第8話 伊勢湾横断大橋

 数日後、私と吉川君は配送用トラックに揺られながら伊勢湾横断大橋を移動していた。朝靄が丁度晴れてきて、配送物確認用の小さな窓からは鈴鹿山脈がちらりと見えた。抜けるような青空は山脈の峰々を黒々と染め、その輪郭は立体感がなく、山脈全体が夜のように見えた。無人専用のトラックには人が座ったりするような席は無いため、私たちは小さな鉄のコンテナに腰をつき、揺れ動く窓の外を眺めていた。


「あの、なんで僕たちはに向かってるんですか?」

「そりゃあ、野菜を届けるためだろ」

 私は、後ろにある大きなコンテナを軽く叩いた。甲高い打撃音は狭いトラックの中で響き渡り、先頭まで行って反響する音は数秒後であった。

「そんなことは知っていますけど、なんで研修の一環として常滑難民保護区に行かないといけないんですか?」

「まあ、建前は社会見学ってとこかな」

「建前ってことは、本音はなんなんですか?」

「まあ、簡単なことだよ、坂峠農場長は、年に何度かこうやって保護区に慈善活動として野菜を送ってるんだよ。でも今のご時世、慈善活動する人なんて売名したい政治家ぐらいしかいないだろ。でも坂峠農場長は違う。本当の慈善活動なんだよ」

「本当ですか。何の見返りもなしに、顔もわからない大勢の人々にこんな大量の野菜を無償で配ってるんですか」

「そうだよ。それがどういう意味か分かるだろ。」


 吉川君は、坂峠農場長が第三世代と同じように損得勘定や幸福探求でこの行為をしているのだと考えているようだった。彼は第一世代という人間の生き方を知らない。彼らの矜持が如何に我々第三世代と相いれないか知らない。第一世代は敏感派やエゴイストパーティーの人が少なく、それは彼らの多くが幸福に至っているからだ。吉川君が憧れる鈴鹿や亀山の高級住宅街は幸福の証である。しかし、憧れるだけではない、それと同じだけの嫉妬があるのだ。第三世代は特に幸福に渇望的だ。自分たちが容易に手に入れられないものには、それ相応の妬みを抱くのだ。今まで安易に幸福が手に入れられた反動であるように。この事実を知っている私は同じ第三世代として幸福に近いように感じられた。


「も、もしかして坂峠農場長は戦争国支援者や戦争信者なんですか・・・?」

 吉川君は、純粋で不安そうな質問をしてきた。私は無知ということが人を純粋にするのだとここで初めて知ったが、その純粋さへの感嘆よりも無知に対して吹き出してしまうぐらいに滑稽さを感じた。私は、込み上げてくるものを抑えながら、

「いや、違うんじゃないかな。そんな危ない思想を持っていたらもっと前にエゴイストパーティーに糾弾されていたと思うよ」

「そ、そうですよね。でもどうして、何で・・・」

「吉川君、君は幸福に至った先を考えたことがあるかい?もうこれ以上ないってくらいの幸福の先を」

「そんなの決まってますよ、新たな幸福を探すんです。幸福には終わりがありませんから」

「そう、全くもってその通りだ。坂峠農場長はそれを他者に見出したに過ぎない」

「他者に?幸福を与えるのが幸福だって?もう、自分の内にある幸福は満たされたってことですか。そんな人いるわけありませんよ」

「でも、こうして僕たちが保護区に野菜を届けているのを目の当たりにしてるじゃないか。本当だよ」

「じゃあ、本音っていうのは他者に幸福を与えることが一種の幸福だと教えるためですか?」

「坂峠農場長もそんな他人に強いるような幸福を教示したりしないよ。そもそもそれが幸福かどうかなんて人によって違うだろし。これは、僕の考えなんだが、その手前の自分の内にある幸福が満たされるということの証明を、我々貪欲なる幸福探求者に示しているのだと思うよ」

「幸福の終わりをですか・・・」

「まあ、終わりではないがそれに近いね。後は、単純に我々第三世代を向かわせることで、エゴイストパーティーの面目を保っているのかもな」


 第三世代は無論他者に幸福を与えるという思想には至らない。それ故、保護区に赴いても何一つ思想的な私情は持ち込まれない。エゴイストパーティーも第三世代なら変な気を起こすこともない、中立四国家の義務である難民受け入れとそれに伴う奉仕を第三世代すなわち自分たちの代表として行っている。そう思って、自分たちの崇高な優しさに酔い幸福を得ているのだろう。一個人としては戦争支援者と忌み嫌われ、集団としては国の献身者として敬われる。その婉曲した自分勝手な思考はまさにエゴイストパーティーであった。


「正直、後者の方が一番の本音だろうね。幸福の終わりの教示なんて、そんなことはあるわけないのにね」

 私は、動揺している吉川君を落ち着かせるように優しい声で包むように言った。

「そ、そうですよね。でも、そんなこと考えちゃう松場さんはちょっとどうかしていますよ」

「いやあ、昔そんなことを豊崎さんが言っていたんだよ。ははは・・・」

 私は、薄笑いをしてごまかした。そもそもそんな思想を考えるなんて、生粋の第三世代からしたらありえないことだ。こうした世代をまたぐような思想が自分を本物の第三世代から遠ざけているのは確かであったが、第三世代であることの逃避の放棄といつしか本物となる覚悟は今の私にとって揺るがないものになりつつあった。


 鉄のコンテナは長年野菜の青臭さが沁みつき、無機なそれはあたかも命を持っているかのような匂いの波をトラックの振動で、生命の鼓動のように放っていた。よく見るとあちこちに緑のしみや、擦り傷が付いていた。だが、そうなっても未だに野菜を運ぶことを辞めれないそれは、空腹の時代を過ごしてきた屈強な第一世代の心であるように青臭く、堅固で、物静かで、そして野菜から離れられない生があった。

トラックは伊勢湾横断大橋上の検問ゲートに止まった。あの小さい窓から検閲者がちらりと覗き込み、我々の存在を見てドアを開けた。


「松場さん、お疲れ様です。それと、こちらの方が新入社員の吉川さんですね」

「はい、そうです。今後も支援野菜配送時にはお世話になります。よろしくお願いします」

「あら、そうなんですか。自分はと言います。父が同じ農業で働いています。以後お見知りおきを」

「豊崎さんのさんなんですね。じゃあ、同じ第三世代ですね。でも・・・」

 先日、第二世代と立ち会ったような嫌な空気が流れるのを感じた私は吉川君の発言を遮るように声を発した。

「すいません。豊崎さん。吉川君、生粋の第三世代でね」

「いえ、初対面の同世代にはよく言われますんで。大丈夫ですよ。じゃあ、仕事があるんで。終わるまで管制室でお待ちください」


 そう言って、豊崎さんの息子は積み荷を確認し始めた。私は吉川君を管制室へ案内した。吉川君は疑問と私に発言を遮られた憤りを感じているようだった。管制室は橋の中腹に位置しており、さらに往来するトラックが見えるように部屋の中から外が見える特殊な壁で一面覆われていた。広さは六畳ほどで、検閲者が寝泊まりできるような物が一通り揃っており、部屋の中心モニターにはトラック照合ができるようにデータベースが表示されていた。私と吉川君は、豊崎さんが用意してくれた来客用のいすに腰掛け、数分トラックの往来と霧が晴れた伊勢湾を眺めた。

 

 中央モニターは行きかうトラックの識別番号が点灯するのを繰り返していた。基本的には無人トラックなため、大概は橋上部にあるスキャン装置で中身や識別番号が読み取られ、問題なく検問ゲートを通り過ぎていった。トラックが止まるのはまれで、自分たちのように農場の指示で訳も分からず乗せられている場合ぐらいである。西側の壁は、朝の爽やかさを手に入れた鈴鹿山脈が緑になり、木々が輪郭に小さな凹凸を添え、立体感を加えていた。麓から広がる平野は見えず、山の下には農場が綺麗に立ち並び、自然と無機で無表情な人工物が一枚の絵に収まっているようだった。私は山脈と農場との遠近差や自然と人工物との歪な調和を眺め、茫然としていた。しばらくすると、朝の出荷ラッシュが終わったのか、両側を行きかうトラックの姿は見えなくなり、静寂が訪れた。そのことに気が付き、今度は東側の壁を眺め始めた。


 検問ゲートはアーチ状の端の中心のため、見晴らしがよかった。そのため、橋の先端に見える常滑国際空港に発着する飛行機の動きが良く見えた。その横には風で揺れる一群のテントがあり、それがであった。保護区は黒く厚い塀で囲まれており、ここからでも保護区を囲うそれがくっきりと見て取れた。保護区は年が経つごとに大きくなっていき、いつの間にか横にある空港よりも広くなっていた。


 戦争によって多種多様な人々が難民へと追いやられ、白人、黒人、アジア系等様々な人種が混在してこの保護区で生活している。民族も言葉も宗教も違う人々が、同じ地、同じ飯、同じ日々を生きるにはあまりにも過酷で、そうした生活からの鬱憤や吹き溜まりがはじけることは少なくなかった。

 

「ただいま終わりました」

 豊崎さんが管制室に戻ってきた。彼は久々に身体を動かしたらしく、肩を軽くたたいたり、腕や足を伸ばしていた。

「お疲れ様です。また、保護区が拡大したらしくてね。それでいつもより支援野菜が多くなっていて」

「通りで。しかし毎度思うのですが、いちいちコンテナを開けて中身を確認するなんて、非常に現代的じゃあ無いですね」

「まあ、それが一番誰も文句言わない作業形式なんで仕方ないですよ。いや、豊崎さんも体を動かすいい機会になったじゃないですか」

 彼はもう一度大きな伸びと欠伸をして、軽い返事をし、検品データに許可のサインをした。

「そうだ、いつも通り君宛のコンテナがあるよ」

「ああ、いつもありがとうございます」

「お礼は君の親父さんに言いなよ。今日も行くたびに元気かどうか見てこいって言われましたよ」


 少々気まずそうに、彼ははにかみながらコンテナを取りに管制室を出ていった。私たちの会話を聞いていた吉川君は居心地が悪そうに、太平洋に抜ける伊勢湾を眺めていた。

「あの、松場さん。なんで、豊崎さんはここで検閲者をやってるんですか」

「第三世代ならこんな寂しい仕事なんてやらないなんて思ってるんだろ」

「そうです。あの豊崎さんの息子さんならどこの農場でも入れたでしょ」

「君の思ってる幸福のありようが人と同じだなんて思っちゃいけないよ。同じ第三世代だからって」

 私は、少々大きな声で言った。吉川君は少し言い過ぎたのか、反省の色を見せ、小さな声で言った。

「何か事情があるんですか」

「まあ、本人から聞いた方がいいよ。僕はそれを言える立場じゃない」


 数分の沈黙の後、豊崎さんが戻ってきた。顔は少し照れ臭そうに赤らめ、吉川君が口を開くよりも前に言った。

「聞こえてたよ。別に話す気はなかったけど、初めて会った君の風体や言葉から話さないと素直に帰ってくれない気がしてね」

 豊崎さんは吉川君の方をじっと見てそう言った。

「まあ、君たちも仕事があるから手短に、そして質問は無しで話そう」


 彼はコンテナから取り出した簡易珈琲パックを開いた。そのパックにはでかでかと四日市産と書かれ、ちょうどそこに日光が差し当っていた。

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