第10話 ヴィコット印の桜茶

 

 

 それ以来、私はよく空いた時間を桜の下で過ごした。


 ときには木に寄りかかって本を読んだり。お菓子を持参しておやつの時間を過ごしたり。


 私があまりにもそこに入り浸るものだから、見かねたルーじぃがガーデンテーブル一式を設えてくれたりして、そのおかげで桜の下はすっかり過ごしやすい空間になり、それに気づいたお母様がちょくちょく顔を出すようになって、気づけば桜の下で二人でお茶を飲むことが最近の日課になりつつあった。


 そんな妻と娘の楽園を眺めながら、手元に溜まった仕事のせいでその楽園に混ざることもできずに心で滝のように涙を流している父の姿があったりもしたが、それは私の知らない所である。

 閑話休題。


 こうして空をバックに風に揺れる薄桃色を見ている時間がとても好きだ。ちょっぴり切なくもあったけどそれ以上に懐かしさで心があたたかくなる。


(お父様には本当に感謝しかないわ…………でも)


 しかしそれとはまた別に、私にはもうひとつ感謝することがあった。


(せっかくの桜。観賞用だけで済ます気は毛頭ないわ……)


 ふっふっふっふっふっふっふ。


 ざるの中に桜の花をこんもりと詰め込んで、すっかり通い慣れた屋敷の厨房に向かう。


「あ、あぁの、お嬢様……? それでいったい、何を…………?」

「やーね。ここですることと言ったら、料理に決まってるでしょ?」

「は、りょ……? え!?」


 料理人たちの顔が驚愕に染まる。

 花を食材に料理を作る……なんて習慣はこの国にはないから、彼らが驚くのは無理もない。


(口であれこれ説明するより、実際に作った方がいいわよね)


『桜の塩漬け』私は是非ともこれを作りたい。

 お菓子のアクセントやお茶などに幅広く使えてバリエーションもある。さらに抗菌作用もあり健康にも良し。

 前世でも毎年春になると必ず作っていたものだ。

 よって、八重桜を前にすっかり前世の血が騒いでしまい、思い立ったが吉日とばかりに早速行動に出たのである。

 作り方もさほど難しくないし、材料は主に塩とお酢。これならこの世界でも十分に作れる。


 下漬けが済んだら陰干しにして、水分が完全に乾いたら……。



「んん〜〜、完っ璧!」


 久方ぶりに味わう自作の桜茶はなんとも格別でございました。

 全身が震えるほどの歓喜で溢れる。


 まさかこの世界で桜茶を味わうことができるとは……。これも全てはお父様のおかげ。娘は大変感激しております。


 なかなかに満足いく仕上がりだったので、屋敷のみんなにも味わってもらったら、これがなかなかに好評だった。

 お湯を注ぐとふわりと花びらが開く様子がとても美しく斬新だと、お母様がとくに絶賛していた。


「ほぅ……。こんなに綺麗で美味しいお茶なんて……初めてだわ」

「うむ。後味もさっぱりしていて喉通しもいい。甘い菓子に合いそうだな」

「それだけじゃありませんよお父様。この桜茶は身体にも健康にもいいし、美容効果もあるんです!」

「なに?」


「なんですって!?」


 お母様が珍しく声を荒げる。周りを見ればそばに控えているメイドたちも静かに聞き耳を立てているよう。うんうん。女だったら誰でも美容って言葉には弱いよね。


「んっふっふっ。実は桜茶にはお肌にいい成分がたっくさん入ってるんです。美白効果もあるし、抗菌作用もあるから軽い病気予防にもなるんですよ」

「まあ!!」

「さらに腸内をきれいにする効果もあるので二日酔いの緩和にもぴったり!」

「おお‼ 凄いじゃないかアヴィリア。そんなことをいったいどこで覚えてきたんだい?」

「ふぇっ!?」


 怪訝そうに首をかしげるお父様に体がビシリとこわばる。


 や ら か し た !!


 またやっちゃったよ私ってば! 普通に考えて十歳の子供がそんなこと知ってる訳ないじゃないの! ついはしゃいでうっかりしゃべりすぎたわ……。まずい、なんとかごまかさないと……。


「えぇ、と……。薬草の本で読んだのです。桜の花にはそんな効果があると。それで、お茶やお料理に使うようなものに加工できれば、身体に上手く取り入れることができるんじゃないかなぁ……と思って、考えたのがこれなんです!」


 これでどうだっ!!


「そうなのか!? ますます凄いな私の娘は。天才じゃないか!」


(ほっ)


 よっし成功! よくやったわ私、だてに人生経験摘んでないわよっ。


 暇をもて余した私がよく書庫に足を運んでいることは屋敷のみんなも知っている。

 それらの知識を持って最近はお菓子作りまで始めたことを知っているお父様だからこそ、こんな知識を持っているのもその結果なんだと思わせることができたようだ。結果オーライ。


「湖の精霊は我が家の天使に叡智も与えてくださったようだ。なあローダリア!!」

「そうですわね、貴方」


 ………………ん? なんかちょっと思ってた答えと違うな……。


「だがアヴィリアの言ったとおりなら、これはすごい発明だよ」

「え……」

「薬のように苦くはないし、子供でも飲みやすい。材料は何を使ったんだい?」

「え、と……。主に塩と、お酢とです」

「それだけで出来るのかい⁉ ふむ、それなら費用もそんなにかからないな……。我が領地発の商品に出来るかもしれない」

「ええっ!?」

「これはぜひとも大勢の人に知ってもらいたい逸品だ!」


(なんか話がでっかくなった!?)


 …………………………あるぇ?




 そこからの展開はあれよあれよと進んだ。


 お父様が治めるヴィコット領には人の目を引くようなコレといった名産品が無く、何かないものかとずっと考えていたお父様はこの計画を成功させようと随分張り切っていた。


 制作過程や材料にかかる費用も大したことはないが、一番肝心の桜の花には限りがあった。

 そのため、大量に生産することは出来なかったが、少量しか作れない『ヴィコット領産の限定高級品』と言う、いささか大げさな謳い文句で周囲の興味を引くことに成功したようだ。


 お母様も貴族の奥方同士のお茶会で話を広めてくれたらしく、興味を持ってくださる方が多かったらしい。やはり美容にいいという所が奥様方には決め手だったそうだ。



 …………さて。ではそれらに対して私が何をするのかといえば……。特に何も無かった。


 桜の塩漬けを作ったのは確かに私だが、商品の売り出しに関してはお父様が動いているし、詳しい作り方を書いたレシピを渡してしまえば、後はお父様の雇った人たちが作ってくれる。


 子供の私にできることなど何もなく、そんな風に周りがバタバタと動いていくのを、ただ見ているだけだった。



 そうして日々を過ごす中で、庭の桜は徐々に終わりの時を迎えていた。


 すっかり花を落とし少々寂しい姿になったその樹に、私はそっと手を触れる。

 次にこの樹に花が芽吹くのは一年後。それまでしばしのお別れ。


 もう逢えないはずの自分に逢えたような、嬉しくて、どこかもの悲しい気分にもなったけど……。


 来年も逢える。私の桜。


(またね、さくら……)




 そのとき頭によぎったのが、はたして“どちらのさくら”だったのか。


 今はまだ、いいよね……?


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