第5話 外宮
伊勢緑地帯は三重の南勢全土を占めており、ホバートレインが緑地に入ると、左右の木々たちは緑のトンネルを作り出した。先ほどまで見えていた海の青さは一瞬にして新緑になり、日光が遮られ、時折入るまばらな光が車内に入り込んだ。先ほどまで談笑していた我々はこの地帯に入ると皆口を閉じ始めた。後十分で伊勢に着くアナウンスが車内に響いた。それを聞くと皆は崩していた正装を整えだしたり、精神安定剤を飲んだりしていた。坂峠農場長は重みのあるのし袋を確認し、大事そうに正装の内ポケットにしまった。
ホバートレインは静かに伊勢市駅に到着した。ホームは静寂としており、音を出す行為が禁止されているようだった。伊勢市駅と書いてある木製の大きな看板があるだけでプライベートスペースも売店もなく殺風景だった。駅全体は時代錯誤な木製でできており、我々が普段嗅いでいる匂いとはまた別の植物の匂いがした。ホバートレインはこの風景に馴染めておらず、浮いて見えた。それは何度見ても首をかしげてしまうほど奇妙で、我々は下車してから何分かはその光景を眺めていた。出仕が二人来て、我々を案内しだした。若い二人であったが、どこか大人びておりその素振りから伊勢神宮の歴史を感じさせた。我々は誰一人として声を発せず、出仕についていった。駅を出ると、砂利道が一本あるだけで、後は緑に囲まれていた。振り返り駅の方を確認すると、苔むした板張り屋根に木目が揃えられた板で作られた焦げ茶色の駅があった。まるで一種の祠のようで、木漏れ日が一層そう思わせた。出仕たちは農場名が書かれた和紙が付いている小さな木箱を持ち出した。坂峠農場長がそこに私用端末を静かに入れると私たちもそれに続いた。私たちはそのあと、身体検査を受けた、これから神域に踏み入れるのに現世の穢れとなるものを持っていけないため、ここで接収されるそうだ。己の体のみとそれを包む正装のみとなった私たちは、日頃物にあふれた世界から解放された気持ちになった。吉川君のような新入社員たちは初めての感覚に多少の手持ち無沙汰を覚え、落ち着きがなくそわそわしていた。出仕たちが皆の身体検査を終えると、白衣と浅葱色の袴を整え、口を開いた。
「伊勢神域緑地にようこそお越しくださいました。先ほどの身体検査のご協力ありがとうございました。私用端末等はお帰りの際にお返しいたしますので、ご安心ください」
「本日はご参拝とご祈祷、そしてご昼食の予定となっております。その間私たちが案内をさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
爽やかな五月の風のような声が静寂を引き裂くと、日光が彼らを照らした。神性さをまとわせた彼らは、どうぞあとについて来て下さいと言い、砂利道を歩き出した。私たちが歩くたびに、砂利の音が響いたが、何故か出仕たちの歩みは静かであった。代り映えしない一本の砂利道と左右の木々の景色で、どれほど歩いたかわからないほどであったが、少しばかり疲労を覚えたところで開けた場所に出た。そこには
神道における作法は地方性があり、その土地に合わせたやり方があったが、日本という国が世界を牽引する存在になると、日本の文化体制が見直され、神道作法もその対象となった。神道において、多く分けて伊勢派と出雲派の二つの派閥があったが、伊勢派の神域展開論によって全国の神道は統一された。神域展開論は神とは神秘性故の存在であること、それは我々が気軽に見たり触れたりすることができず、秘匿性にとって価値を高め、さらに秘匿性は静謐さによって高まることを説いたもので、我々有象無象が気軽に彼の地に赴くことは神性さを下げるという意味合いであった。幸福を目指す社会において、神頼みという行為は実に安易で俗なものであるため、神秘性は薄れ神ではなく行為に重きを置いていることが問題視された。それにより、神頼みという行為を高潔で崇高なものとすることで、神秘性を高め、幸福の道として人々の努力の果てにある気高き門とした。これは、多くの人々を魅了させ、神頼みという行為は人間の幸福としてそれ自体が何よりの幸福であることを示した。神域展開論が確立されると、かねてより計画されていた伊勢緑地帯計画が実行され、伊勢神宮は安易に人がいけないような秘匿性を確保した。我々が今こうしてこの地にいるのは、農業という国家の礎となる仕事に就いており、農業は何よりも長い歴史の中で人が神と密接に関わってきた行為である自覚を身に着けるために、特別に伊勢緑地帯の神域進入許可が下りているからである。こうしたことから、いずれ来るべき幸福の一つとしての神道は一般教養として広まり、統一された作法は皆知っており、手水は誰一人として間違いなく行っていた。
一礼し鳥居をくぐると先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりや虫のさざめきはぴたりとやみ、物悲しさと同時に神秘さが強くなったのを感じた。辺りも日光があまり差し込まず、参道も湿って余計に薄暗くなった。何回か鳥居をくぐり、その度に一礼した。駅から手水舎の何倍ほどか歩いているにも関わらず、不思議と疲れを覚えず、猫背の私の背中もまっすぐ伸びていた。道の先はまだ参道が伸びているように見えたが、急に突風が吹き皆一堂に一瞬目を閉じた。目を開け再び参道の方を見ると先ほどまでには無かった杉の砦が見えた。何度か来たことのある者たちはそれが見えると今一度襟を正した。吉川君のように初めて来た者は狐か何かに化かされたかのように目を見開いて一瞬立ち止まっていた。杉の砦に守られていたのは
「ここが
豊受大神宮は衣食住の守護神である
拍手の甲高い音が辺りの森に飲み込まれるようにして消えた。豊受大神宮の参拝を終えて、四つの別宮の参拝を行った。どれも豊受大神宮とは違ってこじんまりとしたささやかな宮であったが、清掃が行き届いており、まさに神が宿っているようだった。日本人の華美さが無いつつましさの表現がそこにあった。各農場が一通りの参拝を終えると、出仕たちがまた案内を始めた。来た道を戻るだけなのに、自分の高尚な誇り高い何かが抜けていくような、そんな寂しい気持ちになった。今すぐ振り返り、その何かを手に戻そうと思ったが、何故か振り向くことはできなかった。
振り向くことは恐ろしい禁忌である、そんな気になった。前を歩く、坂峠農場長や豊崎さんの背中からもそれが感じられ、振り向きたさとその禁忌さへの自制心が波打っているようだった。手水舎前の最初の鳥居まで戻ると何か絡みつくようなものから解放された気分がし、ようやく振り向くことができた。先ほど歩いていた参道は静けさを取り戻し、神秘さが戻っていた。皆が足を止め息が整ったのを確認すると出仕たちが、「お疲れ様でございました。ではこれより内宮への案内をさせていただきます。ここから距離がございますゆえ、所々でご休憩の程を入れさせていただきます。何卒宜しくお願い致します。では」と言い、来た時には見えなかった、手水舎奥の小さな脇道を歩き出した。
去年も一昨年も自分は外宮と内宮を訪れているはずだが、いまいち記憶があいまいであった。これは私だけでなく、坂峠農場長や豊崎さんそれにほかの参拝者たちも同じであった。参拝の翌日には皆伊勢神宮には行ったという記憶はあったが、各正宮の形や参道での様子など細部まできちんと覚えてはいなかった。現に去年も通ったであろう脇道を皆不思議そうに眺めており、神域に行ったことを人の世に言いふらさないために特別な力が働いているようだった。そんなことを想っているうちに出仕たちはその脇道を進んでおり、去年も思ったであろうこんな道の先に内宮があるのかという不安さを感じ始めた。脇道はちょうど人一人分の横幅であったが、何故か自分にちょうど合っていた。前を行く中年太りした豊崎さんには狭いだろうと感じられたが、彼は特にそんなことを感じている様子はなく、むしろ私と同じようなことを考えているようだった。陽の光が木々の葉を透かし、服には緑色の光が映っていて、それは作業中の第二世代たちの服に映る色のようであったが、人工太陽光でもなければ農場の遺伝子改造された野菜たちでは決して作り出せない温かな優しい情のある色であった。そんな気持ちの良い光を浴びながら歩いていくと水の音が聞こえてきた。その音で私の中の記憶が呼び起こされ、まがだま池の存在を思い出した。
手水舎があった場所と同じ大きさほどの広場に出ると目前にはまがだま池がひっそりと広がっていた。手水舎とは違った不規則な水の音が辺りを満たしており、どこか不協和音に聞こえたが呼吸を整えるにつれ、心地よく感じられた。こんな美しい音を私は忘れてしまっていたというのが驚きで、今一度神秘さの力に震えた。その力は先ほど感じていた不安さを拭い去って、純粋に水際に咲く
正装が汗で蒸されてきた。太陽はもう真上であったが実際のところ今は何時なのかわからなかった。内宮に近づくにつれ暑さが増し、皆の足取りもどこか不安定になった。所々で広場がちょこんと現れて私たちは休憩した。そこで私たちは柄杓に入った一杯の水を渡され飲んだ。異様に冷たいその水は、口からのどに入って食道に流れ込んでいくのをはっきりと感じ取れ、胃に到着すると冷気が段々と体に広がっていった。汗は途端に止み、汗でぬれた服が重く酷く気持ち悪く感じられた。広場は木々が日を遮っていたが、風で葉が揺れると木漏れ日が差し、地面の砂利に反射してきらめいていた。そのきらめきは風が吹くたびに違った光を放ち、砂利が宝石のように見えた。それは、まがだま池の水面のもろくやわらかなきらめきとは違う固く尖ったような光で、何ともないただの砂利道であったが趣があった。休憩のたびにその光を見ては涼しんだ。出仕たちは重そうな白衣と暑そうな袴を汗一つかかず、風になびかせていた。木々の新緑と砂利の鼠色の中、袴の浅葱色は砂利の反射によってより一層目立ち、それに呼応するように白衣の真っ白さも目立った。道中では手持ち無沙汰からか、自然や日頃見ない服へ目をやり、この世のものではない気持ちでいっぱいになった。
再び水の音が聞こえ、周りの木々や空気が湿気を帯びてきた。その水の音は手水舎でもまがだま池のものでもない、力強くそして包容力のある川の流れる音であった。誰もがかの有名な
神を感じるときは人それぞれであり、俗世の喧騒の中では感じることはできず、ふとした瞬間、例えば夕暮れ時の農場の窓から見える赤く燃えるような御在所岳を見たとき、あるいは早朝の霧に霞む非実体の虚構的伊勢湾横断大橋を見たときである。この二つの共通点としては神域展開論にある静謐さが秘匿性を高めているという点、さらに自分という小さな存在が世界という大きな存在に覆われていることを自覚する点である。ここ伊勢緑地帯においてはこの二つが同時にそして継続して発生しているため、我々はそこかしこに神を感じている。広大な伊勢緑地帯は三重県の南勢全土を多い、一種の大きな世界観を作り出していて、この世界観は人という存在を覆うには十分な大きさであった。そして、限られたものしかそこに立ち入ることができないということが俗世からの切り離しで、喧騒からの脱却であった。まるでろ過した水のように静謐さは透明さを増し、一種の美しささえあるようだった。その美しい気高き静謐さは人が神を感じる秘匿性を得るにはこれ以上ないほど余りあるものであった。
しかし、不思議なことに目に見えているものは決まって自然物や人工物という単一の種類ではなく、そのどちらもあり得るということだ。また大きさや歴史は関係なく、ましてや姿形すらも全く関係性は無いのである。人工物は人が意味をもたらすために出来たものに対して、自然物は後から意味をもたらされた。そうした意味合いの前後差はあるが、物に意味が宿るとき同時に神が隠匿されているのだ。意味は人を行動させ、心を動かした。しかし、心は常に若々しくみずみずしくもない、段々と廃れ摩耗していく。そうしてその摩耗した個所を埋めようとあらゆる物に意味を見出しては補おうとする。基本的に人工物から得た意味によって摩耗した心では、本来の意味から新たな意味を見出すことは困難で、新たな人工物から意味を得ることが多いが、その心では新たな人工物を触れることなどできない。その場合自然物に対する後付けによる意味によって我々は心を安易に補填することが多い。だからといって人工物の意味は弱くもろいというわけではなく、人工物に付けられる意味は最初から重く固いものである。だが、人工物にしろ自然物にしろ後から確固たる意味をつけるのは難しく、絶大な崩壊することがない誰もが納得のいく意味をつけるには、神が必要だった。
結論としていえば、意味の最終点は神に到達することなのである。人工物は多くの年月や世代を超えて、意味が変化していき、最終的には人が触れることが無くなってしまうが形は崩れないため何か意味をもたらす必要性が出ていき、そうして神に辿り着くのである。自然物においては、人の理解の域を超えた超常的な自然現象は昔から変化することのない神の意味に到達し、それが現代まで滅ぶことなく保たれてきたのだ。そうしたことから八百万の神という思想が生まれ出たのではないかと私は考えている。伊勢神宮の心のふるさという意味合いはまさにそれをとらえており、少々滑稽に見えるが、紡がれてきた意味を否定することは日本人の存在を希薄にさせるだけであって、それは私自身の否定にもつながるのだ。
五十鈴川の音色だけで活気を得た我々は、徐々に日光が強くなってきていることを気にも留めずに砂利道を進んだ。木々の緑は深くなり、人間ではない虫や鳥や小動物の気配が強くなってきている気がした。駅を降りたときに聞こえた虫や鳥の鳴き声よりもそれらは大きく強かったが、一定のリズムの取れた上品さがあった。しかし、それなりに道を進んだにも関わらず、一向に道は開けず、ただ五十鈴川の川音が大きくなるだけであった。どんなに歩いても川音しか聞こえず、肝心の川面をこの目で見ることができなかった。どうやら私たちは試されているらしかった。五十鈴川の川音という飴を与えられ、人間らしさの欲が発露したのだ。
いくらか歩いたのち、私は外宮の寛容さを呪った。内宮に着かない困惑さは疲労に変化し、川音は夏の蝉のようにむさ苦しく感じ始めた。外宮までの単調な道のりは神域への軽視の感情を芽生えさせ、神へのひいては幸福への道は、例え参拝であってもそれは厳しいものではなくてならないのだ。簡単に手に取り体験できれば、前時代の無為にただ神の意味を持つから何となく祈るそんな低俗なものになってしまう。それは今の時代、神においても我々人間においても許されないのだ。神への道がホバートレインと数キロ歩いた先にあってはいけない、何か英雄的な代償や聖人的穢れの無さが必要で、一般人である我々がそこにたどり着くのにそういったものは持っていないし、ましてやこれから先そうなる覚悟もない。そんな我々がたどり着くには、この地に生えている木々のように高尚で欲のない清い存在になるしかない。しかし、欲がないとは同時に人間性の喪失である。前回、どうやって欲を断ち切ったのか、そしてまたこうして欲にまみれたのかわからなかった。前を行く出仕たちの後ろ姿が、嘲笑してからかって逃げていく子供のように見え、風でなびく黒髪は私たちのこころの欲の色を浮き出しているようだった。こんな感情もあってはいけないのだと私は恥じた。足はもう五十鈴川のせせらぎから得た力を失い始め、もう止まりかけようとしていたが、もう少しで着くかもしれないという淡い期待感がそれを止めていた。私だけでなく、多くの参拝者がそう考えているらしく、疲れた目の奥には一粒のきらめく輝きがあった。ただ、吉川君は違っていた。これが英雄に至る試練なのだと、挑んでやろうという、燃えるような闘志が目の奥から込み上げていた。その意思が神への道に遠ざかっている一種の傲慢さなのだと思ったが、同時に春層の新芽のような、若く青いこれからの成長に一心不乱に伸びる様はうらやましく思った。彼の目に私はどんなふうに映っているのだろうか、夏層のように成熟した美しい青さはないだろう、かと言って秋層のように落ち着きのある濃い青さも無いだろう。当然ながら、冬層の最後の生を解き放ったような一世一代の深く濃い美しい青さがあるはずもない。そう思うと残った期待感も消え、私は歩みを止めてしまった。汗が滝のように流れ出し砂利に落ちると、それは先ほど持っていた目の輝きのように輝き始めた。
立ち止まって汗と息が落ち着くのを待った。ずっと動いてきた体がまだ静を受け止めきれず、血の流れの速さを感じた。腕の曲線を流れて手に行く汗を見て、のどの渇きを覚えた。どうにか水が欲しくてたまらくなった。あまりにも身体から水分を失いすぎていた。私は、のどの渇きと疲労から砂利道の脇の倒木に腰を掛けた。脱水症の一歩手前であることを感じ、意識がぼやけてきた。このまま水分も補給しなかったら私はあのときわ台の寂れた家に戻れないかもしれない。そんなことが脳裏によぎり、急に自分の人生が走馬灯のように浮かび流れ込んできた。
思えば、うだつの上がらない人生だった。誰かに必要とされたくて、見栄を張り、傲慢な発言をしたこと、それを毎回後から一人後悔したこと。唯一受けた恩恵である地頭の良さは私に努力を惚けさせ、物事の中途半端さだけを残していった。やりたいことも他人に認められたいという不安定な自己肯定感を満たすためだけの動機でしかなく、真に心が情熱を持ったことはなかったのかもしれない。大学時代の研究も他から見れば熱心にやっていて、自分の中でもこれがやりたいのだと揺るがない思いがあると思っていたが、研究が頓挫したときは余りにも簡単に納得している自分がいた。結局のところ、自分は行動も気持ちも全てが中途半端で、熱しやすく冷めやすいだけだった。大学時代の研究はたまたま長く続いただけ、本当にそこだけが自分を自分たらしめるものであるという小さなプライドを残したのだ。その小さなプライドは山椒の用に大きさに見合わず、心の奥底にあってもすぐに発露し、触れられると必死に守ろうと他人に辛く当たったのだ。その小さな中途半端なプライドが内宮に否定されているのだと、流れる走馬灯の中で思った。急に自己嫌悪が押し寄せてきた、今すぐこの場から立ち去りたい、少し前まで外宮で参拝し、少しは特別な存在だと思った自分を殺したいとさえ思った。しかし、このみっともない姿でどこにどう消え去ればいいのかわからない私は、脱水症状で意識が完全に停止するのを待つほかないと思考を止めた。私の体は力を失い、腰かけていた倒木の後ろの木々に倒れこんだ。死の直前の生の輝きは感覚を尖らせ、土の匂い、梢の葉擦れの音、体で押しつぶした草花の軋み、そして目に入る日光の鋭さ。眩しいという感情はなく、突き刺さる日光は私に生への活力を再び注ぎ込んだ。
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