めまして美しいレディ、お会いできて光栄です」

「まあ、お上手ですこと」


 さりげなく手を取られ、口づけを落とされる。

 幻覚だろうか、奥歯がキラリと光ったように見えて思わず口元がひくひくと震える。

 ただ挨拶をするだけでも疲れるってのに、この手のタイプの多いこと多いこと。


(お母様の言ったとおりね)


 貴族にとってパーティーという場所は、大切な他者との交流の場。

 今年で十二になったことだし、この年頃特有の話題もどんどん増えていく。貴族の人間にとって十二で将来の相手を作るということはさして珍しくはない。人によってはもっと幼い頃から婚約を結んでいる子供だっている。


 桜の塩漬けを皮切りに、去年一年で『アヴィリア・ヴィコット』の名は貴族の間に広く知れ渡った。

 だから今年は、今までのような家同士のお付き合いという名目ではなく、『私個人アヴィリア』を目的に訪れる客も多いだろうから、くれぐれも気をつけるようにと、パーティーが始まる前にお母様から散々口を酸っぱくして言われ続けた。


「是非話がしてみたいですね、とくに今度ヴィコット家が立ち上げる予定のお店の話など詳しく、きっとレディにご満足いただける時間を約束しますよ」


 自信ありげににっこり微笑む目の前の少年。

 毎度のことながらそれなりに見目麗しい外見だけども、これは自分のツラの良さをよくわかっている顔だ。自分の誘いを断るわけないだろうって思いが顔におもいっきり滲み出てる。


(うっわ、一番面倒なタイプ来ちゃったー……)


 この手のタイプはとにかくしつこい。中には礼儀正しい挨拶だけで去っていく人もいるのに。

 こういう奴は私が口でさりげなく断っても聞きゃしない。

 そこで。


「申し訳ありません、娘はまだ客人への挨拶が残っておりますので」


 パーティー始まって以来、私の隣にずっといたお父様の出番。

 さすがに伯爵から直々に断られたら聞かない訳にいかないもんね。


「……おや、それは失礼いたしました。では、よろしければまた後ほどに……」

「ええ、時間ができましたなら、ぜひ」


 訳:時間なんてないからお前なんぞと話すことはねぇよ。


 ……ってことですね!!

 さすがお父様。さりげなくも遠回しな見事なお断りです!


 そのままさっさとその場を離れると、背後で小さく舌打ちの音が聞こえた。


(お子ちゃまめ、こんな人が大勢集まっている場所で)


 私の耳に届いてるのだ、きっと隣にいる父の耳にも入っているだろう。


「ふう……」

「疲れたかい、アヴィリア」

「いえ、大丈夫です! お父様のおっしゃる通りまだ挨拶も残ってますし……」

「いいから少し休みなさい、パーティーはまだ続くのだし……。このパーティーでお前がいつも以上に注目されるのはわかっていたことだからね……」

「お父様が私に隠して進めていたお店の話で、ですよね」

「ごほん」


 ギロリと睨みあげればそっぽを向いて誤魔化した。


 温室に引き続き、父はまたしてもやらかしてくれた。

 私にいっさい感づかせることなく、コソコソと秘密裏にコトを勧めていやがったのだ。

 その噂が私の耳に入る頃には、生産工場はすでに動き出し、店が建つ予定の土地はとっくに買収済み。さらにはお母様の口コミによりすっかり噂があちらこちらに出回った後だった。


 またもこの手できたか……っ!!

 えぇ、えぇ、毎度のことながら効果は抜群ですよ。ここまで来てしまったら止めるに止められないじゃないですかっ!!


(そりゃあ私だって、ハーブ店みたいなのがこの世界にもあったらいいなとは思ったし、ゆくゆくはお店とか出せたらいいなぁ、なんて漠然と思ってはいたけど……)


 思い描いていたものが形になるというのに、私の心は一向に晴れない。


「…………本当に、大丈夫なんですか……?」

「うん?」

「お店、……もし、うまくいかなかったら……」


 ヴィコット家は大きな痛手を負うはずだ。

 元社会人だったからこそ解る。起業の失敗というものが、どれほどの損失を伴うか。


 つまるところ、私がイマイチ乗り気になれないのはそこだ。

 本当に、自分の作ったものにそれほどの価値があるのか…………。


「アヴィリア、私だって何も考えずにしているわけではないよ」


 不安そうに俯いた私の頭をお父様が優しく撫でてくれる。


「去年一年で君が作り上げたものはとても素晴らしかった。沢山の人が喜び、受け入れてくれている。君が思っている以上に、君の作ったものは周囲に求められているんだよ。“大丈夫”だという確信があったからこそ、私も踏み切ったんだよ」

「…………」


 そうは言われても、私自身どうもピンとこないのだ。

 ハーブのお店自体は前世にもあったから馴染み深いものだけど、私はただ、自分がハーブティーが飲みたいと思ったから始めたに過ぎない。

 自分の欲求を満たすために動いたに過ぎないのに。

 なのに、それが予想以上に周りに受け入れられ、しまいには私考案のメニューでお店を出す話にまで膨らんでいった……。


 時間にして、此の間わずか一年足らず。


 早い話。あまりにもトントン拍子に進みすぎてしまったせいで、心が現状にまったく着いていけていないのだ。

 不安が不安を呼び、晴れることなく心にどんよりとした雲をかける。


(…………少々ことを急ぎすぎたか)


 そんな私の姿を見て、お父様が急かしすぎたことをひっそりと悔いていたりしたが、それに気付く余裕もなかった。

 ただ、よしよしと頭を撫でてくれる手が壊れ物を扱う時のように優しげだった。


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