第10話 常滑難民保護区
橋の柱で遮られた日光が直射となって小さな窓から入ってきた。この伊勢湾横断大橋を抜けたようだ。トラックの最後尾の狭いスペースからでは橋のどこにいるかもわからなかったが、直射日光がそれを教えてくれた。常滑国際空港から出る大型輸送機の音が聞こえ始めた。今のご時世、人が国外に出ることはないため、輸送機ぐらいしか空を飛んでいなかった。小さな窓からでも空に舞う飛行機が数機も見え、忙しさを垣間見ることができた。もちろん、これらの輸送機全てが野菜を積んでいる。トラックが何度か右往左往してようやく止まった。
外に出ると、空港ならではの開放感があり、伊勢湾横断大橋の大きさを確認することできた。新装自衛隊員の一人が私たちに挨拶し、常滑難民保護区監視室に案内してくれた。空港の方を見ると、離陸待ちの輸送機がいくつも並んでおり、それらには大きな文字で「日本野菜輸送中」とプリントされていた。この文言は戦火の中でも撃墜されないようにするためだが、今では飛行物体はID識別されるためほぼ意味がなくなっている。輸送機が撃墜されると大きくニュースで報道された。撃墜した国は世界中から非難され、あらゆる武器や兵器が接収され、戦争を行えない退戦国となる。日本が農業大国となってすぐは撃墜されたニュースは度々放送されていたが、今では滅多に起きなくなった。日本が中立四国家として世界での力を増したせいもあるが、単純に戦争国は飢えていた。
監視室には豊崎さんが言ったように、細く瘦せている新装自衛隊員数人が、監視モニター前で各々自由にしていた。ある者は腕を組んで寝ており、またある者は私用端末で奇抜な女のホログラムをなめるように見ていた。隊服のノリが落ち切っていない新人らしき人は作業端末を見ながらモニターを睨んでいた。私たちが部屋に入って軽い挨拶をすると、皆立ち上がり深いお辞儀をした。目は待ちかねていたと言わんばかりに大きく開いていて、興奮した荒い鼻息が聞こえてくるようだった。それもその筈、彼らが日頃口にしている隊員用高栄養野菜は何とも味気ないからだ。その野菜は野菜独特のえぐみや青臭さによる好き嫌いを無くし、隊員誰もが口にできるように調整された野菜なのである。大学時代に試食品として大学食堂に並んだことがあったが、金を出してうまい野菜を食べる意味を見出すことができたと思った。
彼らは前に私が訪れた時と変わり映え無く、ただモニターの前で自由気ままに交代時間まで過ごすのが常であった。私は今までその姿を気に留めたことがなかったが、豊崎さんからの話を聞いた後では彼が失望した理由もわかった気がした。戦争ではないが少なくとも私たちよりもそれに近い場所にいるのに、私たちよりも平和ボケしている様は英雄の存在ゆえなのだろうか。吉川君も初めて見る新装自衛隊に感服しているようではなく、想像とかけ離れ過ぎた姿に呆気に取られていた。
隊員の一人が配送手続き照合と積み荷データを確認し終え、再びお辞儀をした。私たちはトラックに戻り、積み荷を降ろし始めた。
「あれが新装自衛隊なんですね。思っていたのと違いました」
吉川君は彼らしく真っすぐな胸の内を口にした。
「豊崎さんの話を聞いてしまったからね、そう思うのはしょうがないかもね」
「松場さんが最初にここに来た時はどうだったんですか」
「どうって、あのまんまだったさ。そういうものなのかと思ったけどね」
「そうかもしれませんけど、自分たちが作った野菜が彼らのような人の口に運ばれると思うとちょっとね」
「まあ、わからんでもないけど、難民だって口にしてるさ」
トラックベルトコンベアを起動し、コンテナを降ろし終えると、コンテナに備え付けられている折り畳み式キャタピラが自動で開き、ゆっくりとコンテナが動き出した。コンテナ一台で百人一週間分の野菜が入っており、どれも最新技術で作られた高栄養野菜たちが入っている。コンテナが動くたびに潮風が青臭さを運んだ。コンテナは生き物のように列をなし、保護区手前の検疫所に向かっていた。しかし、数台は列から外れ監視室横の倉庫へと進んでいた。コンテナはまだまだある。吉川君は大きな欠伸をし、潮風で髪をなびかせていた。
「コンテナが指定箇所に行くまで、ずっと見ていないといけないんですか」
「ああ、そうだよ」
「もしかして、隊員がコンテナ台数をちょろまかすとかですか」
「もしかしなくてもそうだよ。坂峠農場長が配送してた頃、隊員たちが自分たちがやりますと言って、いつも数台ちょろまかしていたんだとさ」
「そうまでして食べたいもんですかね、野菜」
「大学時代に隊員用野菜を食べたことがあったけど、少しわかる気がするよ」
最後のコンテナが検疫所に入るのを確かめて、私は帰路に就こうとしたが、吉川君がそれを止めた。
「初めてなので、少し見て回ってもいいですか」
「見るって言ってもなにも無いぞ。保護区は塀の向こうだし」
「まあ、いいじゃないですか。なにも無くても。社会見学でしょ」
日頃、農場内で一日を過ごしていたせいか、広々とした海に何か思うところがないわけでもなかったため、私は渋々了承した。
まだ十代の吉川君は幼さが抜けていないのか、始めてくる場所に興奮を抑えきれていなかった。見るものすべてが新鮮で、黒い塀ですら歴史的建造物を見るような目で眺めていた。私は塀伝いに歩いた。塀は二十メートルほどあり、一番上には内側に向けられたカメラが規則的に距離を置いて取り付けてあった。監視室ではこのカメラの映像を見ているのだろう。だが、あの様子ではほとんど見ておらず、しかも今頃は野菜たちに目が行ってるのだろうから、意味を成していなかった。塀の向こうは静かで、耳を傾けても波の音しか聞こえず、人の気配も感じれなかった。実は私は難民を生で見たことがない。難民というより外国人を生で見たことがなかった。
いつもはここまで塀の近くに来ることはなかったが、吉川君の好奇心が移ったらしく一目見てみたいと思った。ニュースなどで映る外国人は戦前撮影したものを流用しており、外国人イメージ用に添えられているだけだった。現在、戦時中の外国人は映ることはない。敏感派たちの反戦争主義者の行き過ぎた規制のせいである。日本以外の中立四国家の人なら映してもよいという案もあったが、何が連想されて戦争主義を生むかわからないというまさに敏感派らしい意見をもってして、その案も棄却された。そのせいもあってか、監視室のモニターも外国人が直視できないように何かしらの処理を挟んで映し出されているそうだ。それが普通であったし、そのことに対して思うことも無かったが、今は違う。伊勢神宮で得た特別感、英雄との邂逅、農場勤務の日々では味わえない刺激が私を少なからず満たしているし、第三世代として生きる覚悟も得たつもりだ。踏み出すならこんな日かもしれない。いや、もう踏み出しているのかもしれない。生まれた欲に素直に付き従おう。
しかし、簡単に難民を拝むことはできなかった。保護区は広いためそれを囲む塀もまた長く続いていた。私も吉川君も疲れて途中で引き返すことにした。人工島の垂直な面に波が当たり、しぶきが散っていた。常滑近辺の海流は穏やかで、打ち返す波の音はささやかなものだったが、今聞く音は大きく、波が当たるというよりは割れる音だった。私は胸騒ぎがした。
検疫所前まで戻ってくると、異音が聞こえた。その音は農場でよく聞く、収穫層で余分な葉を切るような音に似ていた。検疫所は野菜加工所も備えていたため、そこの機械トラブルのように思われた。吉川君は自分が見てくると言って意気揚々と検疫所へ向かった。私は、隊員を呼びに行った。
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