第36話 取り巻く者たちは……



「お嬢様バターが練り終わりましたよ」

「じゃあ次は、細かく切ったローズマリーを入れてよく混ぜて」

「かしこまりました!」


 温室のおかげで冬でもある程度ハーブを収穫することができる。

 薔薇もローズマリーも、お母様の口コミで広まったハーブティー用にするものばかり作っていたけど、最近少々手持ちに余裕ができてきたので今度は料理にも使ってみようと、只今厨房にお邪魔中。


 まず思いついたのは簡単なハーブバター。

 ハーブを使った調理の中では最もポピュラーなものだ。


 私自身、前世でハーブを育て出したのはハーブティーが好きだったからというのが一番の理由だけど、その延長で料理に活用することもよくあった。


(ローズマリーがお肉の臭みに効くと知ったときの料理長の顔は凄かったわね)


 基本はメイン料理というよりも風味を楽しむアクセントとして使うものだけど、ハーブの風味が加わるだけで全然変わるし見た目もおしゃれになる。


(贅沢を言うなら、バジルがあればいいんだけどなー……)


 ハーブ料理といったらやっぱりバジルが王道だけど、そう上手くはいかない。残念。


「お嬢様出来上がりました!」

「うん、いい感じだわ。じゃあこれを使って早速何か作りましょう!」

「はいっ」


 何がいいかしら。ここはやっぱりお菓子でしょう。いやいや夕食のメニューにでも……。


 料理人たちがわいわいと意見を出し合っているのを見て口が緩む。


(よかった喜んでもらえて)


 使い勝手の良いハーブバターを最初に選んだのは正解だったみたい。


(次はドレッシングとかオイルとか考えてみようかな……)


 むふふふふっ。




 ***




「おや? なんだかいい匂いがしますね」


 正午が過ぎ、冬にはちょうどいい暖かな日差しがヴィコット邸の執務室にも差し込んでいた。

 机に向かい大量の書類を処理していたロイス・ヴィコット伯爵は、不意に鼻腔を掠めた甘い香りに視線を上げた。


「お嬢様が厨房にいるんじゃよ。はてさて今度は何が出来上がるやら」


 彼の目の前には、高級なふわふわソファーに腰掛けてティーカップを傾けるタンクトップに作業ズボン、そして肩にはタオルといったがたいのいい庭師の姿。


「…………また貴方はそんな格好を」

「別にいいじゃろ、わしは気に入っとるよ」


 はあ、と呆れたようにため息をつくロイスにかまわず、テーブルの上のティーポットからちゃっかりおかわりをそそいでいる。


「いいかげん、その口調はなんとかならんか。この屋敷の主はお主だぞ」

「……勘弁して下さい、今更。それでなくても貴方には私が幼い頃から知られているのに……」

「やれやれ。伯爵ともあろう者が庭師のジジイごときに情けない」


 黙秘。

 視線があなたの態度もただの庭師というにはどうなんでしょうね。と語っている。

 しかし、それに気付きながら気にすることなくさらっと流しているのだから、なかなか喰えない人である。


「本当に、お嬢様はお変わりになられた」

「…………」

「内面はもとより、在り方そのものがのぅ。あの子はまだ十一歳の子供のはずなのじゃが、たまにもっと大人の子と話しているような気にさえなるわ……」

「………………先日、イフォルダー伯爵夫人から手紙を頂きましたよ」

「ほぅ……、“華の夫人”から」

「あの子がまた、新たな知識を披露したようで……」

「らしいのぅ。もっともその内容に目の色変えたのは夫人だけでなくローダリア様もだが……」

「………………」


 最近の妻はとても楽しそうだ。

 元々活動的な性格ではあったが自分と結婚し、娘が産まれたことでだいぶ穏やかになっていたのに、セシル様を弟子に迎えてからというもの、昔の活発さが戻りつつあって…………おかげで私は胃が痛い。

 最近胃薬が無二の相棒になりつつある。そんな父の姿を見越した娘には手製のお茶まで貰ってしまった。

 カモミールティーと言うらしいそれはリラックス効果を持つお茶だそうで。娘の気遣いにパパ涙がホロリ。とても美味しいよ、蜂蜜を入れて飲むのが好きだ、第二の相棒になりつつある。


「夫人の口添えで、また色々な家からの手紙が届きましたよ」

「ほっほっほっ、良かったではないか。…………お主の目論見通りじゃな」


 ピタリ。書類の上を滑っていた手の動きが止まる。

 ああ、やはりこの御人には己の考えなど端からバレバレのようだ。


「…………」

「あの子は未だに自分の力をさほど強く意識してないが……、新しいものを世に生み出すということは、それだけで注目を浴びるものだ」


 とくに暇を持て余した、流行りに敏感な貴族たちからはなおさら。

 それで引き寄せるものが、必ずしも良いものとは限らない。


「時期にあの子も十二になる。貴族の娘として社交界デビューも控えている今、味方が増えるに越したことはない」

「その通りです」


 ルーじぃの前に移動してきたロイスが一枚の書類を差し出した。


「王都の一角に店を構えようと思っています」

「ほう……」

「あの子の商品を本格的に売り出そうと思う」

「ふむ、そうか……」


 この行動が果たして吉と出るか、凶と出るか。それは自分たちにもわからないが。


「楽しみじゃのぅ、どんなものになるか」


 ほっほっほ、と笑うその姿はまるで孫の成長を喜ぶ祖父そのもの。


「ですが、まずはアヴィリアを頷かせなければなりません。…………なので」

「む?」

「しばらくは内密にお願いしますよ」

「またか」


 とても良い笑顔のロイスに今度はルーじぃが呆れた目を向ける番だった。




 ***




 ぞわりっ


「――――――……はっ!?」

「お嬢様? どうなさいました?」


(何かしら、今とても良くないものが全身をゾゾゾと駆け抜けていったような…………)


 風邪かしら? いやそれよりも、何かが迫っているぞと第六感が告げているような……。



ピ――――――――……。



「お嬢様、スコーンが焼きあがりましたよ!」


(コレか!)


 料理長の声に導かれ窯に向かえばふっくら香ばしく焼きあがった本日のおやつ。


「バターをシンプルに味わうなら、やっぱりつけて食べるべきよね!」

「美味しそうー」

「いただきまーすっ」

「わあ、いい香り……」


 知らぬところで父がこそこそ動いているなどとは夢にも思わずに、私は美味しいバターに舌鼓を打っていた。




 その後、驚愕の事実が我が身を襲うことになるとも知らず…………。







――――――――――――――


セレーネ・イフォルダー

 華の婦人。二つ名のせいで本名が全く出てこなくなってしまった……。

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