第6話 内宮

 光が瞼を透かし、自分が目を閉じていることを理解した。耳にはゆっくりとした穏やかな声が聞こえ、唇には瑞々しい空気が触れていた。目覚めるように体を起こし、目を開くと艶やかな檜板の床が広がり、奥の神棚は榊、水玉、徳利などが置かれており、中央の神鏡は曇り一つなくただ光のみを反射していた。その横には薄明るい雪洞ぼんぼりが置かれていた。その神性な光景を見て私はやっと記憶が繋がり、倒木に腰を掛けていた自分を思い出した。ここはどこなのか、なぜ自分が今ここにいるのかそういった疑問はこの神性さによって抑えられ、私は一呼吸ののち正座を組み服装を整えた。妙なことに服は汗ばんでおらず、朝袖を通したときと同じように軽かった。私の髪も汗でべたついておらず、不思議と清涼感であふれていた。服や髪だけでなく自分の内側に意識を向けると、歩きでの疲労はなく、手足の指先にまで意識が行き届き、昨夜の睡眠不足も解消して、内臓の血の巡りもいいように感じられた。それはまさに生への実感であった。


「もし、お目覚めですか、松場様」

 それは、目を開ける直前に聞こえたあの声だった。真横の入戸からその声主は現れた。声主は白衣に八藤丸文様が入った紫の袴をはいている、彫りの浅い顔立ちの男性の禰宜ねぎだった。中年ごろに見えるが、顔肌には張りがありかすかに若さが残っていた。私は自分がいかにしてここにいるのか問いただしたかったが、返事としては不当に思われたため、ただ適当に「はい」と小さな声で返した。禰宜は私の生へ満ちた顔立ちを見て、にこりと微笑み安堵を表しているようだった。そして、大きく息を吸って吐き出すように、

「ようこそ松場様。ここは隔絶神域内宮でございます。遠い中本日はよくお越しくださいました」

 遠いという言葉をわざとらしく重く大きく言ったように聞こえた。その意味が道中のことを指しているのは明らかであった。しかし、内宮という言葉に安心し、目覚めて早々一瞬もしやと思ったことが私の思い違いでないことが証明された。

「松場様。早速でございますが、ほかのものと合流なさいましょう」

 その言葉に身体が勝手に動き、私はゆっくりと立ち上がった。先ほどまでいた板の間を出ると、渡り廊下が伸びており、天井付近の一連の長方形の隙間から光の線が床板を照らしていた。渡り廊下を抜け、大広間に案内されるとそこには数人が静かに正座し茶など飲んでくつろいでいた。四日市駅で一緒にホバートレインに乗ってきたメンバーで、等間隔に座っており、その隙間から計算して私を含めて十人ほどだった。他のメンバーもここで待つのかと思って、案内されるがままに正座して茶を啜っていると、席を外していた人が戻ってきた途端、禰宜がうやうやしく挨拶を始めた。

「本日はこのにお越しくださり、誠にありがとうございます。ここにいらっしゃいます十一人で参拝とご祈祷の方を行っていただきます。案内はこの私が務めさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします」

 実に機械的な挨拶は無機質であったが周りを包む神秘さの中では返って耳に残った。目覚めのとき聞いた穏やかな口調ではないのが、私にここが内宮であることを大いに自覚させた。しかし、十一人しか内宮にたどり着いていないというのが不思議であった。我々は五十余りのメンバーで内宮の道を進んでいたのにこれだけしかいないのは実に疑問で、さらにはこれから先残りのメンバーを待つこともしないのも疑問であった。死んだように、いや実際自分は死んだのか、何かあって生き返ったからこそ今自分はここにいるのか。まだ目覚めたばかりで脳が完全に覚醒していないらしく、思考は謎を解けぬまま私の中をぐるぐると駆け巡った。私のいぶかしそうな顔を見たのか禰宜がまた穏やかな声で言った。

「松場様は初めての内宮入りですね。その気持ちになるのは大いに分かります。しかし、それは後ほど・・・」

 そう微笑みながら息を切るように言うと、私はようやく思考の渦から解放された。その言葉は私に落ち着きをもたらし、辺りの風景に鮮明な色を与えた気がした。禰宜の顔に赤みが差し、また私以外の十人の顔の輪郭がはっきりとした。その顔の一つに覚えがあり、それは坂峠農場長だった。


 彼はとても嬉しそうな満ち足りた顔をしていた。振り返り私の顔を確認しても心配そうな顔はせず、ただこの場に一緒に入れることに対する感謝の念をあらわにしていた。それを見て、私は今一度ここが内宮であること、自分がここにいることに何か誇らしいものを感じた。しかし、私は禰宜の言葉を忘れなかった。初めての内宮入りというあの言葉である。私は以前にも三回、伊勢緑地帯に来ている。そのときも同じように内宮に来ていたと思っていたが、それは思い違いだった。私は今日初めて内宮にきたのだ、前の三度の来訪では内宮に行けず、ただ外宮を参拝して五十鈴川の川音を聞いて、いつの間にか帰路についていたらしかった。もう一度周囲を見渡すと、自分と同じぐらい、それより若い人は二人ぐらいしかおらず、後は皆第一世代らしかった。当然吉川君の姿はなかった。


 禰宜の案内で表に出ると、日はちょうど真上に来ており、全てを包み込む羽衣のような光が天からゆっくりと地面に落ちてきていた。その羽衣は砂利で満たされた地面に接すると同時に砂利一つ一つを包み、濃い灰色の砂利たちは繭を覆った蚕のように白く、そして光っていた。辺りは我々が歩いてきた道同様に木々が砂利道の端を満たしていた。ただ、砂利道の幅は広く、距離もあったせいか、視界には青空が入り、付け足したかのように小さな雲がいくつか見えた。耳にはあの我々に希望という呪いを与えた五十鈴川の川音が入ってきた。しかし、始め聞いた時よりも神秘さが欠けているように思え、その川の流れを見たいと思いさえすればそうできる不定形の自信があった。目の前の砂利道からは水草の匂い、川辺の生物の匂い、木々が濡れた匂い、そしてそれらに湿気をまとわせ一つにした川の匂いが香った。砂利道の先には、小さく擬宝珠ぎぼしと鳥居の柱が見えた。太陽が砂利道を上から照らすなら、その小さく輝く擬宝珠は砂利道を横から照らしているようで、太陽の光を少しも弱めることなく反射していた。


 我々がいた建物はどうやら社務所らしく、横に長いひっそりとした茅葺屋根かやぶきやねの建物だったが、どこか人の気配が漂っていて、耳をすませば神職の勉の教えの声が聞こえた。幼子の快活とした声さえ聞こえ、出入り口の取手は擦れて滑らかになっていた。また、柱の一本は年老いた神職が体を支える手摺のように使ったせいか、真ん中より少し下の部分は秀でて木の内面を露わにして、その表面は煌々と照っていた。その、人の時間が無機物に反映されている様は、私に趣深さを与えた。それと同時にここがここだけが人が住むことが許されている局地なのだと理解した。おそらく、この伊勢緑地帯においてこの平長屋だけしか人の住居はなく、神職たちはここで生活しているらしかった。


 ここに住んでみたいと思った。俗世から離れ、神秘的で伝統的な徳のある神職に就き、長い日本の歴史を受け継ぎ、そして自分もその歴史になる。そんな穏やかな生活を送り、そして死にたいと思った。毎日青臭くなりながら、耳に残る機械の駆動音を聞き、目に入る代り映えのしない野菜の緑、そんな生活よりも、様々な木々や草花から香る爽快な匂い、耳に入る繊細な自然の音、そして目に見えるのは本当の四季折々の色彩、そこで生を謳歌したいとは極々自然な気持ちであった。だが、この極々自然な気持ちは私でなくとも誰でも感じるのであろうという考えが、墨流しのように、ゆっくりと私の頭の中に渦模様を描きながら染め広がった。


 我々は物思いに耽っていたが、禰宜の言葉で我に返った。

「皆さん、ここで様々なことを感じ、お考えになるとは思いますが、本日の予定に響きますので、申し訳ないのですが感慨はそこまでにして、先を急ぐとしましょう」

禰宜は苛立ちの表情は見せず、我々の時間をただ大切に心配しているようだった。我々は禰宜の温和だが眉を少しひそめた顔を見て、小太陽のような擬宝珠の方へ歩き出した。擬宝珠に近づくにつれ、その輝きは薄れ、青銅の滑らかな表面の色を強めていった。柱しかとらえることのできなかった鳥居は徐々に三次元的な構造を持ち、その全容が見え始めた。


 我々は鳥居の前、そこから続く宇治橋の前に辿り着いた。宇治橋は緩い曲線を描いており、橋の中腹部が膨れ上がって、我々に対岸の景色を目にすることを許していなかった。辺りは静かというよりも無音で、言葉を出そうとしても首で止まり、呼吸もうまくできている気がしなかった。宇治橋の下を流れているはずの五十鈴川の音も聞こえず、気味が悪かった。鳥居の横は松が仰々しく生えており、うねった幹が絡み合って対岸や川を垣間見ることさえかなわなくしていた。姿勢の良い禰宜がさらに背を伸ばし、鳥居の前で一礼した。それに続き、我々も背を伸ばし、一礼した。鳥居をくぐり、橋に足をかけると先ほどの無音は消え、川音が一斉に聞こえた。無から有への変貌は今まで聞こえた空疎な音ではない、実体のあるまるで触れているかのような音を我々に与えた。音で揺れる身体を支えながら橋上の景色を眺めると、川の上流側に木除杭きよけくいがまっすぐと六本立ち並んでいた。その杭の先には小さな屋根があしらえてあった。水面に浸かっている表面は濃い茶色をしており、よく見ると少し傷んでいた。それはまさに橋の守り人であり、その傷は勲章のように、日の光を反射した水面で見せつけるように照らされていた。一羽のカワセミが小さな屋根に止まった。羽の鮮やかな青に温かい橙色が映え、きょろきょろと辺りを見回しているさまは何とも美しく愛くるしかった。我々の存在に気付くと、見回すのをやめ、水面の魚を狙うような凛々しさを出してきた。一介のカワセミであったが、私にはその美しさや神秘さから神やその使いであるような気がした。歩みを止め、まじまじと小さき使徒を眺めていたかったが、禰宜は止まらず、何か急いているように足早であった。遅れまいと正面を向きなおした。


 対岸にある鳥居が見え始めた。鳥居は我々が目視したことで現出したかのように、肌や空気の流れからその大きな構造物を認知できなかったが、見るという行為によって質量をもち、今まで流れていた空気をほんの少し乱し、その存在が確かであることを訴えていた。そしてそれは見る行為によって構築されたせいか、真新しく、濃い檜の香りが漂ってきた。そんな神秘ではない魔力じみた鳥居に心奪われ、半ば盲信的に橋を進んでいたせいか、いつの間にか鳥居をくぐり、対岸に着いていた。そして、禰宜の道行くまま又しても盲信的に我々は進みだした。


 ご祈祷は神楽殿かぐらでんで行われることとなっていた。神楽殿は伝統的な舞で神を降ろし、神と人が交流する場だそうで、建物の細部には金色の金属装飾が施され、質素で厳格な建物全体を縁取っていた。建物は古く、雨風に打たれた柱たちは黒ずんでいて、屋根の瓦も黒く、神楽という名前には少しかけ離れた風体であった。中に入ると外観とは違い、壁も床も真新しく、檜の柔和な木目が差し込む日に照らされその温かみを増していた。床は鏡のように我々の影を写し、気を抜くと割れてしまう薄氷のようであった。部屋の中央から奥は少し段差が設けてあり、ちょうどその天井には簾がたたまれていた。段差から奥は壁代かべしろがかかり、中央奥には机があり、そこには神饌しんせんをお供えする三方さんぼうが物寂しく置いていた。概ね社務所の大広間に近い間取りと内装であったが、満ちている空気は澄んでいて、どう呼べばいいかわからなかったが私には人の穢れが無いように思われた。


 段差前の床に座るように言われ、我々は静かに正座した。それから少しばかりすると、端の壁代が割れ、大きな黒い烏帽子を付け、深緑の装束を着た権禰宜ごんねぎが現れた。大麻を両手で捧げるように持ち、我々の前に座りそれを左右にゆっくりと振りながら修祓しゅばつを始めた。我々一人一人の前で丁寧にその行為をし、それを受ける私たちは深々と頭を下げた。修祓を終えると、丈長を綺麗に結ってある白衣と緋袴ひばかまを着た巫女たち出てきて、献饌けんせんが始まった。彼女らは代わる代わる手に持った米や、野菜、魚や酒を三方に置いていった。献饌を終えて、我々の前を通り過ぎるとき、巫女たちは私たちのほうを向き微笑んだ。その色白な顔に唇の赤い紅が映え、唇だけがとってつけたかのように浮いて見えた。どの巫女も顔や体格は違えど、何か根っこは同じように感じられ、ふいと私は思い出した。しかし、顔や容姿が違い、ましてや遺伝子も違うのは明らかであったが、目に見えないどこかの形質が同じであることにうっすらと気づいた。それが何なのか確信をもって言い表せないが、ごく簡単にありていに言えば魂である。そうしたものが本当にあるかわからなかったが、今はこの言葉がしっくり来た。そして同時に魂を持たないということが汎用野菜のことのように思え、実は彼らは姿形は違っているが魂が無いから同じように見えるだけでないかと思うようになった。ただ、遺伝子が同じであることを忘れてそんな人間と野菜とを比べてしまうほど私はその場に酔っていた。


 献饌を終えて権禰宜が、奥の机の前に我々を背に座り、どこからともなくきれいに折りたたまれた和紙を取り出し、そこにある祝詞のりとを口にした。声は小鳥のさえずりのように小さかったり、荒波のような轟音であったりと強弱の波があった。それを発する権禰宜のどこからそれが出ているのか不思議で堪らなかったが、時折発せられる聞いたことのある声が、とても懐かしい気分にさせ、それが耳に入ると私の疑問はどこかに消え去った。しかし、ただ一つ言えることはその声も言葉も日本人としての魂に刻まれたものであることには違いなかった。


 祝詞は途中から我々の幸を望む形となり、一人一人の名前と農場名が声高々神楽殿に響いた。多くの農場従事者たちの農場は、どれも大手のいくらか雑誌や新聞で見たことのある名前の汎用野菜農場であった。しかし、部屋の左端に座っている私の右隣の二人は違って、一人は千年以上続く由緒ある蓮根農家の長男坊で、もう一人は新進気鋭の香辛料農家の女性であった。どちらも農場業界では異端児扱いされ、蓮根農家はレイヤー建築をいち早く蓮田に応用し注目を浴びたが、わざわざ蓮根だけにまるまるレイヤー建築を用いる必要性や水の循環機構の懸念を嫌味らしく言われていたり、香辛料農家は四季構成構造を改変し、三季構成構造という冬層がない、春と夏層で栽培し、香辛料を適度に乾燥させる秋層として用いていた。四季構成が一般的となった現代では彼らのように改変する人は、特に四季構成導入で恩恵を受けた保守的な第一世代たちに毛嫌いされていた。四季構成による農業の発展、ひいては日本の発展を彼らは否定しているのだとしわがれた顔の敏感派がニュースで溌剌とした声で叫んでいるのを聞いたことがあった。しかし、少なくとも彼らがこの内宮に来てご祈祷を受けていることに日本農業、そして我らの神々は認めてくださっているのだろうと思うと彼らの凛々しい顔立ちに納得がいった。最後に呼ばれた私の名と農場名が酷く凡庸で私は赤面した。


 修祓と祝詞が終わり、権禰宜が壁代に消えると、同じ服装を着た複数の別の権禰宜たちが手に和楽器を持ちながら反対側の壁代を割って出てきた。彼らは段差上の壁際一面に座り、一呼吸ののちその楽器を構えた。手は微動だにせず、銅像のように動く気配がなかった。その銅像に華を添えるように、巫女装束に千早ちはやを着た巫女たちが出てきた。頭には榊の折枝おりえだを着け、手にも榊を持っていた。四人の巫女が配置に座ると、銅像はゆっくりと動き出し、雅楽を奏でだした。朝の退屈なニュースと共に流れる機械に作られた生の無い音楽ではなく、産声を上げ儚くも生きている音楽であった。その丸く小さな音の粒は、壁や体に反射することなく吸い込まれ、壁や身体の一部となって生き始め、空気でしか生きられない儚さは消えていった。生ある音を一心に受け止め吸収しているのは他でもない巫女たちであった。神を降臨させるためには巫女たちの生では足りないのか、巫女たちは雅楽の効力によって、無限とも言える神と同じだけの生を得ているのだった。巫女たちは立ち上がり、ゆっくりと倭舞を踊り始めた。しかし、一見華やかに舞い踊っている様は、過剰なまでの生を得て神の依り代になり得ようとして苦しんでいるようにも見えた。白粉を塗った顔は生を得ているのに、益々白くなり、唇の紅も黒く深い紅へと変化しているようであった。雅楽の生は巫女たちには還元されず、巫女たちを通して神へと受け渡されており、それでも足りないのか、巫女たちが本来持っている生すら失われつつあった。等身大の絡繰り人形になり果てた巫女たちが空を踏むようになると、雅楽はその小さな小さな生を終わらせた。巫女たちの榊に薄茶色が差しているように見えた。


 舞の終わりはご祈祷の終わりであり、我々は神楽殿でゆっくりすることはなかった。再び禰宜が現れ、参拝の道順を案内し始めた。途中、御手洗場みたらしばと呼ばれる、五十鈴川に面した幅の広い石段で手を清めた。そこから見える五十鈴川は日に照らされ白く反射している水面ではなく、透き通り、川底にある大小の石たちが揺れていた。時折、銀の光が石の揺らぎから輝いた。石には緑茶色の藻が一様に生えていたが、所々剥げ欠けていた。その様子から銀光の正体が鮎であるとわかった。縄張り意識の高い鮎が喧嘩でもし、横腹が日に輝いたのか、銀口魚の由来のごとく、口が光っているらしかった。鮎以外にも沢蟹が大地の一角のごとくゆっくりと動いていた。その体色は先ほど見た巫女の緋袴のように赤く、少し引いて川面を見ると、点々とその緋色があった。清めた手は日頃の機械的な空気ではなく、意気揚々と生きている川の生物のように自然の力を得て、滴る水滴は野菜が浸かる培養液よりも数段良質な液体である気がした。


 参道は代り映えのしない砂利道であったが、横ばいの木々は杉で統一されていた。杉の下には背の低い羊歯が生え、根の醜さを隠していた。参道の中にも杉が生えており、一本一本丁寧に竹の皮が巻かれ、景観を素朴に彩っていた。やがて、太く背の高い杉がいくつも現れ、外宮のように自然の砦を築いていた。神を守りそして秘匿するかのような杉は不動で葉音すら立たせず寡黙で、あたりの空気を一層重くそして暗くしていた。皇大神宮こうたいじんぐうはもうすぐであった。

 我々は石段の前に立っていた。正直なぜ立っていれるのかわからないほど、石段の奥から漂ってくる神性さが強く、今すぐにでもひれ伏したくなった。禰宜は石段から上には上がらず、下で待つとのことであった。だと言うのに、誰も石段に一歩も上がらず、佇立していた。


 又しても試練なのかと思った。そうまでして人を拒み選別している理由が私にはわからず、無形の現象である神がここまでの猛威であることに納得がいかなかった。この地に足を踏み入れた時の高揚感はもうなく、この場に佇む空気に慣れている私がいた。私はその慣れという適応能力に人間の強さを感じ始めた。これが同時に神にはない人の力であると確信した。もうこの神性な圧も慣れた。私はそう心の中で言うと石段を登った。足取りは軽く、石段の硬さが逆に足裏に響き、足の軽さに質量も持たせてくれた。後から思うと、私のこのか細い反骨心を神が引き出してくれたのかもしれなかった。ただ風になびく草花のように過ごす平穏で不変な日々からの脱却を、神は私に思想的にお与えくださったのかもしれない。


 その思考さえも神が導いたものであっても、私に沸いたこの初々しい感情は心地よく、目の前の石段を上る理由としては十分であった。

 参道や石段を抜ける風はなく、ひんやりとした空気が満ちていた。私は石段頂上の鳥居の前にいた。宇治橋のそれとは違い、柱からはうっすらと苔が生え、今まさに現出したような美しさや輝きはなく、薄汚れ今にも崩れそうであった。先ほどの神楽を思い出した。生を吸い取られた巫女のまさにそれであった。自分の生が抜かれぬように、この鳥居から外に神の瘴気が漏れ出ぬように守っているようだった。私は深々と神にではなく鳥居に対して礼をした。そして、水中に潜るかのごとく、息を大きく吸い、鳥居をくぐった。


 そこは別世界であった。新設された玉葱エリアよりも狭い神宮は自分の住んでいる世界とは違っていた。そこだけ、この世から切り離された疎外感があり、私を包む空気は妙に軽く、呼吸のたび体が浮きそうになった。唯一神明造しんめいづくりの建築は神が鎮座する設計というよりは、神秘さの秘匿を守るようであり、神楽で舞降ろされた神がそこに無理やり押し込められているようで、結界的意味合いが強く感じられた。

 御幌みとばりは神の存在による圧で揺れ動きそうなのを必死に耐え、私が神宮内を直視させないよう務めていた。神楽によって無理やりなのか、それとも気まぐれなのか、神は降ろされていた。神という意味が込められた空間とそれを満たす空気が、人間の業によってこれほどまでに重く、物理的な質量を持っていた。その質量を絶えず保つために、我々日本人の歴史は紡がれて、そしてこの先も続き後世につなげていくのだ。巫女が生を搾取され、御幌によって正面を直視できない理由が今はっきりと理解できた。


 という意味は数多の願望から生まれ、それが幾年の間に注がれ、凝縮し、そして保たれてきた。日本人の心のふるさとという言葉は例えではなく、まさに本当のとこであった。私はようやく答えに辿り着いた気がした。ならば私も目には見えない心に新たな願望を注ぎ、自分自身も歴史の一部となろうと思った。

 二礼二拍手一礼。重く湿った空気に柏手の甲高い乾いた音が響いた。御幌はその音にも耐え、外宮のようにひらりとする甘さは無かった。これまでの道中で私は多くの感傷に浸り、少なからず何かしらの願いらしきものに触れたはずであった。しかし、一礼中にこれといった願望が出てこなかった。

 現代社会の人々にとってこの地で参拝することはそれ自体が幸福であり、そこでありとあらゆる幸福を願うというのに、私は無欲であった。この地に来る幸福もなく、そこで願いたい幸福もなく、ただただ空虚であった。こうしたかったはあるが、こうしたいという未来への熱望はなかった。今の生活に満足しているわけでもないが、ただ不満がないだけで、物に対する純粋な所有欲もなかった。私は礼で下げた頭を上げれずに悶々とした。目を閉じ己の欲を探求したが、自分で手が届く下卑た欲しかなく、それをここで改まって願うのは場違いである気がした。


 隣で太く大きな柏手の音が鳴った。目を少し開けちらりと見ると、姿勢を正し、凛とした顔をした坂峠農場長がいた。農場長という地位を得ている彼はいったんどんな願いがあるのだろう、参拝中なのに他人の願いさえ参考にしたい気持ちでいっぱいだった。彼は一連の動作をすると深々と懇願するわけでもなく、颯爽と神宮を後にした。その無欲らしさ、仮に欲があったとしても大雑把で抽象的なものである彼の行動は、もう自分が歴史の一部になったから何も注がなくてもいいという投げやりな風にも見えず、ただ奥ゆかしさだけがあった。


 結局、私は自分自身の空虚さの消失を願った。坂峠農場長のように達観できず、五六人が横で参拝するなか、欲がないことそれ自体が問題であるとし、それの解決を願った。自分でもこんなにも面倒くさく、ひねくれていると嫌になった。参拝が終わったら終わったで、本当はこうしておけばよかったのではなかったかという後悔が押し寄せてきて、自己嫌悪は加速した。初めての内宮入りと言うのに、こんなにも自分もさらけ出し、死ぬかもしれないと思ったというのに、最終地点はこんなもので終わったことが現実として受け止めきれなかった。自己嫌悪と憔悴の中、社務所に戻ってきた。格子窓から見える青空をただ漠然と眺めていた。呼吸一つ一つはまるでため息のように、小さく音を立てていた。出された茶は味がせず、ここが伊勢緑地帯であることなどもう頭の片隅にも無くなっていた。坂峠農場長が今まで保たれてきた静寂を破った。

「松場君、大丈夫かい」

 私はゆっくりと首だけ動かし坂峠農場長の方を見た。返事はしなかった。

「ひとまず初めての内宮入りおめでとう。ここはそんな簡単に来られる場所じゃないからね」

 声は優しく、心の底から喜んでいる様子だった。第一声は私の蒼白な顔を見て、心配し、重い堅固な静寂を破ったらしかった。その言葉は私を現実に引き戻した。それと同時に、私のためだけに、私のような人間のためにこんな神秘を壊す行為をしたことに私は申し訳なさを感じ、また彼の優しさを今一度思い出した。私にはこの神秘を壊すことはできず、大丈夫であることを表情で示した。私の顔に少しの生気が戻ったのか、坂峠農場長は安心し再び静寂が訪れた。彼の心配した顔が、研究が白紙になって路頭に迷っていたときに声をかけられたときと同じであることを私は懐かしんだ。私は心の中で感謝の念を唱えた。ただ、参拝時の己の無欲さだけがしこりとなって残った。私はこれから先、このしこりを抱えて生きていく覚悟はなく、どうにか欲のある一般的な市民である幸福探求者になりたくてしょうがなかった。日増しにこの思いは強く、重くなっていくように思われた。


 坂峠農場長の言葉で現実に戻ったが、現実は現実で、どうしようもなく不安で満ち足りなかった。そんな気持ちは胃にも伝播したのか、空腹を覚えた。朝口にした高栄養キュウリは既に消化され、もう二三本食べていればよかったと思った。私の人間の本能的な欲が出たのを確認したかのように、禰宜が昼餉の案内を伝えに来た。

「皆さん此度ははるばる伊勢緑地帯に来てくださり、そして各宮への参拝お疲れ様でした。ささやかではありますが、お食事を用意いたしましたので、どうか少しでもお疲れを取ってください」

 言われるがままに別室に案内されると、漆黒の机の上に見たこともない食べ物、ましてやと言えるものがそこに並べられていた。

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