第三章 トーナメント

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 サイスの市城の城門は開け放たれていた。大通りは人で埋まり、あちこちで花火や爆竹の音がしている。

 四年に一度の大祭だ。近在の者ばかりでなく、遠くシドニーやアデレードなどからもトレーラーを連ねて見物客が来ている。

 サイスは、《大戦》期に建設された軍事および植民基地がその起源となっている。そのため、市城そのものが要塞の体をなしており、戦後の混乱期のごく初期において自治を開始することができた。

 ガンロードが出現するのも早かった。同様の出自を持つビキューナなどと並び、最も初期にトーナメントが開催された都市として知られている。いわば、ガンロードの時代(エイジ・オブ・ガン・ローズ)の震源地であり、そのため、サイスのガンロードは、都市としての規模はさほど大きくないのにもかかわらず、一種特別な存在として認識されていた。

 現在のガンロードはアズール・グラックス。すでに二度の防衛を果たしており、大祭を主宰するのも数えて三度となる。その守護女神のシジフォスは、女神カードの能力ランキングでは堂々のA級――現役ではわずか六人しかいないアンシェント・ゴッデスの一人である。

「アズールもそうなんだけど、シジフォスって、ほんとうに露出が少なくてさ、女神カードの図柄も顔出しは一枚もないんだよ。最近の試合では戦車から出ることもないしさ――まあ、だからこそすっごいレアカードなんだけど」

 右手に棒つきソーセージ、左手に春巻を持って、交互にかじりながらグレミーが言う。首からさげているのは望遠レンズつきのカメラだ。

「あ、これ? ほら、なにしろ今、サイスにはたくさん女神が来ているからさ。もしかしたら、通りで出くわすかもしれないじゃない? だからさ」

 ジェイドの視線に気づいてか、グレミーが胸を張って、カメラを揺らして見せる。

「いや、そうじゃなくて――ほんとうに大丈夫なのか? レギュレーション・チェックに立ち会わなくて」

 大会に出場する戦車は、事前に大会運営事務局の臨検を受けなければならない。そこで、大会規定に反する特殊な改造が行われていないかどうかのチェックを受けるのだ。彼らは今朝、締め切り時間ギリギリにサイスに入り、事務局に戦車を預けてきたところなのだ。フォイエルバッハとシスター涙は明日の開会日に合流することになっている。

「立ち会うったって、なにすんのさ? 大丈夫だって、ぼくらの《ライオット・スター》は。自慢じゃないけど、レギュレーションに引っかかるような凄い武器なんか積んでないんだし」

 規定で禁止されているのは、光学兵器、誘導兵器、強力すぎる炸薬、生物・化学兵器など、格闘戦の興をそぐ武装だけで、一般的な戦車の装備はほとんどそのまま認められる。戦車のサイズや馬力にも、事実上制限はない。

「まあ、ずいぶん格闘戦用にチューンしたから、問題はトーナメントが終わった後、仕事になるかどうかだよね」

 格闘戦に要求される機体性能と、警備の仕事に必要なそれは、似て異なる。フォイエルバッハ警備保障会社の虎の子の戦車は、トーナメント用に大幅に改装されたのだ。燃費を無視して出力性能を高め、履帯も耐久性より走破性を高めたものに取り替えてある。細かい部分にも手が入れてある。たとえば、ガンナーシートは、アスタロッテの体型に合わせた小型のものに交換した。

「しかし――わたしが指摘した問題点の半分くらいしか改善されていない」

 アスタロッテがフードの下から論評を加える。

「そりゃあ……無理だよ。きちんとしたパーツは、すっごく高いんだよ」

 春巻をたいらげ、指についた油を舐めながらグレミーが言う。

「でも、そこそこでしょ? ぼく、がんばったんだから」

「うむ。満足とはいえないが、限られたリソースのなかで、それなりの進歩はみられる。評価するぞ」

 アスタロッテにほめられて、グレミーが嬉しそうに弾む。戦車のチューンはグレミーが中心となって進めたのだ。

「ネーミングセンスもいいでしょ? 《ライオット・スター》って《動乱の星》って意味だよ。なにしろアスタロッテがデビューを飾るわけだから、トーナメントに波乱を起こす新星誕生! って感じ」

「うむ。わたしの提案したペンギン2号ほどではないが、まずまずの名称だ」

 二人の会話についていけないジェイドは、通りの建物を漫然と見まわした。

 この街には《大戦》時代の建物が多く残っている。何十年も昔に設置されたドーム型の簡易住居が立派に現役だったりする。新たに建築された日干しレンガの建物とのコントラストはかなり異様だ。特に、トーナメント期間中は建物のいたるところに装飾が加えられていて、印象が一変する。

「なんだよ、ジェイド、おのぼりさんみたいにキョロキョロしてさ。ぼくらは地元民(ジモピー)なんだよ」

「いや……まあ……そうだよな」

「あ、そうか、ジェイドは大祭の時には来たことないんだ?」

「あるさ!」

 ジェイドは強い口調で言いかえす。それから、ちょっと声のトーンを落とす。

「ガキのときだったからよく憶えていないけどな……」

「ああ、それ、アズールがガンロードになったときの大祭だよね。前のガンロード――エンフィールドも強かったらしいんだけど、最初の防衛戦で当たった相手が悪かったんだよね」

 グレミーが博識を披露する。

「A級同士の一騎討ちなんてそうはないから、当時もけっこう話題になったらしいね。ぼくは雑誌で読んだだけだけどさ。そうかあ、ジェイドはあれをナマで見たんだ、いいなあ」

「べつにいいもんじゃないさ」

 ジェイドは会話を打ち切るように語調を強めると、街並みにまた目を戻した。

 以前、この光景を見たときは、今よりずっと背が低かった。人ごみに埋もれて、大人の脚しか見えなかった。

 大通りの果てにスタジアムがある。父親に手を引かれて、あそこまで歩いていった。途中に立ち並んでいる露店に心惹かれながらも、父親の歩調に遅れまいと必死に歩いたことを覚えている。

 あれから数えて三度目の大祭か――

 あの時は、まさか自分が出場者として、しかも女神をともなって、サイスに戻ってくるとは思いもしなかった。

 ジェイドはアスタロッテに目をやった。

 ローブとフードに包まれた黒髪の少女は、露店で買ったソフトクリームをなめなめ歩いている。とてもではないが、戦車乗り垂涎の的である守護女神の一員には見えない。

「ねえねえ、アスタロッテが実は女神(GPS)だってわかったら、通行人のみんな、ビックリするだろうねえ」

 嬉しそうにグレミーがジェイドに話しかける。女神フリークの彼としては、それは発表したくてたまらない《秘密》なのだろう。

「GPSか――たしかにこの通りにもいるな」

 アスタロッテが小さな舌でクリームの塔をこそぎとっていきながら、なんでもないように言った。

「へえ、わかるの?」

「GPSにはそれぞれベースとなる《星》がある。それを基点にして、ほかの低位の衛星を制御する。基点になる《星》にはそれぞれ鍵があって、それはGPSのDNAパターンに準拠している。それがIDだ。《星》にアクセスすれば、どのIDがどのあたりにいるかはだいたい感知できる」

「へえええ――それって《大戦》期の軍事衛星のことでしょ? ねえねえ、アスタロッテの《星》ってなに? どういうの?」

 グレミーが勢いこんで質問するが、若い女神はフードのなかでゆっくりかぶりを振る。

「悪いがそれは教えられない。守護星を開示するのは正式な契約相手にだけだ」

「ちぇっ! ちぇーっ! シジフォスなんて、守護星をそのまま名前にしてるってのにさ――それってA級だからなのかな」

「きっと、名前が言えないような恥ずかしい《星》なのさ」

 混ぜっ返すように言ったジェイドをアスタロッテがジロリと見る。

「わたしの《星》は強力なハッキング能力を持っているぞ。搭載されている人工知能も優秀だ。その恩恵を一番受けるのはパイロットたるジェイドだ。にもかかわらず、その《星》を蔑もうとするのは、愚かというしかない」

「はいはい、どうせおれは無礼なうつけ者だからな」

「そのとおりだ」

 睨みあう二人のあいだをグレミーが分ける。

「ああ、もう、なかよしさんになったかと思えばすぐケンカするし――」

「なかよしさんじゃねえっ!」

「む」

 そのとき、アスタロッテが赤い虹彩をすばやく動かした。瞳孔が開く。

「どうしたのさ」

「GPSだ。すぐ近くにいる――」

「えっ、どこっ、どこっ!?」

 グレミーはソーセージの残りを口中におさめると、モシャモシャあごを動かしながら、カメラを手に取った。

「正確な情報はシールされている。IDも読み取れない。まるで、いることだけを気づかせたみたいだ」

 アスタロッテは困惑したように眉をひそめる。

「なんだよ、それ――」

 ジェイドは反射的に首をめぐらせた。視界のなかに黒い影が入った。

 その人影は黒いフードをすっぽりかぶっていた。まるで、そこだけ闇のとばりが下りているかのような――

 あの人は――

 忘れていた映像がよみがえった。気がついたときにはすでにその人物の背中を追っていた。

「ジェイド! どこ行くのさ!」

 グレミーの声が背後から聞こえてくるが、一瞬でも振りかえったら見逃してしまいそうで、ジェイドはそのまま駆けた。


          2


 記憶が刺激されている。ずっと思い出せなかった光景が脳裏に浮かんでいる。

 一二年前、ジェイドが父親に連れられて観戦した戦い――ガンロードと挑戦者の死闘――だ。

 コロッセオのフィールドで、二台の機動戦車が対峙して、すさまじい戦いを繰りひろげていた。それこそ、雷鳴が轟き、見えない壁が砲弾を跳ねかえす、とんでもない攻防だった。

 父親は試合の間中、なにかぶつぶつと呟いていた。父親がこの勝負に、なけなしの金を賭けていたことを知ったのは後になってからだ。

 幼いジェイドはただ、圧倒されていた。特に、挑戦者の戦車から女神が出てきた時には驚いた。

 黒いローブをまとった女の人が戦車の上に立った――爆風の中なのに、揺れも激しいというのに――まっすぐに、揺るぎなく。それに対抗するように、ガンロード側も女神が車上に出た。白いローブをまとったほっそりとした女性。まるで若木の枝のようにしなやかに。

 戦車同士の争いというよりも、これは二人の女神の力くらべなのだと、ジェイドも悟った。

 最初は挑戦者が有利に見えた。その後、ガンロード側が押しかえし、一気に優位に立ったように見えた。しかし、挑戦者側の女神はひるむことなく、高く天に腕をさしのべた。

 そして。

 白い、光が――

 そこから先は記憶そのものが光に塗りつぶされてしまっている。次の記憶は、父親の葬儀の光景にいきなり飛ぶ。トーナメントから数日後のことだ。トーナメントで観客が死んだりケガをしたりすることは、そんなにめずらしいことではない。

 多額の借金を残して死んだ父親の面影を、ジェイドは思い出すことができない。思い出せるのは、むしろあの白と黒の女神たちだ。フードごしに見える美しい横顔は、おさないジェイドの意識に強く刻まれた。

 その映像が、ふいに脳裏に射しこんできたのだ。

 思わず走りだしてしまったのは、その記憶の断層を埋めたいという無意識の衝動だったのかもしれない。

 だが、たちまちすごい人波に巻きこまれて、標的を見失った。号外号外と叫んでいる男を人々が取り巻いているのだ。黒い人影は人の渦の外周をたくみに縫って行ったらしい。

 ジェイドは人をかき分けて、人影が消えたあたりにたどりつく。

 路地への入口があった。暗くて細い通りである。

 だが、入ってすぐのところに小さな絨毯が敷かれており、その上にジェイドと同い年くらいの少女が座っていた。

 肩を覆うマントを引っかけ、その下はまるで軽業師かなにかの舞台衣装を思わせる色鮮やかな衣服を着けている。髪は短めで、色は青みの強い黒だ。真鍮製らしい古風なフレームの眼鏡をかけている。

 ジェイドはその少女の風体に気圧されて、一瞬言葉をうしなった。だが、路地の奥に行くにはこの少女の絨毯を踏み越えて行かなければならないことに気づく。

「すまないが、ここを通してくれないか」

 少女は顔をあげた。レンズ越しに見える瞳は明るい黄色だ。

 特別な瞳――この少女は――

「この先は行きどまりよ。なにもないわ」

 少女は素っ気なく言った。不思議な響きのある声だ。小径をはさむ壁に反響でもしているのだろうか。

「だけど――さっき、黒いフードの女のひとがここに来ただろ?」

「知らないわ。幻でも見たんでしょう」

 言いつつ少女の眼鏡が光る。

「そのひとなら、ほら、あっちにいるわ」

 少女が指さすほうに、黒いローブの女の姿があった。群集から離れて足早に歩いている。

「あっ」

 ジェイドはそっちに行きかけた。が、少女が笑いをふくんだ声で言う。

「こっちにもいるわよ」

 振りかえったジェイドは驚愕する。そっくり同じ黒ローブの女がまったく別のところを歩いている。偶然か――いや――背格好も歩きかたもまったく同じだ。

「あらあら、どうしたのかしら、あんなところにも」

 少女がさらに指し示す。広場の噴水のそばを同じ女が歩いている。

 ジェイドは混乱した。なにが起こっているのかわからない。

 そのとき、べつの少女の声がジェイドの混迷を破った。

「あれは幻だ。この女が光を屈折させて、どこかまったくべつの場所の映像を見せているだけだ」

 アスタロッテだ。ジェイドを追ってきたらしい。

「この女もGPSだ。だが、さほど高位ではない」

 片眼鏡の少女は座ったままで微笑する。

「先輩に対する礼儀を知らないのね? まあルーキーだからしょうがないか」

「そちらも見たところ、ベテランといえるほどの戦績があるとも思えないが」

 率直すぎるアスタロッテの言葉に、少女はふふん、と笑う。

「怖いもの知らずってステキね。いちおう名乗っておきましょう。わたしはヒカリ。《レイ・ハンドラー》のヒカリ。あなたたちとはまたすぐにお目にかかることになりそうね――」

 言うなり、少女の姿はかき消えた。敷かれていた絨毯もない。ただの路地だ。

「なっ……」

 ジェイドは目をしばたたく。

「いまのも幻影だ。実物は別の場所にいたのだ。DZに鏡面の性質をあたえれば、できない技ではない。声にしたところで、DZを伝導体にすれば間近でしゃべっているように感じさせることができる」

 驚いた様子もなくアスタロッテは言う。だが、目にした光景のあまりの異様さにジェイドはまだ圧倒されたままだ。

「女神ってのは、あんなこともできるのか……すごいな」

「DZの鏡面化プログラムをダウンロードできれば、わたしにもできる」

 アスタロッテが不愉快そうに言った。

「あんなまやかしに驚くとは、ジェイドはやはりうつけだ」

「それより、なんでおまえがここにいるんだ」

 うつけ、と言われて正気にかえったジェイドは、白フードの少女をかるく睨んだ。彼女は手に、なにやら文字が印刷されているらしい紙を持っている。

「これを配っていたからジェイドに見せてやろうと思っただけだ」

 つっけんどんにそれをジェイドに押しつけた。

「さっき号外とか言ってたやつか――トーナメントの組みあわせが発表になったのか!」

 ジェイドは、まだインクの匂いも新しい印刷物に見入った。

 エントリー数一一二台――さすがは四年に一度の大祭だ。参加車両数が三桁に達している。

 うちGPS三七機、とあるのは女神がついている戦車の数だろう。これも多い。ほぼ三台に一人だ。一般的に、女神がつく割合はもっと低く、一割を切るのがふつうだ。それだけサイスのトーナメントはレベルが高いと言える。特に若い女神にとって、ガンロード発祥の地のひとつであるサイスのトーナメントは、いわば《登竜門》なのだ。

 参加者は二八機ずつ四つのブロックに分けられ、ブロックごとに勝ち抜き戦をおこなう。試合数が多くなりすぎないよう、一回戦は一対一ではなく、三台から四台が同時に戦い、一台だけが二回戦に進めるというしくみだ。二回戦以降は一対一で戦う。そして、各ブロックの優勝者四台が最終日の決勝進出者となり、ガンロードへの挑戦権を争うのだ。

 ジェイドは組みあわせ表の上から文字を追っていく。リストには、戦車名や出場者のデータのほか、記者によるものらしい本命・対抗・穴の予想と、かんたんな展望が載せられている。

 Aブロックの有力な出場者といえば、サイラス・クラウンの駆る戦車ヘイトリッド、随伴する女神が《完全無欠》クァントロー。クァントローは、かつて、いくつかの都市のガンロードを支えたベテランの女神だ。

 Bブロックには優勝候補の最右翼、キョオ・ムラサメの《般若丸》が入っている。守護女神は《涅槃》の蓮華だ。若手の女神のなかでは、おそらく最も早くアンシェント・ゴッデスに到達するのではないかと目される実力者らしい。

 Cブロックについては、飛びぬけた存在がおらず混戦模様だと書かれている。しいてあげればベテランの女神ブラッディピジョンを奉ずる戦車キリングフィールドか、伸びざかりの女神失われた王女セドリックと契約する《ナレッジ・シャトー》といったところが勝ち抜くのでは、というのが記者の予想だった。

 このブロックにおける穴――というか注目すべき出場者として指摘されているのがビーハイヴGS客分の戦車乗り・サンドマンだった。女神のサポートなしの戦車に注目マークがついているのは、全ブロックを通じてこのサンドマンだけだ。

「ほほう、なかなかやるではないか」

 いつのまにか、横から背伸びをして紙面をのぞきこんでいたアスタロッテが言う。

「しかし、GPSがいないのでは勝ち抜けまいな、かわいそうに」

 ジェイドはサンドマンのところの記述を読みかえす。

 ――このブロックで注目すべきは、《砂男(サンドマン)》の動きである。女神を寄せつけず、一人で各地のトーナメントを転戦するこの戦車乗りは、すでに中小のトーナメントでの優勝経験を持っており、ガンロードになろうと思えばなれたはずであるが、その権利をすべて賞金にかえてしまった。いわば賞金稼ぎとしてアウトバックを駆けまわる一匹狼である――うんぬん。

「サンドマンが搭乗する戦車はいまではほとんど見られなくなった浮上式格闘機動戦車であり、そのユニークな機体の外観は《デザート・ペンギン》という名称と不思議にマッチし……」

「デザート・ペンギン!」

 アスタロッテが叫ぶ。

「よい名前だ!」

「わかったから、つばとばすな」

「とばしてないっ!」

 ジェイドとアスタロッテは顔をつきあわせた。その距離は三センチもあいていない。ジェイドは視線を逸らしてわずかに身を引いたが、アスタロッテは鼻にしわを寄せつつ命令口調で言う。

「続きを読め。《ライオット・スター》がどう紹介されているか知りたい」

「言われなくても読むさ。ええと、どれどれ――」

Dブロックの本命はミルドレッド・オヘイヤの戦車サラマンダー、女神は《静寂の音叉》マインドシーカーとなっている。そのほか、《トータル・パッケージ》や《ゾーディアック》などの戦車について解説が書かれているが、 《ライオット・スター》についての記述など、どこにもない。

「無礼だ! これを書いた者をここに呼んでこい! 説教してくれる!」

 アスタロッテは激昂したが、ジェイドはさもありなんとうなずいた。

「当然だろ。なにしろ、実績ないもんな。それより、組み合わせだよ」

 ジェイドは対戦表を覗きこみ、《ライオット・スター》の対戦相手を確認した。

 その二台の名称をみて金縛りにあう。

「こ、こいつらかよ……」

 対戦相手のうちの一台は――

 《キラーワスプ》 パイロット=ダレン・フォートワース(ビーハイヴGS所属)

 そして、もう一台が――

 《ハレーション》 パイロット=レオ・エラン GPS=ヒカリ・ザ・レイ・ハンドラー


         3


 コロッセオは異様な雰囲気だった。

 ジェイドは地下にある出場者用通路から、フィールドを見あげた。

 子供のころに、観客席には入ったことがあるが、むろん、この角度からフィールドを見るのは初めてだ。

 直径およそ二〇〇メートルのほぼ円形のフィールドは、出場者用通路からだと意外なほどせまく感じられる。観客席のある防御壁が迫ってくるように見えるからだ。

 観客席にはものすごい数の人間が群がり、蠢いていた。色とりどりの衣装が、まるで動く砂絵のように見える。

 フィールドでは、いま、Cブロックの一回戦が行われていた。

 一回戦は全ブロックあわせてつごう三二試合おこなわれる計算になる。一日あたり八試合ずつ消化していくので、一回戦すべてが終わるまで四日かかる。今日は大会三日めで、そろそろ二回戦進出者の顔ぶれが決まってきた頃合いだ。

 待機中の《ライオット・スター》は、出場するほかの二台とともに、オフィシャルによる最終的なレギュレーションの確認を受けているところだ。直前に不正な改造をしていないかどうかのチェックだ。

 といっても、戦車同士の闘いに反則規定はほとんどない。厳しいのは砲弾の種類と火砲の仰角くらいだ。

 砲弾は、サイス・トーナメントでは実戦用の徹甲弾よりも貫通力を弱めたものを使う。これは、装甲に弾をぶつけても、すぐには勝負がつかないようにする工夫である。客は戦車同士の殴りあいを見たいのである。

 仰角については、水平より上には撃てないようにリミッターがかけられる。むろん、観客の死傷者を減らすための措置である。しかし、フィールドは凹凸しているから、どうしたって撃った弾が観客席に飛びこむことはある。だが、レギュレーションを守ってさえいれば、試合中、観客席に弾を撃ちこもうがなにしようが免責されるのだ。

「よお、ちんぴら」

 背後から声をかけられた。ジェイドはいやな気分になる。振りかえらずとも、相手がわかる。ビーハイヴのダレンだ。

「なんだよ。決着ならもうすぐつけられるだろ」

 ジェイドはうんざりしつつ言う。

「おまえ汚ねえぜ。《女神つき》二台そろえるなんてよ……。おれが圧倒的に不利じゃねえか。おまえ、なんか小狡いことして、組みあわせをいじったんじゃないだろうな?」

 ダレンが非難するように言った。ジェイドは呆れる。

「そんなことできるわけないだろ。それに、こっちにしたって、一回戦から《女神つき》と当たるのは計算外なんだぜ」

 女神の参加比率からいって、一回戦は強豪と当たらずにすむ確率が高かったのだ。《レイ・ハンドラー》ヒカリはまだ十代半ばで、女神カードのランキングでもE(エッジ)だが、それにしたって、すでに何戦もの実戦を経てきている。今度が初陣のアスタロッテよりも経験ははるかに上なのだ。

「だってへんじゃねえか! どうしておれのところだけ女神つき二台なんだ? 不公平だろ……」

 ダレンがぐちぐちと繰り言を続ける。いつも強気なダレンにはめずらしいことだ。

 意外に思って顔をみると、目の下のくまが濃い。不精髭も伸ばしっぱなしで、眼も血走っている。

「なんだよ……ダレン、おまえ、まさか昨夜寝てないとか?」

「おれはな、デリケートなんだよ。おまえみたいな零細企業のだめ社員じゃねえんだ。ビーハイヴの看板をしょってるんだ。一回戦でおめおめと負けてられねえんだよ」

 ダレンはジェイドの視線を避けるようにする。

 不思議なものだ。弱みを見せられると、敵愾心も萎えてしまう。ジェイドはダレンの肩をたたいた。

「まあ、そんなに気にやむなよ。勝負はどうなるかわからないんだし」

「気やすくおれに触るんじゃねえ、ちんぴら」

 ダレンがジェイドの手首をつかんだ。ものすごい力だ。

「同情してるつもりか――クソが。言っとくけどな、おまえも一回戦で消えるんだよ。なにがあっても、お前だけは引きずり落としてやる――そして、おまえの女神とやらをいただくからな」

「な……なに?」

 ダレンがジェイドに顔を近づけて歯を剥いた。

「知らねえのか? 《女神なし》が《女神つき》をやれば、その女神を分捕ることができるんだよ! 女神カードやったことねえのかよ、タコ!」

「それはカードのルールだろ!?」

 ジェイドはダレンに怒鳴りかえす。ダレンはニヤニヤ笑った。

「うそだと思ったら、グレミーにでも訊いてみな。もともとカードゲームのルールだって、実際のトーナメントから来てるんだ。まあ見てな。おまえんとこのちび女神は、おれがいただいて、鍛えなおしてやるぜ、いろんな方面でな!」

 一声吠えるように笑うと、自分の戦車の方にもどっていく。

「なかなかおもしろい友達を持ってるのね」

 また、背後から声をかけられた。やれやれと思いながら振りかえる。

「ね。わたしが言ったとおり、すぐに顔を合わせることになったでしょ?」

 真鍮のフレームを指でおさえながらうっすらほほえむ《レイ・ハンドラー》がそこにいた。

 ジェイドは目をこらした。また幻影ではないのか、と疑う。

 そんなジェイドの戸惑いを見抜いたのか、ヒカリの口調にいたずらっぽさが加わる。

「まぼろしじゃないわ。わたしはここにいるのよ。うそだと思ったらさわってみる?」

 マントをさっとはらうようにして、胸を突きだす。ジェイドはあわてて手を引っこめる。

 ヒカリはくすくす笑った。

「うぶなのね、あなた。戦車乗りにはめずらしいタイプだわ」

 ジェイドはカチンとくる。ヒカリだってジェイドとそう歳がかわるようには思えない。見た目、せいぜい一五か一六だろう。女神についての涙の説明にしたがえば、このヒカリの実年齢は五つか六つということになる。

「敵に話しかけててもいいのかよ。相棒に叱られてもしらねえぜ」

 ヒカリの唇が下弦の弧をかたちづくる。実に楽しげだ。

「うちのレオは放任主義なの。試合さえきっちりこなせば、あとは勝手にやらせてくれるわ」

 視線は《ハレーション》のそばでオフィシャルと話しこんでいる男に向けられている。それがレオ・エランなのだろう。ほっそりとした体格で、意外に平凡な雰囲気の男だ。戦車乗りというより、教師とか事務員が似合いそうな感じがする。年齢は二十五歳前後か。

「よくわかんねえけど、おまえは、女神っぽくないな」

 正直なところをジェイドは漏らした。

「ふつうの女とはやっぱりちがうけど、アスタロッテともちがう。なんていったらいいのかわからないけど」

「そりゃあそうよ。あの子はまだ仮契約なんでしょ? まだ基礎教育プログラムの途中だもの。個性が育成されるのは、自分の判断でパートナーを選んで――正式契約を結んでからよ。その差は大きいのよ、いろいろとね」

 意味ありげに笑う。ジェイドは相手の真意をはかりかねて黙りこむ。よく考えたら、ジェイドは同い年くらいの女の子としゃべった経験があまりない。そのせいか、会話のペースの握りかたがよくわからない。

 しかたなく、最初に思いついたことを口にする。

「ところで――さっきダレンが言ってたのはほんとうなのか?」

「ん? ああ? 《分捕り》のこと? そうね。そういうルールがあるのは事実よ。ルールっていうか、不文律ってやつ? ほら、あたしたちの立場からしても、見込みのないヤツと組んでてもしょうがないでしょ?」

「見込み――?」

「ガンロードになれる資質があるかどうか――よ。統治者としての才能がある戦車乗りをさがして渡り歩くのがわたしたちの修行だもの。そして、みつけた素材を磨いてガンロードに仕立てあげ、自分もアンシェント・ゴッデスになる――それがわたしたちのア・ガ・リ」

 最後の単語を発音しながら、ヒカリは指で唇に触れてみせる。とりようによっては扇情的なポーズだ。

「そういう意味では《分捕り》は合理的なのよ。女神のサポートを受けていながら、《女神なし》に負けるパイロットなんて、価値ゼロだもの。とっとと捨てるのが正解ね」

 ジェイドは圧倒されてしまう。

「ずいぶん……ドライなんだな」

「あら? キミの方こそロマンティストなのね。もしかして、女神は一生、ひとりの戦車乗りに添い遂げると思ってた?」

 ヒカリの言葉にジェイドは戸惑った。これまで、ガンロードや女神などという存在は、別世界のものだと思っていた。おとぎ話の登場人物のようなものだ。『ふたりはいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし』――だが、実際はそうではないのだ。現実世界にいる男と女のように、戦車乗りと女神は出逢いと別れを繰り返すものらしい。

「女神だって死にたくないし、いい暮らしをしたいもの。それに、一緒に旅をするからには相性も大事だしね。たとえば、キミだって……力は未知数だけど、けっこう魅力的よ」

 ヒカリが身体を寄せてくる。

「たぶん、あたしたち、気が合うんじゃないかしら?」

「お……おい」

 ヒカリの身体はすでに女らしさを備えていて弾力性がある。しなだれかかられて、ジェイドが少しうろたえた――ときだ。

「ジェイド、なにをしている」

 今日はよくよく背後から話しかけられる日だ。ジェイドはため息をついた。気は進まなかったが、のろのろと首をめぐらせて、声のぬしに目を向ける。

 いうまでもなくアスタロッテだ。あきらかに機嫌が悪そうな。

「なにって、それは――」

 ジェイドは説明しようとしたが、説明する内容を思いつかない。

 そのためらいの瞬間に、ヒカリがジェイドの肩に腕をまわして身体を密着させる。見た目よりはずっと量感のあるバストが押しつけられる。

「楽しかったわ、ジェイド」

 一瞬の接触――ちゅっ、という音がして、ヒカリがくるっと身体をひるがえす。

「またあとでね」

 手をひらひらさせながら、自分の戦車――《ハレーション》の方にもどっていく。頬を押さつつジェイドは茫然自失の態でそれを見おくる。

「な……」

 言葉を失っていたアスタロッテが、眉のかたちを明確に変えて、声をはなった。

「なにをしていたんだ、ジェイド!?」

「は、話をしていただけだ」

「ジェイドの定義だと、会話というのは身体を寄せあって、顔に唇をつけることを言うのか!?」

「それはあの子が勝手に……」

 ジェイドは視線を泳がせる。《ハレーション》のそばでは、ヒカリがレオ・エランと話している。レオがジェイドのほうを見て、申し訳なさそうな表情を浮かべる。その傍らでヒカリが笑っている。やられた――とジェイドは思った。


          4


 ひとつ前の試合が終了し、フィールドからスクラップが運び出されていく。パイロットは脱出できたのだろうか――戦車戦の敗者の死亡率は一割弱といったところで、意外に「死なない」ものだ。といって、安全なわけでは決してない。

 ジェイドとアスタロッテはすでにシートに着いている。オフィシャルから合図があればすぐに動きだせる体勢だ。

 しかし、コクピットのなかは出陣前の雰囲気ではなかった。

 アスタロッテは完全に黙りこんでいる。怒りはおさまっていないようだ。

 説明のしかたがうまくなかったかもしれない、とは思う。相手の狙いがアスタロッテを動揺させるところにあることを「ヤキモチをやかせようとした」と表現したのが決定的にアスタロッテを爆発させた。

 侮辱だ!と叫んで、一度は戦車への搭乗を拒否しかけたほどだ。それは様子を見にやってきたシスター涙がとりなしてくれたので助かったが、機嫌がもどるまでには至らなかった。

 フォイエルバッハにはネチネチとやられた。もしも一回戦で負けたら、参戦のための費用についてもジェイドの借金に加算すると。

『一回戦はな、勝っても賞金はたいしたことないんや。せめて二回戦、いや三回戦に勝ってもらわな、足がでる』

 あとは、あまり戦車に傷をつけるな、とか、万が一負けそうなときにも、戦車だけはできるだけ守れ、とかそういうことばかり。励ましの言葉ひとつなかった。

 そして、車券を買うんだと言いつつ、シスター涙を連れて行ってしまった。たぶん、今回のトーナメントをいちばん楽しんでいるのはフォイエルバッハなのではないか、と思えてしまう。

「とにかくさ、スリーウェイ・ダンスは、まずは一台と共闘することだよ。ぜったい二対一の展開になるからさ。ふつうは《女神なし》二台が組んで《女神つき》一台を狙うからバランスがとれるんだけど、今回は《女神つき》が二台だからなあ、展開がむずかしいよ」

 開いたままのハッチからグレミーが熱心に話しかけてくる。今回のように三台が同時に闘う形式のことをスリーウェイ・ダンスというらしい。

 そうこうするうちにフィールドの整備が終わった。いよいよだ。

「とにかく応援してるからね――がんばって」

 グレミーが早口で言い、ハッチを閉める。

 コクピットの中でジェイドとアスタロッテは二人きりになってしまう。空気が重い。

《ハレーション》、《キラーワスプ》の順で先にフィールドに出ていく。

 オフィシャルが、行け、と合図をする。ジェイドはアクセルを踏み、クラッチをつなぐ。《ライオット・スター》が走りはじめる。

 地面が整備されたといっても、大きなスクラップを除去し、前の試合で撒かれた自走地雷(オート・マイン)を爆破処分したくらいで、フィールドには砲弾の穴や無限軌道の溝がそのまま残っている。大小の部品や砕けたコンクリート塊も散乱している。まさに戦場という感じだ。

 指定された初期位置まで移動する。その間に観客席にむけて選手紹介のアナウンスが流れる。

『Dブロックの一回戦、次なる闘いに臨むのは――まずは《ハレーション》、パイロットはレオ・エラン、そしてサポートする女神は光の使いレイ・ハンドラーヒカリ! 過去のトーナメント戦績は一七戦して一二勝五敗――ユークラ・シティのトーナメントでは四強に進出した経験もある実力者です』

《ハレーション》のハッチが開き、ヒカリが上半身を出した。観客席にむかって手を振っている。どうやらプレス関係のカメラマンのほかに、女神マニアたちも写真を撮っているらしい。もしかしたら――グレミーも入っているかもしれない。

「五敗か――ようするに五回トーナメントに出場して五回とも敗退したわけだ」

 アスタロッテが蔑むように言う。

「七つも勝ち越しているぞ。初戦はたいてい突破してるってことさ」

「なぜあの女の肩を持つ!?」

「油断は禁物と言ってるだけだ」

 また口論になりそうな雰囲気だ。なぜこうなってしまうのか、ジェイドにはまったくわからない。

『続いての入場は《キラーワスプ》、地元トーチャムからの出場です! 操縦するはダレン・フォートワース――トーチャムの警備保障会社ビーハイヴ・ガード・サービスのエースパイロット! 女神のサポートはありませんが、善戦が期待されます。過去の戦績としてトーチャムのローカルトーナメントで優勝の経験があります!』

《キラーワスプ》は、ビーハイヴGSのカンパニーキャラクターであるスズメバチをイメージさせる黄色と黒の警戒色で塗られた、中型の機動戦車だ。大戦期において最もたくさん作られたデリンゴン・タイプのレプリカで、厚い装甲と大型の砲が特徴の攻撃重視型の機体である。

 ダレンは目立とうとしてか、スピンターンを続けざまにしてみせる。観客席からは歓声があがっている。さすがは地元というところか。もっとも、地元であることをぬきにしても、女神なしの戦車には一定度の応援はあたえられるものだ。理由はかんたんで、女神なしは倍率が高くなるため、穴狙いの客がそれなりに熱狂的に応援するからだ。

『そして、三台めは《ライオット・スター》――これまた地元トーチャムからの出場。パイロットはジェイド・アーシェラッド、まだ一五歳の若者です。そして女神はアスタロッテ――なんとこれがデビュー戦とのことです! 初々しい女神にどうか激励の拍手を!』

 初物好きの観客から拍手と歓声があがる。だが、アスタロッテはむっつりしたままだ。むろん、ハッチをあけて観客にサービスするなどという発想は存在しない。

「ビーハイヴのことは紹介したのに、うちの会社のことは言わなかったな……。あとで社長に嫌味を言われそうだ」

 ジェイドはジェイドで、これから戦闘だというのに、ブルーな気分になってしまう。

 初期位置についた。それぞれが三角形をつくるように位置取りをする。

『それでは――試合――開始!』

 アナウンスと同時にフィールドの中心部で爆発が起こった。号砲がわりの炸薬である。むろん、着火は確実な有線方式だ。

「ええい、くそっ!」

 ジェイドは《ライオット・スター》をスタートさせる。落ちこんでいる場合ではない。ジェイドには借金返済という崇高な目的がある。

 戦いにおいて重要なことは、相互の位置関係を把握することだ。機動戦車の闘いはいかに相手の後ろを取るかである。

 手近な相手の背後につこうとするため、最初はどうしても円弧をぐるぐる描くことになりがちだ。三台の場合は、それが三すくみのような状態になってしまう。ジェイドは《ハレーション》を追い、《ハレーション》は《キラーワスプ》を追い、《キラーワスプ》は当然ジェイドを追っている。

 序盤はそうやって時間がすぎていく。まだ《ハレーション》にも《キラーワスプ》にも目立った動きはない。

 しかし――

『《ハレーション》聞こえるか? 《キラーワスプ》のダレンだ。おれたち、手を組もうぜ。まずは《ライオット・スター》を血祭りにあげてやろうじゃないか。それからおれたちで決着をつければいい』

 ダレンの声だ。ノイズまみれだが、しっかりジェイドのヘッドセットにも声は届いている。戦闘中の各戦車間の通信は反則ではない。降伏の意志を伝えるにしても、口頭でできたほうがよいからだ。そのかわり、通信はオープンチャンネルで行なわなければならないという決まりがある。

 まったくなりふりかまわないダレンの作戦だ。とにかくジェイドを倒せればいい、という発想なのだろう。

『こちら《ハレーション》、了解したわ』

 あっさりとヒカリが受諾し、急速に進路を変更する。三すくみが壊れた。

 後ろを取られる怖れがなくなった《キラーワスプ》が一気に《ライオット・スター》の背後に迫る。《キラーワスプ》は長砲身の一二〇ミリ砲を搭載している。砲身が長いほうが初速を高めることができ、結果として砲弾が持つ運動エネルギーも大きくなるのだ。

「アスタロッテ、どっちによけたらいい!?」

 ジェイドの問いにアスタロッテは沈黙をもってこたえる。これはだめだ。

 操向レバーを握る指に力をこめる。考えてみれば戦車を操るのはジェイドが子供のころから続けてきた仕事だ。野盗の戦闘車両との戦い――まぎれもない実戦をこれまでくぐりぬけてきたのだ。

 ジェイドはスコープと前方を交互に見つつ、タイミングをはかる。

 左だ!

 操向レバーを操作し、履帯にかかるトルクを調整――

 意識していたのと正反対にGがかかり、ジェイドは意表をつかれる。

 《ライオット・スター》は右にターンしていた。はるか左を砲弾が走りぬけ、五十メートル先で着弾する。

「なんだよ、いったい!」

 ジェイドは怒鳴る。ガンナーシートのアスタロッテが後頭部を見せている。ようするにそっぽを向いている。だが、身体のまわりがおぼろに発光しているということは、女神の力を使っているのだ。

「おまえ、勝手に……!」

「左によけていたら当たっていた」

 感情をこめない声でアスタロッテが言う。

「ジェイドはわたしの指示にしたがうべきだ。そうしなければ勝てない。なのに、ジェイドは勝手なことばかりする」

「おまえ、なんかおかしいぞ!? おれたちはこのトーナメントで少なくともみっつ勝たなくちゃならないんだ! おまえだって、シスターが担保になってるの、気になるだろ!?」

 口論している場合でないことはわかってはいるのだが、どうしようもない。コクピットはエンジン音や砲音に負けないほどの大音声が飛び交った。

「涙の問題は涙が解決する。いずれにせよ、わたしが正式契約するまでの教育係にすぎない」

「気に入らねえな――シスターはおまえの家族みたいなモンじゃないのか!? そういう言いかた、気に入らねえ!」

 ジェイドはアスタロッテを叩くかわりにレバーを乱暴に操作した。コースを急速に変更し、《キラーワスプ》をやりすごし、まわりこんでいく。後ろをとりかける。

 そこに、《ハレーション》の砲撃が来た。アスタロッテがむりやり操縦に介入し、コースをずらす。至近弾が着弾する。

「またっ! もうすこしでダレンのケツをとれたのに!」

「それで砲撃をくらっていたのでは元も子もないだろう」

「だいたい、最近のおまえはヘンだぞ! 前からヘンだったが、もうちょっと人のいうことを聞いていた!」

 アスタロッテもやりかえす。声が大きくなっている。

「ジェイドだっておかしい! どうして敵となかよく話す!? 最初から負ける気でいるのではないのか!?」

「なっ……」

 思いもよらない反撃に一瞬思考がとまる。

 その間に、二度、三度、《ライオット・スター》はコースを変更する。至近弾が連続している。

「まただ! またコントロールを怠って負けようとした! ジェイド! おまえはそんなにわたしがじゃまなのか! 仮契約を終わらせたいのか!?」

「んなわけねえだろっ!」

 ジェイドはアクセルをいっぱいに踏む。レバーを倒しこむ。

 履帯に適切なトルクが流れこむのがわかる。アスタロッテがサポートしているのか。イメージ通りだ。

《ライオット・スター》が反転する。《キラーワスプ》が迫ってくる。ジェイドは一回右に機体を振り、そして左に戻しながらトリガーを押しこむ。

 コクピットを衝撃が揺らす。脳が痺れる音と振動だ。

《キラーワスブ》の毒々しいオレンジの装甲に砲弾がぶちあたる。

「よっしゃあ!」

「ほんとうか」

「なにがだよ!」

 ジェイドは命中の興奮で半ばわれを忘れている。

「仮契約を終わらせる意志はないのだな」

「あたりまえだろ! おれとおまえは仲間だろうが!」

 フォイエルバッハに借金をしている、という意味でだが。

「仲間か――悪くない」

 アスタロッテがつぶやくように言い、それから強く発光する。

 《キラーワスプ》はふらついたが、まだ戦闘能力は失っていない。さすがはビーハイヴ、戦車には金をかけている。

『ジェイドっ! よくもやったな!』

 憎悪にみちたダレンの声がとびこんでくる。

『ちび女神もろとも、ぶっとばしてやる!』

 次の瞬間だ。

《キラーワスプ》がふたつに分かれた。

「なにっ!?」

 ジェイドは目を疑った。

 大口径砲塔を振りかざした、警戒色に身を染めたデリンゴン・タイプの戦車が二台になって、《ライオット・スター》に襲いかかってきたのだ。

「そんな――」

『くらええっ』

 ダレンがわめく――その声はひとつだ。

 二門の砲塔が同時に吠えた。

「ジェイド、ひとつは幻だ! あの女が作り出しているのだ!」

 レイ・ハンドラー、光を操る者――か。

「でも、どっちだよ!?」

「とりあえず、両方よけろ」

「んなムチャな!」

「これからはわたしとあの女の勝負だ。ジェイドは時間をかせげ」


          5


 ジェイドにコントロールを委ね、アスタロッテは全神経を《星》につなぐ。

 IDとDNAパスワードを発信。DZの《妨害効能(ジャミング・フェノミナン)》の方向を一定にして、DZそのものを、いわば導線にする。通信システムが崩壊してしまったなかで、唯一、成層圏のかなた、三六〇〇〇キロメートルの超高空とアクセスできるのが《女神》なのだ。

 女神が操る《星》とは、戦術人工知能を搭載した軍事衛星である。自分以外の軍事衛星、気象衛星、放送・通信衛星などにハッキングし、一時的にそれらの機能を掌握することができる。つまり、空にある無数の目をわがものとすることができるのだ。『女神は千の眼を持っている』と言われるゆえんである。

 あの女はどこだ――

 アスタロッテは衛星ネットワークのなかに、敵の存在を探した。

 いた。

 アスタロッテの脳内の映像処理系が刺激され、相手の存在をビジュアルイメージで再構築する。ネットワークの空間にうかぶ《レイ・ハンドラー》は眼鏡のレンズをピカピカ光らせている。

『やっときたわね』

 笑うヒカリにアスタロッテは言った。

『まやかしごとはやめろ。正々堂々と戦えないのか』

 ヒカリは肩をすくめる。

『なにを言いだすと思ったら。DZの鏡面化をあんたが習得していないだけでしょ? それに女神たるもの、自分の得意技くらいはアピールできないとね。お金をとって試合を見せているんだから』

『邪道だ! GPSは大道芸人ではない!』

『だったらわたしの《芸》を封じてみなさいな』

 ヒカリが両手をひろげる。アクロバットをするようにネットワーク内を飛翔する。

 バトルフィールドで、《キラーワスプ》が三つに分裂した。《ライオット・スター》に体当たりをしかけてくる。

「ジェイド! それくらいかわさぬか!」

 いらいらしつつアスタロッテは叫ぶ。だが、戦車のコントロールに意識をすべて戻したら、相手を見失ってしまう。

 DZに特殊な振る舞いをさせているのは、実は女神自身ではない。

 低軌道を周回している特殊な軍事衛星の指向レーザーに反応して、DZはその性質を変化させるのだ。

 すなわち、DZに望む性質を付与するためには、それに適した衛星をいちはやく掌握しなければならない。

 また、場所によっては指向性レーザーが届かない場合もありうる。それを補うのがリレー衛星だ。リレー衛星はそれ自身では特別な能力を持たないが、指向性レーザーを中継する機能を持っている。これらリレー衛星の位置を把握し、的確に経路を確保することも、女神の戦いの一部なのだ。

 女神の目からは、地球は巨大なチェス盤に見える。《大戦》期に構築された軍事衛星ネットワークは複雑に連繋しており、その全容は高位の司令衛星からしか俯瞰することはできない。その司令衛星のコントローラーとして開発された人間型ユニットが《女神》なのだ。

 すなわち、女神同士の闘いとは、これら衛星を駆使した頭脳戦であり、情報戦争である。

 相手より早くデータを収集し、迅速に解析、戦車にフィードバックする。そのためには戦場において様々な情報を獲得するための衛星を掌握しなければならないし、また、DZに特殊なふるまいをさせるための特務衛星のキープも重要だ。さらに、そのコマンドを戦場に到達させるためのリレー衛星も支配する必要がある。非常に錯綜した陣取り合戦なのだ。

 アスタロッテは《星》の持つ人工知能チャンネルを立ちあげ、頭のなかに衛星のマッピングをおこなう。相手がコントロールしている衛星を赤く塗り、自身の制御下にある衛星を白く塗る。

 圧倒的に赤くマップが着色された。

 押されている。

 だが、これからだ。

 まずは相手が基幹的に運用している特務衛星をさがす。それがおそらくDZを鏡面化させている衛星なのだ。

 あたりをつけて目標を設定すると、そこに至るためのルートを設定する。

 衛星同士の位置関係は刻々と変化していく。軌道の高さによって周回速度が違っているからだ。したがって、最適なルートも瞬間瞬間でかわっていく。

 アスタロッテは指をのばす。衛星のドアをこじあけ、中に入りこむ。システムを乗っ取り、次の衛星への道筋をさぐる。

 マップ上の白い点が増えていく。

『やるじゃない――初めてのわりには』

 ヒカリの声が聞こえてくる。

『でも、ムダよ。あんたはしょせん仮契約の身――わたしとはモチベーションがちがう』

 アスタロッテは眉をひそめる。

『どういう意味だ?』

『どういう意味もこういう意味も――わたしはレオをガンロードにする。そのために戦っている――ということよっ!』

 アスタロッテが守っていた衛星の防壁が破られる。たちまち、戦場をモニターしていた衛星がブラックアウトし、必要な情報の供給が断たれる。

 隣の席でジェイドがレバーを必死で操っているのがわかるが、その動きに確実性を与えるためのデータ提供がアスタロッテはできず、あせりをおぼえる。

 装甲に《キラーワスプ》の砲弾がぶつかり、はねる。すさまじい衝撃にコクピットが揺れる。

「アスタロッテ、大丈夫か!?」

 ジェイドが気づかわしげに訊いてくるが、意識の大部分を空にあげているアスタロッテは返答できない。

『仮契約なんでしょ? この場かぎりのチームじゃない。ジェイドだって、あなたを信頼しているわけじゃない。あの子は女神を必要としないタイプの人間よ――だから、あなたには闘う理由がない!』

 ヒカリが攻めてくる。またも衛星が陥落する。一気に赤の領域が増える。

「くそっ! また分身した! どれがホンモノなんだよっ!」

 ジェイドがわめいている。同時に四発もの砲弾が飛んでくる。そのうちの三つが幻だとしても、適切な回避運動はできなくなってしまう。

『くっ――』

 アスタロッテは唇を噛む。演算速度で負けているとは思わない。それでも押されているのはなぜだ。経験の違いか、それとも相手の言うとおりモチベーションの差なのか。

 またコクピットが揺れる。異音が聞こえる。履帯がダメージを受けたのだ。勝手にコースが狂っていく。

 激しい揺れのなかで、アスタロッテの身体が翻弄され、壁に頭を打ちつける。もっとも、アスタロッテの意識は《星》にあがっているから、痛みなどを感じるわけではないが、自分の肉体の状態が気になって、演算に集中できない。

「おい! アスタロッテ、しっかりしろ!」

 操縦で両手がふさがっているジェイドが、アスタロッテの耳元に顔を近づけて叫んだ。

「死んだんじゃないよな!? 目をあけろよ、もう!」

 右手を操向レバーから離し、気づかわしげにアスタロッテの頬にふれる。

 アスタロッテは、その刺激で身体に『もどった』。

「ジェイド!」

 アスタロッテは叫んでいる。

「なんとか一分だけもたせろ!」

「お、おまえ!? 寝てたんじゃないだろうな?」

 ジェイドがアスタロッテを見て、驚いたように――次いで、ほっとしたように言う。

「愚か者! わたしも戦っているのだぞ!」

 毒づきながら、自分の頬にふれる。ジェイドの手の感触がまだ残っている。

「――わたしの身体をまかせたぞ。これ以上傷つけるな」

 言うなり、目を閉ざし、《星》へのフルリンクを開始する。完全に身体は放置状態だ。傍目には気絶したようにしか見えない。

「えっ!? おいっ! 寝るな! おいってば……!」

 それでもジェイドはレバーを手にとり、必死の操縦をはじめる。時折、気づかわしげにアスタロッテを見ている。

 その様子を車内カメラを通じてモニターしながら、アスタロッテはすべての意識をネットワークに投入する。気分は悪くない――いや、最高にいい。

 アスタロッテの意識の範囲が拡大を続ける。どうやってやったか自覚もないままに、《星》の人工知能チャンネルが三つ、四つと開いていく。平行処理により、経路算出の速度が数倍にあがる。

 たんに速度が上がっただけではなく、それまでは見えなかった衛星間の経路が開示されていく。各衛星の予備回路や保安用のシステムへの侵入が可能になったからだ。

 マップ上では連鎖反応的に白い光点が増えていく。

『なっ、なにっ、この子!? なんなのよ、いったい!』

 パニックに陥ったようなヒカリの声が仮想空間にこだまする。

 基幹衛星群が丸裸にされる――その前に手を広げてアスタロッテの侵入を阻止しようとする。

 その背後にアスタロッテは降り立っていた。

『わたしの勝ちだ』

 ヒカリの背後で最後の光点が消える。



「分身が――消えた!?」

 ジェイドは叫んだ。

《キラーワスプ》の姿がひとつに収束している。

 バケットシートの中でアスタロッテが身じろぎする。

 ぱっ、目をあける。

「ジェイド、反撃だ。コントロールをもらう――トリガーはおまえにまかせる」

「おっ……おお」

 《ライオット・スター》のエンジンの回転数が一気にあがる。履帯が激しく砂を噛んで、空中に巻きあげる。

 複合ターンで鋭くコースを変化させ、直線的な動きの《キラーワスプ》の背後をとる。

「おいっ! 《ハレーション》から、まる見えだぞ!?」

「気にするな。あの女はもう制圧した」

 すまし顔でアスタロッテが言う。ほんとかよと思いつつもジェイドはトリガーに集中する。適当に撃ったのでは《キラーワスプ》の装甲はびくともしない。

 オレンジと黒の縞模様の車体後部、やや下に狙いをつける。

「いまだ、撃て!」

 アスタロッテの声を聞きながら、ジェイドは砲撃している。

 吸いこまれるように砲弾が命中する。火花が飛び、次の瞬間、黒煙とともに装甲が弾け飛ぶ。

《キラーワスプ》は尻を振りながら停車する。ハッチがひらき、ダレンが顔色を変えながら飛び出してくる。機体の下部に炎が見えた。次の瞬間、爆発する。

 コロッセオの観客が大歓声をあげる。

「次だ、ジェイド」

 アスタロッテは声をかける。もう勝った――そんな表情だ。ジェイドは首をひねる。いったいなにが起こっているのか、理解できなかったのだ。


       6


「やったあ、アスタロッテ! ジェイドも! すっごいすっごい! 大激勝!」

 通路に戻ってきたとき、出迎えてくれたのはグレミーだった。小躍りしている。

「ふ。当然だ」

 余裕しゃくしゃくでアスタロッテは答え、それでも上機嫌でグレミーからハイタッチを教わっている。

 ジェイドは《ライオット・スター》に寄りかかりながら、そんなアスタロッテを眺めている。いまの戦いは、いったいなんだったのだろう。あれほど圧倒的だった《ハレーション》が、分身が破れたとたんいきなり精彩をなくし、ろくに砲戦を挑むことなく降伏してしまった。拍子抜けというかなんというか、である。

 そこに、戦車から降りたヒカリが近づいてくる。早めに降伏したので、《ハレーション》はむしろ《ライオット・スター》よりもダメージは軽微だ。ヒカリも顔に汗をかいてやや上気している以外はどこも痛めていないようだ。

「あーあ、負けちゃった」

 いさぎよくヒカリは脱帽した。

「いいところまでいったんだけどね……そちらのチームワークに完敗よ」

「チームワークなんてなかったよ。バラバラさ。アスタロッテは途中で寝ちまうし」

 ジェイドは肩をすくめた。だが、ヒカリはかぶりを振った。

「そうでもないのよ。女神が戦車のコントロールを一〇〇%パイロットに任せるってことはめったにない。信頼しているからできることよ。そして、全能力をハッキングに費やされたら、こっちは太刀打ちできないわ。あの子の力ってなかなかのもんよ」

「……そうなのか?」

「とても、デビューしたてとは思えないわ。B級女神と一度だけ戦ったことがあるけど、その時の感触に似てた。あの子、ちょっと異常かも」

 ヒカリは、眼鏡の奥で目を細める。それから、悔しそうに指を鳴らす。

「でも、おしかったなぁ。あのアドレナリン異常分泌青年に《ライオット・スター》を沈めさせて、あの子を分捕らせようと思ったのに」

「おいおい、なんでそんなことをする必要があるんだ」

「そんなの決まってるじゃない。キミが《女神なし》になれば、あたしが後釜に座われるでしょ? なかなかキミ、見こみありそうだしね」

 ヒカリがウインクする。ジェイドは泡をくってのけぞる。

「や、やめろよ! なんだってそんな……」

「ふ――冗談よ。あたしにはレオがいるしね。まあ、ちょっとうだつあがんなさそうだけど、自分で選んだ男だもん、もうちょっとつきあってみるわ」

 ヒカリの言葉に男女の濃密な雰囲気を感じて、ジェイドはどきまぎした。

「じゃあ――この先の健闘を祈ってるわ。縁があったら、またどこかのトーナメントで逢いましょう」

 ヒカリが別れを告げようとするのをジェイドは引きとめた。

「ひとつだけ――教えてほしいんだ。きみが見せた、あの黒いローブの女の人だけど――彼女は実在するのか?」

《光を操る者(レイ・ハンドラー)》のふたつ名を持つ少女はかすかに笑った。

「わたしの能力は『ないもの』を見せることはできないのよ、ジェイド。あとは自分で答えを探しなさい――あの子といっしょにね」

 そう告げると、ヒカリは自分のパートナーのところへ戻っていった。レオはヒカリを笑顔で迎えたようだ。きっと、すぐに次のトーナメント開催地に移動するのだろう。

 戦車乗りと女神か――ジェイドは考えこんでしまう。それはいったいどういう関係なのだろう。たんなるチームメイトなのか、あるいはそれ以上の――男と女――なのか。

「また、あの女と話していたな、ジェイド」

 冷たい声がジェイドの考えを破った。アスタロッテが睨んでいる。

「ちょっと目を離すとすぐこれだ。わたしというものがありながら、おまえは天性の浮気者だな」

「おまえ、なに言って……それにヒカリにはレオってやつが……」

「知っている。いまのは冗談だ。おもしろかっただろう」

 アスタロッテは振りかえった。そこにはグレミーがいて、口に手を当てて笑っている。その『冗談』とやらの発案者がだれなのかは明白だ。

 ジェイドはちっともおもしろくない。


        7


「まずは第一関門突破――か。それにしてもあっけなかったじゃないか、あのヒカリって娘」

 コロッセオの施設内――関係者御用達の地下バーで、サンドマンがグラスを傾けながら言った。

「あの子はまだ一五だしね。あのパイロットを支えて、よくやったほうよ」

 サンドマンの相手をしているのは黒ずくめの女だ。例によって、形のよい唇しか見えない。

「レオってやつか……。でも、あれは根っからの戦車乗りじゃないだろう。覇気ってもんがないし――それにたぶん病人だ」

「さすがね」

 女は小さくため息わつく。

「レオの身体は激しい戦闘には耐えられないし、それに、たぶんそんなに長くないわ。でも、ヒカリにとっては初めてのパートナーだし、あの子なりにこだわりがあるのかもね」

「まさか、そいつと添い遂げるとか――? えらく古風な話じゃないか。泣けるね」

 揶揄するように男は言うが、どこまで本気かはわからない。

「女神といっても、女よ。でも、ヒカリには潜在能力があるから、ジェイドと合わせればおもしろいかもとは思ったけどね」

「それはそれは至れり尽くせりだな」

 男がくつくつ笑う。

「まあ、第一の手がだめだったとしても、第二、第三と手はあるんだろう? それに、おれにとっては今回のことは、一二年前の後始末以外の意味はない。おれは、ガンロードには興味がないし、女神とも関わりたくない。あんな茶番はもうまっぴらさ」

「サンドマン――まだ忘れられないのね」

 女の声のトーンが落ちる。テーブルの上で白い指が動き、男の手の甲にかぶさる。

「もうすこしのしんぼうよ。あとすこしのところまで来ているの。あなたさえその気になれば――」

「よしてくれ」

 男は自嘲ぎみに唇をゆがめながら、女の手をつかんでどかせた。

「問題はおれがどうかじゃない。あいつがそれを望んでいるかどうか――だ。それに、おまえが罪悪感を持つのは勝手だが、サイスのトーナメントはそんなに軽いものじゃないはずだ。自分の立場ってもんを考えな」

 サンドマンは立ちあがった。

「おまえの段取りが狂おうがどうしようがおれには関係ない。立ちふさがるやつはぶちのめす――それだけだ。それがあの坊やだったしても、あるいはおまえだとしてもな」

 立ち去っていく。女はひとりテーブルに残された。自分の手をじっと見つめる。

「わたしもそれを望んでいるのよ……フォース……」

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