第9話 春を告げる名前

 


 令嬢修行に精を出しつつ、時間が空いたときにはお菓子を作ったり、ルーじぃの所に顔を出してお庭仕事のお手伝いをしたり。

 少なくとも、前のように暇をもてあますようなことは無くなり、それなりに楽しく充実した日々を過ごしている。


 そうして過ごす中、冬が過ぎ、季節は春を迎え。私は十一歳になった。


(春生まれなのは、咲良もアヴィリアも変わらないのね……)


 私の誕生日は夜会と称し、屋敷で盛大なパーティーを開くことになった。

 使用人たちは会場となる広間を右へ左へと走り回り、厨房では昨日からご馳走の準備が始まっている。


 そして私はといえば…………。


「香油を少し足して! これじゃ足りないわ!」

「髪飾りは!?」

「メイク道具を持ってきて、早く!」


 朝早くからお風呂に放られ全身をつやつやのピカピカにしたあと、テラをはじめとする沢山のメイド軍団によって肌を整えられ、服を選び、髪を結いあげと、ほぼ半日を身仕度に費やした。


(――――……うぅ、羞恥プレイっ!!)


 貴族の令嬢にとって身の周りを世話してもらうのはごくごく当然のこと。それはもちろん入浴時であっても変わらない。

 前世の記憶を取り戻してから半年以上が経つけど、いまだに貴族の入浴事情には慣れません……。


(中身が成人済みの大人にはキツい……)


 疲れを取るために入る場所なのに、毎度さらに疲れて出ている気がする……。

 十一歳になったことだし、今度からは一人で入ると言って見ようかな。


 支度の段階ですでにHPの半分は減った気もするが、メイドたちが腕によりをかけて張り切ってくれたおかげで、全ての支度が終わる頃には、まさに本日の主役と呼べるような小さなレディの姿が出来上がっていた。


 今日のためにお母様が特別にオーダーメイドで仕上げた専用のドレスは、アヴィリアの深紅の髪によく映える綺麗な若葉色。


(……た、たかそぅ……)


 少し動くたびに上品な衣擦れの音が聞こえ、裾にあしらわれたフリルが風に煽られふわりと揺れる。

 高級品がまたひとつ増えてしまった。

 今日はご馳走だって沢山でるだろうに……、汚さないように細心の注意が必要のようだ。

「張り切って作りますから楽しみにしててくださいね!」と笑っていた料理長に申し訳ない……。

 ごめん料理長……。心から楽しめないかもしれない……。




 誕生パーティは夕方から夜にかけて行われ、沢山の人が訪れてくれた。

 といっても、ほとんどがお父様やお母様の知り合いなんだけど。


 かといって一応本日の主役は私なわけだから黙っているわけにもいかない。

 貴族の令嬢は十三歳になれば成人として社交デビューすることになるので、それまでにこうした場で経験値を積む必要があるし、年の近い子供たちとも交遊を持っておかなければならない。


「お誕生日おめでとうございます、アヴィリア様」

「なんて可愛らしいお嬢様かしら……」

「今日は息子も連れてきておりましてな。よければ話でも……」


 さらにこういう場では色々な大人の打算も飛び交うので、それに対しても要注意。

 これでも伯爵令嬢ですもの。年頃の子を持つ親御さんは是非うちの子と仲良く、と進めてくる。


 ほとんど初めて会うような知らない人たちから、次々に祝いの言葉を掛けられ、中にはさりげなく息子の紹介を私に直接してくる人もいたが、そこは元社会人として培ったスキルで愛想よく笑顔で受け、さらりと流している。


 そんな私の姿に、隣に立っていたお母様が安心したように息を吐くのが聞こえた。


 何やら心配をかけていたようですが、ご安心くださいお母様。

 このアヴィリア、アルバイト時代にはクレームの対処法だって学んだんですから!


(やたら絡んでくるオヤジやオバさんに比べれば、優雅なお貴族様なんて可愛いもんだわ)


 笑顔を貼り付けて面倒な相手をかわし、ドレスを汚さないように料理長作のご馳走に舌鼓を打ち。

 楽しい時間はあっというまに過ぎていった。




「アヴィリア、付いておいで」

「はい?」


 パーティーが終盤に差し掛かるころ、私はお父様に声をかけられた。


 お父様に手を引かれ、連れて行かれたのは、屋敷の外に広がる庭園。

 そこで私は、信じられないものを見た。


「――――――……!!」


 目の前に佇む一本の樹――――。


 屋敷の一階分ほどの高さを持つそれは、まだ樹齢は若そうだが、特徴的な花をその身に沢山纏わせていた。

 夜空をバックに広がる、淡い薄桃色。


「さくら……」

「ははは、流石私の娘。やはり知っていたかね」


 元の世界では毎年春になると必ず目にした桜の花は、この世界では滅多に見ることはない。

 ここより遠い国には沢山咲く所もあるらしいが、残念ながらアースガルドで桜は咲かない。


「どうしてもこの木を植えたくてね。掛け合ってみたんだ。これと同じ花だろう?」


 お父様が差し出したのは一枚のハンカチ。

 それにはとても見覚えがあった。令嬢修行の一環として習った刺繍で初めて飾りを入れたもの。


 始めて仕上げたそれを、私はお父様にプレゼントした。

 一生懸命に刺した、桜の模様が飾られたそれを。


『さくら』


 春に生まれたから、と。ちょうど満開のころだったんだよ、と。そう言ってつけられた名前。

 私の前世の名前。私の、広沢咲良の、一番好きだった花。

 もう誰も呼ぶことはない。呼ぶ人はいない。私の、もうひとつの名前……。


「お父様……」

「うん?」


 もう見ることだってないのだろうと、思っていたのに。


「ありがとうございます」

「うん」

「嬉しいです……すごく……」

「うんうん」


 なぜだか、涙が溢れて止まらなかった。

 以前何かの本で読んだことがある。精神は肉体年齢に比例する、と。


 だから。


 だからきっと。こんなに涙が流れるのは、止まってくれないのは、子供の身体だからだ。きっと……。



 声も上げずに、ただ静かに泣いている私の頭を優しく何度も撫でてくれる父は。


 もしかしたら、私が桜に対して特別な思い入れがあることに、気づいていたのかもしれない。


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