第7話 その名はジャージ。
それからというもの、私は空いた時間でお菓子を作ることが増えた。
その度にメイドからエプロンを借りていることを知ったお母様が、私用にと子供用のエプロンをくれたのだけれど、これがまた真っ白で大きなリボンの付いたやたらフリルがヒラヒラとしたつやつやと触り心地のいい布地のエプロンでございました。
これはお母様の趣味なんですかね。一体幾らぐらいしたんでしょうか、エプロンなんて汚れるのが当たり前のようなものなのに気になって余計な神経使ってますよ? 裾にさりげなーくあしらわれている刺繍に縫い込まれている私が動くたびにキラキラと光るものはまさか本物の宝石じゃあないでしょうね!?
「ぶはっはっはっはっ! それが気になるのに毎回律儀に使っとるのかっ……?」
「だって……、使わなかったらお母様があからさまにガッカリした顔でこっちを見るんだもの……」
「ぶふふっ、確かに。ローダリア様はそういう人だのぅ……」
豪快な笑い声を上げながら、私が差し入れたパウンドケーキ(本日のおやつ私作)を食べるこの白髭の老人はヴィコット邸の庭師。
屋敷の人からは『ルーじぃ』の愛称で呼ばれている皆のお爺さん的な存在だが、屋敷の人以外からは基本的に遠巻きにされている。
原因はあれだ。顔ですよ顔。
ルーじぃは年齢のわりにはガッシリとした体躯のマッチョメンで、作業ズボンにタンクトップという見た目は一見どこにでもいる普通の庭師……、いやどちらかというと建築現場にいる親方だけど。
いかんせん顔が怖い。
ルーじぃの顔には、若かりし頃に負ったという噂の大きな傷がある。
筋肉がむきっとした身体のあちこちにも傷があって、それらが周囲に与える迫力と言ったら……。
ルーじぃが笑うと、その傷のせいで顔の筋肉がひきつり、まるで黒服のヤバい人が黒光りするブツを構えて「くくく……、さあ、あの世に行く時間だ」と言っているような感じにしかならない。
実際あの顔で笑われた近くの子供たちはギャン泣きしながら走って逃げ出してたしね。本人めっちゃ落ち込んでたけど。
顔は怖いけど中身は茶目っ気たっぷりの優しいおじいちゃんなんだぞ。かくいう私も記憶が戻る前は断固として近付かなかったんだけどねっ。
「ごちそうさま。本日のおやつも大変美味しかったですよ」
「ふふ、ありがとうルーじぃ」
顔は「くくく、神への祈りはすんだかな……?」という感じなのにかけられる声はこんなにも優しい。実にもったいない人だ。
お父様も凄く信頼している彼は、お祖父様の代からの知り合いらしく、他の使用人たちよりも距離感が近い。
お父様はルーじぃに対してどこか頭が上がらない感じがあるし、ルーじぃもお父様やお母様に対して、他の使用人たちにはない気安さがあったりする。
立場的には主と使用人なのに、その主が全く気にも止めないものだからルーじぃはどこの誰なのか、使用人の間でも密かに謎になっている。
実はどこぞの傭兵ではないか、とか。旦那様の血縁者ではないか、とか。そんな話がまことしやかに囁かれているが真実はいまだに不明。ヴィコット家の不思議のまま。うーむ、気になる。
「今日は剪定?」
「うむ。だいぶ暖かくなってきてあちこち伸びてきたからのう……。お嬢様もやるかね?」
「ええ、勿論!」
よっこいしょと腰を上げたルーじぃの手には剪定鋏。
たんに庭の手入れを始めようとする姿のはずなのに、彼が持っているというだけで絵面がなんというか……。殺傷力の高い刃物を持っているヤバイ人にしか見えない。
ルーじぃが丁寧に手入れをしているおかげで錆ひとつない鋏が太陽の光を反射してギランと煌くのがまた恐ろしい。なんてコラボ決めてくれんの。
「ほっほっほ。最近のお嬢様は一皮剥けて行動的じゃな」
皮剥けたというか、前世を思い出しただけというか。
「あのねルーじぃ。私今、自分探しの途中なのよ」
「自分探し?」
「そう。自分が“やりたいな”って思えるような、夢中になって心から取り組めるようなものが何かないかなって思ってね。それで色々考えてみたんだけど、これと言って趣味にできそうなものもまだ見つからなくって……。だからまだ探しもの続行中」
「ほっほっほっほっほっ! そうかそうか! うちのお嬢様はちっこいのにえらいのぅ!」
がしがしがしがし。
子供にするように頭を撫でられる。それはいいんだけど、できればちょっと力を加減してほしい。テラが毎朝ことさら嬉しそうに整えてくれた髪がぼさっとなっちゃったよ……。後で謝っておこう。
「さて、ではいつも通りのこれを……」
「ん」
す、と差し出されるのはルーじぃのお手伝いをするときにいつも着ている私用の作業服。その名もジャージ。そう、皆さんよくご存じのあれね。
何故こんなものがこの異世界にあるのか、疑問に思っていることでしょう。
その理由は元を正せば、私アヴィリアが貴族の令嬢だということがそもそもの原因だった。
貴族のお嬢様という立場上、私が持ってる服と言う服はひとつひとつが実に凄かった。
ふわふわしたレース。ヒラヒラした絹のような布。そのどれもがさすがと言わんばかりの高級品。間違っても土まみれになんてできない。染みひとつつけられないわ、勿体なさすぎて。
仕方ないじゃない。前世は生まれてからずーっと高級品とは無縁の生活だったんだから。中身庶民をなめないでほしい。
そんな葛藤を頭の中で繰り広げて恐る恐るお手伝いをしていた私を見かねて、お父様が私用の作業服を手配してくれたのだ。
その時に当然デザインはどのようなものがいいかという話になって、私が「ならば是非ともこれを!」と差し出したのが前世ではお馴染みのアイテム『ジャージ』のデザイン画。
伸縮性もあって風通しもよく楽な着心地。作業着と言ったらやっぱりこれよね。きらびやかなドレスなんかよりよっぽど肌に馴染む感じがするわ。
そして見事、異世界にジャージを生み出すことに成功した私。いやいい仕事した。
しかし爺孫よろしく仲良く土いじりするようになってからというもの、何故か屋敷の方から時折恨めしそうな殺気まじりの禍禍しい視線を感じるようになりました。
屋敷の庭って二階にあるお父様の執務室からよく見えるんですよね。ちらりと上を見上げたときに二階の窓にハンカチをギリィと噛み締める我が父の姿が見えたような気もしますが気のせいですかね?
その度に実に愉快と言いたげに私を構ってくるルーじぃは絶対確信犯だと思います。
遊ばれてるぞ父よ。
ちなみに余談ですが。
ここに至るまでの一件において、一番難色を示していたのはお母様だ。
まあ、普通に考えて伯爵家の令嬢が庭師のじいちゃんと一緒になって土いじり、なんてあまりいいことではないものね。
だから本当は庭のお手伝いはやめたほうがいいかなと思ったりもしたんだけど、まさかのルーじぃがお母様を説得してくれて無事了承を得ることができた。
「よいではありませんか。子供のうちは好きなようにしてみても。貴女だって若い頃は相当やんちゃだったじゃろう?」
この言葉が決め手だった。お母様が気まずそうに思いっきり目を逸らしていたのが印象的だった。
やんちゃって、そんな元ヤンみたいな……。え、もしやお母様昔はレディースだったとかそういう……?
そして何故それをルーじぃが知っているのでしょうか。
すっごく気になる。
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