第5話 退屈とは人生の大敵である
記憶を取り戻してから早いもので三ヶ月。
ベッド生活ともおさらばし、異世界での生活にもだいぶ慣れた現在、私はといえば……。
「よろしいですわ、お嬢様。上達なさいましたね」
「ありがとうございます、先生」
立派な貴族令嬢になるため絶賛修行中だったりします。
……いや正直、貴族のお嬢様舐めてたわ。礼儀作法からはじまり、歌、ダンス、刺繍その他諸々……。すごいよマジで。世のお嬢様たちがこれを全てこなしているのかと思うと、恐れ入る。
まあ、中には勉強嫌いだとサボる娘もいるんだけど……。
「湖での一件を聞いた時は驚きましたが、大事ないようで何よりですわ。お嬢様がやる気になってくれてわたくしも嬉しいです」
「ほ、ほほほほほ…………」
目尻に涙を浮かべながら「精霊様に感謝しなくては……」などと呟いている先生に、私は乾いた笑いしか返せない……。
言うまでもないけど、そのサボりまくってた勉強嫌いの令嬢ってアヴィリアのことよ。わかってたと思うけど。
アヴィリアの劇的メタモルフォーゼに一番喜んだのはもしかしたら家庭教師の先生たちだったかもしれない。
まともに授業も受けない、そのくせ強く指摘でもしようものならギャーギャー喚いて父親の伯爵に言いつけてクビにする、の繰り返しだったもの。
とんでもねぇな。勉強はできないのに悪知恵だけはしっかり働く。いやだこんな子供。
(今まで大変ご迷惑をおかけいたしました。これからは精一杯頑張らせていただきますっ)
いやほんと。マジで頑張んないとやばいのよ色々。
前世の記憶を思い出しても、今までのアヴィリアとしての記憶が消えたわけじゃない。
それは助かるんだけど、さっきも言ったようにアヴィリアは大の勉強嫌い。
令嬢としての礼儀作法はもとより、この世界の歴史云々などの勉強も、アヴィリアはまるで身につけていなかったのだ。
この世界の情勢が何も分からないという状態には正直焦った焦った。
それを見てようやくやる気になってくれたと、父がまたなにやら天を仰いでたり、終いには菓子折り持って湖の精霊にお供えしに行ったりとかしてたけど、そこにツっ込んでる余裕もなかったわ。
そうして大慌てで勉強を続けているさなか、私は衝撃的な事実を体験することとなる。
そう、子供の身体の素晴らしさを!
(もう一時間もダンスのレッスンを続けてるのに全然疲れない……。すごいわ子供って!)
身体が非常に軽い。疲労、肩こり、筋肉痛。そんなものはもはやナニソレ状態。
さらにさらに付け加えるならば、飲み込みも早い。ちょっと前まで大人として生活していたからこそわかるこの違い。子供の脳の柔軟性、パネェ……。
でもそれがなんだか楽しくて、気づけば私は子供としての生活にすっかりハマっていた。
転生当初は子供に逆戻りしたことに戸惑いも感じたけれど、よくよく考えればこれってむしろラッキーなんじゃないだろうか。子供特有の体力と柔軟性、それらを生かさない手はない。
第二の人生悪くないんじゃない? 幸先いいんじゃない? この調子でセカンドライフを存分にエンジョイしちゃおうじゃないの。
そう、題して『My
なーんてね。むふふふふふふっ。
…………とか思ってた少し前の私に言ってやりたい。
人生んな甘いわけねぇ。
***
「はあぁぁ……」
自室のベッドの上でぐでん、と転がりながら盛大なため息をひとつ。
「ため息などつかれて……、どうなさいました?」
そんな私の状態を見て、お茶を入れながらメイドのテラが不思議そうに声をかけてくる。
彼女は少し前に私専属のメイドとして正式に任命されたばかり。
専属メイドの話は以前からあったんだけど、誰もアヴィリアの専属などやりたがらないものだから、ずっと他のメイドとローテーションしていたのだが、今のアヴィリアなら大丈夫だろうとお父様がメイドたちに声をかけたらしい。
そうして選ばれたのがテラである。
現在十六歳の彼女はヴィコット邸に勤め始めてまだ三年ほどだが、若手ながらも仕事が早く正確だと評判だ。
ちなみに、声をかけた時はメイド全員が「我こそは!」と名乗りを上げ誰も譲らず、ヴィコット邸の一角で三時間にも及ぶメイドたちの熱いじゃんけん大会が繰り広げられたりしたのだが、それはアヴィリアの知らないところである。
閑話休題。
「何もすることがないから…………、暇なの」
「午前中のレッスンは終わりましたしね。お好きなことでもしてゆっくりなさったらいかがです?」
(……それができないから困ってるのよっ!)
お勉強も終わって楽しいプライベート時間。子供の私には仕事なんてないし、さて何をしようか。
スマホでゲーム? まだ読み終えてなかったネット小説の続き? それとも何かドラマかアニメでも見る? あ、かわいいペット動画を探すのもいいかもしれない。美味しいおやつをいただきながらふわふわもふもふの癒しの時間を――――…………って。
(異世界にんなもんあるわけねぇ……っ!!)
私はすっかり失念していた。ここが日本ではない異世界だということを。
この世界にインターネットなんてものが存在してるわけがない。もちろんネットで小説を読むことも出来ないし、動画だってないし、そもそもテレビがないんだからドラマもアニメもない。なんなら携帯だってない。
現代人の必須アイテムと呼ばれた数々はこの世界にはことごとく存在しないのだ。
(きっついわー……)
現代っ子にこれはきつい。もはや拷問と言ってもいいレベルできつい。異世界転生まっっったくもって優しくない。むしろ前世の記憶があるぶん余計にきついんですけど?
うぅ、あんまりです神様。やっぱりいっぺん殴らせてください。
この世界でできることと言ったら、せいぜい屋敷の書庫で本を読むことくらいだが、それも毎日だとさすがに飽きる。
以前は休日になるとパソコンを開いてネットを楽しんだり、掃除や洗濯など身の回りのことをしていれば時間なんてあっという間に過ぎていった。
けれどアヴィリアは由緒正しき伯爵令嬢。身の回りのことは全てメイドたちがやってくれる、なんなら身支度だってメイドたちがやってくれる。
私のすることが何もない。おかげで最近は無駄に時間が過ぎていくのをただ待っているだけだ。
(ダメだわ……。いつか豚にでもなりそう……)
思わず頭に浮かんだブヒッと鳴くピンクの物体を必死で思考の柵の外に追い出す。
退屈は危険だ。あれは人を殺せる立派な社会問題よ。
これでもちょっと前まで中身は立派な社会人だったのだ。いきなり何をするでもない暇な時間を手に入れても精神的に慣れない。おかげでフラストレーションがたまるたまる。
せっかく手に入れた第二の人生、この際思いっきり楽しんでやろう、心から満喫してやろう、このチャンスを無駄にするなんてもったいない。
なんて思った矢先だったのに……。早速時間を無駄にしている気分である。
「はああぁぁ……」
ままならない現実に漏れるため息も止まらない。
「お嬢様、そんなため息などつかずに。ささ、お茶の用意ができましたわ。美味しいおやつでも食べて元気出してくださいませ」
「……ありがとう、テラ」
お礼を言ってテラが差し出す紅茶を受け取った。む、アールグレイ。茶葉が良いのかテラの腕が良いのか下手な渋みもなくまるで高級喫茶店のそれを飲んでいるような美味しさ。
ちなみに昨日はダージリンで一昨日はセイロン。その前がアッサムで、そのまた前が同じくアールグレイだった。
作られた国だって違うはずなのに同じ名前に同じフレーバー。不思議だねファンタジー。
「…………」
いや、飽きるわ。
どういうこと? この世界で水以外の飲料水、紅茶しか飲んでないってどういうこと?
「ねえテラ、ちょっと聞いていい?」
「はい?」
「……コーヒーとか、カモミールティーとかって、聞いたことある……?」
「こー? ……かも? なんですか、それ?」
(やっぱりないのね……)
基本飲料=紅茶ってことね。
ショートケーキはあるのにハーブティーはないとか……。
うぅ、コーラとかラテとか贅沢は言わないけど、せめてハーブティーくらいあってもよくない? やっぱり異世界転生ちっっっとも優しくないわっ!
そんな思いを隠すように、お茶請けのクッキーに手を伸ばした。
さく、と独特の食感とともに馴染みのある味が口の中いっぱいに広がる。
(お菓子の味はこっちでも変わらないのになぁ……)
自分も前世ではよく手作りしたものだ。母に教わって一番最初に作り方を覚えたお菓子がクッキーだった。なんだか懐かしいな。
そういえば最後に作ったのはいつだっけ……。
(――――……久々に作りたいなぁ)
こうして出てくるということは、この世界にも材料はあるってこと、よね?
(……………………)
私はクッキーを飲み込み、紅茶を一気に呷るとおもむろに立ち上がった。
「お嬢様? どうなさいました?」
「行くわよテラ」
「どちらへ?」
怪訝そうにたずねる彼女に、私は笑って答えた。
「厨房よ!」
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