第11話 啓蒙的悲劇

 私の呼びかけに隊員たちは気乗りしなかった。日はちょうど真上に上り、日差しも強くなっていたため、外に出るのを嫌っていた。隊員は私にエンジニアなんだから見てきたらどうだと言って、先ほど手に入れた野菜をほおばっていた。隊長も隊員に促す様子は無く、ただモニターをぼんやりと眺めていた。私はこれ以上催促しても意味がないと思い、一人で検疫所へと向かった。

 検疫所に着くと異音は止んでおり、他の機械音も聞こえてこず、静かだった。加工場に入ると吉川君の姿は無く、床には乾燥して干からびた野菜の皮やヘタ、野菜くずが散在していた。加工場にはコンテナから続くベルトコンベアとそれに繋がれた円状の野菜加工機があった。野菜加工機は第二世代のもので、野菜たちを薄くスライスして混ぜ合わせる、大衆食堂で見たことのあるものだった。技術進歩により、第三世代ではもう一回り小さいが第二世代のものは大きく、高さは二メートルもあった。大きいからと言っても、これ一台では難民全員を満たすだけの野菜はさばけないが、加工場にはこれ一台しか用意されていなかった。配膳用トレーは埃をかぶっていて、長い間使われていないことを物語っていた。私は急に寒気がした。先ほど自分たちが納めた野菜たちが心配になった。


 加工場を出てコンテナを確認するともう野菜は無かった。隊員たちがくすねたと思われるが、吉川君がいないのが気がかりだった。もう一度加工場に戻り、吉川君の名を叫ぼうかと思ったが、嫌な気配を感じ、口を閉じた。加工場の横の配膳室に向かうとそこには野菜の青臭さが漂っていた。加工場からはわからなかったが、野菜加工機の配膳口周りにはまだ熱があった。どうやら異音の正体は野菜加工機のスライス系統から出ているもので、何かを挟んだか噛んでしまって、スライス刃の噛み合いが悪くなっていると思われた。配膳室にある配膳トレーもやはり埃まみれだった。しかし、この加工機の周りだけは何度も利用した跡が見られた。配膳室の奥の配給窓口に目をやると、壁に大きな穴ができていて、難民区に通じていた。私は恐怖した。なぜ、あんな大きな穴ができているのか、隊員たちは知っているか、難民たちがここから外に出てくるのではないかと様々な思考を巡らせた。どうやら吉川君はあの穴から難民区側に出ていったに違いない。恐る恐る、吉川君を引き戻そうと穴に近づくと、足元でガラスが割れた。ニヒルな音は難民区側に吸い込まれ、私は壁に急いで寄り掛かり、身を隠した。


「誰だ、出てこい」

 流暢な日本語が聞こえたが、どこか癖のある野太い声だった。瞬時にそれは難民から発せられたものだと理解した。

「出てこないと、この若い隊員が死ぬことになるぞ」

 冷たくつきつけられた「」という今の日本では考えられないような言葉は私に非現実さを与えた。だが、隊員とは誰だ。それが誰であってもいいが、私によって誰かが死ぬのはただ嫌で怖かった。仕方なくゆっくりと穴に向かって体を動かした。穴から出ると、薄暗い不気味な配膳室にいたせいか日の光がまぶしく、一瞬目の前が真っ白になった。

「よう、隊員さん。こんなにも簡単に応じるものなんだな」

 視力が回復してきてようやく声の主を見ることができた。野太い声がどこから出てきているのか不思議なほど酷く瘦せている色白な中年男性だった。手には鉄製のフォークを持っていて、それを吉川君の首元に当てていた。

「この状況、何がどうなっているのかわかるかね。我々はこの隊員を人質に取ったんだ」


 多分、豊崎さんの英雄譚を聞いていなかったらその光景を理解することはできなかっただろう。それを聞いていたおかげで難民に対する恐怖を抱くことができ、悲惨なこの状況を理解することができた。吉川君は口に野菜くずを詰められ、声を出せなくされていた。

「しゃべらないんだね。せっかく外国人と話す機会だってのに。しゃべらせてあげようか」

 そういうと男性はフォークを強く押した。その直後、吉川君が悶えだした。暴れようとするが手足は結ばれていて、腕や足は空を切った。私は口を開いた。

「彼を解放してほしい」

「おお、しゃべるね。日本人はひどく従順だね。扱いやすいね」

「何か望みがあるのか。野菜か難民区からの解放か、なんだ」

「話が早いね。じゃあ、を聞いてくれないか。それを君や彼が知ることがだよ」

 そう言って、男は懐かしむように語りだした。

      

                 ・・・


 私が生まれてすぐ戦争が始まった。私の生まれは・・・いや、君たち中立四国家以外のどこかの国だ。もう、故郷というものはないし、あるのは中立四国家か戦争国だけだ。物心つく頃には両親と一緒に逃げ回る日々だった。父は昔から体が弱く、軍役にもつけないほどだった。その分母は逞しく力強かった。これといった居住地が無いから、常に戦火の無いところへ移動していた。父は弱いその体に鞭打って、背中が見えなくなるほどの大きな荷物を担いでいたし、母は拗ねて歩かなくなってしまう私をいつでも抱えれるように両手を開いておくようにしていた。それでも背に父と同じくらいの荷物を持って歩いていた。朝も昼も夜も、華やかな春も麗しい夏も颯爽とした秋も朗らかな冬もいつもどこかで戦争の音がしていた。そのせいか昔から音には疎くて、耳のことを両親に話すたびに彼らは精一杯の笑顔を私にくれた。

 私は、子供だったがそれほどこの状況を悲観していなかった。そういうものだと思っていた。世界には私のように耳が疎く、両親と歩き回る日々、そういう子供がいっぱいいて、それが当たり前だと思っていた。父も母もこの状況を悲観なことだと思わせないようにしてくれたこと、誕生日には瑞々しい果物をもらえ、何をするにしても褒められた。空腹のときはそんな幸せな記憶を思いだしながら耐えた。君たちには理解できないだろうが、その当たり前の日々が幸せだと思った。浮き沈みの無い私にとって平凡な日々はもうそれは幸せに違いなかった。


 でも、それが幸せだと気づくときは遅かった。失って初めて幸せだったのだとわかる。人間は幸せに慣れる。それ故、幸せは失ったとき初めて形を得て、質量をもって、その喪失感が訪れるのだと。冷たくなった父を目の前にそう考えたよ。ああ、もう平凡な日々は来ず、非凡な日々が始まるのだと。私の予感は的中し、父の死んだ翌年に難民受け入れ制度が始まった。母も年を取ったし、戦火から逃げ回る日々を送るにはあまりにも不安定過ぎたこともあり、大きくなった私は亡くなった父の代わりに大きな荷物を担いで、母と難民管理国イタリアに向かった。

 そこで初めて日本が農業大国になったことを知った。同じイタリアを目指す難民が私たちに人参を渡してくれた時だ。その人参は干からびていて、しぼんでいたが、スープにして食べたときには誕生日に貰ったあの瑞々しい果物を思わせた。どこからともなく湧いてくる活力に肉体がついていかなくなる気分だった。難民として受け入れられればこんな美味しいものを配給されると聞くし、何よりも戦火から逃げ回る必要は無くなる。私の難民受け入れの気持ちは一層強くなった。受け入れられるために努力もした。どの中立四国家に行っても言葉が通じるように、父が残してくれた語学書がボロボロになるまで勉強したし、耳が疎いことがわからないように読唇術を身につけたし、各国の文化や歴史なども勉強したよ。


 何年かしてようやくイタリアに着くと、難民申請者が長い列を作って、朝も昼も夜も申請局に様々な言葉を投げていた。大半は何を言っているかわからなかったが、怒りや懇願ばかりであったことは確かだった。私は難民になるべく学問を学び、そして故郷を捨て安住地に向かう覚悟を持っていたから、特別申請によってその年の難民許可を得ることができた。あまりにも他の難民よりも優秀だったせいか、どの中立四国家に行きたいか聞かれ、私はあの人参のことを思い出し、日本に行きたいと答えた。


 私が日本に着いたとき、この塀はまだ半分の高さしかなくて、難民地もここまで広くなかった。そして、今よりも飢えていなかった。来日する前は、自分の能力を少しでも、受け入れてくれたこの日本で活躍させたいと考えていたが、与えられた居住地、滞ることのない食料、戦火が降り注がない空、私はもうそれで満足してしまった。代り映えの無いたとえ鳥かごの生活だとしても、それはもう新しい幸せの訪れであった。そして、その幸せの中母は死んだ。これと言って苦しまず、安らかな死だった。

 母の葬儀を上げようとなったとき彼に出会ったんだ。グリーンポー・ジャスコバレーだ。運が悪く戦火に巻き込まれて死ぬというおよそ葬儀とかけ離れた生活を送ってきた私は、世界各国を巡った詩人である彼を頼った。彼は私より博識で文化というものに詳しかった。母は宗教に入っていたので、その宗教に準じた葬儀をしてやりたいと彼に依頼した。


 初めて会ったとき、彼の目は澱んでいて、配給された野菜もあまり口にしていなかったが、私が葬儀の依頼をすると目に光が宿り、二つ返事で了承してくれた。母が死に、悲しい気分だった私にとって、嬉しそうに言葉を話す彼は少々気味悪く、失礼な人だと思った。でも、今ならあのときの彼の気持ちがわかる気がするよ。私が文章でしか知らない文化やその形を、彼は目で見て肌で感じて知っていた。世界中を巡っていたことだけはあり、体験に基づく知識は何よりも生き生きとし、声や身振りからそれらを垣間見ることができた。母の葬儀はこれが正しい形式なのかどうかはわからなかったが、執り行っているときの彼の悲しみの表情から、これが正しいもので母が望んでいたものだと信じずにはいられなかった。

 それから私は彼によく会いに行った。単に話をするだけの日々だったが、聞く私も話す彼もどことなく嬉しかった。でも、私は彼の心の闇を取り払えれなかった。多分、私に出会う前から彼はその闇に蝕まれていたのだろう。博識だからこそ文化を欲し、経験を積んだからこそ実体験を欲した彼にとって、保護区は無機質で無感情で無意味だった。


 彼がある日事件を起こした。この塀を爆破し、外に出た。彼が事件を起こす前日、私は彼と会って、またいつものように話をしていた。でも、ここ最近私は話が面白いと思わなくなってきていた。最初は知らないことばかりでとても新鮮だったが、その話によって何か変わるわけでもなく、日々の営みが潤うわけでもなかった。そのことに気付いてから、冷め始めた。彼はそんな私に気付いたのだろう。

 その日、彼は優しく微笑んで私を見送ってくれた。私は気付けなかった。その冷めた感情や変化しない日々に満足していることが、彼が事件を起こす引き金になったことを。


 彼の事件のせいで難民たちの待遇は悪くなる一方だった。難民同士の過度の接触は制限され、テント内から出ることも推奨されなくなった。私はまた平凡な日々という幸せを失った。私は自分を呪った。平凡な日々であることを認知していたのにもかかわらず、彼を止めなかったせいでそれが消えてしまったのだ。私が私の幸せを壊したんだ。


                 ・・・


 そう言って、男は無言になった。平凡な日々が幸せであることに理解はできた。でも、男が吉川君を人質として話をする理由はわからなかった。

「話は終わったのかな。そしたら彼を解放してほしい」

「なんだ煮え切らないようなその顔は」

 男は吉川君を解放する素振りはせず、さらにフォークを強く押し込もうとした。

「わかった。話すから落ち着いてくれ。なぜ、あなたが人質まで取って話をしたいんだ。それがわからない」

「そうか。それはもっともな意見だ。でも、私はまだ話を終えていない。少々感傷に浸っただけさ」

 男は深呼吸ののち再び話し出した。


                 ・・・


 グリーンポーが死んで、ますます文化的なものは排斥された。知識を深める本や、思想のための宗教も、そして人との関わりを制限されたことによる言語という文化さえも。難民たちの多くは段々と言葉を失った。配給された野菜をひたすら食べるだけの生活。私はこれも平凡な日々になると思っていた。でも、三度目の幸せは訪れなかった。減る配給、そしてそれに群がる人たち。それはもはや人ではなかった。獣だった。その光景でようやく理解した。グリーンポーが文化を愛したことを。文化とは、我々人が人であるために必要なものだったんだと。現状維持の不変な日々がそれを奪っていくことを。彼は私にそれを教えるためにこの地獄を作ったと思ったよ。彼は狂気に走ったわけではなく、難民たちに伝えるために行動したんだ。じゃあ、それを知った私はどうする。何をする。考えたさ。自分がなすべきこと、自分だからできることを。


 私もこのことを誰かに伝えるべきだと考えた。彼が明示的ではないが、私に伝えたように。私も誰かに教示しなければいけない。知ってしまったことへの義務だと。彼は多分、難民保護区から出られないことを知っていて、日本に来たんだ。それは日本が危ういと思ったからだろう。今の日本は中立四国家の中でもひときわ目立って、平和だ。他の三国家は少なからず戦争国とのかかわりがあるが、日本にはそれがない。いいかい、平和というのはそれ自体が既に平凡な日々なんだ。代り映えしない日常が続いて、それが幸せだと気づいてもいない。その平凡な日々を失っていないからだ。私はそれを失った。二度も失って気付いた、平凡な日々に満足すること自体が崩壊の始まりなんだと。


 足りることを知ったり、満足を覚えるということは、その時から平凡な日々や幸せは崩壊し始める。ただ、それがゆっくりなだけか、はやいかだけの違いはある。日本はゆっくりと滅びゆくだろう。君や日本は我々から学ばなければいけない。グリーンポーに続き、私が警鐘を鳴らしているんだ。知るというのは誰かのバトンを受け取るということだ。それは否応なく渡されることもある。グリーンポーが事件を起こして私に渡したように、この閉鎖的環境で君たちにを渡すために彼に倣ったのさ。


                 ・・・


 男はやり遂げた満ち足りた顔をしていた。話し終えるころには吉川君を解放していて、手に持ったフォークも地面に落としていた。規模の大きな話にその論理は納得ができなかったが、不思議と理解はできた。私を包んでいた英雄の加護は消え、目の前の男が純粋な悪とは思えなかった。だが、彼が話したのが私でよかった。私は平凡な日々に満足なんてしていない。何者かになることを探している。あの監視室でモニターを眺めていた新装自衛隊員なら、彼の言葉の毒は有効で、第三のグリーンポーが日本から生まれていたかもしれない。男は私の不敵な笑みを見て、聞いてきた。

「随分と落ち着いているな」

「あなたには悪いが私はここを監視している隊員じゃない。しがない農業労働者さ」

「それでも私の警鐘は鳴り響いただろ。その心に」

「残念だけど、私はこの日々に満足していない。ゆえにまだ崩壊はしない」


 男はここに来て対話する相手を間違ったことに焦ったようだったが、私の顔をじっくりと見て、地面のフォークを拾い上げた。今度は逆に私が焦ったが、すぐにそれは消えた。彼は、フォークを私に向かって投げたからだ。綺麗に弧を描いたフォークは太陽の光を纏い、私の足元に優しく落ちた。男の顔にはもう焦りは無かった。ただ、優しく悟った顔をしていた。

「わかるよ。になりたいんだろう。にの方が近いかな」

 私は背筋が凍った。なんでわかったのか。その疑問よりも言い当てられたことへの動揺が私を襲った。

「その目が物語ってる。かつて自分も持っていた目だ。聞いた話によるとグリーンポーをやった人は英雄になったそうだね。君もなりなよ。英雄に」

 生まれも育ちも、ましてや私の苦悩も知らない異邦人に悟られて、その場も与えられてしまった。私の手は震えながらフォークを拾った。太陽の熱なのかそれとも彼の手のぬくもりなのか、ほのかに温かかった。フォークの先には久しく見たことのない美しい赤が付いていた。吉川君の血だ。

「それで私を刺し殺すといい。なに、自分の役目は終わったし、君の何者かになりたいという願望が叶うのならその方がいい」


 役目を終えた男は最初のような剣幕は無く、ただ優しかった。恐らくこれが男の素なのだろう。だが、その姿は返って私の英雄願望を失わせた。彼は憂国の情を持ってくれ、何よりも死ぬ覚悟が出来ている。純粋な悪でなら、狂っているならこのフォークを彼に向けれたのに。私は泣き崩れそうだった。何度もフォークを通して男の顔を見た。汗が数滴落ち、沈黙が続いた。だが、それを破ったのは私ではなかった。


 豊崎さんの話した、空気の揺らぎが私の真横を通り抜けた。すると目の前の男は後方に飛び倒れた。後ろを見ると隊員の一人が銃を持っていた。その顔は悦に浸った笑みだった。それからすぐ、別の隊員が乗り込み、私と吉川君の安否の確認をした。彼らはこれ見よがしに大袈裟な重装備で、騒ぎに駆け付けた難民たちにその勇敢な姿を見せつけていた。私は手に持ったフォークが、接着剤でつけられているように離すことが出来なかった。解放された吉川君は仰々しくも担架に乗せられ医務室に連れて行かされた。私も事情聴取という形で隊員に連れられ、難民区を後にした。今まで立っていた足は突然力を失い、ようやく私は気付いた。英雄に、何者かになれなかったのだと。


 私も吉川君もありのままのことを話した。途中、新装自衛隊の上官や反戦争主義のエゴイストパーティーの代表格も現れて、自分たちの話を聞いていた。退出するときに隊員の話が聞こえた。

「今回の件は公にしないらしいぞ」

「なんでだ?せっかく英雄になれたやつもいるのに」

「今回の件が公になれば、隊員が難民行きの野菜を窃取していたことがばれる。それと、野菜加工場のあの有様もばれてしまうからだ」

 全ての話を聞くことはできなかったが、難民たちの配給を滞らせていたこと、それを隊員たちが着服していたことが世間に漏れ、非難を浴びることを阻止するためらしい。ついでに私と吉川君の一般市民を巻き込んでしまったことももみ消すようだった。私は深いため息をついた。疲労と呆れの混じったくぐもった声が廊下に吸い込まれていった。


 吉川君は、監視室の外のベンチに座っていた。彼は少し大人びて見えた。

「傷、大丈夫かい?潮風は身体に悪いだろ」

「大したことないですよ。ほら」

 吉川君は首を私に見せた。既にフォークの刺し穴は無く、傷があった場所がほのかに赤くなっている程度だった。

「そうか、よかった。今日はすまないね」

「松場さんが謝るようなことは何も」

 夕暮れ時の波音は、一段と大きくなり、湿った空気が辺りを満たしていった。

「ねえ、松場さん」

「ん、どうした?」

「僕はこれから先どうしたらいいんですかね」

「どうしたらって?」

「今日は色んなことがありました。肉体的にも精神的にも。それでも彼の言葉が忘れられなくて、ずっと考えてしまうんです」

「何を考えてるんだい?」

「この国の崩壊を知ってしまって、自分はどうするべきかと」

「そんなに早く崩壊なんてしないよ。それに皆、現状維持に満足なんてしていない。君も堂々と幸福を追求すればいい」

 私の投げやりな言い方に、吉川君はこれ以上聞く気が持てず口をふさいだ。ただ、小さく言葉を口にして。

「それでになれるんでしょうかね」


 陽が伊勢湾の先に沈んでいくのを見た。帰りは新装自衛隊の大型車に乗せられて伊勢湾横断大橋を渡った。自分たちは来た時と同じように輸送トラックで帰ると隊員に話したが、心配の一点張りで私たちを送ってくれた。帰路の途中、付き添いの隊員たちは我々を無事届けられたことに対する褒美、つまり農場からもらえる野菜のことばかり期待し、きゅうりや大根、キャベツが欲しいと楽しそうに話し合っていた。特別時というだけあって、検問ゲートでは止まらず進むことになっていた。しかし、私はもう一度豊崎さんに会いたかった。私がどうすべきだったかの答え、そして英雄になれなかった者の先を教えてほしかった。その心とは裏腹に、残酷にも検問ゲートを過ぎ去っていった。振り返り管制室を見ると、陽の柔らかな朱色を纏っていた。それは英雄を守り、固く閉ざすように威厳高く、他者を寄せ付けない趣を醸し出していた。それは、内宮で感じた神秘さと似ており、私はもう二度と彼には会えないのだと理解した。

 車の進行方向に目を戻すと、白い農場が海沿いを連なるように立ち並んでいた。その光景を嬉しそうに見る隊員たちの顔は酷く青白かった。

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