第7話 野菜生活

 農業が発達した現代では、食の中心は野菜で、人体に必要な全ての栄養はそれらから摂取している。故に、野菜以外の物を食事として口にすることはなかった。つまり、肉類や魚介類、動物由来の食べ物を食す文化はほぼなくなってきている。ここ数年そうした食文化の変化が著しかった。これはもちろんたちが関与している。


 特に目に留まったのがアレルギー関連のエゴイストパーティーだった。食の大部分が野菜に満たされるようになると、いくらかのアレルギー性を示す野菜たちの流通を制限するよう彼らは運動を始めた。それだけならまだ野菜中心生活への道をたどらなかったが、野菜以外のアレルギーのエゴイストパーティーがそれらに対応するべく、団結し始めた。野菜アレルギーとそれ以外のアレルギーの二極化が起こった。当時から幸福探求思想が芽生え始めそれがエゴイストパーティーたちに拍車をかけ、その対立は大きなものになった。目立つような事件は無かったが、小学生の中で「お前は何アレルギー派か?」などと嘲笑するのが流行るようになるまで二極の対立は社会に浸透していた。状況が変わったのは、団結していた非野菜系アレルギーエゴイストパーティーたちが一つの大きな組織になったのがきっかけだった。そうだ。彼らは、幸福探求の念を込めて社会へのアレルギーの理解を説いた。当時は多くのエゴイストパーティーが組織化し、政府に要求や意見を言うほどになっていたので、アレルギー安全委員会もそうした流れに乗ったらしかった。野菜アレルギーのエゴイストパーティーは規模の小ささから組織化できず、政府に対して自分たちの意見を言えない状態であったが、アレルギー安全委員会は野菜アレルギーを含めて政府に政策を要求しだすと、野菜アレルギーエゴイストパーティーは安全委員会に与するようになった。そうして二極化していたアレルギーエゴイストパーティー問題は静かに収着した。


 こうしたエゴイストパーティーの政界に対する発言はアレルギー安全委員会しかり、食に関するものがいくらか多かった。一二年前の国会で取り上げられた、エゴイストパーティーたちの発言種別を集計したものが大きく話題となった。それは、食、睡眠、そして性に関するものが全体の八割を占めていたのだ。いわゆる人間の三大欲求が上位となった。幸福探求思想が広まる前から三大欲求は安易に手に入り、刹那的ながらも人々を幸福にさせていた。そして、思想が広まると刹那的から永久的にすることを人々は求めた。それは当然であった。安易に手に入るものをより安易に、そして刹那ではなく永久に幸福になる。そうしたことから三大欲求の各欲求を含むエゴイストパーティーが増え、政界での発言も増加したのだ。


 そうしたエゴイストパーティーの意見は実現化され、さらに日本の農作物自給率の上昇も受け、食に関しては野菜中心となった。野菜は肉や魚と違って、下処理や加工がそれほど必要なく、火さえも必要ではなかった。これは、人間から料理という言葉を奪い去ってしまった。料理をするという行為は時間的拘束があり、自分の好きなように使いたい時間、つまり幸福になる時間を奪うものになってしまった。確かに、料理に関してのエゴイストパーティーも存在したが、戦争による肉や魚の輸入の減少、高栄養野菜の登場により、料理はしなくても良い、むしろそれに幸福を求めるよりももっと安易で安価な幸福を求める方が良いという思想の広がりにより、その存在は徐々に消えていった。


 料理から少し離れるかもしれないが、季節や旬という概念は野菜に残った。あらゆる野菜を季節関係なく手に入るようになったが、料理ほどではないにしろ、口にするものに対して少しばかりの特別さを付与したかったからだ。食に関して無関心になるというまで行けず、料理で紡がれてきた人類の歴史をほんの少し残したのだ。いつか来る無関心を忘れぬためにも。これは、後付けだが野菜に季節や旬を持たせたことで経済的競争が発生した。汎用野菜しか扱わない農場は無縁だか、他の農場では四季の流れや需要を推測して旬野菜を栽培しており、それは各農場で出荷の時期も量もバラバラであった。朝のニュースではその相場を計上しアナウンスしているのだ。これにより、野菜も今はまだ資本主義の産物であり、需要などを予測できればいつでもマネーチャンスがあるのだ。


 これらの社会変化により、第三世代に突入すると、料理は概念でしかなくなっていた。そういうことを我々人類は行ってきたという認知上のものになった。自分も周りの同年代も料理なんて味わったことなどなく、言葉では知っていたがそれがどういったものを指すのかは知らなかった。


 そして、それが今私の目の前にある。どういったものを料理と呼べばいいかわからなかったが、漆色のいくつものお椀や、鶯色の平皿に乗っているそれは一目で料理であると認識できた。皿に盛られた野菜たちから湧き出る青臭い匂いではなく、甘くもあり苦くもあり、そればかりではなく辛みもあり、青臭い匂い以外の全ての匂いが混ざり合っているようであった。その匂いもそうだが、口元から出てくる涎、腹から出る音が皿の上にあるものを料理と認識していた。出仕しゅっしたちがいそいそと皿や料理を運ぶと、さらに匂いが部屋を駆け巡り鼻孔を刺激した。出仕たちはあれこれと言いながら綺麗に皿や器を並べていた。


「どうも、忙しないところをお見せします。しかし、料理を並べ終えてしまうと冷めてしまいますゆえ」

 禰宜ねぎは出仕たちの生き生きとした給仕を微笑ましく眺めてそう言った。境内の静謐さは無く、ここはそういう場であることを告げているようだった。席は自由だった。私がこういう場に不慣れなのを知ってか、坂峠農場長は私に隣に座るように言った。

「松場君は、料理を口にしたことがあるかね」

「いや、生まれてこの方無いですね」

「そうか、第三世代だしそうだもんな」

 坂峠農場長は、少し悲しげな表情を見せたが、私の生のある声を聴いたのか、安心しているようだった。

「私はね、料理というものがごくごく一般的で普遍的なものだったのに段々とそれが特殊で特別な物になっていくのが怖かったんだよ。今もこうして目の前に出るといくらかの恐怖を感じているよ。人間に対してね」

 その意味が、人間が神という意味合いを物や空間に付与させ、見えない壮大な力を持つまでに至ったことを指しているのだと思った。

「農場長のおっしゃっている意味が何となくわかりますよ、僕も」

 私は同情の念を込めてそう言った。

「多分この感情、この思想こそが、内宮入りできた一種の資格なのではないかなと思ったよ。外宮での参拝から内宮までの道のりの君を見て、今日やっとわかったよ」

「いえ、そんな・・・自分はただ・・・」

自分がなぜ内宮入りできたのか、その答えを私は考えていなく、言葉に詰まった。やがて、料理が全ての並び終わり、禰宜が労いと祝福の言葉を述べだした。


 昔には一汁三菜という言葉があったらしく、今回我々の馳走もそれに準拠していた。白く艶やかな米は短く細い湯気がたゆたっていた。おそらく味噌汁と呼ぶそれは、明るい茶褐色の液体で、中には黒緑色の海藻と白濁色の立方体が浮かんでいた。残りの三菜は、平皿に乗せられた鮎と小鉢に入れられた茶色い縮れた何かが幾多も集まって盛られているものとほうれん草のであった。


 鮎は川で躍動する姿をそのまま時間を止めたように盛られており、ヒレは不自然の無いよう少し広げてあり、口も軽く開いていた。今もまだ生きているように形を整えてあったが、目は白くなっていて、それを見ると生はどこにも無く、生あるものであったという証拠が残っているに過ぎなかった。体の隅々には塩と思わしき粒が付いていた。皮は所々破け黒ずんでいたが、そこから何とも言えない香ばしさが漂っていた。

「すみません、これは何という料理でしょうか」

 坂峠農場長に、平皿に置かれた鮎のことを尋ねてみた。

「ああ、これは鮎の塩焼きと言ってね。まあ料理といってもそんな難しいものじゃなくて、鮎に塩を振って焼いたものだよ」

「へええ、鮎というか魚なんて初めて食べるのでどうしていいやら」

「まあ、みてなさい」

 坂峠農場長はそう言うと、鮎全体を箸で軽くたたきほぐした。

「こうすると骨から身が剥がしやすくなるのさ、で次は・・・」

 頭の根元に箸を入れ、そこから腹部を切れることなく尾の付け根まで持ち上げると、そこでプツンと身が本体から切り離された。骨にはひとかけらも身がついておらず、まさに鮮やかであった。農場長はそれを平皿の隅に置き、自信ありげに私の顔を見た。

「まあ、こんなもんよ。君もやってみたまえ」

 その手際の良さから、こうした食文化を自分は学んでいないことが物悲しく思われた。その後、私も見よう見まねでやってみたがうまくいかず、骨には身が残ったままで、また身は細かく千切れ、何とも小汚かった。それが、この物悲しさを深くした。坂峠農場長は初めてなことを強調し、励ましてくれたが、また次という言葉を出すのにためらっていた。

「すまんな、私はあの頃が忘れられんのだ」

 農場長の寂しげな言葉は、私に深く刺さった。同じような世代の人間だと言ってくれた嬉しさは、返って私に現実を与えた。

「私は第三世代ですから、すみません」

 誰に対しての謝りなのか、自分でもわからないが付け加えたようにそう言った。自分は揺るぎない第三世代であることを願うように。


 そこからの食事は静かなものだったが、私が訝しい目で口に運ぶ物を見るたびに、坂峠農場長は優しく何なのか教えてくれた。

「これは、牛肉のしぐれ煮だね。多分松坂の牛を使っているのだろう。あそこは昔、牛の肥育が盛んでね」

 そのしぐれ煮は甘辛く、噛めば噛むほど旨味が溢れ、それにつられ米も進んだ。無残な姿な鮎は淡白な味ではあったが香り高く、舌だけでなく鼻でも味わうことができた。味噌汁の海藻はワカメらしく、時折ニュースで美容だのなんだの、海系敏感派が健康食物と言って栽培運動で取り上げているので見知っていたが、口にするのは初めてだった。柔らかい滑らかな食感は普段の野菜とは違い、海を平面上にし、その一部を口にしているような、みずみずしさがあった。

 白い立方体もいつぞやに見知った豆腐らしく、これももちろん食べるのは初めてであった。ここまで来て、逆にどれだけ自分が口にしたことがある物だろうと自分の膳を見渡すと、小鉢に盛られたほうれん草のが目に留まった。今まで多くのものを食べ大きくなってきたと思っていたが、膳の小鉢しか口にしたことがあるものがないことは、今までの自分の大きさを急に失わせて、自分の体はこうした多くの食材に彩られて構築されたものではない、数種の野菜から構築された虚しく寂しいものに感じられた。


 体の青白さは、日の当たらない人工光によって作られた野菜から、体の細さは、大きくなるための最低限の栄養を与えられた野菜から、そして、何者かになりたい焦燥感は、少しでも縦に大きくなって日の光を求める野菜の本能から作り出されているのではないか。自分が感じている第一世代との溝はこうした部分から深まっているようでならなかった。彼らと唯一共有できる何かを求めるように、私はほうれん草のおひたしに箸を進めた。しかし、それがおひたしと断言は出来るが、普段自分が口にしているそれとは明らかに違った。こちらが本物のなのだろう。


 「」という言葉は、醬油をかけた野菜類のことを指していると思っていた。サラダにドレッシングをかけるように醤油をかけるため、和風のサラダの表現として使っているのだと。小さな頃からそれが「おひたし」であると学び知っていた。生野菜にドレッシングをかければサラダ、醤油をかければおひたし。それが今の常識であった。しかし、目の前の小鉢にあるそれは明らかに違っていた。醤油の匂いだけが私の日本人の遺伝子に刺激し、おひたしと認定してはいるが、私の知っているそれではなかった。また、基本的にほうれん草に醬油をかけるため、勝手に小鉢にある野菜をほうれん草と認識しているだけではないかとも思った。多少の恐れはあったが、野菜という私が知っている物だけあってか、箸を止める理由にはならなかった。


 小鉢のそれはなまめかしい濃緑色をしており、綺麗に束ねられ、一口大に切り揃えられていた。上には薄茶色の綿のようなものがあしらってあり、箸の空気の乱れだけで揺らめいていた。底には黒茶色の液体が溜まっていて、小鉢を持ち上げて鼻に近づけると確かにそれはおひたしであった。この綺麗に束ねられた野菜はほうれん草だし、黒茶色な液体は醤油である。それは確かだし、醤油はともかく、この濃緑色の葉の形、茎の薄緑色は冬季栽培時に何度も見たことがあるもので、見間違うはずなどなかった。しかし、あと一歩のところでほうれん草だという確信が得られていなかった。何かが違う。この何かが、私の生きている世界にはないものであるということだけがわかったが、植物遺伝子学で構造全てを知っている私の興味が箸の進出を加速させた。


 数本の束を持ち上げると数個の薄茶色の綿はふわふわと淡雪のように零れ落ち、醤油も数滴雨粒のように小鉢に落ちた。ためらいはなく、一種の蛮勇さが込み上げ、普段の食事では感じられないような興奮があった。口に入れ噛みこむと、醤油とほうれん草の優しく繊細な青さが口に溢れた。不規則な旨味が現れては消え、味覚が舌の上を踊った。飲み込むと口の中にはほうれん草の青さだけが残った。醤油の香りも味もほうれん草の青さに流されていた。その青さは渇望へと変わり、いつの間にか小鉢にはほうれん草は残っておらず、その様子を見ていた坂峠農場長は初めての喜びを祝うように微笑んでいた。


「本物は違うだろ。何もかも」

「おひたしというものはこういうものなのですね。単に野菜に醤油がかかっているだけかと」

「それは、君たちが勝手に作った偽物だよ。私たちの世代、というか今より昔からずっとこれがおひたしなんだよ」

「そうなんですね、自分は今までその偽物をおひたしおひたしと言ってきていたんですね・・・」

「いやいや、そんなに暗くなることじゃない。ただの時代の流れだよ。言葉や物の意味は変わる。そうだろ?」

「そうですけど、本物を知るということはときに残酷な現実を目の当たりにすることなんですね。このほうれん草もどこか違うけど、本物というのは表現としてあっているかわからないのですが、自分たちが栽培しているものとは違う本物を感じます。」

「それはきっと有機栽培されているからだろう」

「ゆ、有機栽培ですか。このご時世に」

「ここは伊勢緑地帯だよ。神も神秘もある、そんな古典で日本のこころのふるさとだよ」

「ですが、そんな非効率的栽培方法をしているなんて」

「非効率的栽培だときたか、ははは」

 坂峠農場長は大きな声で笑った。

「でも、君はそれに本物を感じているんだろ、ははは」

 さらに大きな声で笑い、私は赤面した。

「ごめん、ごめん。笑いすぎちゃったね。確かに君の言う通り、有機栽培は非効率だね。育つ土壌、無農薬、遺伝子無改造、それに天気も人の手も全てが不規則で不安定だ。だがね、これが普通だったのだよ昔は」

 途中の言葉までは嘲るような声だったが、最後の言葉はどすの利いた重い声になっていた。


「君が言う非効率栽培は、我々日本人が食文化とともに歩んできた道なのだよ。それを敬意もなく、バッサリというなんてあんまりじゃないかな。そして、この多種多様な食へのこだわりと美を滅ぼしたのは君たちじゃないか」

 声は投げやりのようであったが一言一言が鋭くとがっていた。敏感派を思わせる静かな怒りは、これまでのやりとりに対する私の敬意の無さからくるものであった。知らないものに対しては幼児のような目のきらめきを示すのに、それを知ってしまったことで興味が冷めるのが早く、これといった感情がもう湧き出ることがないのである。それに加え、日本人の紡いできた食文化に対する尊敬の念とそれを滅びへとつなげた罪の意識さえも無かった。それが坂峠農場長と私を大きく隔てていた。つまるところ私は、軽くやわなこれといった主張のない野菜育ちの第三世代であった。


 日に焼かれ多くの汗をかく肉体労働をするわけでもなく、様々な彩り豊かな食材を使った料理を口にするわけでもなく、必要最低限の栄養とちょっとの精神促進薬で生活できるそんな日々、そんな世代はどうしようもなく虚弱でか細い人間になるのである。自分もその一人であることなどとうの昔に気付いているはずだった。第一世代の苦労と空腹を体験した渋く圧のある背中や第二世代の肉体労働から得た逞しい筋肉の盛りはなく、貧相な体であった。野菜が自分を構成していることへのあの寂しさはこの食事によって茎が折れるような感触を心に残した。第一世代や第二世代が目に見える形として存在しているからか、溝や軋轢、価値観の違いは明確さを増し、見に見えない神に対して湧き出た蛮勇さや反骨心は根拠のないものに対しての若く幼い自己肯定のあらわれであった。同年代に対して抜きんでたものがない自分のせめてもの自己表現として、神にあらがうことでそれを得たような自己陶酔に至ったのだと気づいた。


 食事は美味しく、新たな世界を私に見せてくれたが、それはもう我々日本人が捨ててきた世界であり、同時に、それにもう戻ることはできない確信を与えた。急に四日市の喧騒さが恋しくなってきた。あそこには自分らしさを与えてくれるものや育ててくれるものはないが、自分の居場所と先の世代と同年代との浅い溝があるだけであった。この伊勢緑地帯は自分にとって、まぶしすぎ、それによって生じる自分の影は大きく深くそして濃く、自分には耐えられるものではなかった。食事を終える禰宜の声が早く発せられるのを願わずにはいられなかった。


 日頃、胃持ちしない野菜ばかり食べていたせいか、満腹感による幸福は眠気へと変わった。食後の茶の湯気が一層激しく揺れるのを感じ、熱い茶を勢い良く飲み干した。喉が焼けるような熱さだったが、眠気は衰えることはなかった。まるで、栞の発作が出たときに飲ますような強烈な睡眠剤を飲まされたかのようで、私の帰路の思いを一段と強くした。長丁場での疲労と緊張、それを癒すかのような食事はこれ以上ない人間的眠気を生み出し、自然的な生の心地よさと眠りへの誘いは私にこれも失われた歴史の一部であると教えているようだった。私はこの地に相応しくない。場所も神も人も違う、自分に何かあるからこそ、この内宮に来れたのかとも思い、この地に住んでみたいとも思ったが、結局それもこれも偽りの思いであり、世代間で揺れ動くどっちつかずの私に、一度は第一世代という高揚さを与え、だが実際は第三世代という現実を与え、その落差から私に第三世代であるということを強く認識させたのだ。


 その結果、この場所よりも俗物的で喧しく、品の無い四日市に戻りたいという気持ちが生まれたのだ。この気持ち、思いには嘘偽りは無いという確信はないが、場所や神でもない、第一世代からの決別がそれを後付けしてくれた。決別は、もしかしたら彼らと似ているのではという淡い期待感が生まれることを阻止し、私に第三世代という印を押しているのだから。


 睡魔に襲われながらも、禰宜の案内に従い駅へと向かった。また長い道のりを歩くのかと思ったが、社務所横の細い松林の小道を数分歩くと駅前の砂利道に出た。

 あっけない帰りでこれらから四日市に帰るという強い意志が空振り、帰路に対する力強い足取りはどこに向かえばいいのかわからず、私は最後の最後まで自分の感情がもてあそばれているのではと懐疑的になった。この地に降り立った時には思いもよらなかった行動を私はした。砂利を数個蹴飛ばした。


 出仕たちは何か喜ばしい祝福のような優しい笑みを浮かべて、私のその行動を見ていた。見透かしているような瞳は午後の緩やかな陽の流れを映し、宝石ように輝き、そして無機的であった。出仕たちは私用端末が入った箱を持っており、禰宜の声で一人また一人と私用端末を回収しては駅構内に入っていった。私の番になり、私用端末を受け取ると出仕の一人が、

「松場様、本日はお疲れ様でした。初の内宮入りはさぞ思うところがあるとはおもいます。ただ、ここは日本のこころのふるさとです。それだけはゆめゆめお忘れなきよう」


 ホバートレインには既に内宮ではいなかった数人が乗っていた。彼らは私たちを待っていた様子はなく、自分たちが内宮に行ったのかそうでないかすら気に留めている様子も無かった。特に誰も言葉を発しなかったし、自分たちが内宮に言ったなどと言いふらすような人はおらず、そもそもそんな発言をする人は内宮入りできないはずであった。私は適当な席に着き、車窓から伊勢湾方面の青空を眺めた。薄雲が膜のように青空に広がって、ここに来た時に見た青らしい空ではなく、薄い水色であった。ホバートレインはゆっくりと動き出し、伊勢緑地帯を後にした。日本のこころのふるさと、そこに辿り着き何かを得た、その無根拠な充実感と眠気が相まって、私は瞼を閉じた。

 

 目を開けると、ちょうど亀山を抜け鈴鹿に差し掛かるところだった。車窓にはいくつもの雨粒が重なり線状を描いていた。先ほど見た薄雲は雨雲へと変わり、伊勢湾を望む景色は白く濁っていた。高級住宅のクラシカルなレンガ風の家壁や、濃紺の三角屋根は雨によってより奥ゆかしさを増し、高級感を滲み出していた。雨音はどこかリズミカルで、高級住宅街から奏でられているようであった。各家々の庭の草木や街道の並木は雨風に揺れ、静的な建物に動的なものを差し入れ、調和をもたらしていた。行きに感じた時代の正解像故の残酷さは私を苦しめるだけであったが、今は苦しさはなく、この景色も悪くなく思えた。


 四日市駅に着いた。依然として代り映えしない景色や風景であったが、ここが自分の居場所であるという認識が、それを安心感に変えてくれた。坂峠農場長もいつもの第一世代らしい落ち着きを見せていて、別れ際の挨拶からもそれは確かであった。吉川君は伊勢神宮に行ったことへの興奮が冷めやらぬのか、少々感慨に耽っているようだったが、皆多かれ少なかれ日常を取り戻していた。坂峠農場長の解散の挨拶で私たちは自宅への帰路に就いた。まだ昼過ぎということもあり、自動バスは私一人しかおらず、雨のため街角を歩く人もおらず、私は人寂しさを感じた。この感性は如何にも四日市らしく、第二世代が昼休憩に風俗に行く気分を悪く思えなくなった。


 家に着くと、栞が出迎えてくれた。

「おかえりなさい、雨の中大変だったでしょ」

「ただいま、大変だったけど行ってよかったよ」

 栞の若く可愛らしい顔立ちを見て、私は栞を抱きしめた。その夜、これまでにない多幸感を得た私は、興奮のせいかホバートレインでの睡眠のせいか寝付けずにいた。隣には柔らかく滑らかな肌の栞が小さく寝息を立てていた。ベッドの横のライトスタンドに置いてある栞が処方している睡眠薬が目に留まった。私は思い切ってそれを飲んだ。それは私が第三世代であることへの証明と第一世代との私自らの決別であった。睡眠剤からの眠気は、昼のあの食後に来たものよりも数段と気持ちよく感じられた。

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