第15話 求めていた決意

 栞さんを簡易治療室のベッドに横にさせ、私は松場の病室へと向かった。彼はもうすでに覚眠剤が投与されおり、今まさに目覚めるところだと担当医が教えてくれた。  

 私は後日彼の農場や各委員会に提出するようの生命活動ログや、メンタルウェーブのコピーをもらい、それを端末で確認しながら歩いていた。生命活動ログは局所的な睡眠不足のポイントが表示されていたが、肉体や内臓活動は至って健康そのものだった。何かあれば、それのせいにできたが現実は甘くなかった。正直、難民事件直後のものとほぼ同じで、新たな発見はなかった。ただ、メンタルウェーブは難民事件直後とは違って、大きな波があり、次第にそれが収まっているものだった。精神科病棟は薬と高栄養素野菜の臭いで満たされており、ついつい鼻を気にしてしまった。


 やっぱりというか、やはり松場の病室前には門番のように看護ロボットが二台待ち構えていた。そこで私は簡易エアシャワーやメンタルチェック、身分確認DNA検査までされた。私が病室の前に来てからずっと赤色に点灯していたロボットの目が、ようやく緑色に変わった。以前から自傷や自殺を起こす患者に対しての面会は、制限が厳しくなっており、何がまた同じような行動を引き起こすかわからないため、面会人にはそれなりの検査が設けられた。

 私は彼の保護観察人として行政や委員会の承認を得ていたため、彼に関する様々な情報や接触は特認されていたが、流石に面会時の検査は省けれなかった。元々、空腹の時代以前は誰でも簡単に他人データにアクセスすることができたが、第三世代に突入してからは何かと厳しくなった。それからというもの、個人データはオフラインでのやりとりが主流になり、ユーザー情報などを扱い、ビジネスやマーケティングを主に行う第三次産業は、急激に衰退していった。


 結果として、個人の隠匿性や内包する情報がわからなくなり、利己主義を増長した。そして、エゴイストパーティーが隆盛した。目の前の看護ロボットが行ってくれた患者に害を与えないための懇切丁寧な検査も、そうした利己の産物であると思うと、人間の醜さが垣間見えた。

 悲しい物思いにふけながら、ドアのセキュリティパスが通るのを待った。数秒後、パスが通り解除音が小さく鳴ると、ドアはゆっくりと開きだした。部屋は殺風景で、窓とベッドしかなかったが、看護ロボットが三台待機モードで壁に寄りかかっていた。窓は枠がなく大きな液晶に近く、外の景色を切り取っていた。四日市駅前の煌びやかな街灯や建物の光で満ちていたが、駅前から離れるほどその光は少なくなってきて、海沿いの農場近辺は真っ暗であった。

 部屋の照明が薄暗いせいか、窓の外の光はより一層明るく見え、病室に差し込んでいた。ベッドには横になった松場が静かに目を閉じ、微かな呼吸音を漏らしていた。ここ数日、まともな食事をとっていないせいなのか、無理矢理に健康体にされたせいなのか、頬の張りやツヤは生き生きとしていたが、肌の色は生を感じえない青白さであった。看護ロボットの一台が起動し、私の荷物を持ってくれたり、面会用の椅子を用意してくれた。ロボットの駆動音は静かで、彼の呼吸音だけが耳に入ってきた。私用端末を見ると、19時数秒前で、夜が始まろうとしていた。


                 ・・・


 水面に当たる直前、私は直感した。この選択は間違いだったと、死ぬことはできないと分かった。それでも、胸は充実感で満たされ、これまでにないくらい自分の輪郭を掴むことができた。そして、そこで記憶が飛んだ。

 ずっと暗闇を歩いている気がして、ようやく見つけた光に目を眩ませもう一度目を開けた時には、薄暗い照明がぼんやりと光っていた。私は理解した、現実に戻ってきたのだと。そして、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

「松場、おはよう。鴨居だ」

 言葉選びに悩んだ、人間臭い照れた声色だった。上半身を起こし、鴨居の方を見た。いつも通りのスーツ姿だったが、胸元が乱れていた。彼は次にかける言葉を探しているようだった。


「鴨居、戻ってきたよ。ありがとう」

 喉の潤いが足りず、濁声だった。それを聞いた鴨居はクスリと笑った。

「まさか、飛び込むとはな。驚きはしたが変に納得してしまったよ」

 彼は普段の調子を取り戻しつつあった。私は捨てようとした現実が少しずつ体に戻ってくるのを感じた。そして、その中には農場のことや栞のことがあり、自分のした行動の重要さを理解し始めた。

「勢いとは怖いね。人間死ぬ気だと普段しないような行動をするもんだね」

「そのおかげでこっちは仕事が増えたり、心配もしたんだぞ」

「本当にすまなかった」

 彼は無言で頷いた。背後から入ってくる光に気づき振り返ると、四日市の光と闇が広がっていた。その景色が素直に美しいと感じた。

「松場、大丈夫か」

 彼は真面目な顔になってそう聞いた。その答えを持っているのかわからなかったが、私は言葉を返せた。

「うん、大丈夫。この選択は間違いだったけど、することができた。今はそれでいいと思う」

「そうか、よかったな」

 これまで感じてきた人生の生きづらさは、軽くなっていた。私は選択することをようやく知ったのだから。そして、選択を選ぶということに自分の意思、引いては自分らしさがあるのだと気付けた。


 鴨居は担当医を呼んで来ると言って、病室を後にした。もう一度窓の外の景色を見た。農場近辺は闇が広がっていたが、その不変たる黒さにどことない安心感を覚えた。煙突から出る煙は垂直で、飛び込んだあの日と同じだった。これからのことを考えずにはいられなかった。この現実と共に生きていくしかない、そこで自分を見失わないための選択はここから始まっているのだと。不安はあったが、あの日々に感じていたものとは違い、押し潰されるような苦しさは無かった。


                 ・・・


 松場の顔色は目を開けると同時にみるみる回復した。上半身を起こした時にはもう、野菜みたいな青さは抜け、温かみのある肌色になっていた。私が恐れたものはその時点で半分以上どこかに消え去っていたが、彼の言葉から確かなことを聞きたかった。こういう時、どんな言葉をかければいいか迷った。私の日常的な会話は仕事柄事務的なことが多く、感情的になることが無かったせいかもしれない。

 そもそも、内気だった私を一端の社会人とさせてくれたのは、目の前の彼の優しさのおかげである。結局、ほんの他愛の無い言葉のやりとりを二度繰り返すのがやっとだった。彼もそんな私を配慮してくれたのだろう。


 結論というか結果を先に聞き出すのはもはや癖のように私の口から出た。言った直後、もう少し配慮をしなければという後悔よりも先に返答が来た。その返答は迷いの無いスッキリとした声で語られた。ここに来るときつい考えてしまった、彼の選択することへの恐怖ゆえの逃走。だからこそ、生きてしまったこと、これから続く選択の道が地獄に思えた。でも、そうでは無かった。杞憂であった。彼は選択することに自分を見つけたのだ。本当に良かったと思った。そしてそれは口にもしていた。うら寂しい雰囲気を纏い、心ここにあらずの日々を過ごしていた彼はもういなく、これから訪れゆく選択とその未来に期待する彼が目の前にいた。


 松場に詫びを入れ、席を外した。橋から飛び込んだとき、彼の今までの自分は死んだのだろう。そこから再び生き返ってきた。そして、今度の生還は掴むものを掴めた。それは喜ばしいことであったが、私の知る彼はもういないのだという寂しさが出てきた。彼はまさしく人が変わったようにこれから先人生を謳歌し、幸福になるだろう。私は彼がそうなることを求めていたはずなのに、いざそうなると感じるものがあった。

 果たしてこれで良かったのか、もっと最善の方法は無かったのか、安心とは裏腹に私はそんなことを考えだした。彼の不安定な第三世代は本物へと昇華し、純粋なものになった。だが、それは進化ではなく変異に近く、野菜が突然変異するように、彼もまたそうなった。しかし、野菜のそれとは違い特出した個ではなく、有象無象の集団への変異のようだった。私は夜間の濃い闇の廊下を歩き出した。まさに感動の再会だったのに、なぜ私は暗いことを考えているのか。あんなにも夜景が美しかったというのに。


                 ・・・


 激しく病室のドアが開いた。汗と涙混じりの顔の栞が入ってきた。看護ロボットはメンタル値の異常を訴え、彼女を静止させようとしていた。彼女は私の顔を見ると、落ち着きを取り戻し、いつもの穏やかな表情に戻っていった。それでも、心の中の動乱が収まっていないことを看護ロボットのアラームが告げていた。彼女は幼い少女が初めて大舞台に立つように、わざとらしい深呼吸の動作をした。服の袖で上品に汗や涙を拭い、いつもの表情やいつもの自分を見繕おうとしていた。私は彼女の心の準備が終えるのを待った。四日市市街の光が彼女を照らし、光と闇のコントラストが彼女の体に浮かび上がっていた。


「あなたが倒れてから、ずっと言わないといけないことがあったの」

 私は、言葉の続きを待つように頷いた。

「ごめんなさい、あなたにこんなことをさせてしまって。私のせいなのでしょう」

 彼女のその言葉は、日頃よく起こす、根拠も理由もない即時的な自責の念ではなく、何度も思い考えた結果ゆえのそれであった。私はただ宥めるような言葉を返してはいけない気がした。彼女の声は鋭く真剣さがあった。だからこそ私はありのままを話した。


「正直に言うと君のせいなのかわからない。どうしようもない息苦しさを日々に感じていた。本当の自分はどこか遠いところにいて、ずっと何者かになりたかった。そうなるための道も分からなかった。だから、最後の選択として逃げようとしたんだ。君も農場も全てを捨てて」

 そう客観的に自分を話したとき、かつてないほどの安堵があった。彼女は私の言葉に納得したかのように、これから言うであろう自分の言葉を噛み締めた。


「そう・・・なのね。私は本当の自分を知ったの。そして、その本当の私があなたを苦してめていたと思っているわ。あなたは優しいからその苦しさを感じていないと思うけど、それは間違いよ。優しさは自分を切り売りしていくもので、そうした結果、人は自分を見失うの。私にだけでなく、誰にでも優しく無害でいるあなたは、そうやってどんどん自分をすり減らして、自分を見失ったの。だから何者かになることを求め、そしてここにきて一線を超えたの。なんとなくだけど、私はそう思うわ」

 自分がなぜそうなってしまったのかを彼女は答えてくれた。そこで、私は鴨居の言葉がこれからのことを語ったように、彼女はこれまでのことを語ってくれたことに気づいた。自分がなぜ何者かになりたいのか、その原因と解決を二人は教えてくれたのだ。私は感謝の気持ちでいっぱいになった。


「だからこそ、改めてあなたに謝罪するわ。ごめんなさい。一番身近にいたのに、これまで気づくことができず、苦しませてしまって」

 彼女のけじめとも言うべき謝罪は、低く重い声であったが、どこか晴れやかで清々しいものであった。彼女も本当の自分がなんなのか苦しんでいたのだろう。これはそうした過去の情けない自分との決別という意味も込められているように思えた。

 私は目から自然と涙が流れ、目の前の彼女がぼやけた。


                 ・・・


 ドア越しに二人の会話が聞こえてきた。私と担当医は病室に入るのを待った。あの橋で栞さんが黄昏ていたのは、この謝罪を口にする勇気が持てなかったのだろう。でも、ここで偽ることなく口にできたことは素直に喜ばしかった。天気予報は外れ、遅めの雨が降り出した。雨音と混じり、二人の会話は古びたラブロマンスのように聞こえた。担当医は邪魔しちゃ悪いと言って、また呼びに来てくれと診察室に戻っていった。私もこんなところで盗み聞きするのはよくないと思っていたが、気掛かりがあった。その気掛かりを彼女の口から言うのを待った。


「ねえ、あなた。もう一つ言わないといけないことがあるの」

「もう、謝罪は懲り懲りだけど、なんだい」

「私ね、ができたの。あなたと私の子よ」

 私の気掛かりはそれであった。手に残った違和感は確信に変わった。私は松場と彼女の間に硬い絆が結ばれるを感じた。

「そうか、嬉しいな。でも、自分はそれさえも捨てようとしたんだな。今ようやく理解したよ。自分は幸福だったんだなって。失うことでしか見えないものだったんだな・・・」


 彼の言葉を聞いた後、私はそこから立ち去った。新たな命の誕生には祝福があって当然だったが、私は素直に祝福を送れる気がしなかった。数日前までの彼が持っていた不安や悩みが本当の意味を持って解決されるわけではないと思った。は誰かに与えられるものではなく、自分で掴み取るもの、彼はそういう道を選んだと思った。

 しかし、子どもができたこと、それによって誰かの親になり、逃れられない何者かであることを与えられてしまったのが、本当に良かったのか、私の暗い感情の原因はそれだった。


 彼の夏層のような若く青い野菜のような苦渋は、誰かの親になることで和らぎ、薄れ、消えていってしまう。選択するという道を見つけてしまった自分に満足し、与えられた何者かから逃れられず、やがては自分のあり方を考えることなく、幸福であることを教示する、彼はそんな幸福を求め続ける第三世代になるのだろう。


 作物を育てる恵みの雨は、苗を若く逞しい葉にさせ、さらに立派な実を実らせる。少年が青年になるように、青年も大人になる。今夜四日市に降り注ぐ雨は、そういう新たな成長をもたらすものであった。

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