2 さよりと涛

 さん・まろ村は、湾に面した小さな開拓村だ。歴史はそこそこあり、欧州開拓初期にできた二十余りの開拓村のひとつだ。

 耕作に適した土地や水に恵まれなかったということもあるが、それよりも何よりも海からもたらされる収穫が豊富だった。遠浅の海は潮が引けば肥沃な干潟となり、貝類や小型魚が女子供でも容易に獲れた。船を出せば豊かな漁場がいたるところにあり、ぱりすや、ほかの町から、魚の買い付け商人がひきもきらずやってきて、村は潤った。

 漁師になりたがる者がさん・まろに押し寄せ、たちまちのうちに漁師町が生まれた。そして、人員と資本の集中は網元という階級を生み出した。

 網元とは、元手のかかる漁船や漁具を所有し、漁師に貸し出す存在だ。漁師のほとんどは網元を親とあおぎ、船と漁具を借り、金を借り、家を借りた。

 獲物は網元に集約され、流通に乗せられる。

 流通経路は寡占すればするほど競争がなくなり、利益率は高くなる。網元と商人は互恵制度を作り出し、中小の漁師を「もうけの仕組み」から閉め出した。結果、さらに網元の力は強まり、ついには村そのものを牛耳る二大勢力にまで絞り込まれた。

 それが三ツ藤家と丸尾家だ。さん・まろ村の名前は、先住民がこの地をそう呼んでいたところからついたとも言われているが、今では、三ツ藤と丸尾の「三」と「丸」を取って「さん・まろ」と呼ぶのだという方が通りがよい。

 村は、この二大網元が競いあう形で発展し、一時期は戸数も千を超えた。

 だが、その隆盛も七年前までのことだ。そのころから船を出してもあまり魚が捕れなくなった。かつては湧くほどに回遊していた魚の群れが影をひそめ、漁に出ても網は軽いままで、まったく水揚げのないまま引き上げなければならないことも多くなった。

 海流が変わったせいだと言う者もあったが、それよりもまことしやかに言われていたのは「人魚のたたり」説だ。

 さん・まろ湾の沖合にはさしわたし一町(百メートル)ほどの小島がある。もん・とんぶ――と現地人は呼んでいたという――意味は「墓の山」ということだが、村人はそこを「墓島」と呼ぶ。岩塊しかなく、草さえ生えない不毛の無人島――らしい。らしい、というのは、その島には船を寄せられず、誰も上陸したことがないからだ。常に周囲を複雑な海流が取り囲み、一定以上近づくことができない。

 漁場の多くはこの島の周囲を取り囲むようにして点在していた。漁師は、墓島を忌み嫌いながら、それでも漁は墓島の近くでおこなっていたのだ。

 墓島には人魚が棲む、と言われていて、その声――あるいは歌――を聴いた者は海に引きずり込まれ、骨まで食われるという話だった。実際、歌を遠くから聴いたという者は漁師には多かった。

 魚が捕れなくなったのは、墓島の人魚が人間を苦しめるために海流を変えたせいだ、というのがそうした迷信ぶかい漁師たちの言い分だった。

 それが正しいかどうかはともかく、現実として漁獲量は減り、商人たちもあまり立ち寄らなくなり、必然として、さん・まろ村は寂れた。

 自分たちが食べる分だけをなんとか手に入れ、日々をつなぐ、そんな、よくある僻地の開拓村となっていった。

 それでも、海女たちが海に潜って手に入れる貝類は、さん・まろ村の数少ない特産品として生き残り、外部から米や野菜などを買い入れるための貴重な原資となっていた。


 昼前。

 一日の仕事をまずは終えた海女たちが一団となって浜辺を歩いていた。

 年齢はさまざまだ。腰が曲がった老婆から、まだ小娘の年頃まで。あわび栄螺さざえなどの戦利品をかごに入れ、ぺちゃくちゃとしゃべりながら、歩いている。

 白い腰布だけの姿の者が多く、よく陽に灼けた肌をさらし、むき出しの乳房を揺らしている。

「じゃ、あたしはここで」

 と。一人の若い海女が、おしゃべりでかすまびしい一団から離れかける。

 歳のころは十六、七。しなやかな体躯は、時折、さん・まろの沖合にあらわれる海豚いるかにも似て、なめらかで筋肉質。背も一団では頭ひとつ抜けている。浅黒い肌に黒瞳がちの切れ長の目、時折のぞく白い歯がいかにも健康的だ。

 年頃らしく、さすがに胸元をさらしで覆っているが、そのふくらみは隠すべくもなく、おわんを伏せたように若々しい形に布がぴったりと張り付き、ほとんど透けている。濡れた髪は長く、額や頬に張り付いている。

「おや、さよりちゃん、また寄り道かい」

 三十路あたりの女房が、若い女に声をかける。

「だめだよぅ、まっすぐ家に帰らないと、また作蔵さんが『悪い虫がつく』と騒ぐよぅ」

「そんなんじゃないって。ただ、ちょっと寄るところがあるだけ。おとっちゃには黙っておいて」

 さよりと呼ばれた娘は女房たちに片手おがみで頼みこむ。

「ま、別にいいけどね、さよりちゃんには、今日もいいところを分けてもらったし」

「そうそう、さよりちゃんは若いだけに息も長くて――あたしらにはあんな深いところで仕事するのはさすがに無理だわ」

 女たちが口々に言う。彼女らのかごに入った戦利品のいくつかはさよりの手になるものらしい。

「じゃ、よろしく――ごめんね」

 さよりは頭を下げると、小走りに村とは反対の方に――人が住まない磯の方へと足を向ける。

 その背中を見送りながら、女房の一人がつぶやくように言う。

「あの子も物好きだねえ。丸尾の総領息子に言い寄られているっていうのに、海に出ることもできない呪われっ子にああも入れ込んで――いくら縁続きだといってもねえ……」

「まったく、男を見る目がないよ。そもそも、昔の三ツ藤ならいざしらず、今じゃ網元と名乗るのもおこがましいってのに、男の選り好みなんてねぇ」

 女たちは無責任に揶揄しあい、けらけらと笑うのだった。



 三ツ藤さよりは、女房たちがどんなふうに自分を笑い、話の種にしているか、もちろん知っている。

 かつて、丸尾家と二大網元としてさん・まろ村を支配してきた三ツ藤家も没落し、今や有象無象の漁師の一員だ。特にこの数年は不漁が続き、さよりが海女として働かねば立ちゆかぬようになっている。

 そんな没落網元の娘が二日もあけずに通う先があるとすれば、女たちの噂にならないわけにはいかないだろう。

 でも――

(そんなんじゃない、ただ心配なだけ)

 言い訳じみた独り言を小さくつぶやく。

 さよりが向かっているのは、一人、村から離れて暮らしている従弟の小屋だった。

 涛という名前で、さよりからみれば二歳も下の「子供」だ。

 小さいころからひとつ屋根の下で暮らしていたから、本物の弟と変わらない。

 なぜ同じ家で暮らしていたかというと、涛が早くに母を亡くし、七つの歳には父まで失ったからだ。天涯孤独となった涛を引き取ったのがさよりの両親だった。縁続きだから仕方なく、というのが実際のところだったらしい。

 さよりの両親は悪人ではないのだが、涛をあまりかわいがらなかった。あからさまにいじめるようなことはなかったが、総領娘であるさよりとは何かにつけて差をつけた。

 それがさよりには不満で、涛をかばい、何かと世話を焼いた。

 そのたびにさより両親は諭すように――

「気持ちはわかるがな、涛にあまりかまわんほうがいい」

「あれは呪われっ子だ」

 と言ったものだ。

 呪われっ子――というのは、涛が乗った船が不思議と海難に遭うためらしい。

 海女だった涛の母が死んだのは、涛と一緒に乗った船が転覆したせいで――涛だけが海に打ち上げられて助かった――母親は亡骸さえ上がらなかった。

 涛の父が死んだのも、涛と一緒に漁に出た際に時化に遭ったためだ。この時も涛だけが船の残骸にしがみついていて、のちにほかの漁船に救われたのだ。

 そのせいで涛自身、船に乗れなくなってしまった――船が沖に漕ぎ出そうとすると全身が震えて発狂したようにわめきちらし、ついには失神してしまう。

 その結果、「船を遭難させる童」ということで村中から気味悪がられるようになってしまった。

 村の男の全員が漁師という、さん・まろだ。そういう縁起の悪い子供が歓迎されるはずがない。海から疎まれた存在、だから、呪われっ子なのだ。

 さよりの両親も同様で、涛が船や漁具に近づくことさえ固く禁じたし、漁に出る日は涛を物置に閉じ込めることさえした。

 怖がって泣きわめく涛をさよりはこっそりと助け出し、両親の目から隠してやったこともあった。

 涛が十三歳になって喉仏が出てくると、さよりの両親は涛を家から追い出した。さよりに「虫がつく」ことを嫌ったせいでもある。そのとき十五になっていたさよりは、すでに網元の丸尾家の総領息子に、ぜひ嫁に、と乞われていた。

 涛のほうも養家に未練はなかったようで、村はずれの漁具小屋を勝手に改造して住み着いてしまった。村人たちもやっかい払いができたとばかり、それを黙認した。

 以来、涛は、村人とは交わらず、浜で貝や海草を拾ったり、磯で小魚や蟹を獲ったりして命をつないでいた。漁に出られず、海に潜ることもできない涛からすれば、それが精一杯だったのだ。

 海が怖い――でも、海に頼らなければ生きていけない、それ以外の生き方を知らない涛なのだった。

 その涛のもとを訪れるのは、さより、ただ一人だけだった。

 毎日というわけにはさすがにいかないが、漁の帰りにその日獲った海産物を分けてやる。時には米や野菜、味噌なども持って行く。

 涛はさほど嬉しそうでもなく、態度もひどくつっけんどんだが、さよりは、それが照れ隠しであることを知っていた。涛がさよりのことを頼っていることも、それを情けないことだと自覚していることも、わかっている。

 だから、小屋に長居することもなく、差し入れを置いたらすぐにさっさと出て行くのだ。

(悪い虫なもんか)

 まだ、子供だ。

 つい何年か前まで、いっしょに風呂に入って、洗ってやっていたのだ。

(ふん――だ)

 ひとり、鼻を鳴らしながら小屋への道を急ぐ。

 その行く手にいたのは――

(今日はついてない)

 立ちふさがったのは体格のいい青年だった。

 妙に仕立ての良い着物は絣(かすり)か。この村では自給できない高価な着物だ。

 しかも、侍でもないのに、小刀を腰にさしている。

 鋭角的な顎を必要以上にきしませて、底意地悪そうな笑みを浮かべる。

「よお、さより――」

 さよりはそれを無視して、突っ切ろうとする――

「おっと」

 それを遮る青年。どうやらさよりの目的地もわかっているらしい。

「どいて、ロクマサ」

「つれないこと言うなよ、さよりぃ? 未来の旦那さまだぜぇ?」

 青年は視線を無遠慮にさよりの胸と腰に向ける。

 さよりは、胸元を腕で隠しつつ、相手を睨む。

「なにが未来の夫よ。おとっちゃにはちゃんと断りを入れるようにいったんだから」

「そういう話は聞いてないぜ。むしろ祝言を早める代わりに船と網をくれとうるさいらしいぜ?」

 ロクマサ――六丸家の総領息子、正吉がうそぶく。

「どっちにしろ、この村でおまえが結婚するとしたら、相手はおれしかいないぜ。ふたつの網元がひとつになる――悪い話じゃないだろ?」

 さよりは片頬をゆがめる。

 ――ええ、悪い話じゃないでしょうね、六丸にとっては。三ツ藤が消えて、さん・まろの網元は六丸だけになるのだから。

 それにしても、さよりの両親はどうしてさよりの意志を無視して六丸家の申し出を受けたのか。

 六丸家が三ツ藤家の血筋を絶えさせようとしているのは見え見えだ。一人娘のさよりが六丸の嫁になれば、三ツ藤は消える。一応、分家筋委あたる涛はまだ子供だ。何の力もない。

 ――たぶん、そういうことなのだろうな。

 さよりは分かっている。さよりの両親は、さよりの幸せを祈って、三ツ藤を終わらせる覚悟なのだ。

 呪われっ子に――涛に――娘と分限をやるくらいなら――

 そう考えているのだ。

(まったく、どいつもこいつも――あたしがどうしてあんな子供の嫁になりたいって思うのよ――)

 あるはずがない。弟のようなものだ、というより弟そのものだ。というか、それ以下だ。ただの従弟――にすぎない。

 従弟なら結婚できる――とか、そういう話でもない。

 ――断じて。

「なんだ、さより、今日もあのガキに会いに行くってのか? ああ? わかってんのか、自分の立場」

 ロクマサがさよりににじり寄る。

「おまえはおれの嫁になればいいんだよ。可愛がってやるぜ?」

 さらしを巻いた胸を握りしめられる予感にさよりが一歩引く。

「いい顔じゃねえか、さより。おまえのそんな顔が見たかったんだ」

 さらに詰めてくるロクマサをかわし、さよりは駆け出す。

 走りならさよりは村の誰にも負ける気はしない。

「待てええ! さよりいいい――!」

 ロクマサが悲鳴じみた声を送ってくるがさよりは無視する。

 あいつにたいしたことはできるはずがない。子供の頃から知っている。ここ数年で背が伸びてやけに威張りちらすようになったが、もともとはさよりにも、年下の涛にさえ頭があがらなかったヤツなのだ。

「ロクマサ! あんたの嫁になんかならないよ! 村一番の潮目読みの嫁になるって、あたし、決めてるんだからね!」

 さよりは走りながらそう叫んだ。

 ロクマサはさよりに追いつけないことを悟っているのか、ただ立ちすくんでその場にいた。

 ――そういうことかよ

 ロクマサの唇がそう動いた。

 ――だったら、そういう潮目にするだけだ。



 小屋が見えてくる。相変わらず、岩場にへばりつくように危なっかしく建っている。

 走り続けたさよりは、小屋を目のまえにしてようやく歩をゆるめた。

 ロクマサは追ってきていない。これで追ってきていれば、一厘くらいは見直したかもしれないが――

 その事実にさよりはほっとした。あんなやつを見直す羽目になんて、陥りたくもない。

 視線を小屋に向け直す。

 強い風に襤褸がたなびいている。戸がないので、布でふさいでいるのだ。古い帆布だから丈夫ではあるのだが、いい加減腐ってきている。

「いるみたいだね……どうせまた、ごろごろしてんだろ」

 小屋の前に空のかごを見つけて、さよりは誰に聞かせるでもなくつぶやく。涛は基本的に一日、何もしない。朝、浜や磯をうろついて食べられるものを拾うだけだ。

 しょうがないねえ、という表情を作りながら、また、お説教もしてやらねばと思いつつ、さよりは入口の帆布をめくった。

「まったく、いい若いもんが昼間っから――」

 言いかけて、固まった。

 涛がいた。

 一人ではなかった。

 裸の女が一緒にいた。

 それも童女だ。

 肌が白い。牡蠣のむき身のようになめらかだ。

 そして、髪が。まるで金糸で織った敷物のようにせまい小屋の床一面に広がって――

 涛と抱き合っていた。

 正確には涛の胴にしがみつくようにして、じゃれている――ように、見えた。

「あ、あ、あんたは……」

 だが、想定外のことに舌がもつれる。頭の中をいろいろな言葉が駆け抜けるが、どれ一つとして形にならない。

 涛も驚いているらしく、口をあんぐり開けている。

「さ、さより姉……これはちが……」

 かすれた声で涛が弁明を試みるのを合図に、修羅場が始まった。

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