金の鳥 作:奴

 一週間のうち、大麻や覚醒剤の所持・使用で逮捕された人がニュース番組で報じられることは、一度か二度か、ある。たいていは二十代の無職か、世間の人には不吉な耳障りのする集団に所属している人かだが、ときには経済に苦しんだ学生やふとしたはずみからそれを手にしてしまった未成年などが印象的鮮烈に報じられる。それにぼくが心を動かされ、麻薬に反対する活動を起こすのではないし、麻薬に手を出してしまう心理について追究しようとするのでもない。あらゆる報道と同じようにそれはぼくの前を通り去ってしまい、あとには何らの感興をも起こさない。まるで、電車を待っているときに脈絡なく始まり終わる、友人どうしの会話のように。ぼくはそこで流れ着く話をただ茫然と眺め、そうしてそれがまたどこかへ漂流してゆくさまを無感覚的に見送る。ふとすれば次のものが来る。


 しかしそれでも大麻使用の罪で逮捕された人間の報がぼくの目を止めたのは、それが実家の隣人だったぼくの一歳年上の広元さんだからだろう。別にそれ以外では特殊な要件は何もなかった。二十代男性、無職、金に困り、売り手と買い手の仲介役をやった、自分で使用していて、尿検査で反応が出た、等々。ぼくはテレビの画面すら見ていなかったと思う(その記憶が不確実なくらいにはきわめて無心で、無意識だった)。ただ広元恒樹という名を耳にし、目につき、顧みた。


 最後に広元さんに会ったのはいつか?


 実家で隣り合わせだった当時、まだ小学生か中学生のころ、ぼくは彼を「こうくん」と呼んでいた。彼はぼくを「けん」と呼んだ。一歳だけ年齢が違うとはいえ、子どもながらにそうした差のようなものは気にしなかった。面識のない人とは年齢差から自然と先輩後輩の別が生じるとはいえ、まだ幼く、かつ公園で一緒に遊ぶこともあったため、家庭環境の若干の違いを除けば、ぼくらは何らの隔たりもなく接していた。両親どうしも幾分か仲はよかったと思う。


 ここで「こうくん」と呼ぶのは面映ゆい気がするから、広元さんと呼ぶけれど、彼はよくぼくを連れて山へ入った。山菜やきのこやたけのこの取れる山。猪が棲息しているから――いや、「こうくん」と呼んだほうがいいのかもしれない――子どもだけで入るのは危険で、実際に立て看板があった。遊びに行くと言えば母親からはいつも山へ行くなときつく注告された。それでも探検したがりだった子どもはいくらでも山に入り、道をたどり、虫を採り、秘密基地を造った。秘密基地は上級生や他校の人(その地域にはみっつの小学校とふたつの中学校があった)に占領され、壊されることもあった。それが二度、三度とつづくうち、しだいにだれにも知られない場所を探しだした。そのころにはたまり場が山の秘密基地からゲーム・センターや友人の家になりもした。ぼくらが新しい遊びに興味を抱いていたということでもあり、精神的文化的成長の比較的健全な過程とも言えた。


 ぼくが今まずもって思い出せる「こうくん」との思い出は、その山に行った最後のときのことのはずだ。たしか、ぼくは小学校の五年生で、「こうくん」は六年生だった。残暑がいくらか体に鬱陶しい晩夏という感覚が同時に思い起こされるから、九月上旬の休日だろう。クラスメイトの大半がゲーム機を持ち、お小遣いをやりくりしてゲーム・センターでメダル取りゲームを遊び、ほんのすこしのお菓子を折半で買って食べていたころ、ぼくの家には、検索するにも読みこみに時間のかかる古いコンピュータに入っていたソリティアかピンボールくらいしか、ゲームと呼べるものはなかった。「こうくん」はぼくの「勢力図」作りについてきた。ぼくの記憶はおそらくそのときのことだと思う。


格好を良くして「勢力図」と言ってみても、実のところは山の俯瞰図を大雑把に書いて、自分の覚えていたかぎりのたむろ場を書き出し、色鉛筆で区別しながら「北小学校のだれそれ」「第二中学校のだれそれ」というふうに書きこんだだけの実に簡素なものである。山にしても小高く森林の蒼然と茂った丘と本当なら言うべきで、道を伝えば二時間でおよそ一周できた。けれどもそこには無数の「領土」があり、「基地」があった。


そのとき「こうくん」は、ちょうど自宅を出ようとしていたぼくと鉢合わせて「何かしよう」と言った。「こうくん」は、相貌こそ父親譲りの鋭い目や浅黒い肌やつねに締まった表情などすこし恐ろしいところがあったが、長いあいだ一緒に遊んできたせいか、ぼくは彼とわりに対等に会話できた。


「忙しい」とぼくは言った。


「どうせ山じゃろ」


ぼくは素直にうなずいた。


「なん、それ」ぼくの手にしている紙を指さした。


ぼくは「勢力図」の話をした。そのときはたしか半分くらいはできていたと思う。どの学校のだれの「領土」かを特定するのは、たいていは本人がちょうどいて、かつその姿を遠くから双眼鏡を使って把握できるときだけだから、ずいぶん骨を折る作業だった。絶対に見つかってはいけない、とぼくは肝に銘じていた。


ぼくらは山へ向かい、途中の自販機で飲みものを買い、そうして山へ入った。何の話をしていただろう? ぼくらのあいだに共通の趣味らしいものは取り立ててなかった。一緒になって呵々大笑することはない。ぼくはそれほどみずから話をする人ではなかったし、彼にしたって口が達者というわけではない。めいめい好きなことをして、好きなことを考えていたかもしれない。山に入るとぼくは前回までに記録した箇所を超えて歩き回り、うまく「地主」を同定できそうな箇所では慎重に探りを入れた。「こうくん」はすこし離れたところでぼくの行動をうかがい、木々の枝葉を見上げ、幹にとまってある虫を捕まえては脚や触覚をもいだり、よくわからない花の蜜を吸ったりしていた。おおむね静かにぼくのあとをついてきていた。


それで夕方近くになったのだろう。ぼくは門限の六時に間に合わなくなることを恐れて帰ろうとした。そうしたら、


「けん、あそこ、鳥」


と「こうくん」が言った。ぼくにしてみれば早く山を降りたかったし、夕方のいっそう暑い日差しがじきに来る夜を暗示しているようで気が急いていた。けれども「こうくん」は鳥を見ろとしきりに急き立てた。


そこに鳥はなかった。羽ばたきの音、鳴き声すらもなかった。ぼくはいったい何の嘘だろうと恐怖を抱いていたかもしれない。


「あそこ、金の鳥」


と「こうくん」は世迷言のように、白昼夢と現実世界とを混ぜこぜにしているように、きわめて緩慢に言った。


「鳥?」


「あっこお、金ぴかや」


「こうくん」は何度も、あっこ、あっこ、と繰り返す。


しだいにぼくはうんざりしながら、金の鳥というのはなるほど夕日のことだろうと勝手に了解して、「そやなあ」と相槌を打った。そのとき、


「ああっ」


夕日の逆光で黒く塗りつぶされた影絵のような鳥が、突如として鬱蒼たる枝のあいだから飛び立ち、そして林の向こうへ消えた。揺さぶられた枝から葉の落ちる音がしばらく騒ぎ立ち、止んだ。


あとには何も残らなかった。太陽光は急に衰えてしまって、山全体から明るさが失われてしまったようであった。


そうして静寂がキーンと緊密に張り、ぼくも「こうくん」も黙った。それが何秒のことか何分のことかはわからない。


ぼくは卒然と我に返った。彼を揺さぶって勾配のついた山道を下った。ずいぶん時間がかかったようでもあったし、一瞬のうちに麓に着いたようでもあった。ただ次に気がついたころには、「こうくん」と一緒に家の前まで帰ってきていた。


あの鳥は何であっただろうか? 仮にそこにあったのだとして、どうして飛び立つまでその姿がわからなかったのだろう? 「こうくん」はたしかに金の鳥がいると言った。飛び立つ姿だけはぼくもたしかに見た。けれどもそれが金色であること、その枝の間隙にとまっていたことなど、そのときのぼくにはわからなかった。


それからぼくが「こうくん」と連れ立ってどこかへ出向いたことはないと思う。ぼくは金の鳥の一件以来、山を敬遠し近づくことすら止していた。ぼくは読書を始め、しだいに耽り、「こうくん」は中学生になってまったく別な人と遊ぶようになった。ぼくは山とも「こうくん」とも疎遠になってしまった。「勢力図」は未完成のままいつの日か捨ててしまって、山に入ってしたことはほとんどおぼろな一握の観念に成り下がってしまった。ただこうしたきっかけによって、ようやく記憶の一部分を明瞭なものへと修繕するのだった。そこにはいくらか脚色があり、夢中のようにものごとの非合理的な連関、因果がつけ加えられてあるだろう。ぼくにはそれが実際記憶のうちに多少なりともあるのかどうか、それすらすでに判然としない。


しかし「こうくん」のことを思い返そうとするたび、ぼくはその金の鳥のほかに、彼がバッタの脚と触角をもぎ、腹を裂いてはらわたを引きずり出しているさま、そして彼が手持無沙汰に山道のそばの斜面の草むらに向かって無残なバッタやそこらの石を投げ落としている姿を、思い出す。それらいくつかの場面だけが、あったかもわからない不確実な記憶とともに繰り返し脳裡に映され、その克明さのためにぼくは今でも吐き気を感じることがある。そのたび水を飲む。


「こうくん」逮捕の報を知って、ぼくはまたそうした拭い去るべき過去を丁寧に振り返っていってしまって、喉の奥に苦く熱い感触を抱く。胃酸が僕の舌のうえにざらざらと嫌な後味を作っている。


ぼくはまた水をコップに何杯も飲んだ。まず、口に絡む胃酸を洗い流すため。それから、「こうくん」の出所を祈るため、山の「領土」の平和のため、むごたらしく殺されたバッタのため、描きかけの「勢力図」のため、そして、今も山のねぐらにいる金の鳥のため……


何かが、そこから飛び立った気がした。

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2021年度・九州大学文藝部・新入生号 九大文芸部 @kyudai-bungei

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