第9話 英雄とその影
僕は最初に吉川君を見たときから、これが本物なんだと思ったよ。自分もれっきとした第三世代として生を受けたけど、どうも第二世代が近かったせいか、彼らの気持ちも多少は理解できて、時折自分は何世代なのかわからなくなることがあったよ。
でも、自分は第一世代の子で、親は不自由なく鈴鹿で僕を育ててくれて、世間では僕たちのことを第三第三とはやし立てて、何か期待のようなまなざしを向けていた。
しかし、第三世代とは何なのか定義されたものはないし、第三世代として矜持なんてもの抱くには余りにも不透明過ぎたよ。だから、僕は第三世代としての生き方がわからなくなって、当時流行りだった農場専門校にもいかなかったし、かと言って大学みたいなところにも行く気がなかった、でもなんとなく何者かにはなりたかった。そんな自分を心配した親は、第一世代の子がきちんとした道に進まないことが世間から見て辱められると感じ、僕はなくなく父の友人がいる新装自衛隊に入ったんだよ。
新装自衛隊は復刻文化の真っ盛りで、多くの若い人を集めていてね。自分と同じような先が見えない第三世代ばかりがいたよ。元々は自衛隊という名前だったけど、野菜で育った僕たちはほぼ皆痩せていて細かったせいで、様々な高性能装備を取り付けることで肉体的脆弱性を補い、富国強兵の強兵を満たすようにしたんだ。だから、新装自衛隊と呼ぶようになったんだ。新装備と言ってもやはり肉体的な力もある程度は必要で、各務原基地を中心として、色んな筋トレや訓練をしたよ。日本アルプスの縦走、英虞湾での各島々を巡る遠泳なんかは特にきつかったな。
高性能装備は一般人が扱えないようにあらゆる安全機構と細かい取り扱いがあって、手のひらサイズの銃ですら、まともに扱えるようになるのに半年はかかったよ。三年目になってようやく配属が決まって、ほらあそこに見える常滑難民保護区、あそこの監視の役に付いたんだ。
自分が常滑難民保護区に着任したときは、まだ難民という扱いをどうしていいかわからなくてね。日本はこれまでにそうした難民を受け入れてきた歴史が無いからね。島国でほとんどが大和民族で、話す言葉も日本語で、聖典や聖書等の教えが無い神道があり、あまりにも国を構成する要素は安定していた。だからこそ、難民問題は解決が難しかった。通じない言葉、異なる顔立ちや皮膚、彼らを受け入れるような下地なんてものはなかった。だからこそシンプルにした。あれこれと難民受け入れ先を考えたり、言葉による壁を気にしなくてもいいように、常滑難民保護区という大きな人工島に集めて管理すれば楽だと。この放棄した解決策は実際成功かどうかはわからないけど、悪くないと思っているよ。我々の日本という空間に混じることがないのだから。
でも、だからこそ難民に対するエゴイストパーティーが出てきたのかもしれない。日々増える難民にいい印象を抱く人は少ない。現在だって、難民受け入れ先を決めているイタリアに数値以上の食料を供給して、数値よりも少ない難民を受け入れさせているからね。
それはさておき、僕は保護区でのトラブル対策隊に所属することになったんだ。交代での保護区見回り、トラブル発生時の解決、そんなことをやっていたね。今では多重接触による戦争思想栽植を起こさないために、塀からの監視だけになっているけど、当時は実際に腰に銃を持ってそれを見せびらかすように保護区内を歩いていたんだ。今はどうか知らないけど、難民たちの住居は数人で寝るのがやっとなスペースのテントで、食堂やトイレは共通でね。埋め立て地だからか地面はコンクリートで、水はけが悪かった。伊勢湾横断大橋がよく雲をつかむもんだから曇りや雨が多くて、いつも水溜りができてたよ。自分も支給された長靴をずっと履いていたし、黒い雨除けの外套は今でも愛用しているよ。子供たちは外で遊ぶことが少なかったし、やっぱり最低限の体が動く食事しかとれなかったせいで、皆僕たちのようにか細かったよ。大人たちもそれにつられ、肉付きが良くてもどこか細くしなびていたよ。けど、やっぱり抑圧されているといつかはじけるときが来るんだ。誰かのものを盗んだり、傷つけたり、悪ければ殺すということもあった。その度、僕たちが出動して解決に当たっていたんだ。大抵は、僕たちの腰についている銃に日和って、収まることが多いけど、保護区に来たばかりの盛んな若者は度々歯向かってきたね。
そんな日々の中、事件が起きた。君たちも知っていると思うが、グリーンポーのテロだよ。グリーンポー・ジャスコバレーは有名な詩人で世界各国で多くの詩を書き巡っていたんだ。だけど大戦で世界を巡ることはできなくなって、まだ行ったことのない日本に対して憧れを抱いていたんだ。彼はもともと言語学者というのもあってか、島国特有の閉じた世界観の日本に興味があり、難民として日本に来たんだ。大戦中は中立四国家に正規入国することはできなかったから、難民パスポートを手に入れ、長い審査期間を経てはるばる来日したんだ。
でも、現実はコンクリートの地面と黒い塀、彼の思い描いた日本は無かった。彼は、美しい山々、黒松生い茂る浜辺を見たかっただけ、それだけだった。でもかなわなかった。最初のうちは忘れ去るものかと思っていたけど、見回りで度々彼の詩を耳にすることがあって、その恋焦がれる詩は日に日に燃えるような怒りを帯びていったよ。
そしてある日、彼は保護区を抜けるため塀を爆発させた。その爆発に巻き込まれて新装自衛隊員5人と難民15人が死亡したよ。狙っていたのかグリーンポーは爆発に巻き込まれた配送トラックを奪って乗り込んだ。その日は雨続きからの曇りで、地面は水溜りだらけだった。グリーンポーは大橋に向けてトラックを走らせた。他の隊員は初めて人の死骸を見たせいで、卒倒したり、涙を流したり、吐いたり、まるで地獄だったよ。後から思うと如何に僕たちが平和の中で暮らしてきたのか実感したよ。現場はそんな状態で、上官たちも平和ボケしているせいでまともな指示も出せていなかった。僕と数名の隊員は、なんとかその悲惨な光景に耐えることができ、トラックに乗りグリーンポーを追いかけた。
でも、どうやって暴れ牛のようなトラックを操る彼を止める方法が浮かばず、ここでも混乱が起きそうだった。皆その腰についているものが力の象徴としてしか考えていないのか、僕が銃を構えるとしり込みした。平和ボケもここまで行き過ぎると何かの病気のような気がするが、それが現実だった。僕がグリーンポーのトラックに熱探査スコープを向けると、女性隊員の一人が止めた。何をしているのってね。僕は当たり前のことをわざわざ口に出した。グリーンポーを撃ってトラックを止める。難民が保護区から外に出るのは禁止されている、ましてや人を殺しているとね。すると彼女は、私たちは彼を追うためにトラックを走らせているんじゃない、この凄惨な場から逃げるために橋に向かっているんだと。僕はどうかしているのかと思った。そこでわかったよ、僕は新装自衛隊にいる間に国を守る壁という正義を抱いたが、一緒に見回りをしていた彼らはそんなことを抱いてはいなかった。難民の必死の生活を見るだけで、お金がもらえる。そんな楽な仕事は無い、そういう考えの奴らしかいなかったんだ。
僕はこれ以上の被害が出ないことを求め、他人があんな死に方をしないことを望んで、トラックに乗ったのに、彼らは自分たちの幸福しか頭になかった。失望が襲ったが、それ以上に僕の正義は強く、彼らの制止を振り切り、銃の安全機構を外し始めた。安全機構が全て外れると銃の恐ろしさを実感し始めたのか、僕を止めるものはいなかった。再び、熱探査スコープを構えた。そこにはグリーンポーの体が赤く見え、照準がそれに合わさるのを待った。トラックの後ろの騒ぎが段々と静かになり、トラックの水溜りを跳ねる音が湿気で重い空気を満たしていた。グリーンポーのトラックが橋に差し掛かる直前、僕は引き金を引いた。音はなく、銃弾はなく、ただ空気の揺らぎがあった。銃から出た粒子は人体にのみ害をなす振動となって、トラックの外装も積み荷の野菜も通り抜け、グリーンポーの身体に直撃した。彼の運転していたトラックは横転し、それを水溜りが加速させた。
やがて、橋の中心にある鉄柱にぶつかった。その衝撃で積み荷の野菜たちは外に投げ出され、数秒遅れてグリーンポーの体も投げ出された。僕らのトラックも止まり、その光景を誰もが漠然と眺めていた。
僕はトラックを降り、野菜の山に倒れこんでいるグリーンポーに駆け寄った。ちょうど雲間から日が差し込み、グリーンポーを照らした。水溜りも日を反射し、彼とその下にあるいくつもの野菜を照らしていた。その光景は中世の宗教画のように美しく、色鮮やかで神々しかった。悪い夢で見ているかと思ったが、銃を強く握りしめ過ぎて鬱血した手が震え、現実であることを教えていた。僕が血だらけのグリーンポーを見下げ、安否を確認した。彼は満ち足りた顔をして死んでいた。
その後は、色々あったけど、端的に言えば僕は英雄となった。国内初の戦争事件解決者としてね。そして、それと同時にグリーンポー・ジャスコバレーは日本が中立四国家になってからの最大の戦争犯罪者になったよ。僕の希望で世間には名を伏せているから英雄の存在よりもグリーンポーの方が聞き覚えがあると思うけど。僕が名を伏せた理由は簡単なことさ、この中立四国家、農業大国、平和を体現した国で初めて人を銃で殺した人間だからさ。警察の銃制度は無くなっているし、本当に銃を持って人に向けるような人は新装自衛隊ぐらいなものさ、その多くは力の誇示だけで撃てやしないけどね。結果として反戦争思想は広まり、そういった思想者たちの集まりは委員会や組合を作って、保護区に対してのありとあらゆる法や制度を政府に提案し、それによって、いくつかのシステムや規則が設けられ、僕がいた時期よりも随分難民たちの生活は変わったよ。もちろん保護区内での見回りは無くなったさ。
僕自身は事件後、国や反戦争組織による援助で、これから先生きていくには困らないだけの金額をもらっていたから、新装自衛隊を辞めたよ。それで、最初の話の戻ると、僕は何者かになりたかったと言ったね、求めているものやなりたかったものが決まっていたわけじゃないけど、英雄になれた。夢が叶ったんだ。そう、幸福になれたんだ。だから、その後の人生はおまけみたいなもので、劇的な英雄にはそれ相応の平穏が必要だから、僕は今人が滅多に来ないこの検問ゲートにいるのさ。幸福になってしまったからここにいるそれだけさ。
・・・
豊崎さんはそう言って話を終えた。隣にいた吉川君は、かの有名なテロ事件の英雄に会えたせいか感涙していた。その後、私たちは英雄の平穏のためにと言われ、管制室を追い出された。そして、再びトラックに乗り、英雄の誕生地へと向かった。だが、私は豊崎さんが言っていたグリーンポーの死に顔に引っかかっていた。なぜ、彼は満足げだったのか、最後に見た光景、宗教画と評していたその光景に日本を想ったのだろうか。それとも、抑圧された保護区からの解放をなしえたからなのか。その答えは豊崎さんにもわからないのだろう。トラックが揺れるたび、その思考は霧散し、どうでもよくなった。そして、豊崎さんをうらやむ気持ちも現れては消えていった。
・・・
松場さんが乗ったトラックが小さくなっていった。僕はグリーンポーの最期が満ち足りていたという嘘をついた。本当のことを言えば、僕の英雄さは薄れ、戦争共感者と言われてしまうかもしれなかったからだ。特に吉川君、彼のような本物にはこの気持ちがわかるまい。グリーンポーは息も絶え絶えながらに言葉を発した。それは詩だった。僕はいまだにその詩を覚えている。記録に残るのを恐れ、僕だけが知っているという特別さがなくなることを恐れたため、脳裏に焼き付けている。その詩はグリーンポーの日本への想いから生まれ、僕に彼の未練を晴らす呪いをかけた。彼は決して戦争犯罪者ではない、日本への想いを募らせた探求の詩人であった。そんな彼を僕は殺してしまった。その償いとしてこの検問ゲートにいるのだ。彼とその詩を忘れぬため、自分の行いを忘れぬために。そして、手に入れた英雄という賞賛を失わぬために。
消えゆくトラックから目を離し、ふと太平洋に抜ける伊勢湾を見た。いくつかの雲間から光が漏れ、海に光の柱を伸ばしていた。その風景はグリーンポーが望んだ日本の雅な景色であった。彼の最期の詩を想わずにはいられなかった。
薄桃色の桜無く 新緑な松も無く ただ黒い塀だけ
山の幸は無く 海の幸も無く ただ豊潤な野菜だけ
それだけが彼の国を思わせる
春の陽気さは無く 夏の清涼さも無く ただ重い雲だけ
秋の穏やかさは無く 冬の寂しさも無く ただ冷たい雨だけ
それだけが彼の国での日々を思わせる
富士は無く 城も無く ただ巨躯な橋だけ
日ノ本言葉なく 神道も無く ただ異邦人の私だけ
それだけが彼の国での生を思わせる
私の想像したものは無く 私の欲したものは無く
私の希望は無く 私の幸福は無く
彼の国の虚構のみ
私を取り囲むすべてのものが私の死を彩っている
グリーンポー・ジャスコバレー
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