第13話 二度目の臨死体験

 鼻にあの匂いが着き、また平穏な日常が始まるかと思うと、私は瞼を開けられなかった。起きてから寝るまでのシミュレーションを何度かして、どこかに自分がいないといけない理由を探していると、違和感に気付いた。朝のニュースが聞こえない。いつもはあのニュースの音で目が覚めるのに、今日はまだそれが聞こえない。妙だと思い、重い瞼を開くとそこには知らない天井があった。

 私は自然と光が差す方を向いた。そこにはよく磨かれた窓があり、そこからは広がる住宅地が見え、そしてその向こうには小さな農場と煙突があった。私はこの景色を知っていた。住宅地周辺に農場や煙突がくっきりと見える高い建物は一つしかなかった。それはである。


 私は上半身を起こし、窓とは反対側の方を見ると、看護ロボットが私が起きたことを確認していた。

「オハヨウゴザイマス、マツバサン。タダイマセンセイヲオヨビイタシマスノデ、ショウショウオマチクダサイ」

 そう言うと看護ロボットは私に飲み水をくれた。昨夜味わった感覚はどうやら本物だったようで、私はこんな事態になるなんて思いもしなかった。暫くすると、医者の先生がやってきた。

「大丈夫かい松場くん。意識ははっきりしているかい?記憶はあるかい?」

「はい、自分が誰なのかわかりますし、昨夜のことだって覚えています」

「そうか、それは良かった。でもね、君のいう昨夜は違うんだ。君がここに運ばれてきてからもう三日も経っているんだ。でも、よく目覚めてくれた。ありがとう」

「そうなんですか。そうですか・・・いや、こちらこそありがとうございます」

「今日は目覚めたばかりだからゆっくりするといい。明日、眠っていた間のことを話そう。それと検査もしようか」

「はい、わかりました」

「うん。色々と聞きたいこと知りたいことはあるだろうが、すまないね」

 そう言って、先生はそそくさと出ていった。先生に言われて、私はようやく農場の仕事のことや栞のこと、倒れてからのことに気付かされた。あの時聞いた栞の泣き声は、自分の状況を考えると聞き間違いではないから、私は急に彼女のことが心配になってきた。


 横になっている間の肉体衰退を防ぐため、私には何度も投薬治療が施されていた。そのおかげか身体は軽く、動かすたびに細胞一つ一つの活力が溢れ出てくるようだった。病室は一人部屋で、室内は淡い橙色を基調としていた。優しいぬくもりが感じられ、どこか懐かしさもあった。日光もいい塩梅で室内全体を照らし、未だ夢見心地のようであった。この非現実的な目覚めは内宮のときと似ており、生を感じた。この後、豪勢な料理でも出てくれば、まさにあの時と同じであったが、当然そんなものは出てこなかった。患者の健康を意識した野菜は新装自衛隊が口にするものと同じで、栄養特化で味がなかった。農場で育て一般市場に出回っているものは、敢えて遺伝子優劣の一番高いものに低い遺伝子を組み込み、澱みを発生させている。これにより、優劣の低い遺伝子は野菜の構造には関与しないが、味や香りを生み出す。


 だが、私が口にしているものにはそんな澱みは無く、清く美しい野菜だった。体への吸収率も高いため、この活力あふれる身体は今にも叫びそうなほどだった。しかし、私の精神はそれについていけていなかった。農場や栞のことが気になり、不安で堪らなかった。それを忘れようと目を閉じ、無心になろうとするも、今度は自分の将来という不安が頭をよぎり離れなかった。何かに縋りつくように鴨居の言葉を思い出し、今まで自分が選んできたものを思い返してみたり、幸福な思い出を思い出してみた。いくらか見つかるものはあった、大学の研究選択、栞と行った秋の御在所岳、初めて担当した時季野菜の成功、そして父がくれた畑で育った野菜の美味しさ。


 それらはしっかりと私の一部となっていた。だが、それらはこれからの将来を照らせるほどの輝きは無く、私は泣いた。今回のように忽然と倒れて、そしてそのまま死んでしまうかもしれないことにも泣いた。泣き疲れて眠れるかもしれないと思い、無理に泣く時間を長くしようと、空いた傷口に何度も塩を塗るように泣く理由を掘り起こした。


 まだ、朝が来るには時間があった。看護ロボットは充電中で物静かだった。私が立ち上がり、ふらりと病室を出ても特に動き出す気配も無かった。四日市総合病院は精神科が七割を占めるほどの現代的な病院で、他の診療科も内科と外科という区分でしかわかれておらず、医療技術の発達が産んだ部門単純化の影響を受けていた。手術という前時代の野蛮な医療行為は廃れ、骨折だろうが風邪だろうが薬や医療健康維持ポッドを使えば、次の日には元気に外を歩くことができた。

          

 だが、精神病はそうはいかなかった。現代科学は未だ人の心を数値化したり、明確な原因を特定することはできていない。そのため、抗鬱剤や抗不安剤というものは、脳の働きを抑制したり促進させたりする程度で、一時的な効果しかなく、根本的な完治には繋がらなかった。だから、根本的完治の糸口として記憶系統操作医療技術が発達した。精神病を引き起こす原因は特定できないが、その原因を忘れることが完治に繋がるとされ、それらの医療技術はある程度の成果をあげた。そのため、現代における精神病治療は記憶操作が主流となっている。栞もその恩恵を受けている一人であると言える。

 抗鬱剤や抗不安剤で改善するような患者は入院はせず、今病院にいる精神病患者のほぼすべてが記憶操作治療を受けているであろう。そして、彼らの治療は睡眠促進系の薬がつきもので、日中は人とは思えない叫び声が聞こえたりするが、夜特に深夜にはそれが噓のように静かになった。そのせいか、私の足音が響くほど精神科の廊下は静まり返っており、照明はおぼろげな光を放っていた。外の涼しげな空気に当たれば、少しは気分が良くなると思い、私は夜間通行口を目指した。


 私は栞の通院の連れ添いで、何度も四日市総合病院に来たことがあるため、夜間通行口がどこにあるか迷うことはなかった。彼女はいつもと同じ時間に、同じ診察室に呼ばれる。病院に行くときは薬が無くなっている場合が多いため、彼女の気分は最悪で前日は喜怒哀楽全てを放出する。その度に私はやり切れない気持ちを感じずにはいられなかった。その気持ちをいつでも吐き出すことはできたが、彼氏彼女そして同棲という関係性を壊したくはなかった。私の何かがそれを恐れているからだろう。


 夜間通行口には警備ロボットが待ち構えていたが、私をバイタルチェックスキャンすると「オハヤイオモドリヲ」と言い素直に通してくれた。どうやら今の私は冷静らしい。日頃閉塞された環境にいるため、患者たちの夜間外出は許されていた。しかし、バイタル異常があると外出から戻ってこないかもしれないため、その辺は対処しているようだった。

 通行口の玄関には親切にも共有靴があったが、私は素足のまま外に出た。軽く風が吹いていた。そのせいで青臭さは薄れ、吸い込む空気はうまく感じられた。地面の冷たさが裸足を伝い全身に流れ込んで、冴えない頭を解きほぐしてくれた。私は歩き出した。病院の周辺は、健康系敏感派やそれらのエゴイストパーティーたちが多く住んでいるため、窓から漏れこむ光は無く、家の形をした漆黒が夜空の下に並んでいた。ここら一帯は街灯も無く、敏感派たちの行動の徹底さがうかがえた。


 私は光に向かって飛ぶ虫のように、その漆黒群からかすかに見える街灯を目指して歩いていた。道は舗装が行き届いており、これと言った歩きづらさは無かった。昏倒からの目覚め、そしてこうして歩く行為は初めてではなく、身に覚えがあった。行動自体は同じであったが、以前の時と全く別の意味があり、それらは対照的なものに近かった。星々や月の光は反射されることはなく、地面に吸い込まれ、それも漆黒になった。かすかに見えていた街灯は歩みと共に、次第に大きくなっていった。


 気が付くと辺りの漆黒は薄れ、目指していた街灯は複数に分裂していた。私は足を止めた。目の前には三滝川を渡る橋があった。橋の対岸では建物の窓から漏れる光がいくらかあり、街灯も道なりに一定間隔の距離を開け、続いていた。その時になってようやく、臨死体験から生き戻ってきたのだと理解した。死の際から生に戻ってきた感覚に覚えはあったが、この橋を見てこうした体験が二度目だと分かった。私は伊勢神宮、ひいては内宮のことを思い出した。あんな鮮麗で神秘的な体験が薄れ、遠い記憶の彼方に感じられたのは、長く日常に浸っていたからだろう。あの時の記憶を忘れようとは考えていなかったが、日ごろ口にしている野菜や睡眠薬がそれを朧げにして、私にとって幸福な日常をもたらしてくれたのかもしれない。


 そして、今目の前にある橋はなんの変哲も無いどこにでもある橋だが、内宮の宇治橋と同じ気配を漂わせていた。橋は中央車道線によって均等に分けられ、そこから鏡写のように車道と歩道、そして道路灯があり、現代的な不平等なき美しさがあった。伊勢湾横断大橋とは違い、小さく貧相であるが、橋としての役割を十二分に果たしていて、宇治橋のような神性さを秘めているようであった。私は橋に差しかかり、数歩歩いてから三滝川の流れを見た。川の水はゆっくりと流れていて、まるで液状の闇であった。対岸にある住宅街からの光を反射することなく吸収し、黒い泥のようなものが絶えず畝っていた。川岸には整備された河川敷があるはずだったが、そこは固体状の闇があるだけだった。


 私は橋の中腹まで来ていた。川の流れから生まれる微風は辺りを満たす青臭さを少し和らげていた。道路灯は私の姿を捉え、地面に私の細い影を黒く濃く描いていた。川の方を見ると、ちょうど川が中央道路線の役割をしているかのように、住宅街を割っていた。片方の病院側は漆黒で、静謐としており、もう片方の住宅街側は橙色の光を放って、微かな生活音が聞こえていた。この対照的な景色は私の足を止めさせた。私は橋の欄干に腕を乗せ、川やそれぞれの街並みを見遣った。足を止めると考えないように止めていたものが再び動き出し、私の頭に流れ込んできた。これから先のこと、幸福のこと、鴨居の言葉が出てきては消えてを繰り返した。


 これから先、私は社会の一部、正確には農業従事者として生活し、富を得て生きて行く。そこに何か悪いことがあるのだろうか。食うことに困りにはしない、多少の贅沢だってできる、休日に好きな場所に行ける。それらのことは可能だし、今もそうである。なのにこの息苦しさは、この街を満たす青臭さだけが原因ではなかった。平穏と幸福と日常を謳歌する人々、些細な出来事に心揺さぶられ、自分の人生における価値観が唯一正当なものであると信じてやまない。この街のほとんどの住民はそうだ。欲に忠実で、単純で若くて青い思考を持った人々ばかりだ。私はそうなれない、そうなれなかっただけ。馴染む努力よりも彼らの敏感に触れないように立ち回ってばかりで、そうして残ったものは疎外感だけだった。


 理論上完璧と言える遺伝子操作された野菜たちでも、数万株の一株の割合で突然変異が起きる。それらはちょうど夏層で他とは違う外見を形成し出す。あるものは葉が皺だらけであったり、またあるものは茎に瘤がいくつも付いていたりした。それらは、発見され次第速やかに除去され、焼却処理される。基本、実をつけたり、可食部が大きくなる前に処理をされるため、口にした者はほとんどいないが、味は正規品と遜色は無いと聞く。事実、野菜研究でもそれは証明され、逆になぜ外見だけ変わってしまうのかはここ数年の研究課題となっている。


 もし、私の外見が変化したら、どうなるのだろうか。野菜のように社会から爪弾きにされるのか、いやそういう人たちは徒党を組んでエゴイストパーティーになっている。外見は違えど、内面は今を生きる人たちと同じであろうと努力するし、一般的な精神形態になっていくだろう。だが、そんな事はそうそう起きない。

 では、外見は同じで内面が違うのはどうだろうか。第一世代、第二世代ではまだ栽培技術が低かった為、野菜の味には各種ばらつきがあった。しかし、それに文句を言う人はおらず、そういうものだとして食していた。だが、現在では技術の進歩により、味のばらつきは起きず、野菜たちは一つの味だけを体現するようになった。第三世代の初めからばらつきは急激に減ったが、まだ完全とは言い切れなかった時期があった。この時、日に数件のクレームが農場に送られ、その誰もが皆ヒステリックだったと豊崎さんが語っていた。敏感派たちの登場である。農場大国となった日本では、野菜が社会人間像に多かれ少なかれ影響を及ぼしているのは確かだった。

 そして今の私はまさしく外見は同じで内面が違う。現代野菜にとって起きないはずの問題を私は抱いてしまった。野菜にそれが起きたとしたらどうなるのか誰も知らない。仮に知っていたとしたら、私の心はもっと軽やかだったのだろう。身近なものから答えを得る事はできず、自分でそれを考える事はこんなにも苦々しいものなのか。私は三滝川の流れの先にある、湯の山の方を眺めた。まばらな雲は月を不規則に遮っており、その曖昧な月光は鈴鹿山脈を舐めるように照らしていた。

 

 私はでいることが好きだ。でもそれはこうして一人で物思いに耽っていることではない。バス停に並んでいるとき、三番島の食堂で昼飯を取っているとき、大衆の中での一人が好きなのである。このとき私は何かの役割を得て、自分で選択せずただ与えられたそれを受け入れて、演じていることに安心している。私が何者であるか、定義され安心できるから一人が好きなのだろう。

 だからこそは嫌いである。真夜中のベッドで瞼を閉じても寝付けないとき、有り余る時間を得て暇になったとき、選択が迫られるときそれが訪れる。そのとき、私は私であることを選べない。自分で自分を定義できない。何者かになる機会であるのに。そうしたとき、私は不安でたまらない。今も不安がとめどなく私を満たしている。真の孤独の時には、自分が納得することができる何者かになれるのに、その機会をいつも棒に振っている。難民キャンプでの震える手が蘇る。


 与えられるという受動的な生き方は、自分の思考が入り込む余地が少ない。思考がないということは楽なことである。こうした思考の無さが他者と自分との差を無くし、一般化してくれる。思考が入れば、与えられるものに対して選択が発生する。選択の結果、一般化の輪から離れることになっても、それは多かれ少なかれ一般化の道を辿る。疑問を持って、社会から異端になっても、同じ思考から疑問を持った人、いわば同志が一定数いる。今はそういった同志たちが集まり、エゴイストパーティーを組むため、一般化の道は早くなっている。

 思考すればするほど、選択も多くなっていき困難になる。だから、皆は農場で作られる野菜になることを選ぶのだ。私もその一人だ。楽で無駄がなく、非難されない現状に甘え、酔い、今日と同じ明日が来ることを無意識に願っている。これがある意味幸福と言えるのかもしれない。だが、人生は時に強制的に選択を迫ってくる。進学や就職、そして他者の思考を投げられたときだ。何者かを選んだり、何者かであるか問われたとき、もう与えられた役割は無く、自分が何者であるか証明しなければいけない。それができないことは酷く惨めで不恰好で、今まで与えられた役割が嘘であることを意味するのに他ならない。


 楽な世界ほど、選択することは苦痛だ。今、私は選択を迫られているんだと理解した。吉川君の存在によって与えられた第三世代が薄れたこと、伊勢神宮で第一世代的で無いと分かったこと、そして、難民キャンプで選択できなかったこと、それら全てが何者かへの選択だった。伊勢神宮での臨死体験は、私の不安から内宮へと誘い、私が今とは違う別の何者かになるための選択が、迫ってきていることを知らせるためのものだったのかもしれない。そして、伊勢神宮の神秘的な力は、私を難民キャンプの事件へと導いた。ここで、何者つまり英雄になれるはずだった。しかし、私は選択に迷い選び切ることができなかった。

 そして、先日の臨死体験は更なる選択への警告だったのかもしれない。これは伊勢神宮で受けた呪いで、選択ができないと私は臨死体験を味わうものなのだろう。しかし、この呪いに二度目は無く、神秘的な力はもう発動せず、難民キャンプのような劇的なことはもう起きないと、私には直感的に分かった。もう自分で何者かを掴み取るしかない。それか、与えられた役割である第三世代ということを受け入れるしかない。は今すでに起きている気がした。


 海からくる潮風が川を伝い流れ込んできた。何も履いていない足にそれが当たり、全身が冷え込んだ。それは私の選択を急かしているかのようで、神秘を感じずにはいられなかった。散り散りの雲は月を見え隠しして、何度も目の前の闇を本来の川に戻し直していた。潮風でも青臭さを吹き飛ばすことはできず、時折鼻をさした。


 ふと私は、橋の反対側に渡った。そこには山とは対照的に海がチラリと見えていた。そして、住宅街を挟んで農場群と煙突が悠々と立ち並んでいた。農場はぼんやりと青白く輝き放っていた。隣の煙突は夜の色を吸った煙を吐き出していた。煙は潮風のせいか山側に靡いており、先端は夜と同化していた。私は両掌をじっくりと見た。不規則で長短な曲線たちが、交じり合っていたり、平行に刻まれていた。橋の欄干は私の臍あたりの高さで、またぐのは容易だった。私は今一度農場と煙突を見た。もう潮風は治ったのか、先程まで靡いていた煙は垂直になっていた。そして、私はその光景を焼き付けるかのように瞬きすることなく、直下の闇に身を投げ出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る