第一章 見習い女神
風の匂いは鉄粉まじり
いまは滅びた文明ってやつの
残り香だけを伝えてくれる
今日はビキューナ、明日はサイス
いずれにしても硝煙の
中をくぐって、めしを食う
どうせやくざな戦車乗り
命とパーツを引きかえに
今日も死線を渡ります
1
さっきから調子っぱずれの歌が聞こえている。ガンナーシートに座っているグレミーの声だ。
ジェイドはその声にうんざりしながら、行く手を惰性で眺めている。
装甲に穿たれた細い窓のむこうは見わたすかぎりの荒野。血をなすりつけたように赤い酸化鉄を含んだ土(ラテライト)の大地がひろがっている。
後方をモニターで確認する。大型のトレーラーが三台、土埃をもうもうとたてながら走っている。荒野を行き来する移動商人の車両だ。
「いやあ、盛りあがってきたよね、もうすぐだよ、もうすぐ! サイスの大トーナメント、今回はどうなるんだろうなあ、またガンロードの防衛かな! ね、ね!」
歌っていたグレミーがこんどは話しかけてくる。
三日がかりだった隊商の護衛もあともう少しで終わる。緊張感もゆるんできたのかもしれないが、グレミーのはしゃぎ声がジェイドには少々うざったい。
「なにしろ四年に一度の大祭だもんな。一〇〇台以上の戦車が集まるらしいし。女神もいっぱい来るんだろうなあ」
シャツのプリントが変形するほどふくらんだ身体に、制服でもあるカーキ色の作業ジャケットを羽織ったグレミーは、ガンナーシートのコンソールわきに貼ってある女神のピンナップポスターに向かって顔をゆるめる。
おかっぱの黒髪とグリーンアイが特徴的な横顔のポートレイトは、アリス・スプリングスの守護者、《優しき横顔》の撫子だ。フードで顔の半分を隠して戦車上に立っている写真は、シドニーのガンロードのパートナー、《グレイス・ワン》ことレディ・アウロラらしい。いずれも、A級(アンシェント・ゴッデス)と呼ばれるトップクラスの平和を作りだす女神(グローバル・ピースメイキング・システム)たちだ。
「まあ、A級(アンシェント・ゴッデス)、B級(バトル・マスター)はほとんどどこかの街の守護者だからなあ――でも、C級(コンダクター)、D級(ディヴァイナー)の女神はけっこう来るはずだよ! たしか、《完全無欠》クァントローとか、《ブラッディ》ピジョンとか――B級目前の《涅槃》の蓮華が来るって話もあるんだから! でも、サイスの守護女神はA級のシジフォスだからね、まず負けることはないさ!」
グレミーがコンソールに置いてあった新聞を取りあげて振りまわす。サイスの街の新聞社が発行しているトーナメント特集号だ。
一面はご当地の女神のお宝ショット。サイスのガンロード、アズール・グラックスのパートナー、《偽僧侶》ことシジフォスは素顔をさらさないことで知られている。一二年もの間、負けることを知らない無敵の女神のご尊顔はひどくピンボケでとらえどころがない。
それ以外の紙面もトーナメント関連情報が満載ときている。
この時期、トーナメントのことで頭がいっぱいになるのは、なにもグレミーだけのことではないのだ。
「まだ仕事中だぜ」
たまりかねてジェイドは注意した。だが、グレミーは気にした様子はない。丸い顔をほころばせて気楽そうに言う。
「もうすぐ町じゃないか。だいじょうぶだって。このへんで隊商を襲う野盗なんていやしないよ。心配性だな、ジェイドは」
「だけど、町に着くまではおれたちに責任があるんだぜ。ガンナーのおまえがちゃんと見張っててくれなきゃだめだろ。それに、おれは、女神とかトーナメントにはちっとも興味ないんだよ」
前半は建前、後半が本音だ。せまいコクピットに閉じこめられて、女神について途切れることなく語りつづけるグレミーに、もう三日もつきあわされているのだ。
「だめだなあ。ジェイドだって戦車乗りの端くれなんだから、ガンロードには憧れるだろ? トーナメントで勝ち抜けば、どんな貧乏人だってその街の支配者になれるんだよ。それどころか、この世のものとは思えない美女がサポートしてくれるんだ。これぞ男の夢!というやつでしょ、ね? ね?」
熱心に訴えるグレミーを横目に、ジェイドは伸びるにまかせた髪を無造作にひとかきした。着ている服もグレミーとかわりばえしない。むしろもっと気がきいていない。かつては白かったらしいシャツに、ひざが抜けたすりきれジーンズ、ジャケットはグレミー同様会社の支給品だ。もっとも、生まれてこのかた一五年間、着飾ることとは無縁な生活を送ってきたのだからしょうがない。
「くだらねえ。女神ったって、戦車に乗ってドンパチしてるだけじゃないか。《カテドラル》ってのもうさんくさいし――だいいちトーナメントは賭博だ。そういうのが嫌いなのは、知ってるだろ?」
「そりゃ……まあ……ぼくと同い年のジェイドが、おやじさんの借金をずっと返しつづけているのは偉いなと思うよ……」
ばつが悪そうにグレミーがくちごもる。が、すぐに明るい顔になる。
「でも、おかねを賭けなきゃいいじゃないか。ぼくだって、賭けよりも、カード集めるほうが好きだしね。女神同士の戦いってなかなか奥が深くてさ、等級による能力差はあるけど、試合になるといろいろな要素がからまって、意外に番狂わせもあるし」
グレミーはポケットから女神の写真が印刷されたカードを取り出し――肌身離さず持っているらしい――ジェイドに裏面を見せた。女神の公開されたプロファイル、推測される能力値などが印刷されている。女神カードと呼ばれるトレーディング・カードの一種だ。
「ほら、この女神なんか、索敵能力値が7もあるんだよ。C級なのに。そのかわり攻撃力が4しかないから、アウトレンジ攻撃をいかに成功させるかがポイントに……」
「だから――仕事してくれよ、グレミー」
「わかったよ、ジェイド、怒らないでよ」
グレミーは笑顔のまま、天井からアームで支持されているスコープを引き寄せた。周囲の視界は、全方向をフォローする回転式スコープで得るのだ。
覗きこむなり、グレミーが声をあげる。
「ええと、三時の方向に白煙発見。野盗だったら嫌だよね」
「おいおい、いきなりおちゃらけ言うなよ――」
「ほんとだってばさ」
「見せろ」
「信用ないなあ」
唇をとがらせながらグレミーはスコープをジェイドに押しやった。
ジェイドは三時の方向にターゲットリングを動かす。
赤い荒野に何本もの土埃の柱が立っている。戦車の無限軌道が大地を蹴立てることによってできる《目印》だ。
それだけではなく、黒煙も見えた。砲撃による火災らしい。どうやら戦闘がおこなわれているようだ。
追われているのは大型の移動用車両――いわゆるランドシップだ。追撃しているのは地上戦闘機(グラン・ファイター)と呼ばれる格闘戦用の機動戦車で、三台いる。
「すまん、ほんとだった」
ジェイドはスコープをグレミーに返した。
「ぼくたちには関係ないからいいよね。距離もあるし。このまま走りぬけちゃおう」
「そうだな……」
襲われているのは赤の他人だ。ためらいは感じるが、キャラバンを守るのがジェイドたちの仕事である。
そのとき、無線機のレシーバーからものすごいノイズまじりの音がとびだした。大気中に浮遊するダーズィリー粒子(DZ)のおかげで電離層まで電波が届かないため、無線通信は目で見える範囲でしか使えない。通話品質もガリガリのザリザリだ。
すぐ後ろを走るトレーラーとの通話でさえこんなものだ。
『あー、ジェイド、グレミー、聞こえるか?』
「聞こえます、社長。なんですか?」
ジェイドはヘッドセットを取りあげ、マイクに向かって返答する。後続のトレーラーにはジェイドたちの所属する警備会社の社長――フォイエルバッハが責任者として乗りこんでいる。
『お隣さんのアレ、見えとるな?』
フォイエルバッハの声は、電波に変換されるというプロセスを経てもなお、いつも通りにねちっこい。
「ええ、見えてます。こちらに向かってくる様子はありませんよ」
『あれ、助けに行ったれ』
「はあ?」
ジェイドは声をあげた。
『依頼が入ったんや。あのランドシップからな。敵は三台、中古のモアディレイ・タイプらしいから、おまえらでもなんとかなるやろ』
「ちょっ、ちょっと! キャラバンの護衛はいいんですか? それに依頼ったって、どうやって……」
『ああ、わしらのことは心配すんな。このまま突っ走ったら、トーチャムの町まですぐや。つーか、お前らがあいつらを足止めしてくれたらええんやしな。』
確かに、ジェイドたちがここに残って戦えば、キャラバンは安全に町までたどり着くことができる。あと少し走れば町が見えてくるのだ。
『あと、あのランドシップには大物が乗っとるみたいやぞ。もともとビーハイヴ向けの救援依頼やったらしいけどな、われわれの方が近くにおったわけやし、早いもん勝ちってことで受諾しといた。と』
「――って、意味わかんないですよ、社長っ!」
ジェイドはマイクに向かって怒鳴る。だが、すでに通信は切れている。
後続のトレーラーの速度が一気に上がり、 ジェイドたちの乗りこむ戦車を追い抜きにかかる。どうやら、フォイエルバッハが言ったとおり、さっさと逃げるつもりらしい。
「あらら……」
スコープを覗きこんでいるグレミーが気のぬけたような声をだす。
「発光信号――社長から。さ・っ・さ・と・い・か・な・い・と・ク・ビ――だって」
「ちくしょうっ! グレミー、戦闘準備! 転針するぞ!」
雇われ人の悲しさだ。ジェイドは左右の履帯の回転速度を変え、急速ターンをかける。
激しく震動する車体を制御しながら、ランドシップへの接近コースに乗る。
「ビーハイヴの仕事を横取りするのって、ちょっと愉快じゃない?」
グレミーがスイッチ類を操作しながら、へっへっと笑う。ビーハイヴというのは、同じトーチャムの町にある警備会社で、ジェイドたちの競合会社だ。ビーハイヴ・ガード・サービスが正式名称であり、かなりの大手である。
「砲塔の電源オン、自動装填開始するよ――でも、あんまり怖いのはやだなあ。ねえ、遠目から撃って追っ払えないかな」
「そんなの向こう次第だろ――それにしても、あのランドシップ、なんで反撃せずに逃げまわってるんだ?」
ジェイドはエンジンパワーを上げながら、不審を口にした。ランドシップにはふつう、ジェイドたちが乗っているような格闘戦用の機動戦車よりもはるかに強力な砲が搭載されている。たしかにランドシップは鈍重で、小型戦車に取り囲まれると厄介だろうが、まったくやられっぱなしということはないはずだ。
「あ、あれ、《カテドラル》のランドシップだよ!」
スコープを覗いていたグレミーが興奮した口調で叫ぶ。
「無砲塔戦車、ムーバル・テンプルだ! 初めて見たっ!」
「《カテドラル》の戦車だと!?」
ジェイドは顔をしかめた。
《大聖堂教会(カテドラル)》は、いちおうは宗教団体ということになってはいるが、沙漠の果ての地下聖堂にこもり、おもてだってはなんの活動もしていない。だが、戦車乗りにとっては《カテドラル》の名は特別なものだ。なぜなら、戦車乗りと共に戦う女神(GPS)は、《カテドラル》から遣わされる修道女だからだ。
その、戦場の守護者ともいえる女神を輩出しながらも、団体としての《カテドラル》は不戦・不可触・不介入を標榜しており、そのため、所有する戦車にも火器はいっさい積まれていないのだ。
「どうして《カテドラル》のやつらがこんなところをうろちょろしてやがんだ!?」
「やっぱあれかな、サイスのトーナメントが近いからかな? トーチャムからも何台か出場するもんね!」
なにが嬉しいのかグレミーは頬を紅潮させている。
「あんましゃべんな、舌かむぞ――もう少しで戦域に入る! 砲撃戦用意!」
「よおし、がんばるぞ!」
グレミーが砲塔制御用のスティックを握る。
もっとも、機動戦車の砲塔はほとんど動かない。基本的に進行方向に向かって撃つようになっている。格闘戦では、静止して、照準をつけて、誤差を修正しつつ射撃する暇はない。つねに動きながら撃つことになる。進行方向に向かってまっすぐ撃たないと、反動で車体がひっくりかえってしまいかねない。
無砲塔戦車が肉眼でもはっきり見えるようになってきた。真っ白な、城塞をイメージさせる車体だ。《カテドラル》の紋章である三本の錫がマーキングされている。
その白い獲物に襲いかかっている野盗の戦車は三台――社長の言葉によれば、中古のモアディレイということだったが――
モアディレイというのは、《大戦》期に反乱軍側が量産した機動戦車で、装甲は貧弱だし砲も弱い。そんな脆弱な戦力で、非武装とはいえ《カテドラル》の大型車両を襲うなんておかしいと、ジェイドも思ってはいたのだ。
だが――やっぱり、そんなはずはなかったのである。
野盗のモアディレイはそれぞれに改造されており、砲はべつの戦車からひっぺがしたらしい大型のものをつけている。一台などは二連装砲だ。
道理でランドシップが黒煙をあげているはずである。一次装甲を破られてしまっているのだ。
ランドシップの装甲がやられるくらいだから、ジェイドたちの機体――ボーダー・タイプと呼ばれる、やはり《大戦》期の反乱軍側戦車の、もうちょっといいやつ――の装甲では一撃でアウトだ。
「だまされた! 社長のやつめ!」
ジェイドは、フォイエルバッハの禿げあがった頭と鼻ヒゲを脳裏に浮かべ、その顔に向けて毒づいた。
「わああ、こっちに気づいたよ!」
敵の一台が針路をかえてきた。ジェイドたちの接近に対応するためだろう。
「びびるな! 三回振るから、三回目の最後に撃て! いいな!」
ジェイドは言うなり、車体のコースを鋭く変えた。まっすぐ突っ込んだら、すぐに直撃を食らってしまう。
敵が砲撃してくる。音は聞こえない。音はあとからやってくるのだ。
「わぁっ!」
グレミーが悲鳴をあげつつ、トリガーを絞る。
「ばかっ、はやいよ!」
ジェイドが声をあげるがもう遅い。車体の上部に搭載された一〇五ミリ砲が轟音をたてる。コクピットが揺れる。空気が痺れる。
大きく目標からそれた砲弾は、あろうことか、《カテドラル》のランドシップの土手っ腹に命中してしまった。
「あちゃあ!」
ジェイドはほぞをかむ。それでも、操縦は続けなければならない。レバーとペダル相手に格闘し、野盗の砲撃をかわしつづける。その耳に。
『なにをするか、ばかもの!』
鋭い声が鳴り響いた。
2
その音声は非常にクリアだったので、ジェイドはグレミーが声色を使ったのかと思って横を見た。
グレミーも目を丸くして、ジェイドを見かえしている。
「いま、なんか言った?」
ジェイドとグレミーがハモる。
『おまえたちは救援に来たのか、野盗の手伝いをしに来たのか、いったいどちらだ』
またもや曇りのない音。あきらかに女の子の声で、グレミーの作り声ではない。怒気をはらんでいる。
「えっと……ジェイド、これって、無線?」
「――みたいだな」
ジェイドは無線機の受信メーターを確認する。グリーンがフルマーク。どんなに状態がいい時でも黄色から先が点灯したことがなかったのにだ。この領域のDZは風に飛ばされてしまったのだろうか。
「じゃあ、これって――女神からの通信!?」
グレミーがはしゃいだ。女神はDZを操る――理屈はわからないが、そうらしい。
「ばかっ! 浮かれてる場合か! コントロールよこせ!」
ジェイドはグレミーから砲撃操作の権限(ガン・コントロール)を奪う。機動戦車は一人で操縦・砲撃することも可能なのだ。微調整はともかく、砲塔を動かして照準をつける必要がないからである。
接近してきたモアディレイの目の前に飛び出す。すかさず右レバーのトリガーを押しこむ。今度は外れない。モアディレイの追加装甲板に砲弾がめりこみ、装甲を剥ぎ取る。
『ほう、やればできるではないか』
また少女の声が響く。
ジェイドは腹がたってくる。何様だ、と怒鳴りつけてやろうかと思う。だが、そうすると、『雇い主だ』と言いかえされるのがオチだろう。
「ランドシップの足が鈍ってきたよ、どうしよう」
ガンナーシートでスコープをのぞいているグレミーがやきもきする。どうやらグレミーの撃った弾が意外に深手をあたえたようだ。黒煙の量と本数を増やしつつ、みるみる速度を落としてゆく。野盗の戦車との距離が詰まる。至近距離で当てられたら、完全にアウトだ。
「ジェイド! 急いでっ!」
「わかってる!」
一撃をくらわせたモアディレイが動きを止めたのを確認して、ジェイドはコースを変える。ランドシップに追いすがる野盗の戦車に向かって速度をあげた。
機動戦車はどれもそうだが、前方よりも後方の装甲が薄い。運動性能を上げるために、できるだけ重量を減らそうとする、そのしわよせが後部にいくのである。それゆえに相手の後方につくのが最も有効な戦いかただ。
ジェイドの機体が後ろについたのに気づいてか、二台のうちの一台が転針した。おそらくその戦車がジェイドたちの足をとめ、その隙に残りの一台――二連装のやつだ――でランドシップをしとめようというのだろう。
「ジェイド! 左横からまわってくるよ!」
グレミーが叫ぶ。わかっているが、それに対応すると、前を行く敵を逃してしまうことになる。
「自走地雷(オート・マイン)用意だ!」
「ええっ! でも、あれ使うと給料から引かれちゃうよ!」
「しょうがないだろうが!」
「じゃ、ジェイドの給料から払ってよ! ぼく、今月はトーナメント見に行くために貯めてるんだから!」
「勝手にしろっ!」
操縦で手の離せないジェイドはヤケになって叫ぶ。
燃料と砲弾はむろん必要経費だが、自走地雷は、使用頻度が低くコストが高いからという理由で、使ったら罰金が科せられるのだ。委細企業の悪しきルールである。
「自走地雷セットよし――だよ!」
「まわりこんでくるコースをふさいでくれ! 時間稼ぎにはなる!」
「りょおかいっ!」
グレミーが発射レバーを引く。照準はかなり大雑把だ。高度な誘導システムがたとえあったとしても、DZ環境下ではまともに働きっこない。
カプセル状の榴弾が飛び出し、空中で弾ける。
中からコイン状の物体がたくさん飛びだす。そのひとつひとつが超小型の地雷だ。
地雷は鉄錆色に塗ってあり、赤いラテライトの大地に溶けこむようになっている。それが、火薬を燃焼させながら、勝手に地面を走っていくのだ。
広範囲にちらばったそれは、上を戦車が通過すると爆発する仕掛だ。ひとつひとつの威力はたいしたことはない。よほどうまく噛んでくれれば無限軌道の履帯が切れるかもしれない、といった程度だ。
むしろ、この兵器は爆風が強く出るのがミソなのだ。軽く作られている機動戦車が、しかも砲撃しながら走っている時に、真下から爆風であおられたらどうなるか――照準は狂うだろうし、うまくすればひっくり返すことができるかもしれない――ということを「期待」する兵器なのだ。
あとは音をやたらと立てるという特徴もある。心理的な効果を狙っているということだが、それはなんとなくインチキっぽい。
敵戦車がジェイドたちの横腹を突くコースに乗ってきた。狙ってきている。
「祈れ!」
ジェイドは前を向いたまま叫んだ。グレミーがぎゅっと目を閉じる。
けたたましい音が響いた。
モアディレイが爆竹ゾーンに踏みこんだのだ。煙があがり、コースが狂う。モアディレイの気密性は低いから、煙がコクピットに入ったかもしれない。
大きなダメージは与えられなかったようだが、うまく距離をあけることに成功した。
「まずはランドシップにくっついているヤツからだ!」
ジェイドは前方の敵に近づいていく。
だが、敵はジェイドたちを待ってはいなかった。先を行く二連装のモアディレイがランドシップに攻撃を仕掛けている。
ランドシップは的が大きいし、回避運動もままならない。
後部装甲に大穴があく。
「やられた!?」
グレミーが悲鳴をあげる。
『ばか! なにをしている! とっとと賊を撃たんか!』
また少女の声だ。いらいらしている感じがありありだ。
向こうには聞こえているのか、聞こえているんだろうな、と思いつつ、ジェイドはマイクに向かって答える。
「こっちから撃つと、そちらに当たるかもしれないぞ!」
『ばか! この距離でどうして外すわけがあるか! おまえには目がついていないのか!?』
すぐ反応があった。えらい罵倒だ。
しかし、刻々とかわる位置関係、地面の凹凸などによる射出角度の変化、気温や大気の状態すらも、射撃の精度に影響をおよぼすのだ。そんなにかんたんに当たるものではない。
「やつらの狙いはなんなんだ!? 金目のものでも積んでいるのか?」
隊商(キャラバン)を狙うというのならわかる。実際、ジェイドたちが雇われたのもそういった移動商人の護衛のためだった。しかし、《カテドラル》は謎の宗教団体である。野盗が期待するモノを持っているとは考えにくい。
「いっそ、相手が欲しがっているものを渡したらどうなんだ? おたがい命のやりとりをしなくてすむ」
そう、言ったとたん、ものすごい怒声がとんできた。
『なにを言うか! このばか! おおばか! すごいばか! もっと激しいばか! ええと……ばか!』
こんなに激しく罵倒されたのは生まれて初めてだ。ただし、語彙は乏しいらしく、さほど腹はたたない。
「ジェイド! 野盗の狙いはこの女神さまだよ! そうに決まってる! 女神を手に入れることができれば、ガンロードにだってなれるかもしれないんだ! なみの宝物じゃないんだよ!」
グレミーが興奮して叫んだ。
『――すこしはまともな者も乗っているようだな』
「あっ、ぼく、グレミー・ワシントンですっ!」
高い声で歌うように名乗るグレミーを、ジェイドは引っぱたいた。
「じゃれてる場合か! やつらの片割れも追ってきてるんだぞ! 早く二連装を沈めなきゃ、次はこっちがケツを取られるんだ!」
ランドシップ、二連装砲の戦車、そしてジェイドとグレミーのボーダー、さらにもう一台のモアディレイが、ほぼ一直線に並んでいた。
そして、それぞれの間隔はどんどん詰まっている。逃げているランド・シップの足が遅いからだ。
とにかく、二連装砲のモアディレイにこれ以上撃たせないようにしなければならない。
「いちかばちかだ! 撃ってみる!」
「えっ、でも、ランドシップに当たっちゃったら?」
「だから、いちかばちかだと言ってるだろ!」
ジェイドはトリガーに指をのせる。細かい照準はつけない。むろん、照準は、上下・左右とも、わずかずつならば微調整が可能だが、不整地を走りながらでは、緻密な射撃は不可能だ。
『おい、そこのばか! さっきのように当てられたのではかなわん。射撃データを送ってやるから、回線を開け』
少女の声が言った。完璧な命令口調だ。ジェイドの脳の血管がぷちぷち音をたてる。
「助けてやってるのはこっちだぞ!」
「あ、はいはい! データ回線ONですっ! あ、すっごい、もうリンク確立してる――えっと、FCSにつなぎました!」
ガンナーシートのグレミーがてきぱきと操作する。火器管制装置(FCS)とは、射撃をコンピュータを使って補佐する仕組みのことだが、正直、この機体ではついぞ使われたことがない。DZ環境下ではコンピュータがまともに動く保証はない。目視と勘で撃つのがふつうだ。
『行くぞ――』
FCSのLEDが滅する。砲塔のモーターがひさしぶりの唸り声をあげる。
『十秒後に撃て。よけいな操作は要らぬ。ただトリガーをオンにすればよい。カウントダウン、五、四、三、二……』
ジェイドはムカつきながらもカウントダウンに同調する。どっちにしたって撃つしかないのだ。
――と、機体が地面のへこみに足をとられかけ、大きく傾ぐ。それでも、カウントダウンがゼロになったタイミングでトリガーを押しこむ。なかばヤケだ。
コーン、という作動音が遠くで聞こえたような気がして、次の瞬間、轟音と震動がコクピットを揺るがす。駆動力が反動と相殺されて、一瞬、止まってしまうような錯覚に陥る。
そして――
「当たったぁ!」
グレミーが快哉をさけぶ。
二連装モアディレイの無限軌道の履帯をピンポイントで吹き飛ばしていた。
片方の靴を失った戦車は、ぶざまにその場で回転ダンスを踊りだす。
ジェイドは呆然としていた
撃つ寸前に、地面のへこみに落ちこみかけた。あれで砲の仰角の設定も狂ったはずだ。それすらも計算に入れて微調整したというのか。地形のデータさえ勘案して、砲撃をサポートしたというのか。
それが、女神の――能力。
「あっ、もう一台が逃げてく……っ!」
動ける戦車が一台きりになって、あきらめたのだろう。野盗の戦車は追撃をやめたようだ。どんどん離れていく。
ジェイドはランドシップに機体を接近させていった。装甲にいくつか大穴があいているものの、火災は起きてないらしい。煙もおさまっている。だが、エンジン音がくぐもっていて、速度が上がらないようだ。
『おまえたちの撃った弾が一番大きな損害をあたえたようだ。キャビンがほぼ全壊したぞ。どうしてくれる』
無機的な少女の声が通告した。
3
《フォイエルバッハ警備保障》の社屋はトーチャムのメインストリートに面した煉瓦づくりの三階建てで、間口の狭い、奥行きの長い建物である。
一階がガレージで二階が事務所、三階――といっても屋根裏のようなものだが――が社員寮となっている。緊急出動の要請があった時のために、社員が住み込んでいるのだ――ジェイドとグレミーのことだが。
その事務所の一角を衝立で仕切っただけの社長室に、ジェイドは出頭していた。宿題を忘れた初等学校の生徒のように立たされている。隣にはグレミーもいるが、こちらは見るからに「わくわく」している。
「今回はえらい災難でしたなあ……」
いつもは社長席にふんぞりかえっているフォイエルバッハだが、今日は応接用の椅子に浅めに座って、来客に対応している。よれよれのカラーシャツにあわてて結んだらしい棒ネクタイ、折り目のないスラックスにサンダル、というおよそ社長らしからぬ服装だが、まだ今日はマシなほうである。
ソファに腰掛けているのは淡いブルーの尼僧服――というのだろう――を身に着けた女性である。僧服の前垂れと大きな帽子の両方に《カテドラル》の紋章が入っている。
おそらくは二十代後半、白磁のようになめらかな肌にブルーの瞳が映える、おそろしいほどの美女だ。いけずうずうしさでは筋金入りのフォイエルバッハでさえ、顔をあわせた瞬間に言葉を失ったほどだ。
その女性の連れが、ソファの後ろに立っている。こちらは純白のフードにローブをまとい、顔はむろん、体格すらよくわからない。さらには完全に沈黙を守っていて、まるで彫像のようでさえある。
「ええと、あんさんは《カテドラル》からこられた……」
「シスター涙(ルイ)、と申します」
僧服の女性が言った。なんとも穏やかな声だ。楽器的というより、自然の波や、ゆるゆると吹く風にちかい。
「このたびは、あぶないところを救っていただきまして、ありがとうございました」
ほほえみながらシスター涙が言った。フォイエルバッハもつられて破顔する。
「いやいや、それがうちのビジネスでっさかいな」
「ほんとうに近ごろは物騒になって……。この地域の領主さま(ガンロード)の威勢がおとろえているのでしょうか……?」
「それはどうでっしゃろ。もうすぐサイスのトーナメントですからなあ、戦車乗りたちが各地から集まってきて、まあ治安は悪くなりますな。うちにとってはメシのタネになってよろしいんですが……それはそれとして」
フォイエルバッハは汗をふきふき答えると、おもむろに膝を進める。金額を書きこんだ書類――請求書だ――をテーブルの上ですべらせて、シスターの前に移動させる。
「お代のほうでっけど――こんな具合になります。そりゃもう、えらい勉強させてもらってまっせ」
シスターはその書類に視線をやらず、フォイエルバッハに笑いかける。
「じつは、助けていただきながらこのようなことを申し上げるのはたいへん心苦しいのですが」
きたぞ、きた――ジェイドの目の前が暗くなっていく。
「穴が――あいてしまいまして」
のんびりとした口調でシスターが言う。しまっていた冬着を虫が喰っていた――くらいな軽さである。
「穴?」
「装甲に――」
「はあ」
「船室に砂が入って困るんですの。それに、不用心ですし」
「あの――いったいなんのお話ですやろか」
フォイエルバッハが首をひねりながら聞きかえす。
ジェイドは一歩前に進みでた。シスター涙のしゃべりだと、いつまでたっても核心に届かない。その間、ヘビの生殺し状態にされてしまうのではたまらない。
「社長――実は、おれたちが撃った弾がランドシップに当たってしまったんです」
「なんやと! それはホンマか!?」
フォイエルバッハの表情が一変する。
「はい」
ジェイドは顔をまっすぐ向けたまま答える。グレミーが傍らからうるうる眼で見つめているのがわかる。
「それでも、敵はおまえらがやっつけたんやろ?」
「――はい、少なくとも一台は」
ちょっと間をあけてから、答える。
「少なくとも……ってや、どういうこっちゃ」
「もう一台には、わたしが送った射撃データがなければ命中させられなかった――そのパイロットの技量によるものではない」
フードを目深にかぶった人物が初めて発言した。
あの声の主だ――とジェイドは直感する。
フォイエルバッハは少し気味悪そうにフードの人物を見て、それから涙に向きなおる。
「とにかく……社員の不始末はおわびいたしますわ。修理代は本人に負担させますよって」
やはりそう来たか――ジェイドは思い切りヘコんだ。
「それはそれとして、そちらさんの依頼どおり悪党を追っ払ったのは事実でっしゃろ? その代金はいただかんと困りますわ」
「あの、それ、穴の修理費と、チャラになりません?」
シスター涙はしれっとした表情で言った。フォイエルバッハはしかめっ面になる。
「それはできまへん。わたしらも商売でっさかいに」
「困りましたねえ……」
シスターが顔に手をあてた。
「わたくしども、おかねがないんですのよ」
美女の言葉ではあったが、さすがにフォイエルバッハも鼻白み、語気が荒くなった。
「それはどういうことでっか? 口頭でちゃあんと依頼しはったでしょう? 文面なくったって、契約は契約でっせ!」
「もちろん、お支払いしないという意味ではないんですよ? ただ、わたくしどもの教団では現金というものを一切持ちあわせておりませんの」
それから、シスター涙は手をぽんと鳴らした。なんとなくわざとらしい。
「そうだ! 名案がありますわ――身体でお返しするというのはいかがでしょう」
「かっ、身体でってゆうたかて……あんたはんが?」
フォイエルバッハは目を丸くした。同時に、はげあがった額がちょっぴり上気する。
シスター涙はゆっくりとかぶりを振る。
「いえいえ、こちらの者が」
フードをかぶった人物を指し示す。
「『働いて』お返しします。労働で流す汗こそ真なる対価、とわたくしどもの教えにもございますので」
フォイエルバッハの顔に失望の色が浮かぶ――それから、猛然とわきおこってきたらしい怒りが顔を染めあげていく。
「働く、ゆうたかて、人手は足りてます! それに、いただかなあかん代金はひとりぶんの人件費とつりあうもんやありまへんで!」
そうだろうな、とジェイドは思う。基本的にこの会社はジェイドとグレミーをこき使うことで成立しているのだ。人件費に関していえば、すでに効率化に成功している。
だが、シスター涙は落ちつきはらっていた。
「もうすぐ、サイスのトーナメントがあるというお話でしたね。こちらにも戦車とパイロットの方がいらっしゃるようですが、ご出場はなさらないのですか?」
「そんなもん、出てるヒマありまっかいな。仕事優先ですわ」
「でも、勝ち抜けば賞金が出るのでしょう? たとえガンロードになれなかったとしても、何勝かすれば、新しい戦車が手に入るくらいのもうけにはなりますよ?」
「そりゃあ勝てば、の話ですわ。一回戦で負けたらどうします? カネが入らんどころか、戦車の修理費ばっかりかかります」
フォイエルバッハは手を振った。搭乗員の命についての心配はないのか、とジェイドは思う。
「それに今年のトーナメントは四年に一度の大祭で、ガンロードの座がかかってまんのや。いろんなとっこから強い戦車乗りが集まってくるんでっせ。ほんなん、うちのアホどもで勝ち抜けるわけおまへん」
「女神がついていてもですか?」
シスター涙の言葉に、フォイエルバッハは目を剥いた。
「――女神でっか? そいつは……」
考えてなかった、と言いたげに額を撫であげる。
「ということは、そちらの――」
フードとローブで全身を包んだ人物を指さす。
シスター涙がかるく首をかしげつつ、背後を見やる。
「アスタロッテ、ごあいさつなさい」
「名称はいま涙が開示したので、現段階ではわたしには他に提供する情報がない」
フードの中から無機質な声が答える。
「こういう子ですのよ。まだ世間知らずなもので」
「はあ……」
気圧されて、フォイエルバッハは吐息をもらしたが、すぐに商人の顔にもどる。
「つまり、こういうことでっか? そちらからは女神を出す。うちからは戦車とパイロットを出して、トーナメントに出る――で、もうけはうちの総取り」
シスター涙はうなずく。
「もちろん。わたくしどもはおかねを受けとるわけにはまいりませんから。そのかわり、その間の飲食と宿泊についてはお願いしますね」
「うーん、でもなあ」
フォイエルバッハは腕を組む。いかにも悩んでいるというポーズだが、ジェイドの経験では、こういうときのフォイエルバッハはさらなる条件を引き出そうと画策しているのだ。
「もともとわたしらは、正規の料金をいただく権利がありますもんで、勝つかどうかわからない賭けに打って出るのには二の足を踏みますな。担保があれば別でっけど」
「担保――ですか」
「たとえば、そちらのランドシップ」
「ああそれは」
シスター涙の表情がくもる。
「教団の備品は勝手に処分するわけにはまいりません。申し訳ありませんが」
それから、思いついたように手をたたいた。
「そのかわり――わたくしではどうでしょう?」
「な、なんですと?」
フォイエルバッハの眼が丸くなる。
「その価値はありませんかしら?」
涙は胸を軽く抑えて、首をかたむけた。子供っぽいとさえいえる仕草だ。フォイエルバッハはそんな涙に見とれて顔を弛緩させ、次の瞬間、猛然と言い出した。
「――あります! ありますとも! の、のりましたで、そのお話!」
フォイエルバッハが壊れた。やれやれ、とジェイドは思う。
「まあ」
シスター涙はくすくすと笑い、それから両手を重ねて胸元に置いた。そうすると、僧服の下のふくらみが豊かなのに今更ながら気づかされる。
「それでは交渉成立ですわね?」
4
「なんなんだ、あのスケベ社長! わけのわからん交渉に乗せられやがって!」
ガレージに降りたジェイドは工具箱を蹴っ飛ばした。
社屋の一階にあるガレージには、ボーダー型の戦車が置かれている。さっきまで乗りこんでいたものだ。フォイエルバッハ警備保障は、戦車一台、社員総勢3名の超零細企業なのだ。
「でもっ! でもっ! すごいじゃない! 女神さまといっしょにトーナメントに出られるなんて! ああっ、戦車乗りになってよかったよ、ぼく!」
グレミーは喜色満面で軽やかなステップを踏んでいる。似ているものをさがせと言われたら、水を半分くらい入れて膨らませた風船にゴムひもをつけたもの、と答えるのが適当だろう。
「ああ、よかったな。じゃあ、出場するのはおまえで決まりだな」
ジェイドの言葉にグレミーは動きをとめた。
「え? ジェイドも出るでしょ?」
「うちの戦車は複座だ。憶えてるな?」
「うん」
「あの女神とかいうのを乗せたとする。そうしたら、あと乗り込めるのは何人だ?」
「あ……そうか」
ようやく気がついたようにグレミーは目をしばたたかせる。
「どうしよう。ぼくあんまり操縦得意じゃないんだよね」
「平気だろ? 女神さまとやらがうまく動かしてくれるさ」
「そっ、そうだよね! そうだよなあ……」
グレミーは半ば自分に言い聞かせるようにうなずく。
「でも……女神と契約して、パートナーになって、ガンロードにまでのぼりつめちゃったらどうしよう。そうなったら、ぼくもカードに載るよね! ね、ね!」
トレーディング・カードは女神カードだけでなく、著名なガンロードや戦車乗りのものもある。カードにはそれぞれの能力データが記載されており、戦車乗りカードと女神カードを組みあわせて、卓上で戦車戦をシミュレートできるようになっているのだ。
娯楽のロクにない田舎町では、このカードゲームによる賭博が盛んにおこなわれている。トランプなどと並び、ポピュラーなゲームなのだ。
もっとも、グレミーのように、純粋にコレクションとして楽しんでいる者も多い。貴重なカードはマニアたちの間で高い金額で取引きされているのだ。
いずれにせよ、ジェイドには、そんな紙きれに人々が熱中する理由が、まったく理解できない。
「まったく、おまえも社長もどうかしてるぜ。なにが女神だ、なにがトーナメントだ、ばかばかしい」
ジェイドはそっぽを向いて、吐き捨てた。
その声の残響が消えるか消えないかという時に――
「この機体で出場するのか」
ガレージの奥から冷たい声が吹きこんできた。
フードとローブのかたまりが水平移動しながらあらわれる。
グレミーがうわずった声をだした。
「め、女神さま……」
「先程開示された通り、わたしの名称はアスタロッテだ。また、女神というのは俗称にすぎず、われわれの用語ではグローバル・ピースメイキング・システム(GPS)というのが正しい」
少し薄めの唇が動いているところしか見えない。どんな表情を浮かべているのかさえ不明だ。
「おまえたちの《社長》なる者に言われて来た。わたしとともにトーナメントに出るパイロットを選べということだが――どちらがパイロットなのだ?」
反射的にグレミーがジェイドを見た。ジェイドはその視線を無視して、ゆっくりとグレミーをあごでしゃくる。あ、そうか、という表情がグレミーの顔に浮かび、直立不動の姿勢をとった。
「ぼっ、ぼくです、女神さま……じゃなくてアスタロッテさま」
「おまえはグレミー・ワシントンという名称を開示していたな」
「そっ、そうです! おぼえててくれました!? やったぁ!」
「声のパターンが一致した。それでは、そちらのほうの名称は?」
アスタロッテはどうやらジェイドの方を向いたらしい。ジェイドはムッとする。
「あのなあ、おまえ、人に名前をたずねるときは……」
「あっ、あのっ! 彼はジェイド・アーシェラッド! ジェイドっていうんです!」
あわててグレミーが割って入る。
そうか、とアスタロッテはあっさりとうなずき、戦車に歩みよった。ゆったりとしたローブの裾で足の動きはまるで見えない。すべっているようにしか見えない。
「使用する機体はこれでよいのだな?」
「そうだよ。うちには一台きりしか戦車がないんでね」
ジェイドはレンチを持ったまま腕組みをする。精一杯、憎々しげな口調になるよう努める。
だが、アスタロッテはなにも感じていないようで、ごく平明に言葉をつづける。
「パイロットの選別は後回しだ。まず機体の能力値を調べたい。よいか?」
「はっ、もちろんです!」
グレミーは敬礼する。ジェイドは鼻を鳴らした。いちいち気に食わない言い草だ。
「それはあんたの勝手だが、どうやって確かめる? ならし運転でもするのか?」
「すぐすむ」
アスタロッテは機体に近づき、右手を掲げた。装甲にふれる。
ぽう、とローブが発光したように見える。ジェイドは二度三度まばたきする。錯覚ではない。たしかに光っている。
「DZ発光だ――初めてナマで見た」
グレミーがジェイドに囁きかける。
空気中にただよう目に見えない微粒子・DZを女神が操るとき起きる現象だ。女神の周囲の空間に存在する粒子が異常振動して、このように発光するのである。
ダーズィリー粒子、略してDZは、過去の《大戦期》に使用された情報撹乱兵器だ。それは目に見えない微粒子だが、特定の電磁波に反応して、さまざまなふるまいをする。
たとえば、レーダー波への干渉、通信・放送の阻害。これは電障効能(ジャミング・フェノミナン)と呼ばれる。
また、妖精効能(フェアリ・フェノミナン)と呼ばれる特性は、まるで見えない小人のように、防塵フィルターを突破して、回路や半導体にまとわりつき、電荷状況を狂わせて性能を劣化させる。
そして、制空効能(グレムリン・フェノミナン)と呼ばれる特殊な反応では、飛行機の翼面に作用して、翼を高熱で溶かしてしまう。まるで太陽の熱で翼の膠を溶かされたイカロスのように。
これらの効能によって、DZを散布された戦場では電子戦が著しく制限され、航空機による支援も不可能になった。しかも、兵器も精密なものほど壊れやすくなったため、ローテクなものに退化していった。結果、有視界による直接戦闘が中心となり、機動戦車による地上制圧が基本戦略となったのだ。
DZは、《大戦》が長引く間に、敵味方双方によって大量に散布された。莫大な量のDZは大気の対流によって地球全域に拡散し、その結果、航空機による移動は不可能となり、通信・放送も途絶した。世界は分断されてしまったのだ。
その魔法の粒子・DZを自在に操るのが、いわゆる女神、GPSだ。
GPSの出自は明らかではない。《大戦》終結後、十数年を経て、オーストラリア大陸において《大戦期》の戦車のレストアがさかんになり、その戦車の所有者同士による勢力争いが激化するなかで、突発的に現われたとされている。
記録に残る女神の最初は、《はじまりのアリー》と呼ばれる少女だった。その少女がひとりの戦車乗りに協力し、ビキューナという都市の最初のガンロードとなった。
戦車乗り同士が、戦争ではなく競技として戦車戦をおこない、勝利した方が街の支配権を一定期間獲得するというシステムの、それがはじまりだった。
以来、少しずつ、DZ制御能力を有する女性が現れるようになり、その女性たちを統括する団体が《カテドラル》を自称するに至った――それが、オーストラリアのこの半世紀ほどの歴史である。
女神は現在確認されているだけでも二百数十体にのぼるという。少ないとは言えないかもしれないが、世にあまたいる戦車乗りと比較すれば、きわめて希少な存在だ。
そのうちの一人が、いま、ジェイドたちの目の前にいるわけである。
白いフードのなかで、女が身じろぎする。
エンジンが勝手にかかった。電装系に火が入る。砲身がかすかに震える。
DZはどこにでも入り込む。むろん、戦車のエンジン制御システムの電子基板にも付着している。理屈そのものはわからないが、女神はそういったDZを通じて、戦車を意のままに操ることができるのだ。
「エンジンチェック――問題はない。装甲――まあ、よし。武装は――ふむ」
アスタロッテはフードにおおわれている頭をあげた。
「昼間も感じたことだが、この砲の照準軸は少しずれている。電装部品も何か所か回路切れが放置されている。手入れがなっていない」
「す、すみません」
グレミーが小さくなる。
「かなりくたびれた機体だな。基本設計が古いのはよいとして、耐用年数をこえた部品が多いのは問題だ。また、規格外の新作パーツが混ざっているのは論外だ」
アスタロッテは戦車から離れ、宣言した。
「現在の状態ではとてもトーナメントは戦えない。別の機体を用意すべきだ」
「このっ! 言わせておけば好き放題に……っ!」
ジェイドの顔面の血管が拡張する。思わず一歩踏み出そうとするのをグレミーが押しとどめた。
「まあまあ、アスタロッテが言っているのは正論だよ。落ちついて落ちついて」
「それにしても、言いかたってもんがあるだろう! それになんだ、ずっと顔を隠しやがって! ちゃんと目を見てものを言えっていうんだ!」
「その通りですよ、アスタロッテ」
ガレージに、春の野の昼下がりを思わせる雰囲気がただよう。
シスター涙が現れる。フォイエルバッハがうやうやしく涙の手を取って、段差を越えさせた。
「涙――契約相手以外には顔を見られてはならないのではなかったのか」
ガレージに入ってきたシスター涙に向けて、アスタロッテは問いを発する。
「期間限定の仮契約ですが、結びましたよ、いま、上で。それに、トーナメントが終わるまで、こちらにお世話になるのですから、いずれにせよ、ずっとそのままではいられないでしょう?」
「そうか、それはよかった。実はわたしも暑くてしようがなかった」
言うなり、フードを固定していたボタンを外しはじめる。
フードは内側から何かしらの機構で保持されていたらしく、ボタンが外れるとゆっくりと後方に動き始めた。
中でまとめられていたらしい髪が流れる。黒髪だ。かなり長い。
「ふう」
アスタロッテが息を吐く。フードのなかが暑かったのだろう、額にうっすら汗をかいていて、細い前髪がはりついている。広い額の下部には輪郭のはっきりとした眉が伸び、その下にはやや切れ長の眼が不思議な色をたたえて光っている。虹彩がルビー色をしているのだ。女神の虹彩のカラーバリエーションは虹と同じ七種類あるといわれているが、この色もふつうの人間にはまず見られないものだ。
しかし、それにしてもその容貌は――
「これはまた……」
フォイエルバッハが絶句しつつも偽らざる感想をもらす。
「子供でんな」
ジェイドもあっけにとられていた。口調や態度から、自分と同年代か、年上ではないかとさえ思っていたのだ。
しかし、フタを開けてみたらどうだ。年下なのは間違いない。一一歳か一二歳、いって、せいぜい一三だろう。フードのおかげで実際よりずっと背も高く見えていたのだ。
「このガレージは蒸すから、ほんとうは早く脱ぎたかった」
アスタロッテはローブの肩の留め針を抜きながら言う。
「あ、それまで脱ぐのはちょっと」
おっとりと涙がたしなめようとする。
「なにかいったか?」
アスタロッテが怪訝そうに振りかえったとき、留め針が抜かれたローブの布地が少女のほっそりした肩をすべりおちた。
「わひゃああっ!」
奇声をあげたのはグレミーだった。
ローブの下のアスタロッテはボティスーツを着けているきりだったのだ。光沢のある素材でできたボディスーツはぴったり身体に貼りついて、そのラインをくっきりと浮かびあがらせている――かなり子供っぽい体型を。
それにしたって、若者にはちょっと目に毒な光景だ。ジェイドは顔をそむけ、グレミーは顔を覆った指のすきまからしっかり覗いている。
アスタロッテは眉をひそめた。
「む。どうかしたのか?」
「アスタロッテ、肌の露出はいくら契約相手の前でもいけないのですよ。修道女には節度と慎みがなくてはなりません」
「そうだったか。了解した」
アスタロッテは羞恥心とは無縁なそっけなさでローブを拾いあげ、また身にまとった。
「なんちゅうか……変わった子でんな」
「世間知らずですから」
フォイエルバッハの感慨に対し、にこにこと笑いつつシスター涙が言う。
「まだ一歳ですから、仕方ありませんわよね」
今度はジェイドもふくめた男たち三人の驚きの声がガレージにこだました。
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