欧州怪異譚 さいれんと少年
琴鳴
1 異人
いつものように
大潮の後はいつもそうだが、さまざまなものが打ち上げられている。
海草や魚といった食べられるものもあるが、木材、桶のような道具類、網の切れ端など、雑多な
涛の目的は前者の食べられる方のものが七割で、塵にも三割ほどは期待をしている。中には使えるものも混ざっているからだ。木材は乾かせば煮炊きに使えるし、小屋の補修材にもなるかもしれない。網の切れ端だって、集めて寄り合わせれば、ものを縛る紐にもなる。
むろん、そういったものは、磯よりも浜の方が手に入りやすい。すぐ目と鼻の先に白い砂浜が広がっている。遠浅な海で、小魚ならば手づかみでも捕らえられそうだ。貝ならば掘るだけでいくらでも手に入る。
だが、その浜に行かないのは、そこが村の寄り合い地(共同管理地)だからだ。そこにあるものを勝手に自分のものにはできない。
浜だけではない。海もそうだ。村全体で管理されている。
というよりは、村の有力者に、だ。
村はずれに小屋を設けて一人暮らす涛のような者は、浜にはおおっぴらには入れない。入るとすればよほど早起きして行かねばならないが、朝の遅い漁師などいない以上、浜で何かを手に入れることは難しかった。
だから、外れの磯場――波が荒いときには、近づくことさえほとんど自殺行為な、危険な場所――を採集の場とするしかなかったのだ。
その違和感は、色彩だった。
金色の扇が広がっているように見えた。藁束でも流れ着いたのか、と最初は思った。
だが、それが、波間にただよう人の髪だと気づいた時、涛は判断に迷った。
土左衛門――それも異人か。
この村でも、漁師が舟から落ちてしまうことも年に何度かはある。そのまま海に呑まれてしまう者もいないわけではない。それが漁師というものだから仕方がない。
村の漁師が土左衛門になって流れ着いたのだとしたら、荼毘にふしてやらねばならない。村に届け、遺族に知らせ、埋葬してやる必要がある。
だが、それが異人だとしたら――
見て見ぬふりをするのが一番いい。また海に戻してやり、魚に任せるしかない。
異人と関わることは村の法度のひとつだった。もともと異人が作った町の跡に開拓村を建設したそうだから、その負い目もあるのだろう。
涛は、十年ほども昔――父がまだ生きていた頃に――数人の異人が村にやってきたことのことを覚えていた。彼らは獣の皮からつくった服をまとい、獣の骨の武器を持ち、耳障りな言葉をつかった。滑舌の悪い、鼻にこもったような、奇妙な言葉だった。
どうやら、父祖の住んでいた場所だから返せ、と言ってきたらしい。
村人たちは彼らを追い払った。
この土地も海も、もう我らのもの。もともとうち捨ててあったものではないか。今更もどってきても知らぬ。とっとと深い森に帰ればよい――
だが、彼らは幾度も来た。少しずつ数が増えていった。村人たちも銛などを手に、彼らと村の入口でにらみ合った。
その緊張は、ある時、突如終息した。近くの砦から侍たちがやってきたのだ。馬に乗り(涛はその時初めて馬を見た)、刀を腰に差し、胴巻きと手甲を着けていた。彼らは異人たちを恫喝し、森に消えるまで追い立てた。戦いにさえならなかった。
それが開拓村を守る衛士隊というものだと父から教わった。ぱりすに本部がある奥州探題というお役所のお侍さんたちだというのだ。村人の一部が近くの番所に駆け込んで助けを求めたのに応えてやって来くれたのだ。
侍、というのは不思議な存在だ。父によれば、侍は魚をとらないという。といって土地を耕すでもない。それでどうやって食べているのかと問うと、「戦って」いるのだという。
この欧州には、異人だけではない、もっとおそろしい敵がいる。
そのモノたちは、大昔からこの欧州に棲みついていた。
もののけ、あやかし――そのような、モノたちだ。
森には人とケダモノがまざりあったような獣人が、沼や川など水のあるところには水妖が、人里にもときにあらわれる火の玉・うぃるおーうぃすぷが、そしてすべての怪異・妖魔を統べると言われる
侍の本来の仕事はこうしたあやかしを打ち払うことなのだという。
――だが、その英雄たる侍たちは、異人を追い払った対価を村に求めた。
数日にわたり村に滞在し、ある限りの酒と料理をたいらげ、女を差し出させた。
へべれけになった侍のひとりが、村の娘を引き連れて、下卑た声をあげつつ徘徊しているのを涛は見たことがある。刀の柄に手をかけて、あたりを威圧するように、そしてさも愉快そうに歩いていた。
これが侍か、と思った。これなら漁師のほうがずっといい――幼いながらも涛はそう思ったものだ。
それもあって――土左衛門が異人なら放っておこう――と、涛は思った。また騒ぎが起こるのはいやだ。それに、侍にも来て欲しくもなかった。どうせろくなことにはならない。
引き返そうとした涛は、視界の端で金色の扇がふっ、と動くのを感じた。
涛は振り返った。白い腕が弱々しく動き、岩をつかもうとしているようだ。
生きている――
仕方なく、あるいは、やっぱりなと思いながら、涛の脚が動いていた。岩の間を身軽に跳んで、海に突き出した突端に降り立つ。
波打ち際に、白いものが打ち上げられていた。
どうやら子供らしい。
髪色からすれば、異人なのは間違いない。髪が黄金に光って見える。
「おい、大丈夫か?」
子供は反応しない。ただ、波に押されるたびに、無意識にか岩にしがみついている。
おぼれて、力尽き、上げ潮に乗ってここまで運ばれてきた、と見るべきだろう。よくもまあ、岩に叩きつけらなかったものだ。このあたりの上げ潮の速度はすさまじく、容易には船も出せないほどなのに。
涛は岩を降り、子供を抱え上げようとした。そしてぎょっとする。
子供は女で、しかも全裸だったのだ。
長い髪が身体を覆うように貼りついている。生まれたときから髪を伸ばし続けていなければ、とてもここまで長くはならないだろうと思えるほどに。
腕のなかの少女の肌は当然のことながら冷え切っていて、まるで魚を思わせた。もちろん、手触りは鱗のある魚類とはかけ離れていて、おそろしく滑らかだった。身体には岩にこすれてできたらしい引っ掻き傷が無数にあるものの、致命的なものはないようだ。
両目は閉ざされていて、長いまつげがかすかに震えている。
「おい、しっかりしろ!」
涛は波にさらわれない位置まで少女を引っ張り上げて、声をかけた。
息はある。薄い胸がかすかに――不器用に――動いていた。涛は目をそむけた。漁に出る女――海女はたいてい腰布ひとつだ。だから、涛も女の胸はある意味見慣れていた。まして、このくらいの歳の子は、村では男女関わりなく裸で泳いでいる。だが、これはそういうのとは違う気がした。異人で――日焼けの跡もない真っ白な肌で――少なくとも、相手は涛に見られていることを知らない。
「――寒くはないか、おい」
少女のまぶたが震えた。小さな唇がひらいて、かすれた声が聞こえた。しゅう、という息がもれるような――
ふるふるとまぶたがあがった。虹彩は澄んだ碧だった。
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