第11話 お礼をさせて下さい
幸那様の下僕こと、
まずは宝徳院家の誰もが寝静まっている頃に起き出し、家から二キロ離れた公園までランニングをします。
公園に着いたら着いたで公園内に住み込んでいる通称謎のお爺さん……鈴木さんと割と本気で武術の組手を行います。
結構良いところまでいくのですが、負けるのはいつも私です。
「……おかしいですね。今日は体調も良いし、勝てると思ったのですが?」
「その歳で虚実織り交ぜて戦えて、暗勁まで使えるなら大したもんだ。だが、こっちも負けちまったら、お前の爺さんに何言われるか分かったもんじゃねぇからな。大人気ねぇかもしれんが、少し本気出したぜ」
「そうですか。全開まで引き出せませんか。……ありがとうございました」
大分上達してきたと思うのですが、まだまだだと言われて素直に頭を下げます。
この方は祖父の伝手で、私にナントカ拳を教えに来て下さった鈴木さんです。
まぁ、偽名だと思うのであまり気にしてはいません。
私の曽祖父は陸軍中野学校?だかなんだかの卒業生だとかで、私の祖父にその技術の全てを叩き込んだ猛者らしいのです。
そんな祖父なのですが、歳を取るにつれて曽祖父と同じく自分が学んできた技術をどうにかして後世に残したくなったらしく、私を含めて色んな人に伝授して回っているような放蕩爺となります。
私が今武術を習っている鈴木さんもそんな伝手の一人でして、気乗りはしないのですが毎日のように稽古をつけて貰っています。
まぁ、武術はエクセサイズにもなりますし、幸那様を悪い虫から守る為にも必須の技能ですから、そこまで嫌々習っているというわけではないのですが……。
ちなみに、全ての元凶である私の祖父は現在鑑別所です。
誰彼構わず危険な技術を教えて回っていたので当然のように捕まりました。
まぁ、それが世の為、人の為だと思うので私に思うところはありません。
「授業料はここに置いておきますね」
「お、いつもすまないねぇ」
缶チューハイ二つと乾き物を置いて、私はランニングを再開させます。
鈴木さんは現在無職。
公園の自然の中にダンボールハウスを作ってそこに住んでおられます。
公園内にはそういったダンボールハウスが幾つかありますので、鈴木さんの姿が特段目立つわけではありません。
ただ、鈴木さんの正体を知らずに絡む馬鹿な若者……略して馬鹿者としましょうか……もおり、そういった時はホームレス狩り狩りをして楽しむのだと言って笑っておられました。
私の祖父同様、この人もどこか頭の螺子が緩んでいるタイプなのでしょう。
擬態をしてまで闘争に身を置きたいというのは、今の私には理解できない感情です。
そんな鈴木さんの楽しみは、毎朝のトレーニングを終えた後の一杯だそうで。
この後、起きているホームレスたちとお酒を酌み交わすのが至極の喜びなんだと語っていたことがあります。
ある意味、老齢に至りながらも自由を満喫されている姿は羨ましいと言えなくもないです。
「……おっと、そろそろ明るくなってきましたね」
散歩にやってきた犬に吠えられて、私は意識を取り戻します。
公園内のマラソンコースを正直何周したのかは覚えていません。
ただ、苦しくて、意識も混濁としている中で、私の体は正常に走り続けられていたようです。
これも祖父に教わった鍛錬方法のひとつで、頭で考えるよりも先に体に染み込ませるといった鍛錬になります。
これが出来れば、例え前後不覚になろうとも、体が勝手に動いて相手を効率的に制圧できるようになるのだとか……。
良くは分かりませんが、いざ極限状況におかれた時に、考えるよりも先に行動が出来るというのは重要な気がします。
その為に日頃から肉体を追い込んで、極限下でも平気で動けるようになっておくのは重要な事なのでしょう。
「整理体操だけはしっかりとやって……さて、戻りましょうか。シャワーを浴びたら、奥様を手伝って朝御飯を作らないと……」
かくして、私の一日は始まっていくのです。
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◆◇◇◆ D2 Genocide ◆◇◇◆
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今朝は報徳院家の朝食の際にちょっとした事件が起きました。
ちなみに、昨日の幸那様との関係の話ではありません。
その辺は、流石幸那様というべきか、一晩経ったらすっかり忘れていらっしゃいました。
色んなものを背負っていたとしても、一晩経てばすぐにリセットされるその性格は正直羨ましくさえ思えます。
まぁ、そんな事とは無関係な部分で、今朝は問題が起こったわけですが……。
「あのー、霞ちゃん聞いてます?」
「はい? 何か仰いましたか?」
「だから言ってるじゃん。キリシーがこの状態になった時は人の話を全く聞いてない時だって……」
授業の合間の休み時間。
教室の中は、いつにもまして騒々しいようです。
話題の中心は、謎の頂人とファウの出現について――。
私たちの姿を捉えた映像データが朝になったら悉く
とはいえ、所詮は高校生同士の会話。
正体は誰だとか、本当に頂人なんているのかだとか、取り留めのない会話がなされており、答えのない堂々巡りが延々と続いております。
まぁ、答えのない会話ですから、その内に飽きて話題にも上がらなくなるのでしょう。
そんな今だけしか楽しめない話題を私に振ったらしいのは、前の席に座る緩いウエーブの掛かった茶髪の、少々お胸の大きなおっとりとした女の子です。
なんでしょう? あてつけでしょうか? 萎めば良いのに。
えぇっと、確か彼女の名前は……さくら様でしたか?
すみません。幸那様のこと以外にはあまりに興味が薄く、クラスメートといえどもほとんど名前は憶えていないのです。
多分、何とかさくら様で合っているとは思うのですが、後でエディにでも確認しておきましょう。
「聞いてはいましたよ。ただ反応を返さなかっただけで」
「それってスルーってことでしょ? そっちの方が酷くない?」
私に食って掛かる、こちらの方は覚えております。
短髪で細身。そして、何よりも素晴らしく優しい心根の持ち主であります。
正直、昨日は天使と見間違えたくらいの聖人君子であります。
「答えの出ない当たり障りのない話題を出されましても……。そういうのを喜ぶような歳でもありませんので」
「同い年だよね? 私達?」
「そんなことよりも」
「そんなこと……?」
「昨日のお礼をさせて下さい」
話をぶった切って、私は鞄の中に潜ませていたステンレス製の水筒を取り出します。
ファウの話題には正直興味がないので、多少強引になろうとも話題を変えることに致しました。
そもそも、変にファウの話題に関わるとボロを出す危険性もありますので、ここは安全にいきたいと思います。
「お礼?」
「体育の時間に班を変わって頂いたお礼です」
そう。幸那様の雄姿を見守る為に、私にはどうしても必要な交渉だったのですが、その交渉に快く応じてくれたのが、この水谷愛さんだったのです。
万人であれば、誰もが望む幸那様の御勇姿を拝むことが出来る権利を快く譲渡してくださった素晴らしい天使なのです。
私はあの時、水谷様に神聖性の塊を見たかもしれません。
そして、幸那様を見守る権利を得る代わりに「ジュースを奢ってくれ」という何とも御優しい条件に、私は心の中で涙したものです。何と心優しい方なのだろうと――。
しかも、条件も破格で……。
ぶっちゃけ十万円くらいでしたら出す用意はあったのですけど。(例のマネーロンダリングされた資金から)
「いや、あれは言葉の綾というか。冗談のつもりで言ったんだけど……」
心が清いだけでなく慎み深いだなんて、水谷様は何と御優しい方なのでしょうか。そんな水谷様に喜んで頂けるように、今回、私は最高の物を作って持参しました。
「いえ、報徳院家のメイドたる者、受けた恩義には報いないわけにはいけません。……というわけで、これを受け取って下さい」
「えっと? 私はジュース一本で良いって言ったんだけど?」
私がずずぃっと付き出すステンレス製のボトルに愛様は困ったような表情で答えます。
ですが、これこそが私が丹精込めて作らせて頂いた御礼なのです。ですから、受け取って貰えないと困ります。
「缶ジュースですと私の誠意が伝わらないと思いましたので、手製のスムージーを作って持って参りました。多くの野菜を使用しておりますので健康にも良いですよ?」
「いやぁ、私、野菜は苦手で……」
「大丈夫です。バナナをメインに各種フルーツも混ぜ込んでおりますので飲みやすさは保証致します。何よりも幸那様の美しさを支える一助となっているものです。美容にも効果がありますよ」
「え、これを飲むと氷の女王と同じくらい綺麗になれるの?」
いえ、そこまでは言ってませんが……。
「美容と健康に良いって話だよ、愛ちゃん」
「ふぅん。そうなんだ。まぁ、折角だから頂こうかな」
ステンレス製のボトルのキャップを捻って、水谷様はそのまま口を付けます。
そして、一口飲んだ瞬間に動きが止まります。どうしたのでしょう?
「どう? 美味しい?」
さくら様の言葉に答えることもなく、水谷様は止まることなくスムージを喉に流し込んでいきます。
その光景に戸惑ったような表情を向けるさくら様は恐る恐るといった感じで言葉を繋ぎます。
「あの……、良ければ私にも一口ぐらい味見させてくれないかなー……なんて……」
ゴッキュ! ゴッキュ! ゴッキュ!
その言葉を聞いた瞬間、愛様の飲むペースが否が応にも上がります。
一気ですか? 一気に飲み干しちゃうんですか?
「え? そんなに美味しいってことなの? そうなの? 愛ちゃん? ちょっと私にも一口……」
パシィ!
手を伸ばすさくら様の手を、愛様が無情にはたき落とします。
そのはたき落とされた手を見て呆然とするさくら様を尻目に、愛様は一気にボトルの中身を全て飲み干すと、ぷはぁっと一息ついた後で――、
「……」
無言のままに私に向けてサムズアップをなされます。
「……」
なので、返礼として私もサムズアップで応えます。
「いや、分からない……、分からないよ……、二人共……」
後には、よく分からない雰囲気に馴染めなかったさくら様が一人絶望的な表情を見せていました。
いえ、私も良く分かってはいないのですが……。
とりあえず、美味しかったということで良いのでしょうか?
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◆◇◇◆ D2 Genocide ◆◇◇◆
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「いや、この世の飲み物じゃないね!」
愛様はそう仰られますが、その表現ですと美味しいパターンと激不味パターンの二種類があると思うのですがどうでしょう?
「うー、ズルいよー。私にも一口くらいくれても良いじゃないー」
どうやらさくら様は少々食い意地がはっていらっしゃる様子。なるほど。つまり、そのお胸に全て栄養がいっているのですね。だるだるになればいいのに。
「いや、また今度ね。そう言えば、キリシーはさっき何を悩んでたの?」
話題を変えるためか、愛様が話題のセンタリングを上げてくれます。私はこれをダイレクトボレーで蹴り込みます。
「宝徳院家の朝食事情で悩んでおりました」
「朝食事情? そんな事で悩む必要があるの?」
「はい」
そう。宝徳院家には複雑怪奇な朝食に対するルールがあるのです。
「宝徳院家の朝食は、大体奥様が用意して下さるのですが……」
「キリシーが用意するわけじゃないんだ?」
「奥様は母性に溢れた方ですので、家族に手料理を振る舞う事を至上の喜びとしておられるのです」
「ふむふむ」
「ですが、困った事に……幸那様は朝はパン派であり、旦那様は朝は御飯派なのです!」
「ふむふ――……ん?」
「幸那様は、朝はフレンチトースト一択だと仰られ! 旦那様は朝は納豆御飯を食べないと力が出ないと仰られる! ですが、品数が増えると今度は奥様の負担が大きくなってしまいます!」
「美味しいよね、パン。特にカリカリに焼いたトーストにバターを染み込ませたのとか最高だよね……じゅる……」
「私は御飯を推すかなー。TKGとか最高じゃん。あと食べ盛りだから、パンだけだと昼までもたないんだよねー」
「確かに二人の仰られる事は最もです。どちらも甲乙つけがたい! ですが、それでは奥様の負担がいつまで経っても減りません! ですので、私はそこで一計を案じたのです!」
「一計……?」
「嫌な予感しかしない」
「良かれと思って納豆トーストをお出ししました!」
あの時の旦那様と幸那様の顔は今も私の脳裏に焼き付いて離れません。
うわ、マジかコイツ……と言わんばかりの目……。
極限状態でも平気で動ける訓練をしていなければ、私はあの時その場で泣き崩れてしまっていた事でしょう。
しれっと、その後も仕事を続けられたのは訓練の賜物に違いありません。
「あの時の御二方のお顔は一生忘れられません!」
「いや、フレンチトーストを待っているところに、納豆トーストをぽんっと出されたら……そりゃ、そんな顔にもなると思うよ?」
「えっと、霞ちゃんは奥様のことを思ってやったんでしょ? が、頑張ったと思うよ?」
「その後の幸那様と旦那様の味の感想も、『まぁ、不味くはないかな』といった微妙なものでした! 私は……! あの時どうすれば良かったのか……!」
「いや、普通にフレンチトーストと納豆ご飯を出してあげようよ」
…………。
「いえ、次は桜でんぶ御飯でいきます!」
御二方を満足させる為に私の飽くなき挑戦は続くのです!
「「怒られてしまえ」」
後日、御二人の言う通りになるとは、その時の私は思ってもみなかったのでした……。
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