第24話 少年はかく語りき 3
絶望のふちにいた。
(最悪だ……。最悪だ最悪だ、最悪だっ! 信じられない、ありえないっ!!)
パーティーの最中、仲良さそうに話す妹とその女……アヴィリア・ヴィコットを眺めながら、僕はずっとそんな言葉を繰り返し繰り返し心の中でつぶやいていた。
(よりによって、こんな女に言葉も忘れるほど見惚れるなんて……!!)
不覚だ。認めたくない。数時間前の自分を思いっきりぶん殴ってやりたい。
目を覚ませ僕それは夏の暑さが見せた幻だ!!
ここがパーティーの会場でなかったら思いっきり叫びだしていたところだ。それほどに僕の心中は荒れ狂っていた。
どこにも吐き出せない気持ちをただその女を睨みつけることで発散させ…………おい妹よ。何故兄を睨む……? お前はこの女を慕っているようだがな、お兄ちゃんは騙されないぞ! お前を傷つける可能性があると言うのなら、兄として見過ごすわけにはいかないんだ。現に見ろ、よりにもよってこの女はそこらに咲いてるだけのただの花をお前に食べさせようとしているじゃないか!
「はっ、花だって? そんなものを食べようとするなんて信じられないな。ただ庭に生えてる植物じゃないか。そんなものを妹に食べさせるなんて冗談じゃない。そもそも君に菓子なんて作れるのかい?」
少しはまともになったと聞いたが、やはりこの女は変わってなどいない。
自分以外の人間を、自分のことをこんなにも大事に思っている妹のことを、そこらに生えている雑草程度にしか思っていないんだ!
(ふざけるな、セシルがどれだけお前に……っ)
そんな気持ちを隠しもせずに思いっきりぶつけてやった。
どうだ。いつものように騒げ。癇癪を起こして暴れてしまえばいい。
きっとそうなるだろうと思った。自分の知るこの女なら絶対にそうするだろうと。そうすれば堂々とこの場から追い出してやれると。
だがそうはならなかった。この女は一切怯むことなどなく真っ向から僕に立ち向かったきたのだ。
「あらウェルジオ様。では貴方は今まで一度も紅茶をお飲みになったことがないとおっしゃるの? あれだって元をただせば葉っぱですわよ? ちなみに私、これでもお菓子作りは得意なほうですわ」
あのオレンジ色が。
まっすぐに僕を射抜く。
(…………っ)
瞬時に身体が熱くなるのを感じた。
この瞳はダメだ。この瞳で見つめられると動けなくなってしまう。
「うぐ、……だがっ、薔薇が食用だなんて聞いたこと……」
「無理もありません。食べ物というよりは薬草……漢方の一種です。一般的には観賞用、または香料として使われることが多いですが、実際に薬として使用されている例もございます」
そうしてこの女の口から語られる未知の知識。
正直驚いた。公爵家の嫡男として、跡取りとして。幼い頃から沢山の書物を読み知識をつけてきた。にもかかわらず、この女から語られるそれらは僕の知らないものばかりだった。
薔薇が薬草? 薬になる? びようこうか……?
何だそれは。そんなもの、僕は知らない…………。
にわかには信じ難くて受け入れがたい。
けれど、妹から差し出された薔薇のジャムを入れた紅茶は、確かに文句のつけどころもないくらいに美味しかった。
そのうえ仲裁に入ってきた父上によって春にヴィコット家から売り出されていたあの桜の塩漬けもこの女が作ったものだと教えられる。
さらには。
「今王都でたいそう人気のコロッケだってそうだよ。お前だって気に入っていたろう?」
あれもだと!?
確かにあれは気に入っている。食をそそる匂いもクセになる味も悪くはない。これを生み出した料理人は本気で凄いと思ったものだ。城に住んでいる友人もひどく気に入っていて、それはもう毎日のように食べたがるものだから強請られる料理人のほうが困っているくらいだ。
まさかそれがこの女による物だったなんて…………。
…………ん? ということは、あのやけに耳に付いて離れない洗脳のような歌はこの女が考えたということだろうか?
あの歌のおかげでとんでもなく恥ずかしい思いをした日のことまで思い出してしまい、それもこの女のせいかと思うと理不尽にも似た怒りが湧いた。
それらを語る父上の顔は心底楽しそうだ。いつぞや見たあの含み笑いを浮かべて、いたずらが成功した子供のような表情をしている。
それを見て、その含みの示す意味に僕はようやく気付くことができた。
父上もセシルも、それらの品がこの女の手によって生み出されているものだと知っていたんだ。僕がこの女を嫌っているから、だからあえて名前を出さずにいたんだ。
(貴方の作戦ですね父上っ……!)
セシルではこうはいかない。早々に名前を出してしまっていただろう。それでは僕が絶対に手をつけないと分かっていたんだ。
見事な手腕です、父上…………。
本日何度目かもわからない、我が身の情けなさに正直涙が出そうだった。己の未熟さがこれほどまでに浮き出てくる日もあろうか。
だが残念なことに、悲劇はそれだけでは終わらない。
「ちゃんと謝ってください!」
ジトリとこちらを睨みつけながら言い捨てられた妹の言葉には、さすがに頬がひきつった。
パーティーの最中に主催者の嫡男が起こした騒ぎは会場にいる招待客の視線を集めるには十分すぎて、会場中がことの成り行きに目を向けていた。
そんな中で自らの非礼を詫び、頭を下げて謝罪するなんて恥以外のなにものでもない。
「お兄様が悪いんですから! あ、や、ま、っ、て!」
そんなのは言われなくても分かってるさ。否があるのはまぎれもなく僕のほうだ。
幼い頃から父や家庭教師から何度も繰り返し繰り返し教えられた。
貴族たるもの、己の行動にはきちんと責任を持たなければならないと。
誇りあるバードルディ公爵家の人間として、いま自分が取るべき行動はひとつだ。そうだ、分かっているさ。ちゃんと。
なのに、こんなふうにもっともらしい言葉を並べて、心を奮い立たせなければ納得することもできないなんて……。
なんて情けないんだろう。
思わず自嘲の笑みが浮かんで、不意に視線を横に流せば……。
「あ」
彼女が、僕を見ていた。
今日何度目かの視線が絡む。あの、オレンジ色と。
その瞬間、僕は……――――――――。
「ふ、…………ふんっ!」
あ。
(しくった………………)
そう思ったときにはすでに遅く、 重い一撃が僕を襲った。
***
「…………はぁ」
本当に、散々な一日だった。
妹は部屋に閉じこもってしまうし、父上と母上からこってりと絞られ、改めてきちんと謝罪するようにときつく念をおされた。
ここまで叱られたのは幼少時以来だ。だからこそ地味に凹んだ。
だがそれより何より、一番強く僕を打ちのめしているのは彼女、――――――アヴィリア・ヴィコットだ。
本当なら、彼女こそが一番文句を言ってもいい立場だ。思いつくかぎりの罵声を浴びせられても此方は何も言えない。
なのに彼女は、最後まで文句のひとつも言わなかった。
彼女はずっと「やれやれしょうがないな」という感じの生暖かい視線で僕を見ているだけだった。
まるで幼い子供を相手するかのように。
正直、それが何よりも応えた。
彼女の在り方に比べて、自分がひどく幼稚に思えて、余計に惨めな気分になった。
彼女の対応のほうがずっと大人だった。
僕の非礼を逆手に公爵家に正式な抗議を出すことも出来ただろう。意地汚い大人だったらそうしたはずだ。
でも彼女はそうしなかった。終いには息子の非礼の詫びをと父上のほうから言い出すことになったが、それに対する彼女の返答はこちらの予想を遥かに超えるものだった。
『それでしたら庭に生えていたハーブをくださいませんか!?』
『…………はー、ぶ??』
『あ、えー……と、………………く、草、です』
『…………………………』
さすがの父上も言葉を失った。無理もない。一体何をふんだくられるのかと身構えていた僕がバカみたいだ。
しかもそれは僕が届けることになった。この、僕が、わざわざ、雑草を、と、ど、け、に!!
何とも言えない気分になったが、これはつまりあれだ。機会は作ってやったからお前改めてきちんと謝罪して来いよ、という父上のお達しだ。
言うまでもないがこれで再度しくじったらさすがに次はない。
「……ああ……っ…………くそっ!」
ぐしゃぐしゃと乱暴に髪をかきあげる。綺麗にセットした髪は見る影もなくなり綿毛のように跳ねまくったが、そんなことも気にならなかった。
ベッドの上でくるりと丸まる。
ああ、本当に。散々な一日だ。
瞳を閉じれば鮮やかによみがえる。
ふわりと風に舞う薔薇色の髪と、とても澄んだ綺麗なオレンジの瞳。
その度に胸の奥が閉まるようにきゅっと痛み、炎のように灯る熱が心の奥底を熱くする。
それは、昨日まで自分が持っていた彼女への嫌悪感とはまるで違うもので――――――――……。
「………………」
そこまで考えて、僕は思考を振り払うように頭を振った。
やめろ。
この先は考えてはいけない。
この感情に名前をつけることを、僕は全身で拒絶した――――……。
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