第2話 大変だよ
私の名前は、
私立氷陰学園二年生の氷の女神こと、
私が専属メイドになったのは紆余曲折あるのですが、私と幸那様の出会いは良くある話でした。
そう、たまたま幼稚園で同じクラスだったというだけなのです。
あの時はまだ、ユキちゃん、カスミンと呼び合う仲だったような気がします。
それが、今では幸那様、カスミンと呼び合う仲に変わって――。
……幸那様だけ全く変わってないですね。
でも、それは幸那様ですし仕方のないことなのです。その辺は気にしたら負けなので私は触れません。
「たっだいまー」
「ただいま戻りました」
学校が終わり、私は幸那様と共に帰宅します。
幸那様は部活動をしておられません。
別にスポーツが嫌いだとか、文化的な活動が嫌いだとか、そういった事ではないのです。
ただ部活に入っても、部員の皆様と仲良くなれるビジョンが見えなかったようで……。
それなら仲の良い私と一緒の時間を過ごしたいと帰宅部を選んでくれたようなのです。
……身に余る光栄です。
私は私で幸那様専属メイドとはいえ報徳院家の家事全般を担う身なので、部活動に所属せずに真っ直ぐに帰宅しては家事をこなす事を日課としております。
奥様……幸那様のお母様……には、家のことは良いからやりたいことをやりなさいと言われているのですが、現状では私の一番は幸那様に奉仕することですので飽くことなく家事を続けさせて頂いている次第です。
そんな思いを幸那様にお伝えすると「カスミンは真面目だねぇ」と仰られるのですが、これは下僕……いえ、幸那様のメイドとして、当然の務めだと思っているので困った顔を返すことしかできません。
「それでは、私は夕飯の準備を始めますので幸那様は居間でお待ち下さい」
「手伝うよ?」
「いえ、幸那様に手伝われますと寿命が縮みますので結構です」
「そこまで言わなくても!?」
メイド服に着替えて台所に立つ私のもとにやってきた幸那様は、私の言葉を受けてすごすごと居間へと向かわれます。
ですが、私の言葉は真実なのです。
なので、これは決して罵詈雑言の類いではないということを断言しておきます。
ちなみに、幸那様は決して料理が下手というわけではありません。
というよりも、報徳院家で一番上手いと言えるレベルでしょう。
ですが、包丁の扱い方ひとつを見ても、指を切り落としそうで怖かったり、卸金で指をこそぎ落としそうで怖かったりと、とにかく料理をする手付き全般が危う過ぎて見ていられないのです。
それだというのに、作られる料理は絶品で、頬が落ちそうになるぐらい美味しいというのだから反則であると言わざるを得ません。
故に、幸那様は残念ながら台所に立つことは禁止されています。
むしろ、私と奥様で禁止しました。
それでも幸那様は、私や奥様の目を盗んでは時折夜食なんかを調理されているようなのですが……できれば、私たちの寿命が縮むので止めて欲しいものです。
「さて、今日は何を作りましょうか」
昨日はお肉料理がメインでしたから、本日はお魚料理にしましょうか。
確か、旦那様が仕事の付き合いで海釣りに行ってきた際に釣ってきた鯛が残っていたはず。
これを塩釜焼きにしましょう。
えぇっと、昆布を用意してと……。
ちなみに、報徳院家のキッチンは料理が楽しくなってしまう規模で、最新家電やらキッチン用品やらが用意されています。
自動食洗器は勿論のこと、中に入っている物を確認して勝手に温度管理をしてくれる冷蔵庫や、軽く叩くだけで開く戸棚など、とにかく最新家電の見本市かと思うほどに設備が充実しているのです。
何故ここまで設備が充実しているのかというと、「お金で時間が買えるなら、当然買うべきでしょ! 空いた分、カスミンと遊べるなら尚更ね!」ということらしいのです。
なんとまぁ、幸那様の思いやりが嬉しいやら畏れ多いやら……。
何にせよ、私のやる家事はほとんどが自動化されていて、一般のメイドさんよりも随分と楽をさせてもらっています。
そう考えると、幸那様には足を向けて眠れません。
そんな最新家電が揃う幸那様の自宅なのですが、見てくれは物凄くボロボロな二階建てのアパートなのです。一階に四部屋、二階に四部屋というありきたりのアパートの外見をしております。一応、屋上があるのが特徴といえば特徴でしょうか。
ですが、その中身は全くの別物。
部屋のぶち抜きやリフォームのやり過ぎで、元の中身の痕跡が一ミリたりとも残っておりません。
唯一残っているのが、旦那様と奥様が残して欲しいと言われた、元々二人が使っていた八畳一間の一〇一号室の賃貸物件部分のみです。
御二方は元々はこんな資産家ではありませんでした。
元々はギャンブルが少し好きな冴えない夫である旦那様と、薄幸美人でパート好きの奥様でしたので、大金とはほとんど無縁の生活をしていらしたようです。
そんな御二方に転機が訪れたのは幸那様が生まれてからだと言います。
何故か幸那様がギャンブルに絡むと百発百中。
宝くじもこんなに当たるものなのかと言わんばかりに当たりに当たったようで……。
いつの間にか、一家の総資産が普通の家庭では持ってはいけないレベルに膨れ上がったそうです。そんな資産を何とか消費しようとして、旦那様が始めたのが新規事業への投資だそうで……。
その投資した会社がぐんぐんと急成長を続けたものですから、今では旦那様は複数の有力企業の共同経営者という名義で幾つもの会社を運営している身となっておられるそうです。
そんなわけで、報徳院家にはそれこそ使い切れないぐらいの資産が存在するのですが、旦那様も奥様も元の貧乏性が祟って、豪勢な暮らしに忌避感があるようなのです。
住居の見た目がボロアパートなのも、御二方の最後の抵抗なのかもしれません。
さて、そんなことをやっている間にも塩釜焼きの準備が整いました。
塩釜焼きは簡単なのですけど、時間を掛ければ掛けるほど塩分が鯛に染み込んで塩辛くなってしまいます。
それを和らげる為に、塩と鯛の間に昆布を挟んで壁にするのがポイントです。
塩釜で閉じ込めることで昆布の旨味が鯛に染み込み、美味しさがアップします。
ちなみに塩釜の塩には卵白を混ぜ込みます。そうすることで、さらさらの塩が固まり易くなり、塩釜を作るのにやりやすくなるのですよね。
さて、成形は完了。
後はオーブンで三十分焼くだけですね。
今回は鯛を使って塩釜焼きを作りましたが、別にお肉を使っても美味しく作れます。その際には昆布よりも香草を混ぜて作った方が、香り高く美味しい塩釜焼きができることでしょう。
さて、オーブンで調理している間に、ささっと味噌玉でお味噌汁を用意して……御飯は今朝炊いた残りがあるので大丈夫ですね。
あとは、冷蔵庫にあるお野菜でサラダを作りましょうか。
レタスとハムにカニカマもありますしね。キュウリもスライスして、ゆで卵もスライスして、プチトマトも乗せて彩り鮮やかにしておきましょう。
この辺のお野菜は奥様の趣味である裏庭の家庭菜園で採れたものを使用しておりますので鮮度も抜群です。生野菜でも十分に美味しいので、ひと手間加える必要もありません。
後は、旦那様の晩酌の為に焼き鳥でも用意しておきましょうか。
焼き鳥焼き機にタレを塗った串をセットして……恐らくは幸那様も食べられるでしょうから、少し多めに用意しておきましょうかね?
はい、スイッチオンと。
奥様用には、お豆腐を用意しておきましょう。
ちょっと高級なおぼろ豆腐に、出汁醤油と薬味を乗せて……おっと塩釜焼きが焼き上がりましたね。
では、早速オーブンから出しましょうか。
塩釜焼きは焼き上がった後でも塩が染みていってしまうので、手早く塩釜を木槌で割って鯛を救出してあげなければなりません。それにしても、塩釜を割った中から、また蒸した鯛の良い香りが……。
これは御飯が欲しくなりますね!
「カスミン! 大変だよ!」
「えぇ、この殺人的な臭いは食欲を抑えるのに大変ですね!」
幸那様にも塩釜焼きの良い臭いが届いたのでしょう。
旦那様たちが帰ってくるには、まだ早い時間ですが一足先に料理を並べていってしまいましょうか。
私は塩釜焼きの鯛を取り出して、お皿に盛り付けると浮かれた気分でダイニングへと向かいます。
報徳院家のダイニングは居間と続きの空間で、いわゆるリビングダイニングとなっております。
そこに据え付けられた幸那様お気に入りの大理石のダイニングテーブルに鯛の乗った大皿をコトリと置いたところで――……私はリビングで寛ぐ幸那様を二度見してしまいました。
「幸那様、何ですかその奇妙な生き物は!?」
「いや、だから大変だって言ったじゃん!?」
「こらぁ! 誰が奇妙な生物っちか!」
お皿を置いてから気付けて良かったです。
お皿を置く前でしたら、料理を床の上に落としている自信がありました。
幸那様のすぐ近くを、まるで重力を無視したかのようにパタパタと小さな羽で飛んでいる丸っこい生物がいます。
UMAや物の怪の類でしょうか?
くぅ、包丁を台所に置いてきたのが悔やまれます!
もしも、
「というか、めちゃめちゃ良い臭いっちね……」
「カスミンの料理は美味しいからねー。エリエルも食べてく?」
「良いっち!?」
「良いよね? カスミン?」
「え、あ、はい。今すぐ用意致します……」
くっ! 既に幸那様はあの謎の生命体相手に馴染んでおられるというのですか!? 流石、幸那様! 恐るべし!
そして、あの謎の生命体が、『食』で懐柔できるというのでしたら、この霧島霞、身命を賭してあの謎の生命体をおもてなししてみせましょう!
こんな日の為に磨きに磨き抜いてきた我が必殺のスペシャリテの威力、身を以て味わうが良いでしょう!
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