第17話 白金の少年

 


 ――――――……ピィ、ピー……。


「……?」


 そんなことをつらつら考えながら歩いていると、風に乗ってどこからか微かな鳴き声が聞こえてきた。

 出所を探して辺りを見回してみると、それはすぐに見つかった。


 視線の先に、今まさに猫に襲われようとしている小さな小鳥の姿が映る。


「ピィーっ!」

「こらっ、やめなさいっ!」


 私は思わず飛び出した。


 慌てて救出したその小鳥の状態をさっと見回す。手のひらに収まるくらい小さなその小鳥は、珍しい薄桃色の体毛を土と少しの血で汚していたが、大きな怪我は負っていないようだった。


 しかし、そのことにホッとしたのもわずかの間。

 突然現れて横から獲物を奪われた猫が、私の手から小鳥を取り戻そうとドレスの裾に飛びかかってくる。


「ニャッ! ニャアァァーーッ!!」

「わわわっ! 待って待ってえぇーーっ!!」


 遠慮なく爪をたててドレスをよじ登ろうとする猫を身体をひねってあしらう。

 このドレスを傷つけるわけにはいかない。

 何故なら本日のドレスも母が今日のために仕立てた一点物だから。


(パーティー前に汚したりしたらお母様に怒られるうぅーー!?)


「ピピィーーッ」

「あぁっ、キミも暴れないで!」


 下から飛びかかってこようとする猫を怖がって手の中の小鳥がバタバタと暴れる。その小さな身体を抑えているせいで、足元の猫をうまく振り払うことができない。

 私絶対絶命……! と、思わず半泣きになりそうだった、そのとき。


「おい、何してるんだ!? 危ないぞ!」

「え、……ぁ」


 背後から不意にかけられた声に、条件反射で顔が動いた。

 その先で見つけた綺麗な金色――――……。


 と、同時に身体がガクンと傾いた。


 視界の先に広がるのは、まさかの階段。


(落ちる……っ!)


 庭に作られたささやかなものでも、このまま落ちれば怪我だってありえる。

 せめて手の中の小鳥だけは潰してしまわないようにとしっかり抱えて、私は迫り来る衝撃に身を固くした。


 直後、地面に叩きつけられる衝撃が全身を容赦なく襲う。




 …………ことはなく。強い力で身体を思いっきり引っ張られた。

 どさっ、と身体と地面がぶつかる音。


(………あれ?)


 思ったほど痛くない……。


 思わず安心して息をつくも、はて。なにやら地面に違和感が。

 なんか、やたら柔らかくて布のような手触りがするような……。


「あ」


 そして気づく。

 自分が人の身体を下敷きにしているということに。


「ご、ごめんなさいっ!」


 事態を把握した私は慌てて身体を起こして立ち上がった。そうすると、私の下にいた相手が自分と変わらない年頃の少年だということに気づく。


 視線を合わせると、綺麗なアイスブルーの瞳と目が合った。


(おぅふ、また新たな美形が……っ)


 陽の光を浴びて煌めくプラチナブロンド。上品なパーティースーツをきっちりと身に纏うその姿は、まだ十二、三歳程度の少年だろうに幼さを少しも感じさせず、まるでどこぞの国の王子様のような雰囲気を醸し出していた。


 この世界は本当に顔面偏差値が高い。なんだろうな、美形じゃなきゃ生きられないのかこの世界は……。

 場違いにもそんな考えが頭に浮かぶ。


 周りを見渡せば、自分のいる場所が階段の下ではなく、先ほど落ちかけた階段の手前だということがわかる。

 おそらくこの少年が、落ちる直前に私の身体を引っ張って引き戻してくれたのだ。

 そしてそのまま二人して地面に転がっちゃった、と。


「すみません、大丈……」

「……っ、だから、危ないと言っただろうがっ!!」


 慌てて謝罪の言葉を口にしようとしたが、その言葉が形になるよりも少年が口を開くほうが早かった。

 広い庭に響いた同じ年頃の少年が発する怒鳴り声に驚いて、私は思わず固まってしまう。


「あ……」

「何処の家の令嬢だか知らないが、人の屋敷の庭でバタバタと! はしたないとは思わないのか!? まったく、令嬢なら令嬢らしくもっと淑やかにしたらどうだっ!?」

「…………」




 …………………………いらっ。


 なにこいつ。なんだこいつ。そっちこそいい所のお坊ちゃんだろうにレディへの口の利き方がなってないぞコラ。うちでそんな言葉を使おうものならお母様の頭にツノが生えちゃうわよ? ああいやいやいやいやダメよ私いらっじゃないでしょもう私ったらうふふふふふふ。そもそも原因は私にあるのよ。彼は私を助けようとしてくれたんじゃないの。そうたとえ口が悪く生意気だろうが、相手は十二、三歳のガキ……いやお子ちゃまよ。私は(中身は)れっきとした大人。ガ……お子ちゃまの言うことにいちいち腹を立てるなんてそんなことしちゃダメじゃないの。私は大人相手は子供。よし。


 ……コホン。


「大変失礼致しました。助けていただいてありがとうございます。お怪我はございませんか?」


 見るがいい少年。春の誕生パーティーで数々のお貴族様たちを相手にしたニッコリ営業スマイルを!

 バイトの接客で磨かれたゼロ円スマイルは伊達じゃない。

 ほら、その証拠に私の反応があまりにも予想外すぎたのか、彼は虚を衝かれたようで、どうしていいかわからず視線を彷徨わせているじゃないか。


(ふ。思わぬ行動に言葉も出ないようね。いい気味だわ)


 思わず心の中でふふんと笑う。

 ちょっと大人げないかもしれないが、そこは大目に見て欲しい。



「――――――見つけた! アヴィーーっ!」



 そこに空気をぶち壊す明るい声が響く。


 声のしたほうに視線を向ければ、こちらに駆けてくる本日の主役の姿。

 まるでダイブするかのようにセシルは私に思いっきり抱きついた。


「嬉しいっ、来てくれたのね!」

「もちろんよ。お誕生日おめでとう」

「ふふふ。ありがとう!」


 白いドレスを身に纏い、裾をふわりと翻して笑うセシルはさながら地上に舞い降りた天使かと思うくらいに可愛らしい。結い上げた髪を飾る綺麗な花の髪飾りがセシルをいつもより大人っぽい雰囲気に彩る。

 このドレスを選んだだろうバードルディ夫人は娘の魅力を引き立てるものをしっかり把握しているようだ。さすがである。


「ぴ、ぃ……っ」

「ああっ、ごめんごめん、苦しかった?」


 その時、ずっと手の中に包み込んだままだった小鳥が苦しそうに身じろいだのを感じて、私は慌てて手の力を緩めた。


「あら、なぁに? この鳥」


 私の手の中から現れた桃色の小鳥をセシルが不思議そうに覗き込む。


「さっき猫に襲われていたのを助けたのよ、怪我をしてるみたいだから手当てしてあげないと……。ちゃんと飛べるといいんだけど……」

「大変じゃない!」

「ぴぃ」


 私の手から小鳥を受け取ったセシルは怪我を確認するようにあちこちを念入りに眺めはじめる。


 その様子を見ながら、美少女と庭園の姿も絵になるけど美少女と小鳥の姿も絵になるなぁ、などとどうでもいいことを考えている私の耳に、さっきから黙ったままだった少年の引きつったような声が届く。


「セ、セシル……」

「あら、お兄様。いつからいらしたの? 気づかなかったわ」


(ああ、やっぱり……)


 見覚えのある顔立ちにもしやと思ってはいたが、どうやらその通りだったようだ。


 この少年がセシルがよく口にするお兄様……。


 しかし、屋敷の前から一直線に駆けてきただろうに、彼女の瞳はその兄を完全にシャットアウトしていたらしい。

 はて、いつもセシルから話を聞く限り兄妹仲は悪くない筈なんだけど……?


「あ、アヴィ……って」

「もうお兄様ったら、私いつも話してるじゃないの!!」


 そういえばまだきちんと名乗っていなかった。いけないいけない、令嬢としてあるまじき失態だわ。

 私は姿勢を正すと彼の前に出てドレスの裾をつまみ、改めて挨拶する。


「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。お久しぶりでございます、ウェルジオ様。以前一度お会いさせていただきました、ロイス・ヴィコットが娘、アヴィリア・ヴィコットでございます。本日は妹様のお誕生日、誠におめでとうございます」


 最後に頭を軽く下げる。


 だが、いつまでも何も反応がないので不審に思って目線を上げると、そこにはまるであり得ないものを見てしまったと言うような驚愕に満ちた表情を浮かべる少年の姿が…………。


 ああ、うん。なんだかとてもとても久し振りだけど、すっっごく見覚えがあるわねその顔……。


 久々に言わせてもらいましょうか。




 お、ま、え、も、か !?


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