第23話 少年はかく語りき 2


 セシルの誘いに僕が頷くことは決してなかった。


 信じられなかったからだ。あの性悪女が湖で溺れたくらいで改心するだなんて……。セシルは騙されてるんじゃないか?

 そうは思うものの、そのうち父上でさえも一度くらい会って見たらどうかと勧めてくるようになれば、さすがに真実味を帯びてくるようになる。


 それでも僕は頷かなかった。


 正直、半分意地になっていたんだと思う。会うことを拒否してばかりの僕を、父上はやれやれというような顔で見ていた。



 ――――そんな日々が続いたある日。

 いつものように第二王子の話し相手として城に登城した帰りのことだった。


「料理長、突然すまない。何とかこれを処理してくれないか?」

「これはまた……、ずいぶんいいじゃがいもですね。ですが一体どうしたんですか? こんなにたくさん……」

「城の料理人たちに押し付けられた……。最近がこれを使ったメニューばかり食べたがって困るから材料を引き取ってくれ、と」

「王子殿下ですか……。もしや今流行りのコロッケのことですか?」

「ああ、ことのほか気に入っていてな……。そうだ、今夜の食事のメニューはもう決まっているのか? まだなら、コロッケを頼みたいんだが……」

「もちろんご要望とあらば作らせていただきますが、珍しいですね」

「……話していたら食べたくなったんだ」


 微妙に視線を逸らしてそう言う僕を料理長は微笑ましげに見つめてくる。何だ、僕だってたまには食べたい物のリクエストくらいあるぞ。


「んんっ⁉ ちょ、ちょっとお待ちになってお兄様? え、コロッケ……知ってるんデス?」


 そんな会話を聞いていたセシルが、驚きに目を見開いて口を挟んできた。


「知ってるも何も。王都中で流行ってるだろう。城の料理人たちも最近よく作るぞ。作り方の歌とやらを歌いながらな。それを聞いた奴らが頭から離れてくれないと中毒性を訴えて来るくらいだ」

「……それだけ?」

「それだけとはなんだ。洗脳レベルで歌われるこっちの身にもなれ」


 あのやたら陽気で呑気な歌が城の厨房から聞こえてくるという事実だけでもやばいのに、いつの間にか歌詞が頭にこびり付いて離れないのだ。そして聞くと無性にコロッケが食べたくなる。これを洗脳と言わずに何と言う。


「でもそれ、ア……」

「ほう。ジオ、お前コロッケが気に入ったのか?」

「え、そうなの⁉ お兄様!」


 何かを言おうとしたセシルを遮って会話に入り込む父上。その内容にさらに驚くセシル。


「……? ええ、いいメニューだと思いますよ。あれなら野菜嫌いの子供でも喜んで食べそうですし。あのようなものをよく思いついたものですね……、感心します」

「ふ、くくっ。そうか、そう思うか」

「そうなんだそうなんだ! うふふふふっ」

「…………?」


 面白そうに顔を見合わせて含み笑いを浮かべる父上と妹に僕は意味も分からず首を傾げた。


 さっきからいったい何なんだ?


 疑問に思うものの、それを問いかけても二人が明確な答えを出してくれることはなかった。

 しかもその後、希望通りコロッケが作られることになったはいいものの、噂を聞くばかりでどのようなものなのか分からないと言う料理人たちの為に言い出しっぺの僕がその歌を歌って作り方を教えるはめになった。父はやたら生暖かい眼差しで見てくるし、セシルは肩を震わせてうつむきながら必死に笑いを堪え「やばい動画撮りたい……っ」と意味の分からないことを始終つぶやいていた。食べたいなどと言わなきゃよかったと心底後悔した。

 ドウガとやらが何かは分からんが、ろくでもないものなのは分かるぞ妹よ。兄の感。


 そんなことがあったせいで結局わけの分からぬままこの話題は流れてしまい、僕も特に気にせずすぐに忘れてしまった。


 だが、父上とセシルの不可解な態度はこの一度きりでは終わらなかったのだ。


 『次』があったのはそれからさらに数ヶ月が経った頃。季節が春になった頃だった。

 いつものようにヴィコット邸を訪ねていた妹が不思議な土産を持って帰ってきたのは。


「…………? 何だこれは?」


 その日の食後に出されたお茶は、いつもの紅茶ではなかった。


「これは桜茶といって、塩漬けにした桜の花を使って入れたお茶なのよ」

「桜の花!? そんなものがお茶にできるのか?」

「まあ、まずは飲んでみなさい」


 父上にうながされるまま、桜の花びらがゆらゆらとただよう不思議なお茶をそっと口に運んだ。

 初めて飲んだ桜茶なるものは、今まで飲んだどのお茶とも違う未知の味がした。

 ほのかな甘みの中に感じる適度な塩味、それが食後の名残を消すように喉を通り、じんわりと体に広がる。

 どこかホッと息をつけるような、そんな味だった。


「どうだ? ジオ」

「ええ。………………悪くはないですね」

「くくくっ。そうか、それはなによりだ」

「そっかそっか! うふふふふふふっ」

「……?」


 僕の答えにいつぞやのような含みを持った笑いで楽しそうに顔を見合わせる父上とセシル。

 また、この笑いだ。


(本当に何なんだ? このお茶に何かあるのか……?)


 考えてみても特に何かがあるようには見えない。いたって普通のお茶だ。

 そして前回同様、答えをもらえぬままさらりと流された。どうあっても答えを教える気はないらしい。

 それが分かっていたから僕もそれ以上は聞こうとはしなかった。



 今にして思えば、ここでもっと深く切り込んでいれば結果はまた違ったのかもしれない。全ては後の祭りだが。


 ――――全ての謎は夏に催されるセシルの誕生日パーティーにて明かされることとなる。




 ***




 その日は朝から大賑わいだった。


 屋敷の使用人たちはバタバタと屋敷中を駆け回り、そんな使用人たちに細かく指示を出している父上もまた、あちらこちらと忙しそうに動き回っている。


 本日の主役の妹はといえば、数時間も前から部屋にこもりメイドたちの手によって身支度を整えられている。

 母上もそうだが、女性というものは何故こうも身支度に時間がかかるのか……。数時間もかけて身なりを整えるなど男の僕からすれば全く理解できない面倒くささだ。もっとも父に言わせれば、「それを楽しみに待てるようになってこそ男」らしいが。

 ………………僕には当分無理そうです父上。


「…………?」


 暇を持て余して屋敷の庭を歩いていると、僕以外にも庭に誰かがいるのが目に入った。



 ――――少女だ。



 自分よりも少し幼いくらいの。パーティーの招待客の誰かだろうか。

 鮮やかな薔薇色の髪をゆらゆらと揺らしながら、まるで優雅に舞っているかのようにくるくると動くその姿から、僕は何故か目を離すことができなかった。


 少女が動くたびに淡いパーティドレスがひらひらと翻る様は、風に乗って舞う蝶のように重力を感じさせない不思議な空気感を漂わせていた。

 薔薇色の髪と淡いドレスのコントラストが、蒼い空と緑の庭にひどく映える。



 その姿はまるで、幼い頃母に読んでもらった絵本に描かれていた妖精女王のようで…………――――――。



(………………)


 あまりの美しさに声が出なかった。時も忘れるほどというのはこういうことなのか。

 それほどに、少女の姿に見惚れた。


「わわわっ! 待って待ってえぇーーっ!!」

「!?」


 突如、少女から発せられた悲鳴のような声で我に返る。


 少女の姿しか目に入っていなかったから気付かなかったが、よくよく見れば足下には一匹の猫がいて、今にも飛びかかろうとじゃれついている。

 くるくると動いていたのはその猫を振り払おうとしていたからか。


(……まずいっ、この先は階段だ!)


「おい、何してるんだ!? 危ないぞ!」


 考えるより先に声が出て、少女の視線がこちらに向いた。

 初めて見る少女の瞳は、吸い込まれそうなほどに澄んだ綺麗なオレンジ色――――――。


 瞬間、少女の体がガクンと傾く。


 咄嗟に手を伸ばしてその細い腕を掴み、力いっぱい引き寄せた。

 直前に自分の体を潜り込ませたおかげで、少女が地面と衝突する事態を防ぐことはできたが、反対に僕は背中をしたたか打ってしまった。地味に痛い。


「…………っ!?」


 そして理解する、今の状況。

 当然だが、少女の体は僕の真上。


 夏用の薄手の生地で作られたドレスは、少女の体の細さを直に伝えてきて、思わず体がびしりと強張った。

 少女が身じろいだ拍子に柔らかな薔薇色の髪が頬をくすぐり、花のようないい匂いが鼻先をかすめて、…………いっきに全身が熱を持った。


 身を起こそうとした少女が顔を上げる。

 自然に絡みあう、ふたつの視線――――……。


「すみません、大丈……」

「……っ、だから、危ないと言っただろうがっ!!」


 何も考えられない頭で発した言葉は、自分でも驚くくらいに強かった。


(しくった…………)


 失敗した。いくらなんでもこの返しはない。


「何処の家の令嬢だか知らないが、人の屋敷の庭でバタバタと! はしたないとは思わないのか!? まったく、令嬢なら令嬢らしくもっと淑やかにしたらどうだっ!?」


 頭ではそうと分かっているのに、一度口をついて出てしまった言葉は次から次へと溢れ出て一向に止まらない。

 ポカンとこちらを見上げるオレンジの瞳に胸が締め付けられた。


(……最悪だ。最低な第一印象だ)


 少女の目に自分はどれほど不躾な男に映っていることだろう。

 どんな冷たい視線を返されるのかと身構えていれば、彼女が返してきたのはまったく予想外の反応だった。


「大変失礼致しました。助けていただいてありがとうございます。お怪我はございませんか?」


 そう言ってにっこりと綺麗に微笑む彼女に、僕は文字通り言葉を失った。

 僕よりも年下のその少女は、僕よりもずっと大人の対応で僕に向き合ったのだ。


 それがひどく情けなくて……、飛び込んできたセシルがその雰囲気を壊してくれるまで、僕は何も言うことが出来ずにいた。



 だが、そんな思いも吹っ飛ばすような驚愕の事実が直後僕を襲う。


「ご挨拶が遅れまして申し訳ごさいません。お久しぶりでございます、ウェルジオ様。以前一度お会いさせていただきました、ロイス・ヴィコットが娘、アヴィリア・ヴィコットでございます。本日は妹様のお誕生日、誠におめでとうございます」


 そうして優雅にドレスの裾を持ち上げて小さくお辞儀をする少女の姿に、僕は目の前が真っ白になった。


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