7 惨劇

 さよりはその日の戦果を桶に盛って涛の小屋に急いでいた。

「遅くなっちゃった。涛の乗った船はまだもどってないようだけど……」

 美潮を一人きりにさせていることに気がとがめていた。涛から、昼頃には行ってやって欲しいと言われていたのだ。

 だが、漁が長引いた。涛たちにご馳走してやりたかったということもあるが、海女たちの口止めのための獲物も余分に必要だったからだ。ここのところ、さよりの父親も噂を気にしだしていた。親族の子を追い出した引け目があるのか、直接さよりには言ってこないが、裏で人を使ってさよりの行動を監視しているふしがあった。その監視の目から逃れるためにも、海女たちの協力が必要だったのだ。

 あともうすこしで涛の小屋だ――と思った時、さよりはあってはならないものを見た。

 煙だ。

 涛の小屋があるあたりから黒い煙が立ちのぼっていた。



 時は少し遡る。

 ロクマサは逆上していた。

 ――涛のやつ、異人の女を囲っていやがった。

 ――さよりに、その女の世話をさせていた。

 ――許さねえ。

 歪んでしまった心は、どんな事象でも瞬時に歪めて受け取る。

 異人を囲うのはご法度だ。どの村でもそれは変わらない。

 それだけでも罪なのに、涛はさよりをそれに引き込んでいる。

 とんでもない奴だ――とロクマサは怒った。それ自体は、ある意味正常な判断かもしれない。

 だが、ロクマサは、その瞬間、こいつにはなにもしてもいい、という結論に行き着いていた。なぜならば、自分は悪を糺す側だからだ。網元の総領息子で、この村の正義の執行者だからだ。さらに言えば、さよりの許嫁だ。そのさよりが受けた屈辱は晴らさねばならない。

 異人の娘は声が出せないのか、恐怖を顔を引きつらせながら、よろよろと後退った。走って逃げることもできなさそうだ。

 脚も不自由なのか、と知ったロクマサは、それさえ「都合のいいこと」としか思わなかった。

 異人の娘を苦も無く捕らえると、髪を掴んで、小屋の中に引きずり込んだ。

 生意気にも、薄いながらも布団が敷いてある。ゴザにくるまって震えているのがお似合いの屑のくせに。小屋の中には女物の着物や化粧道具、人形などが飾ってある。

 ロクマサは足でそれらのものを蹴り飛ばした。

 異人の女が暴れたので、顔を殴りつけた。腹を蹴ると、動かなくなった。着物の裾が割れて、白い、白すぎる肌が見えた。見たことのない白さだった。

 ロクマサの意識が沸騰した。

 異人の女のにのしかかり、襟を力任せに拡げた。

 つぼみのようなふたつの膨らみがこぼれた。

 肌色をわずかに濃くしただけの乳首が目に入った。

 ロクマサは夢中でそこに顔を埋めていった。



 小屋の外ではロクマサの取り巻き連中がたむろっていた。

 彼らの誰一人として、ロクマサが異人の女に対して働いた狼藉を問題視していなかった。

 異人は村にいてはならないのだ。

 以前、村に異人が来た時も侍が追い払ったではないか。

 それと同じことだ。

 異人を成敗するのはむしろ良いことだ。異人を囲った涛は悪人だから、同様に成敗すべきだ。

 少年たちは暇つぶしに、貝殻を飾り付けていた網を切り、おそらくは少女が丹精をこめて育てていた花を踏みにじった。

 そうしながら、小屋の中で行なわれていることに耳を澄まし、下卑た冗談を言いあった。

 異人の女のあそこはどうなっているのか、穴がどこについているかわかったもんじゃない、といった、幼稚な言い合いだ。

「まあ、じきにわかるさ。ロクマサの大将が味見をした後にな」

「おれからいかせてくれよ、異人の女なんてめったに抱けないからな」

「や、おれからだ」

「ふざけんな、おれからだ」

 幼稚なふざけ合いから、やや険悪な言い合いに移りかけた時だ。

 小屋から声が聞こえてきた。

 女の声だ。絹を引き裂くような高い――美しい声だ。

「おお、さすがロクマサの大将、女の扱いがうまい。良い声で鳴いてやがる」

 だが、その声はよがり声でなければ悲鳴でもなく――

「おいおい、歌ってるぜ?」

 少年の一人が下卑た声をあげる。

「異人の女は、よがるかわりに歌うのか?」

 少年たちはげらげらと嗤った。

 だが――歌は終わらない。

「それにしても、あの歌……」

「おかしくないか……? なんだか……おおきくなってる」

 とぎれとぎれながらも――その声は少しずつ少しずつ厚みを増しているようだった。まるで、ひたひたと満ちてくる潮のように――

 そして――絶叫が響く。

 今度は男の声だ。

 そして小屋の入口が――布がめくれて、ロクマサが飛び出してきた。

 ロクマサの、首だけが。

「うわ、うわあああああっ!」

「なんだ、これええええええ!?」

 ごろんと転がったロクマサの生首に、少年たちはうろたえ、腰を抜かす。

 次の瞬間、小屋から異人の女が――返り血を全身に浴びた全裸のまま――這うようにして出てくる。

 血まみれだが、返り血だけではない。剥き出しの下腹部からはおびただしく出血している。

 鮮血は量を増していき、みるみる下肢を覆い尽くし、血だまりをつくる。

 その血だまりが固まり、ヒレのようなかたちになっていく。

 異人の女はその場に倒れ伏す。

 肩を震わせる。泣いているのか。

 細くなよやかな両の下肢は血の固まりに覆われ、その表面には半透明の膜のようなものができていく。

 まるで真っ赤な煮こごりのように見える。

 そこに、ぷつ、ぷつ、ぷつと、うろこが生えていく。

 先端がぴちぴちと動き、跳ねる。

 そう、それはまさに――魚の尾びれだ。

「に、人魚だ……」

 女の変貌をまのあたりにした少年の一人が呆けた声を出した。

 海のそばに棲む人々にとって、海の怪異はおとぎ話のような曖昧なものではない。実際に見るのは初めてでも、それに対する知識はある。実在を疑ったりすることもない。

「な、なんで、こんなところに人魚がよお!?」

 腰を抜かしたまま後ずさる。

 だが、女は――人魚はその場から動けず、尾をひたひたと跳ねさせるのみだ。

 苦しいらしい。おそらくは、人の姿から人魚に戻る際に、ひどく痛むのだろう。

 相手が弱っている、ということに気づくと少年たちの恐慌は醒めてくる。

 怪異に対する人間の正常な反応の第一段階が恐怖であるとすると、それを越えたときに立ちのぼる感情は敵意、害意だろう。

「やつは陸じゃあ身動きできねえんだ……やれるぞ!」

「ああ、ロクマサを殺しやがった! 敵討ちだ!」

 少年たちは立ち上がり、小刀を抜いた。町の商人が海産物を買い付けに来たときに置いていった、ガラクタのようなシロモノだが、突けば肉は裂くことができる。

 漁師の息子である少年たちは魚を捌くことには慣れている。

 じりじりと近づいていく。

 人魚は動けないままだ。動けたとしても、その場でぴちぴちと跳ねることしかできまい。

 少年の一人が人魚に切りつけた。

 なまくら刀が人魚の華奢な肩のあたりに食い込む。赤い血がほとばしった。

 人魚が声のないまま苦鳴をもらす。

 かさにかかって少年たちは刃を突き立てた。

 うろこのある部分は刃を弾いたが、人の肌の部分は容易に傷ついた。

 人魚は力なく突っ伏した。

 少年たちはとどめをさそうと刀をふりかぶった。

 うつぶせの背中が、そして長い髪が震えている。

 その背中の中央、心の臓をめがけて少年たちの剣が突き立てられる。

 ――その寸前。

 人魚が声をはなった。

 その声は少年たちの耳朶を打った。ほとんど耳元を殴られたような衝撃で、少年たちはよろめいた。

 人魚は上体ををらし、海に向かって声を放った。

 美しい――と同時に背筋が凍るような凄まじいい響きが海に向かって放たれる。


 おおおおおおおおおおお、ぉおおおおおおおおおおお


 その声は途中で周囲の岩に共鳴し、金属的な震えをおびた。


 あああああああああああ、ぉあああああああああああぁあああああああ


 それに呼応するように、魚が海面を破って跳ね上がる。無数にだ。

 まるで海が沸騰しているかのような。

 黒々とした波がわき上がり、そのまま勢いをたもって押し寄せてくる。

 まるで、海そのものが意志を持って襲ってくるかのように。

 その波が岩場を乗り越え、少年たちに襲いかかる。

 一人を覆い尽くした。。

「ぎゃああああああ」

 黒い波は小さな肉食魚の群れだった。無数の小魚が目口から鼻から――いや目玉を囓りながら眼窩からも――入り込んできて、少年を体内から喰い尽くす。

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