3 何処から
「で……その子が磯に流れ着いたのを助けたっていうの?」
腕組みをして仁王立ちのまま、さよりは言った。
涛は正座だ。
少女は小屋の隅で身体を縮こませている。
さよりのことを怖いもののように窺っている。
時折、心配そうな視線を涛に向けている。
「で、それはいつよ」
「二日前」
目をそらしたまま少年が応える。
大潮の翌日だ。
村では係留していた船に被害が出て、ちょっとした騒ぎになった。
「で、二日も、この子を裸のままにしてたの?」
「違う! それ、着せようとしたけど、そいつ、すぐ脱いじまうんだ」
涛が指さしたのは、つぎはぎだらけのぼろ布だ。涛の持つわずかな着替えだろうが、洗濯というものをしないため、ひどくよごれて異臭を放っている。
「それだとあたしもいやかもね」
さよりはひとりごちる。
今の季節であれば昼なら裸でも過ごせなくもない。
だが、ということは、まさか。
「あんた、この子と二晩も、ここで」
思わず声が大きくなる。
「なにもしてない!」
つられて涛も声を張りあげる。
少女がびくっと身体をちぢこめる。
「――まだ子供だぞ、こいつ」
気を取り直したように涛が言う。ぶっきらぼうな、いつもの口調に戻っている。
たしかに童女に見える。おそらく女になってはいまい。だが、異人の童女は日本人よりも発育がよいように思える。細いのに、すでに女らしいまるみを帯びてきている。
さよりは童女を凝視する。どこをとは言わないが――。さよりの視線が怖いのか、童女はにじにじと膝を使って移動して涛の背中に隠れようとする。
その様子の稚なさと、涛の態度のゆるぎなさから、どうやら大丈夫そうだとさよりは判断する。
もちろん、涛が童女にいたずらをするような人間ではないことはわかっているし、そもそも涛自身がまだ子供といっていい。
だが、問題は別のところにもあった。
「あの子、異人じゃない。どうして村のおとなに知らせないの」
「そんなことしたら、あいつら、こいつを殺すかもしれないだろ」
「殺す、なんて」
するわけない、と言いかけて、さよりは言葉に困った。
村人が異人に対して過酷なのは確かだ。しかも近年の不漁続きで気が立っている。しかも、こんな美しい若い娘となれば――いや、子供だ――しかし――おとなの男はたいていろくでもない。さよりにしても、少し胸が膨らみだした頃から、村の男たちから厭らしい目を向けられてきた。
さよりは嫌な想像を脳裏から振りはらう。
「それにしたって、その子の仲間が探しているかもしれないでしょ? いったい、どこから来た子なの?」
「わからん。そいつ、しゃべれないんだ」
涛は少女を振り返る。
少女は涛と目が合ったことにほっとしたのか、表情をゆるめた。
涛には心を許している様子が伝わってくる。
やはり、涛となにかあったのでは――と、さよりは堂々巡りする思考をもてあます。
「異人だから言葉がわからないのはあたりまえでしょう? 身振りや手振りで、なにかわからなかったの? 部族のこととか、なぜこんなところにきたのか、とか」
内心の動揺を隠しつつ、さよりが訊く。
すると、涛が声の調子を落として、答える。
「言葉はわかってる。けど、声が出ないみたいなんだ、そいつ」
「え?」
思わず少女の方を見やる。
少女も、自分のことが話題になっていることがわかっているのか、目を大きくして、さよりの視線に応じる。
「あなた、聞こえてはいるのね?」
少女はうなずく。
「あたしの言ってること、わかる?」
やや、ためらいがちにもう一度うなずく。
「ほんとにしゃべれないの?」
少女はこくりとして、唇を開けた。
絞り出すように、息を吐く。
漏れ出るのは呼気の音だけ。かすかにくぐもった音が出るのが関の山だ。
さよりは少女に近づき、側に座る。少女はわずかに首を縮める仕草を見せたが、さよりが触れてくるのを避けなかった。
長い髪が覆い隠していたが、よく見れば、少女の白い肌には無数の傷跡が残っていた。中にはかなり大きな跡もある。
「この傷は――けっこう古いみたい」
傷跡に触れられ、顔をしかめる少女。だが、声にはならない。
「最初は岩場に打ち上げられた時の傷だろうと思ったけど――そいつ、どこからか逃げてきたみたい、なんだ」
涛がおずおずと言葉をはさむ。
視線が泳いでいる。
少女はむろんだが、さよりも腰布とさらしだけの姿だ。涛の視線は、肌色でないところを探して空しく行ったり来たりしている。
「あんた、ちょっと外に出てなさい!」
さよりは怒鳴った。
ほうほうの態で涛は外に這い出た。
まったく、間の悪いことだ。
だが、同時にほっともしていた。
いずれにせよ、村で頼れるのはさよりだけだ。助けをもとめる必要は感じていた。だが、どう説明すればいいのかわからなかった。さよりの方から来てくれたのはありがたかった。
それにしても、と思う。
あの子はどういう訳で海に流されることになったのか。
二日前、岩場で娘を助け起こした時のことを思い出す。
半目を開けて、涛の顔を認めたとき、少女は確かに安堵したように微笑んだのだ。
そして糸が切れたように力が抜けてしまった。
ぐったりした少女を小屋に運び込み、身体を拭いてやり、ぼろだが、涛にとっては大事な家財だ――それを服代わりにかけてやった。
少女が目覚めたのは満潮のころになって、ようやくだった。
涛が側にいるのを知ってもおびえることなく、「く……」とくぐもった声だけをたてた。
それが、何かを欲しているしらせだと思った涛は水と食べ物を分けてやった。食べ物といっても、ろくなものではない。拾った貝の身や海草を入れ、以前にさよりからこっそり分けてもらった米と味噌の残りで作った薄い雑炊だったが、少女はいやがらずに食べた。初めての味だったのか不思議そうに――それでもおいしそうに――何度もおかわりをした。
それからが厄介だった。少女は一言もしゃべれなかった。
それに、衰弱していたためか、自分一人では立って歩くこともできなかった。
――というより、歩き方を忘れてしまったかのようだった。
涛としては、少女がどこから来たのかを聞き、村人に気づかれないようにここから送り出して、厄介払いをしたいところだった。
異人といえば、森に住むと相場が決まっているからだ。
だが、少女は、涛の言うことを半ば以上理解している節があるのに、まったくしゃべろうとしない。声が出ないのだと気づき、筆談をと思ったが、涛自身、せいぜい自分の名前が書けるくらいで、読み書きは得意でない。
仕草だけでもと思い、試みた問答はといえば。
――おまえ、どこから来た?
少女は海の方を指す。
それはそうだ。磯に流れ着いたのを助けたのだから。
――そうじゃなくて、どこに住んでたんだ? おまえの村もあるところさ。
やはり、少女は海を指さし、それから、悲しげに首を左右に振る。そこはもうないのだ、とでも言いたげに。
――もしかしたら、一人で……逃げてきたのか?
少女はためらいがちに、小さくうなずく。
そうか……
涛も少女の身体の傷に気づいていた。噛み裂かれたような跡や青痣。白く肌理が細かいだけにいっそうその跡は陰惨に思えた。
誰にやられた――という質問を発するのはこらえ――身振りでは答えようがないし、そもそも少女に問うのは憐れすぎる――
親やきょうだいはいないのか、という問いにも少女は首を横に振った。何度も。何度も。
涛はため息をついた。自分と同じか、と思った。身を寄せられる場所はないのだ。
しかも、言葉もしゃべれず、少女からすれば異人である涛と、こうしてふたりきりでいる――どんなに不安で恐ろしいことだろう。
涛は無理に笑顔を作ってみた。自覚はないが、自ら浮かべた久しぶりの笑顔だった。
――安心しろ。村のやつらからはおまえのことは隠してやる。
ケガが治ったら、おまえの仲間を捜しに行こう。
根拠がないことは自分でもわかっていたが、涛はそう言って、少女を励ましたのだ。
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