第3話 農場 2

 昼休憩時間になった。吉川君は気分がすぐれないと言い従業員医務室に向かった。あれでは昼飯は無理だと思い、一人で三番島に来ていた。三番島は農業労働者専用の商業施設から成っており、八百屋や飯屋、軽めの運動施設、そして風俗店が立ち並んでいた。私は馴染みの飯屋でそら豆定食を食べ、気分がすぐれない吉川君でも口にできそうな大葉と茗荷のおひたしを持ち帰りした。その帰り際、先ほどの第二世代たちが風俗店から出てくるのが見えた。昼休憩中に風俗とは、そういうところがさらに彼らの印象を悪くした。しかし、先ほどの豊崎さんの言葉を思い出し、彼らの不運を想った。幸運の中の唯一の不運。こんな時代だからこそ、そのしこりは残り続け、悪夢にでもなって出てくるのだろう。そんな悲惨さを風俗で紛らわすのも仕方のないことかもしれない。そんなことを考えていると自分に降りかかった不運を思い出してしまった。

「クソ、もう思い出さないようにしていたのに」

 私は駆け出した。第二世代に向かって言ってやろうと思った。自分たちだけが不運を被った悲しき世代ではないのだと。もう何メートルのところまで近づくと坂峠農場長から連絡が入った。ポケットの中からくる端末の振動がゆっくりと私の体全体に響き、私に冷静さを取り戻させた。私は立ち止まり一呼吸をついた。彼らに私の不運をぶつけても何も解決はしないと気づいた。もう二三度深呼吸をし、ポケットから端末を取り出した。連絡は明日のスケジュールについてだった。それにともない吉本君の研修は今日一日で栽培層までの案内見学をするようにとのことだった。配送案内は別日に行う旨もあった。私は端末で内容を確認し、残りの葉菜と根菜層は設備が似ているから今日だけで間に合いそうだなと思った。農場長に今日だけで見学は間に合う旨を伝え、顔を上げると、そこには第二世代たちの姿はなかった。激しく振り回されたおひたしから汁が漏れ出し、昼休憩を終えるアラームが三番島に響いた。


 タッパーのおひたしは振り回され盛大に偏っていたが、吉川君は喜んで食べてくれた。口の中がさっぱりして気持ちよくなったのか、先ほどまでの顔色の悪さは無くなっており、朝の血色の良さを取り戻していた。午後の見学内容を伝え、さっそく葉菜春層に移動した。昼前の第二世代とのいざこざを蒸し返さないようにと気遣い、エレベーター内ではお互いに無口だった。葉菜春層は豊潤な土の香りがした。果菜とは違い、種は栽培土に植え付けられるため、フロア全体は一面こげ茶色だった。種配分装置が機械音を立てているだけで静かだった。基本的に春層は午前中に装置の調子を確認するためにフロア内に人が入るが、午後からは全くの無人になっていた。吉川君は正確に動く装置のアームを漠然と眺めていた。私はこれといって話す内容がなかったが何か話さなければいけないと思い、

「南瓜は果菜だけどこの葉菜層で栽培しているんだよ。茎が実を支えきれないからね」

「はい、そうなんですね」

 先ほどまで涙目になって咳き込んでいたとは思えないほど気の抜けた返事が返って来て、何かを悟った私はこれ以上話すのをやめた。管理室で軽く挨拶を済ませた後、葉菜夏層に移動した。私が働くこの農場はいわゆる汎用野菜を育てており、日本国内だけでなく世界的に需要が一定で安定している野菜のことだ。そして汎用野菜は国際基準が設けられていて―――といっても世界で出回る作物の全ては日本産であるが―――四日市以外の農場都市で作られた物でも味や見た目は全て同じである。そのため葉菜層で栽培されている野菜の八割は需要安定のキャベツだった。夏層といってもキャベツがとう立ちして花が咲いてはいけないから、葉が規定に達し結球し始めた段階で秋層に送り、球が肥大し適固値になるまで栽培される。冬層では果菜のように三次元的な収穫の複雑さはないため、収穫は全自動で短時間で行われる。そのため、栽培周期が早く、多く出荷できるため農場の経営を支えていると言える。吉川君はそんなことを言わなくても自然と理解しているようだった。キャベツエリア以外に白菜エリアがあることを確認した吉川君は夏層に向けて歩きだした。葉菜夏層は夏と銘打っているが層全体は5℃と低く、まるで冬の気温だった。気温が寒くなることでキャベツの糖度を上げるのが目的で、この糖度にも出荷基準が設けられている。また糖度を上げるために気温を低くしすぎると葉が肉厚で繊維質になるため、時間帯によって温度が調整され、最高27℃、最低2℃を段階的に変化させている。こうした栽培環境構築や論理的最適栽培は第三世代の特徴と言え、第二世代時の作物研究は、農場に実用化されるまでの成果はなく、また論理は確立していたが設備的に不可能というものだったが、第三世代ではそれらを可能にした。そのようにして農業史に革命的な変化を起こすこととなり農業史に新たな一ページが追加され、第三世代農業を知らない農業者はいないと言える。吉川君も第三世代の革新を目や皮膚で味わったのか、果菜秋層に見せた目の輝きを取り戻したようだった。天井から床までに五層のキャベツ栽培プレートが段々と間隔を開けて積み重なっており、各プレートの下には人口太陽灯が付けられて、下のキャベツプレートに万遍なく光を注いでいた。キャベツの黄緑色と栽培土の茶色の縞々模様は第三世代の象徴として論文や雑誌の表紙を飾っていた。そんな光景を見ても吉川君の口は開かず、強い光の濃い影のようにこの象徴こそが世代間の差をより明確にそして深くしているのだと理解し、先ほどまでの出来事が忘れられないようだった。

「さっきのことは気にしなくてもいいし、無理に忘れようとしなくてもいいんだよ」

「別に気にしてません。ただ、農場の設備に気を取られ、第二世代の人たちの不運を忘れていただけです」

「僕たちは今更彼らの不運を味わうことはできないんだから、ただそういう大量離職という不運があったことだけは忘れないでいることが大切なのだから。こんな平和な世でも人は自分の道を進むことはできないんだ。道に大木が倒れているかもしれないし、石につまづいて転ぶかもしれない。どれだけ平和になろうが幸福になろうが、そうしたものは自分の後ろの道になるだけ。いちいち日々の幸せやこれまでの幸せを振り返りはしない。第二世代の人たちは今まで歩いてきた道は舗装された綺麗だったけど、突如大木が倒れてきて、今はまだそれを撤去したり、これから先の道に利用してするために立ち止まっているだけさ。時が来ればまた歩みだしてるさ」

「松場さんの言葉は卑怯です。彼らに起きた不運を理解している人の発言です。それは立ち止まったことのある人が後から自分の道を見返したから言えることです。そんな考えに普通は持ちません。平和ボケと言われるかもしれませんが、今までの道は幸福だったんですからわざわざ足を止めて振り返りません。それは足を止めて振り返ることを知っていないから。僕たちは自分の経験したこと以外のことは何も得られません。そんな考えを持つなんて過去に何かあったか、他人の不幸を自分の不幸のように感じる敏感派だけですよ。僕はただ幸福になりたいだけなんですよ」

 そう言うと、キャベツ栽培プレートが移動する機動音が辺りに広がり、吉川君の力強い発言をかき消した。


 私たちは葉菜秋層に移動していた。先ほどまで葉を伸ばしていたキャベツは結球し、少年のような元気さは無くなり、物静かな青年のようだった。自分だけの殻にこもり自分とは何かを考えこんでいるような。ここでも夏層のように気温管理されているが、気温の変化はなく10℃で固定になっている。常に寒いことで結球内の糖度を上げるためだ。夏層では全体の糖度を上げ、秋層では結球のみの糖度を上げている。結球せず、広がり続ける葉は収穫の邪魔になるため自動葉断機で切り取られていた。切り取られた葉は回収機に吸い上げられ速やかに隣の焼却煙突に運ばれていた。一連の流れを見届けると、結球部だけ残された哀れもない姿になっていた。この時代の野菜の象徴ともいうべき姿である無個性画一化がそこにはあった。普段は気にも留めなかったが、無言の中まじまじとそれを見ていると気味の悪さを覚えた。毎朝見る農場勤務者たちを思い出し、余計に気味が悪かった。私は端末に視線をやり、明日のスケジュールを確認しながら鴨居との約束を思い出した。来週なら都合がつきそうなことを確認し、顔を上げると吉川君の姿はなかった。あたりを見渡すと気温管理室で挨拶をしているのが見えた。私は駆け足で気温管理室に入り、担当者に補足説明をして吉川君に軽く頭を下げた。そのまま葉菜冬層に行くこと伝えると彼の顔はこわばった。


 葉菜冬層は果菜よりも匂いはきつくはなく、むしろ無臭だった。吉川君は気を張ったのが空振りしたのか、肩が下がり安堵ゆえの大きなため息をついた。冬層はフロア全体にベルトコンベアが配置されており、秋層から降りてきたものさみしいキャベツたちがそれに乗りだした。キャベツは最初に機械による結球部の刈り取りをされ、結球部は別のベルトコンベアに乗り出荷層直通のエレベーターへと進む。残った根と栽培土はそのまま進み、人間の手によって土から根を取り出される。根は秋層の葉と同じように焼却煙突に運ばれる。最後にベルトコンベアに残った栽培土はコンテナに入れられ資源再利用施設で新たな栽培土になるために運ばれる。どこにも無駄な動作はなく、中で根を分けている作業者もまるで一種の機械のように見えた。もっともその作業者は収穫専門から来た派遣者であった。最早収穫をしているわけでなく、ただ仕分けしているだけだった。多分その仕事も将来的に機械に代わるのだろうと思った。元々結球部の刈り取りも人間の手で行われていたが一年程前に機械化された。収穫専門企業からの派遣数が減ったときは時代の流れを感じつつも、ここで作業していた派遣者とその家族の生末が脳裏をよぎった。そして目の前で根を分けている彼らもいずれはここには来なくなるのだろう。ここ数年の時代の流れは激しかった。我々も第何世代なんて呼ばれるし、効率化の機械革新も年単位で進化している。これはこの農業界だけではなく、社会全体で起こっており、敏感派の影響力や人々の幸福探求の結果なのだろう。しかし、そうした中で誰もが幸福になれるわけではないことを目の前の彼らが証明していた。吉川君の存在がそう考えさせたのだろう。彼のように農業の知識に富んで、自分の幸福を第一に考えていて、何よりも自分がどの世代の人間なのか理解しているのが先の農業従事者としての理想像なのだろう。彼と彼らを比べてしまっている私は自分の立ち位置をうまく見つけられていないのだと気づいた。画一化されたキャベツが私の目の前を通り過ぎていった。私はまだこのキャベツのような画一された農業者であることを認めてられずにいた。


 農場見学もいよいよ最終層にたどり着いた。厳密には配送層があるが、あそこはほぼ配送業者しかいないから特に挨拶も見学もする必要は無いだろう。私たちは根菜春層に着いた。しかし、フロアの光景は葉菜春層と変わりはなく、種配分装置がせわしなく栽培土に種を植えているだけだった。

「ここも葉菜春層と設備自体は同じで、扱っている作物が違うだけだから先に進もうか。とりあえず、管理室で挨拶をしよう」

 管理室には豊崎さんがいた。どうやら玉ねぎの栽培を導入するため、種配分装置に玉ねぎ用の成長速度関数をシステムに組み込もうとしていた。第三世代設備によってフロアスペースに空きができ、汎用野菜としても需要がある玉ねぎかじゃがいもを栽培することになっていた。

「じゃがいもか玉ねぎのどっちかという話は結局玉ねぎになったんですね」

「本当はじゃがいもを栽培したいが、いも系は炭水化物だからな」

「炭水化物専門農場も第三世代設備を導入し始めましたからね。我々が栽培する必要性はあまり無いですね」

「そうなんだよ。農場長と話し合った結果玉ねぎになったんだよ。まあ、玉ねぎは茎菜だけど、土の中での栽培には違いないからな」

「玉ねぎの品種と成長速度関数はどうしてるんですか?」


 吉川君が興味津々に質問をした。

「品種はVO-389だな。一昨年出た論文の300系成長速度関数にしようと思っている」

「そうなんですか。でも、389なら350系の成長速度関数がいいと思うのですが」

「確かに350系の成長速度関数の方が研究や試験栽培にはいいかもしれないが、あの関数は突如発散して過剰成長からの変異体のリスクが急激に増すんだ。農場としても関数による成長周期の回転率が高いほうがいいが、変異体リスクには見合わないんだ。だから、変異体リスクが少ない300系にしようとしてるんだ」

「そうだったんですか。専門校は基本的に250系ベースだったので300系の知識は少ししか学んでいなくて」 

 吉川君は少しばつが悪そうな顔をし、少し調べてみますといい端末で論文を読み始めた。豊崎さんは関数を入力し終えると、ホログラムシミュレーションを回し始めた。私は吉川君を呼び、一緒にホログラムを見始めた。装置が栽培土に種を植え始めると収穫までの日数が表示され、豊崎さんが倍速モードに切り替えると、種から芽が出始め、あっという間に成長し葉が大きくなった。そこで一度シミュレーションは止まった。収穫までの日数が理論値よりも大きくずれていた。豊崎さんは何度か試してみるかと言い再びシミュレーションを回した。しかし、結果はどれも一週間ほど遅くなっていた。

「品種と成長速度関数が合っていないようですね」

「350系の後半だからな、やっぱり350系の関数を使わないと無理かね。弱ったな。品種の種は一年分買ってしまったな。このご時世じゃ種が一番高いからな」

 私と豊崎さんはどうしたものかと考え込んだ。ふと吉川君が声を発した。

「あの、論文の方に目を通したのですが、補完項があれば発散を遅らせて、想定収穫までには変異しないと思うのですが」

「おお、本当か。300系ではなく350系の関数を変更して使うのか」

「300系だと品種に合わないので、300系よりかは350系の関数が調整しやすいかと」

「松場くん、補完項を考えれるかな。わしはこういうのは苦手でな」

「補完項か。無理ではないですがパラメーター最適探索がどうなることやら」

「なに、それぐらいならわしが時間さえかければできるし、なんなら吉川君も一緒にできるだろ」

「そうですね。最適探索なら新入者でもできそうですね。わかりました。補完項を組み込んでみます。吉川君もそれでいいかな」

「はい。入社初の仕事頑張ります」

「いやあ、助かったよ。近々は論文も精度が上がっているからね。載ってる関数をシステムに組み込むだけでそれなりにいい結果になったんだけどね。どうも世代間のある品種と関数は相性がよろしくないね。いつもなら論文発表待ちしてたかな。補完項の案は鋭いね。ありがとう」

 私は純粋に感心した。しかし、彼の着眼点は我々にないものをもたらしてくれる嬉しさとともに、自分になんとない不安感を与えた。彼のアイデアを自分は思い浮かばなかったからなのか。それとも彼の純粋なまでの探求心に嫉妬したからなのか。そのどちらでもあるのだろう。焦燥感からかコントロールパネルの赤いランプの点滅速度が速くなっている気がした。


 根菜春層で思わぬ時間を取られてしまった我々は足早に夏層へと移動した。春層芽まで成長したものは、形が歪まないために国際基準用整形筒に移し替えられていた。春層から筒を導入する案もあったが、筒は空間的スペースをとるが、第二世代想定の根菜春層はそれを満たすだけのスペースはなかった。そのため、層が切り替わるタイミングで筒に移し替える作業が発生したのだ。そのことを私が吉川君に説明し、この農場独自の機構であるためプログラム改修する場合は手間取るかもしれないことを伝えた。フロアの天井近くで青く細長い整形筒に入れられた野菜は種類ごとのベルコトンベアに乗せられ、それぞれの成長速度を考慮しながら、時には早く、そして時には遅く秋層に向けて進んでいく。ベルトコンベアは直線ではなく、いくつか曲がったりらせん状になったりしており、例えるとジェットコースターのレールのようであった。この秋層までのジェットコースターは野菜の種類ごとにあるためそれぞれのベルトコンベアが入り組んでいるため、機械の画一的無機質な風景はそこにはなく、何か大きな生き物であるかのような複雑で有機的であった。私はこの異様とまで言える光景が好きだった。効率化を求めた末にたどり着いたのがそれぞれに絡み入り組み、時には回転する様はどこか非効率ではないかと感じさせた。こうした矛盾さは無機ではなく有機的な味わいを感じさせ、どこか安心感を抱かせてくれた。

「こんなに入れ組んでいるのに玉ねぎ栽培用のコンベアは設置できるんですかね」

 吉川君が不安気に質問してきた。私は端末にある根菜夏層の概要マニュアルを見せた。そこには一連だけ動いていないベルトコンベアが記されていた。歩行用通路のここからだとちょうど死角になっており見えなかった。それだけこの層は歪で複雑で入り組んでいることを示していた。

「この層は第一世代から続いていて改装に改装を結果こんなに複雑で現代農業とは言えないような構造になってしまったんだ。四季構成構造が導入される前は、空腹時代での研究初期で自動栽培が可能になったのはほうれん草ときゅうりとじゃがいもの3つだけしか栽培できなくて、ここの層は元ほうれん草栽培層だったんだ。しかも、芽から収穫まで全てこの層でこなしていたもんだから、ベルトコンベア式になっていて、上から芽、下に行くほど成長していって、今の秋層への入り口付近で収穫していたんだ。第二世代ではこのベルトコンベアを解体せず、それに沿うように追加でベルトコンベアを張り巡らせたんだ」

「そうだったんですか。なんとも仰々しい光景ですね」

 吉川君はそう言うと、根菜夏層のマニュアルの改装歴に目を通し始めた。私は玉ねぎ用の成長速度関数補完項を考えながら、吉川君はマニュアルを読みながら秋層に向けて歩いていた。


 我々はいつの間にか根菜秋層に着いていた。秋層は夏層とは対照的で、ベルトコンベアはきれいに一連に並んでおり、らせん状でも入り組んでもいなかった。このように規格化された設備群はまさに現代農業的であった。人口太陽光照明は天井一面に貼り付けられ、夏層のように天井から床から、横から単体照明機器で照らされていなかった。また、筒同士がぶつかり合い音を立てることはなく、ベルトコンベアのローラー音だけがフロア全体に響いていた。夏層では筒が忙しなくフロアを巡るため、作物を目でおうことはできずこれといった成長を感じることはできなかったが、秋層では葉はより緑色が増し、成長を感じることができた。逆に夏層に入ってきた芽があのようなでたらめなコンベアでも成長できていることを示していた。それを見ていた吉川君はどこか安堵しているのはそういうわけなのだろう。

「この根菜秋層は四季栽培制導入と栽培量拡大のために第二世代中期に増設されて、天井、床、壁、ベルトコンベアに至るまで夏層とは違って新しいんだよ」

「でもこの層の上にも下にも他の層があるのによく増設なんてできましたね。上に増設して中の設備を移動させたんですかね」

「現在の農場はすべてレイヤー建築で建設されていて、一層ごとで切り離しができて、それを積み木のように重ねているんだ。まあ、層と層の間にもう一層入れるのはそれなりのコストはかかるけど、増築に伴う全層での設備入れ替えの方がコストが重いんだ。ミニマムでの入れ替えよりもマキシマム単位での入れ替えの方が楽で、設備入れ替え時の細かい作業は再設定や不備発生に繋がるしね。レイヤー建築なら層を作って入れたいところに入れるだけ、シンプルで合理的だ。農場拡大拡張を見据えての建築方法なんだろうね。専門校とかで学びそうだけど、違うのかな」

「専門校では野菜中心の講義しかなくて、こういった農場全体の知識は全くないんですよね。基本的にはみんなが別々の農場に就職するし、各農場の体系や体制はバラバラだからこういった知識は身に付けることはしないんです。でもレイヤー建築ぐらいは知っておきたかったですけどね。農場の基本構造として」

「じゃあ、農場知識やその周りの環境については知らないのかい」

「恥ずかしながら、中学生までの知識とニュースとかで得たものしか無いです」

 第二世代たちが第三世代を嫌うのがなんとなくわかった気がした。世間の認知度が低いように感じられた。私はそのことを吉川君に伝えようと思ったが踏みとどまった。知らないということは幸福の一つだ。ならばわざわざ伝える必要はない。第二世代と違って第三世代の方が敏感派と呼ばれる人は多い。何が彼の敏感派に触れるかわからないからむやみにやたらに発言するは危ないと思った。そう思うと横にいる秀才な青年が非常に恐ろしく見えてきた。

「あ、あそこの空いているコンベアを玉ねぎに使うんですね」

 私はそうだよと返して根菜冬層に行く旨を伝えた。


 いよいよ最後の層、根菜冬層に来た。厳密に言えば配送層があるため最終層ではないが農場関係者が関わるのはここまでだ。やはり冬層は収穫をしているため青臭い匂いがそこはかとなく漂っていた。ただ、根菜の葉は最低限の太陽光を吸収し大きくなれるように遺伝子操作されているため、どの冬層よりも匂いは強くなかった。吉川君も秋層を見て予想したのか葉菜冬層時みたいに力んではいなかった。根菜冬層は天井付近から床までの長さの円柱型洗浄装置がいくつも並んでフロア全体を占めていた。その円柱型装置からはきれいに洗浄された野菜と筒が出てきて、それぞれ野菜は配送層に、筒は再利用のために根菜春層行専用のエレベーターに運ばれていた。秋層から降りてきた筒に入った野菜はこの洗浄装置に入れられ、筒から外され、葉は切られ、筒と野菜は洗浄される。その過程で出た葉と土はフロア端に集められダクトで煙突に運ばれていた。装置は様々な工程をするため駆動音は大きく、フロアの壁には防音加工が施されていた。歩行者用通路のガラスは音によって軽く振動していた。


「これがうちで使っている最新の第三世代設備だよ。フロア全体で20本もの装置が並んでおり、5本は大根、5本は人参、4本が牛蒡、3本が蕪で残りの3本を玉ねぎに利用しようとしているんだ。ただ、蕪の時も苦労したんだけど、大根や人参と違って細長く無いから機械処理するにはそれなりの設定や微調整が必要なんだ。遺伝子操作で細長くできるっていうのに、その野菜はそうあるべしっていう形は尊重しないと色々と騒がれる世の中だからね」

「形状指定規定ですよね。人間は昔から野菜を口にしてきたから野菜個別の形を今更変えてもそれがどういった野菜なのかわからなくなってしまうのはよくない。形が違えばそれはもう別の野菜であるという説から生まれた制度ですね。野菜安全認知委員会が国に制度化を要求したとかで」

 野菜安全認知委員会というのはもちろん敏感派集団だ。今まで食べてきた野菜たちの形を変えてしまうのは古来より続くその野菜との歴史改変に他ならない。何よりも食欲がわかないという思想の敏感派が集まってできた組織だ。言っていることはわからないわけでもないが、結局のところ口にするときは切られて元の形なんてわからなくなるからどうでもいいと思うが、そのどうでもいいことが敏感派にとっては重要で幸福の欠片なのだ。彼らのような敏感派集団は最初期はエゴイストパーティーと呼ばれ、社会から煙たく扱われていたが、敏感派という存在が身近になるにつれ、エゴイストパーティーという言葉は彼らにとって悪意的であるとして死語になった。今となっては彼らの総称はなく、そう言った組織がいつの間にかできていて社会にある程度意見発信している。多分、今の教育機関も彼らの息が多少なりともかかっているため、吉川君は知らないだろう。


「特に汎用野菜は形状指定規定が真っ先に対象になったからね。後、根菜は土から取り出してみないと変異体かどうかの確認ができないから、その対策用プログラムの設定もしないといけないんだよね。まあでもそこは国際基準と照らし合わせるだけだからそこまで苦労はしないけど」

「プログラムの書き換えはそんなに頻繁に行うんですか?」

「一年に一回するかしないかだね。一応毎年のように品種改良された野菜が出てくるけど、農場として栽培するかは別だからね。最近は品種改良も目立つような研究は行われてないし、結構行くところまで来たんじゃないかなって思ってるよ。だから、一回設定すれば数年は書き換えなくてもすむかもしれないね。でもまあ、新制度とか出たら設定しないといけないかもね」

「自分もそう思いますね。品種改良研究はもう先がないと思いますね。今は完全栄養作物研究の方が盛んですからね。最近になってアレルギー安全委員会のアレルギー一覧表が更新制作、公開されて、それに従って作物研究を行うことができるようになりましたからね」

 アレルギー安全委員会、私の人生を壊し、不運を与えたエゴイストパーティの名前だ。


 農場見学を終え、私たちは再びエンジニア室に戻ってきていた。私も吉川君も疲れていた、吉川君は今日一日でいろんなことを目にし、耳にしていたせいか個人ロッカー前で目をパチクリさせていた。私は椅子に座って何度かため息を過ごしていた。窓からは夕日が差し込み、陰気なエンジニア室を明るく照らしていた。業務を終えた豊崎さんがエンジニア室に入ってきた。

「吉川君、初日お疲れ。玉ねぎの件も含めて、今後の業務はもうスケジュールに反映してあるから確認しといてくれ。松場君もだいぶ参ってるね。お疲れ」

「いやあ、自分が農場見学した時を思い出しますよ。ただ、自分の時は農場長が案内してくれたもんで、実際やってみるのは大変ですね。なにぶん広いし、設備は多いしで。ああそうだ、吉川君はわからないことがあったら後で聞いてね。まあ、僕の案内説明じゃ抜けてるところ多そうだから」

「あ、はい。わかりました。ただ、今日見たことや聞いたことが多すぎてまとめきれてないので、後日お聞きします」

「別に僕じゃないなくても豊崎さんに聞いてもいいからね。第一世代からの知識量は目を見張るものがあるからね」

「そうだぞ。わかんなかったらいつでも聞いてくれ」

 そういう豊崎さんは実に頼もしく見えた。実際第一世代からの農場の変革知識はすごく、自分も何度かお世話になっていた。

「ああ、端末の方にも連絡が来たと思うけど一応連絡をしておくと、明日は伊勢神宮でご祈祷をするから四日市駅に集合で。多分昼過ぎには終わって業務無しで解散すると思う」

「毎年恒例ですね」

「先ほど確認しました。僕、ご祈祷初めてですよ。しかも伊勢神宮でなんて」

「そんなに楽しいもんでもないけどよ、まあ身が清まるっているか、引き締まるっているか。悪くないもんだぜ。なあ、松場君もそう思うだろ」

「わからなくもないですね。新生活の節目としていい体験と切り替えになるよ」


 時代がどんなに進んでも人は神の存在や信仰心を忘れることはなかった。近年、科学は多くの神の奇跡を証明してきたが、人の心を一データとして扱うことはできなかった。計上しがたい理不尽や不幸にはそういったものに頼り、すがるしか救われることはなかった。救いを求めなくとも、人々は心の切り替えや平穏さそして幸福を求めている。人事を尽くしたらならもう天命を待つしかない。多くの人々が自分たちにできる最大限の努力をして幸福を得ようとしている。それでも幸福に近づけなかったらもう後は祈るしかない。時には努力せずとも祈りで幸運を得ることもできる。それゆえ今の社会において神や宗教、祈りが消える道理はなかった。我々も人々の幸福さへの昔からのしきたりに従って、こうして毎年伊勢神宮でご祈祷をしている。昼休憩に来た農場長の連絡はそのことについてだった。ご祈祷は順番制で、我々以外の他の農場やその関係者も同時間帯に行うため、毎年時間は変わっていた。基本的にはご祈祷は午前中に終わり、皆で昼食をとり、解散の流れであった。ただ今年は早めで十時にはご祈祷が終わるため、昼食までは自由行動となっていた。


 明日の予定を私用端末スケジュールにマッピングし、朝と同じように自動バスで帰宅すると、栞が茄子のサラダを作っていた。

「おかえりなさい。朝言ったように八百屋で茄子を買ってきたわよ。今日は少し遅いわね。何かあったの?」

「ただいま、今日は新人が入社したからその案内をしてたんだ。各層を回ったりしてね」

「そうなんだ。いつもより青臭いのからどうしたのかと思って。夕飯前には着替えてね」

 栞に言われるまで服に着いた青臭さに気付かなかったが、脱ぎ終わった作業服はこれまでにないほど青臭さを放っていた。洗濯乾燥タンスに服を入れ、椅子に座ると今日一日の出来事が頭を駆け巡り、疲れが込み上げてきた。自分が農場に入社して以来の初めての新入社員で、ここ三、四年ほどは農業・農場向けの教育機関が設立したことによる育成期間であることを思い出した。着替え終えて食卓に戻ると、栞がいつものように職場での出来事を話し出した。

「今日はね、新入社員が来たの。なんと専門校卒なの。もうそんな子が入ってくるなんて時代の流れは早いわね。ちょうど私たちが付き合い始めたことからしら。専門校というか教育機関の制度が整いだしたのは」

「そうだね。自分のところにも今日新入社員が入ってきたよ。国立専門校出身のしかも飛び級卒業のね」

「すごいじゃない。その子。よく入ってきたわね」

「おいおい。うちの農場もそんなに落ちぶれていないよ。それどころか第三世代設備をいち早く導入してるんだぜ」

「あらそうだったの。あなたあんまり農場の話をしないからわからなかったわ。そもそも第三世代設備になったことも今知ったわ」

「ああ、ごめん。別に話さなくてもいいかなと思って」

「あなた、興味のないことにはそういうとこあるよね」

 栞は強めにそして苛立ちと少しの怒りを込めてそう言った。私は何か言い返したいような気持になったが、これと言った返しは浮かばず、ただその言葉を受け止めた。そこから先は沈黙だった。気づけば夕食を終え、自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。窓の外には農場の煙突のランプが赤く光っていた。煙突からは今も煙がでており、夜勤社員が働いていることを示していた。


 農場のいくつかはコンビナート煙突を焼却用と利用しているため、海沿いは赤いランプがいくつも点灯しており、農場の存在を強調していた。

「さっきは冷たく言ってごめんなさい」

自室のドア前から声が聞こえた。栞は優しく何か求める声でそう言った。

「気にしてないよ。別に。栞の発言は正しいから何も言い返せなかったんだよ」

 私の返事を聞くと栞はドアを開けた。その瞳はまだ何かを求めているようで、私にその真意を悟るよう視線を向けていた。私はその真意に気付いていたが、答えられる気がしなかった。

「ごめん。そんな気分じゃないんだ。しかも明日は伊勢神宮でご祈祷なんだ。朝も早いんだ。そういうわけだから」

 栞は今にも泣きそうな目で、震えながら口を開いた。

「ううん。ごめんなさい。さっきはあなたを責めてしまったから、こういう形でしか誠意をみせられんかったの。私は浅はかよね。こんなことで自分を許した気分に浸ろうとするのは。本当にごめんなさい」

「僕はそんなことで気を悪くしないのは知っているだろ。栞は自分の発言に責任を感じすぎだよ」


 栞は一種の強迫性障害だった。自分の言動に相手がどうとらえるかについて常に最悪な事態を考えてしまう。しかも彼女は直感的に口に発してしまうため、後から思い返して後悔するのだ。結局のところは相手に聞かねば真意はわからない。栞がこうなったのは同棲し始めてからだ。栞の言動を責めたことはないが、何かと自分の言動を想い詰めるようになった。私を気遣って、思い違いがないようにしてくれていのだろうと思っているが、優しさゆえのわずらわしさを感じている。栞はきまって、淡紫色のレースを着て私に真意と謝罪の意味を込めてそれを求めるが、そこに愛はないのだと、もし私でなくともそこまで思いつめたのなら他人にでもそれを求めるのだろうと思った。近代幸福論者加納教授は一時的な幸福への近道は三大欲求のどれかが満たされることであると説いた。不機嫌になることは不幸になることだ。栞はその考えから行為による幸福へと自分も相手もなりたいのだと考えている。私はそんな仮初の一時しのぎの幸福は求めていない。それこそ第二世代と同じだ。


 栞は私の拒みを受け止めきれず泣いていた。私は医者から処方されている睡眠薬と記憶欠損薬を栞に飲ませ、彼女の部屋のベッドに横にさせた。洗面台で顔を洗い、自室に椅子にもたれかかると、ため息が出た。私物端末をフルスクリーンモードにすると部屋全体にホログラムの光が広がり私の横にメモリー目次が浮かび上がった。大学関連の項を押すと大学時代に使っていたデジタル教科書や研究資料の名前が表示され、その中で成長速度関数と検索すると該当の教科書と研究論文、研究資料が赤く点灯した。私はそこから農業基礎数学を開くと、成長関数の項目を読み返し始めた。

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