第19話
指輪の箱はカバンに突っ込んだ。ポケットには入らないから。
のろのろと、日が暮れた街を歩く。
俺はどうすればいいのかな。リュウに全部ぶちまけてしまおうかな。
お前はいつか、誰かを好きになるのかって。そのとき俺は、どうすればいいんだって。
「ショウ、遅かったね」
俺が家に帰ると、リュウはもう帰ってた。ぼやっとした明かりをつけて、ダイニングのテーブルに座ってた。明かりのせいか、表情が暗く見える。気のせいかな。
「うん、悪い。メシ、今から作る」
バイトでおじさんにもらった肉の包み、それをカバンから出そうとした。そしたら、俺はウッカリ、完全なる不注意で。
肉の包みを出したとき、一緒にカバンからコトンと落ちたもの。俺の視線もリュウの視線も、それに向かった。
拾うこともできず、ぼーっとそれを見た。頭が真っ白になるでも、焦るでも、言い訳を考えるでもなく。
「落ちたよ、ショウ」
リュウは穏やかな声でそう言い、落ちたものを拾ってテーブルに乗せた。中身が何かか、抜けてるリュウでも分かってるだろう。
「座りなよ。ちょっと、話をしよっか」
リュウに促されるまま、俺はゆっくり椅子に腰かけた。深く座って、じいっとテーブルの上の小さな箱を見る。
「ボクたち、よく考えたら…ていうか、よく考えなくても。本当の夫婦じゃないでしょ?」
「ああ…」
だから何だっていうんだ。この指輪を受け取れっていうのか。
「ボクは知っての通り、給料安いし。…ショウは、団長のところに行ったほうがいいよ」
やっぱり気付いてるよな。この指輪の送り主。だけど、とぼけるような言葉が自然と口から出た。
「どうして団長が出てくるんだよ」
リュウは小さく乾いた笑いを漏らした。
「その指輪をくれたのは、団長でしょう?」
肯定も否定もせず、俺はただジッと箱を見た。団長のところに行く?
「好きでもない相手のとこ、行けるかよ」
俺が絞り出すように答えると、リュウはテーブルの上でぐっと拳を作った。
「だったら…。ボク、師匠にもう一回謝ってくる。師匠の呪文書を盗み見て、召喚の術を使っちゃったこと」
その言葉に、俺は眉を顰める。
「今、それを謝ってどうするんだよ」
リュウは俺の疑問を飲み込むように、力強く頷いた。
「呪文書には載ってなくても、師匠の頭の中にはあるかもしれない。元の世界に帰る呪文」
「…何を、今更」
帰れるだなんて、考えてなかった。親や友達のことを忘れたことはないけど、どうしようもないならって割り切ってた。
なのに、なんで。
「本当、今更だよね。ボク、師匠や兄さんに怒られるのイヤで、自分の失敗やダメなところを知られるのがイヤで…帰れる可能性を黙ってた」
気まずそうに目を伏せるリュウ。少し前の俺なら、大声でツッコミ入れて怒ってたかもしれない。けど、今は怒る気も起きなくて、リュウの言葉に耳を傾けた。
「ショウを召喚したのも、そもそも、自分を認めてもらいたいから…。自分の名誉のために、どこかの世界で生活してる見ず知らずの“神子”を召喚することに、何の抵抗も無かった」
そこまで話して、リュウは首をふるふるを振った。
「それは間違いだったって、ショウと生活して分かった。ショウはショウの人格があって、性格があって、今までの人生があって。それを元の世界からスパッと切り離したのは、ボクだよね。ごめんね。許せないと思うけど、ごめんね」
眉を下げて、泣きそうな顔して、リュウは話を続けた。
「師匠に謝っても帰る方法が見つからなかったら…。団長のとこ行ったほうがいいよ。この世界で生きていくんだったら、団長のとこ行ったほうがいい」
団長の元へ行くことを勧められても、俺は頷けない。
「だから、好きでもない相手と…」
好きじゃないから、団長の元に行けないのか?自分で自分に聞いてみたけど、しっくりくる答えじゃない。だけど、そう言うしかない。言わないと、リュウから離れなきゃいけなくなる。
「大丈夫だよ。きっと、好きになるよ。ボクは最近知ったんだけど、お城とか、お城に近い機関では結構噂になってるみたい。団長が片想いしてるって。家柄も良くて、顔も良くて、モテまくってるけど特定の相手を作らなかった団長が、片思いしてるんだって」
そうだったのか。そんな噂があったのか。
団長め。顔まで隠してたのに、なにをバレてんだよ。団長はバカだ。俺もバカだ。
自分がバカで、つい笑ってしまった。それをリュウはどう受け取ったんだろうか。
リュウも、笑った。
「ショウ、団長のとこに行ったら幸せになれるよ」
弱弱しく、にへっと笑うリュウ。何でそんな笑い方なんだよ。
「お前は…。リュウは俺のことどう思ってるんだよ。俺はお荷物?いなくなったほうが、生活がラクになる?」
そう聞くと、リュウは勢いよく否定した。
「そんなことないよ!」
「だったら…このままでいいだろ」
リュウをしっかり見据える。リュウも、俺を真剣な目で見ていた。
「師匠に相談したらナントカなるかもしれないのに、反省したあとも黙ってたのも…。ショウが団長に言い寄られてるのを薄々感じても何も言えなかったのも…」
リュウは緊張している様子で、目をしぱしぱさせて、大きく息を吐いた。
「ショウに、いなくなってほしくなかった。乱暴で野蛮なショウだけど、ずっとそばにいてくれたらなって。ショウは、なんだかんだ言って優しいからね。召喚したボクが悪いのに、貧乏暮らしに不満を言わないし、働きに出てくれようとするし。料理も作ってくれるし」
その言葉を聞いて、俺は泣きそうになった。
「ずっとそばにいてほしいけど。ボクとショウは、偽装の夫婦だから…。オッサンの嫁になるのがイヤで、ショウはボクに頼るしかないのが分かってて、それで偽装夫婦を始めたからね。なのに、今になって、好きだなんて…図々しいよね」
そこまで言うと、リュウはへらっと笑った。この場にふさわしくない、のん気なお坊ちゃんの笑顔。けど、リュウらしい笑顔。
「今までありがとう。ショウは、もっと…。団長のとこに行ったら、幸せになれるよ」
リュウからの別れの言葉。俺はそれを全力で拒否した。
「俺はどこにも行かない。リュウと一緒にいる」
俺の答えが意外だったようで、リュウは目を丸くした。そして、またへらっと笑った。
「いいって。同情してもらわなくても大丈夫だよ」
分からず屋のリュウ。そんな気持ちを込めて、俺は軽くテーブルを叩いた。
「違うよ。同情じゃない。俺も、リュウのことが好きだ。どこにも行きたくない」
そうだ。そんな簡単なことだったんだ。
リュウが女の人と話してるとき感じた気持ちも。
いつかリュウが誰か好きになるかもしれないと考えたことも。
「団長は、いいの?」
「団長は…。好意をストレートにぶつけられて、悪い気はしなかった。だけど、好きとか、結婚とか、そうじゃない」
団長のことを思い出し、申し訳ない気持ちと自分自身への腹立たしさを感じる。俺のそんな微妙な気持ちを感じ取ったのか、リュウは控えめに微笑んだ。
「そっかあ。嬉しい。本当に…。嬉しいよ。………でも、今回は本格的に団長を怒らせるかもね。指輪まで受け取っちゃってさー。気を持たせるようなこと、したんじゃないの?」
さっきまでのしんみりした雰囲気から一転、リュウはじとーっと俺を覗き込んだ。
団長との今までのことを思い出す。会話をしたこと。お菓子を受け取ったこと。…気を持たせるといえば、そうだった。だから俺は自分自身に腹が立ってる。
「…それは否定できかねる」
しぶしぶ認める。リュウは拗ねたり怒ったりするかなと思ったけど、違った。
「まあ、いっか」
「軽いな。いいのか?団長を怒らせたら、出世は完全に絶望的じゃねーの?…つーか、クビになったり…」
いつかは宮廷魔導士と言ってたリュウ。出世は絶望。師匠の力がどの程度か分からないけど、王族の血を引く団長のほうが、リュウの師匠より権力ありそう…。
いかに団長を怒らせずに指輪を返そうか考えようとしたけど、考える前にリュウは笑い飛ばした。
「クビになってもいいよ。その時は、村に戻ろう」
「村に?」
「うん。ボクは村の人のために、薬を作ったり、まじないをしたりするよ。だからショウは、薬草を摘みに行ってくれる?」
その言葉を聞いて、我慢してたものが溢れた。
「…おう、ま、任せろ」
「何で泣くのさー。大げさだよ」
リュウは俺の頭をワシャワシャ撫でてくれた。嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。
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