5 ロクマサ

 朝、涛は夜明け前に小屋を出た。美潮も涛を見送ってくれた。

 言葉はないが、その目は「早く帰ってきてね」と告げているようだった。

 半日以上、小屋を空けることは初めてとなる。美潮には、村人に見つからないよう、小屋から出ないことを約束させていた。

 よちよち歩きならば介添えなしにできるようになった美潮は、かんたんな煮炊きや小屋の周りの掃除などはできるようになっていた。近くで拾ってきた貝殻を、やはり拾ってきた網のきれはしにつけて、小屋のまわりに飾ったり、野の花を小屋のまわりに植えてみたり――そんな遊びをするようにもなっていた。

「漁は潮目を見つけられるか次第だから、戻る時分はわからない。でもさより姉が来てくれるはずだからな。退屈でも我慢しろよ」

 涛がそう告げると、美潮はうなずいた。なぜだかとても心配そうに。

 一方、涛は張り切っていた。

 海への恐怖は拭えたとは思えないが、美潮が小屋で待っていてくれる、と考えると、なぜだか力がわいてくるのを感じた。

 もしかして、所帯を持つというのはこういうことなのかもしれない。

 美潮は異人で、いつかは仲間たちのところに帰してやるべきなのかもしれないが、もしも、ずっと涛と暮らしたい、という意志を持っていたら、どうなるのだろう。

 何年か経てば、美潮も結婚できる年齢になるのかもしれない――

 美潮と所帯を持つ――ということを一瞬想像して、あわてて打ち消した。なぜだか、とても悪いことのように思えたからだ。それに、さよりのことが頭をよぎったということもある。

 さより姉と所帯を――?

 いやいやいや、それはもっとない、と涛は頭を振る。そもそもさよりは従姉だし、じきに人の嫁になることも決まっている。

 そもそも、今の涛はさよりに甘えすぎだ。きちんと自分の食い扶持を稼げるようにならなければ、思う。

 そのためにも今日はしくじれない。


「さよりちゃん、今日は張り切っているねえ、何かいいことあったのかい?」

 同僚の海女達が焚き火の側で休憩している際もさよりだけは海に入り続けていた。

「いつもと同じ! あと一本いくね!」

 さよりは三十回目の潜水に向かう。すでに今日の取れ高には十分なはずだが、それでもさよりは潜ることをやめない。

 ――涛においしいものを持って行ってやるんだ。

 その想いがさよりを突き動かしていた。いまこの瞬間、涛も船で沖に出ている。同じ海で、仕事をしている。そのことがなぜだかすごく嬉しかった。


 海女たちが仕事をしている海を高台から見下ろしながら、ロクマサは顔をゆがめた。

 ロクマサは漁に出ない。網元の跡継ぎとしては、本来であれば船に乗り、潮目を読みつつ皆を指揮して然るべきだ。だが、ロクマサはそういったことはしない。

 取り巻きの連中とともに、侍を気取って小刀を腰にさし、あたりをうろついていた。

 明るいうちから酒を飲み、若い娘をからかっては遊んでいた。

 娘たちも、網元の跡継ぎのロクマサには嫌な顔はしないし、さほど貞操観念も強くはない。そんなこんなで、けっこう楽しんできてはいたのだ。

 だが、しょせんは潮臭い田舎の娘たちだ。すぐに嫌気もさす。

 やはり、さよりだ。さん・まろで一番美しく、生き生きしている。あれ以上の女は、こあたりには一人もいない。

 だが、親同士ではもう話がついているというのに、さよりはいっこうになびかない。

 昔からそうだった。

 子供の頃はみな一緒に遊んでいた。六丸や三ツ藤といった網元の子供たちもそこは変わりない。

 ロクマサは子供の頃はみそっかすだった。年下の涛が器用に釣り竿を作ったり、魚のように抜き手を切って泳いだりしているのを指をくわえて見ているのが常だった。

 さよりも涛とばかり遊んでいた。すると、自然と二人のところに子供たちは集まった。

 ロクマサはどうやっても彼らの間に入れなかった。

 当時は三ツ藤のほうが六丸よりも羽振りがよく、その関係性が子供たちの間にも影響していたのかもしれない。少なくともロクマサはそのことを屈辱の記憶として抱き続けていた。

 だから、三ツ藤が没落し、六丸の時代になったことで、ロクマサは「勝った」と思ったのだ。さよりも自分のものになる。涛は船にも乗れない呪われっ子だ。指をくわえて見ていればいい。

 それなのに、ここのところ、さよりは涛の小屋に通っているという。女どもが噂していた。毎日、毎日、食べ物や着物を持って行っている、まるで通い妻だね、と。

 許せない。

 これは、不貞だ。

 さよりは自分の許嫁なのだ。

 武士ならば、不貞の妻は切り捨て、間男も同じく一刀両断するという。

 そこまではしないとしても、少なくとも、涛をこらしめることは必要だ。

 というわけで、ロクマサは取り巻きの少年たちをともなって、涛の小屋に向かった。

 すでに、全員、しこたま呑んで、酔っ払っている。

「あのボロ小屋にたたき壊してやる。跡形もないようにな!」

 ロクマサは息巻いていた。

「あのガキ、漁から戻ってきたら、泣き出すだろうな。ボロ小屋が跡形もなくなっていりゃあ」

 違いない、と同調する取り巻きたちは、六丸に面倒をみてもらっている漁師のせがれたちだ。十代も半ばとなり、大人たちに混ざって漁に出なくてはいけない年頃だが、網元の息子に取り入って、遊びほうけている。

 彼らは暴れまわりたくて仕方がないのだ。田舎の漁師で終わりたくない、都に行きたいと思っている。だが、伝手も何もなく、腕に覚えがあるわけではない。だから、ガキ大将のような遊びを続けている。

 小刀を腰に差しているが、特に剣を習っているわけでもない。こうしていたら、大人たちも怖がって何も言わないから、そうしているのだ。

 実際、あと数年もすれば、彼らも漁師になるしかないことを悟り、身を固めたりもしたのだろう。大人たちが彼らを放っているのは、別に彼らを怖れているのではなく、自分たちにも似たような時期があることを知っていたからかもしれない。


 涛の小屋が見えてきた。磯の間近にぽつんと建っているあばら屋だ。

 だが、なんとなく前と雰囲気が違う。

 補強用に張られている網には、貝殻が飾られており、小屋の周囲には花が植えられていた。潮風に吹かれてなびいているのは扉がわりの帆布はんぷだろうが、いつの間にか色とりどりに刺繍が施されている。

 そこには、女のいる所帯の匂いがした。

 ロクマサたちは、そこで信じられないものをみた。

 小屋の外にしつらえられたかまどのそばにしゃがみ込んでいる小柄な娘。

 その髪の色は、あまりにも目立つものだった。

「異人だ……」

「異人がおるぞ!」

「涛のやつ、異人の女をかこうていやがった!」

 ロクマサのまわりで少年たちがわめきたてる。

「涛のやろう、ふざけやがって……」

 ロクマサの表情が歪んでいく。

 どんどん凶悪に染まっていく。


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