第29話 その名はライセット!
シャ――――――…………
如雨露から降り注ぐ水が涼やかな音を立てる。陽の光を浴びてみずみずしく輝く緑の葉っぱを見ると私の口元は知らずに緩み、知らず笑みがこぼれた。
ウェルジオ少年が(今度はちゃんと)運んでくれたハーブの苗は温室の土にうまく根付いてくれたようで、ここに植えられた当初よりも一回り二回り大きくなっている。
水やりが終わったら次はハーブの剪定に入る。如雨露を置いてハサミとザルを装備。
夏の日差しの中、ハーブの葉っぱはわさわさと増えていくので使えるようになったらせっせと切り取っていかなければいけない。
所々に膨らんでいる蕾があればそれらも忘れずに切り取る。放っておくと花が咲いてしまってその花に栄養を全て持っていかれてしまうのだ。
(摘みたてのミントがあるから、今日はこれでミントティーを入れましょうっ)
水を張った鍋にそれらを敷き詰めて火にかければ、ふわりと漂うミントのいい匂い。それにもまた思わず笑みがこぼれる。
ペパーミントもレモンバームも、ハーブティーのベースにするには向いていて他のハーブとの相性もいいし応用も効く。ハーブの中でも王道なものが真っ先に手に入ったことはやはり大きい。
(しかもこれらは多年草。生命力も強い。来年以降も期待できるわ……!!)
んふふふふふふ。
ニヤニヤと笑っていたら、大きな荷物を抱えたルーじぃが温室に入ってくる。
「よいしょ、と。お嬢様、頼まれてた肥料を持ってきたぞい」
「ありがとうルーじぃ。これ良かったら飲んで」
「おお!」
ハーブの植え替えは基本畑いじりと同じ力仕事なのでルーじぃが手伝ってくれている。
汗を流しながら手を貸してくれるルーじぃに、私は淹れたてのミントティーを差し出した。
沢山の氷を入れたグラスに鍋の中身をそそぎ一気に冷やせば、夏にぴったりのアイスミントティーの出来上がりだ。
それをごっごっごっと一気に飲み干す。
庭師の仕事もあるというのに申し訳ない……。もっともルーじぃ本人は「庭師のじじぃとしてはお嬢様の育てるハーブという物に興味があるんじゃよ」と豪快に笑っていたが。
「ぷはぁーっ。美味い! お嬢様の作った『ミントティー』はさっぱりしてていいのぉ、一仕事終えた身体にはたまらんわい」
「口に合って良かったわ」
「ううむ。しかしミントがこんな飲み物になるとは…………。長く生きてきて初めて知ったのう」
ミントティーの注がれたグラスを感慨深い目で見るルーじぃ。
ペパーミントと少々のレモンバームをブレンドして作られたそれは、ミントの持つ独特のメントール感が喉を通る瞬間スーっと全身に広がって夏の暑さには丁度良い。
もともとミント自体はこの世界でも料理の飾り付けやアクセントとして使われることはあったが、残念ながらそこで終わりだ。
(やっぱり認識が低いなぁ……)
元の世界からすれば一般的な使用方なんだけど。やはり知られてはいない。
(お母様は美容にいいって教えてからローズティーばっかり催促してくるし……)
おかげでルーじぃが丹精込めて育てた薔薇の花びらをしょっちゅうむしる羽目になった。
世界的に認識されていないものを使うということに、受け入れられるかどうかという不安はあったけど、今の所これと言った問題はない。
むしろ、さして抵抗もなく受け入れられているようで、逆にこちらが驚いたくらいだ。
もっともそれは、一番最初に作った桜茶や、コロッケまでもが父ロイス・ヴィコットの手によって世間に大々的に広められていることが一番の理由なのだが……。
父の部屋にあった大量の手紙を見ていたにも関わらず、アヴィリアはその事をいまいち理解しきれてはいないようである。
「お嬢様にもらった『ミントスプレー』のおかげで庭に寄ってくる虫もだいぶ減ったようじゃ」
「本当? よかった、うまくいって!」
「うむ。あれは良い! わしの育てる花は余分な薬を一切使わん自然の美しさが売りじゃからの!」
「そのおかげで薔薇を使うことができたのだものね!」
「料理人たちも厨房で活用しておる」
強い臭いを持つハーブは虫除けの効果を持つ。
夏であることも考慮してさっぱり系のミントを使ったのは正解だった。今度はローズマリーでも作ってみよう。
「ふふふっ」
「楽しそうじゃのう、お嬢様」
「ふふっ。ええ、とっても!」
なんだか最近、毎日がとっても充実してる気がする。
こんな気分なんだかとても久しぶり……。
そんな私をルーじぃはとても優しい目で見ていた。
「ふむ。……どうやらお嬢様の“自分探し”は、無事ゴールにたどり着いたようじゃな」
「……え、」
一瞬。ルーじぃが何を言っているのかわからなかった。
そうだ。
もう半年近く前に、彼とそんな話をした。
(…………そうだわ。最初はすごく暇を持て余してて……)
記憶を取り戻してからは、大人だったときと一転してガラリと変わった生活リズムに体が馴染まなかった。
ファンタジーな異世界転生。伯爵家令嬢という恵まれた環境。お人形のような容姿。
そんなスペックを持って新しい人生を手に入れたのに、ネットも携帯もないこの世界では、毎日時間が無駄に有り余るばかりで。
この世界での新しい趣味でも見つけられればと、お庭のお手伝いを始めたのが切っ掛けだった。ハーブを育てていたこともあって土いじりに抵抗はなかったから。
そして桜茶を作って、薔薇のジャムを作って。
私はただ、前世でやっていたことを思い出して、いつも通りにしていただけだった。
『次は何を作ろう』
自然に考えていた。そう、
「人間誰しも、好きなことをしている時が一番生き生きするものじゃ」
そうね。もともとハーブは好きだったわ。なのにこの世界には全然浸透してなくて、すごくがっかりしたのよ。作れるとわかったときは本当に嬉しかったわ。
そして今、こんな立派な温室まで与えられて、周りの人も応援してくれている。
「…………」
これは当たり前なんかじゃない、とてもすごいことだと今更ながらに痛感した。
自分は周りに恵まれているのだ。とても。
記憶を取り戻したときに、感じたことがある。
今度は満足できる生き方をしたい。流れに乗ってなあなあと生きるんじゃなく、何か。
何か、自分のしたいことを見つけたいって。
(ああ、そっか……)
当たり前のように手を伸ばしていたときは気づかなかった。
目の前にある『特別』。
この世界にないなら、作ればいい。
私が最初の一人になって。
(私が、この世界に、ハーブを広める……)
それはとてつもなく、凄いことのように思えた。
考えるだけで胸が熱くなって、ドキドキと鼓動が高まっていく。期待感、高揚感………………そして不安。
上手くいくだろうか。大丈夫だろうか……。私にそんなことができるだろうか。
私の全身をぐるぐると渦巻くそんな気持ちは。だけど決して不快なものではなくて。
「ねえ、ルーじぃ」
「うん?」
いやだな、どうしてこんなときに思い出してしまうのかしら。
子供の頃に読んだ本に載っていた、いつも前向きで明るい主人公が言っていた、あの言葉。
『何時だって何度だって、チャレンジしたいと思った時がスタート』なんだって。
「私、やりたいこと見つけたわ」
目標は決まった。
私の人生リセット計画。
――――――――ここがスタートラインだ。
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