活字虫 作:そら豆

 何時だったかな。


文庫本の字を目で追いながら、往来をのんびり歩いていたことがある。何かの集まりの帰りだったはずだ。至極まっさおな昼下がりに、Mと並んで、馴染みの街並みをうろついていたのには違いない。この悪友はさっきから口笛に挑んでいたが、どう試してもシとドの間の子のような音だけが出る。とうとう諦めたらしく、藪から棒に、お前の歩くのは危なっかしくていけないと文句をつけて、せめて自身の上着の裾を掴んでいるように云った。彼は私に読書を諦めさせることを、とうの昔に諦めている。


しかし片手でページを繰りながら歩くというのは難しいうえ(試しに今やってみるといい、見ていてやるから)、字が揺れて楽しめたものではない。それに案外周りの様子も判っているものだ。


「いいや、お前はそう云って、必ず電信柱か看板か野良犬かにぶつかろう。せっかく道が存在するのだからきちんと道を歩け」


Mは失礼にも人をぺんぺん叩き、乾いた笑い声をあげた。


 それに何と云って返事したものか、ちょっと思い出せない。




記憶を辿れる限りの幼い頃から、私は物語が好きであったと自負するものである。


 頁をめくると、想像力の許す限りにリアルな舞台が頭に築かれる。何時でも自分のみのために繰り広げられる景色は、私を悉く虜にした。酔っ払うような心地。写真より映画より音楽より、活字のあり方を美しく思った。整然と並び、まだ見ぬ読者を待ち続けるその几帳面さ。子供なりに、けむるような幽かな頁の匂いを知っていたし、醸し出す味わいは一体どこから来るのだろうと、手近な表紙を噛んで回りもした。完全に閉じた世界でないのがまたいい、愛おしい。おわりの文字にたどり着いた後も、物語がどう続くか熱心に空想することも、またおもしろかった。


 父母は愉快そうに、私にいろいろ本を与えた。とくに母は、物語の他は、料理に宗教、簡単な土木や犯罪心理の本まで寄越した。そうしては、お前はほんとによく読むねえと、笑みを含んだため息をしばしば吐いた。四つ五つの息子をどう育てたかったのか見当もつかない。それでも私が一等好きなのは、やはり小説世界特有の、あの浮遊感なのだった。父は部屋に散らばった本をじっと観察して、ふんと云うか、時折黙って一冊の小説(父自身が気に入ったであろう)を、私の文机にぽいと置いておくかすることがあった。ありがたく読んだ。


 学生になると、他人より多くの本を読むことに、ほのかな優越を味わうようになる。それまでの友人には、自分以上の本の虫は幾人もいた。もう顔も名字も思い出さない彼らと、飽きないで図書室へ寄り寄り寄って、最近いい本はないか、いっぺんSFを読んでみろ、最近のミステリはいかんよ肝心の解決部が冗長すぎて欠伸で蜃気楼ができそうだ、いやその点××という作家は上手くやっとる、などと情報を遣り取りするのが常だった。そうしているとぬるま湯に浸かるように気持ちがいい。


そのうち彼らは一人二人と図書室に来なくなった。それは運動や学業、あるいは趣味との兼ね合いで、読書時間を諦めたからだったろう。すぐには判らなかった。近頃めっきり奴に会わないな、と思って気付くと、かつての本の虫たちは餌場、まあつまり本棚の前から姿を消していた。ときどきは下級生すら見ない。余所余所しくなったまま卒業してしまったから、誰の消息も定かでない。


寂しくはなかった。かえって気分が高揚して、偉くなった気さえした。書物の貯め込んだ知識の数多を、自分だけはたゆまず吸収していること、それを内心誇っていた。もっとも子供染みた優越は、このところ急速に掠れてきたのだが。


 この辺で悪友についても触れておきたい。


 Mという男。ほんとに同い年か定期的に疑ってしまうほど盛り上がった図体をしていて、顔が四角い。妙に乾いた笑い方をする。気が向くときに互いの住処をほいと訪ねる契約をしているが、ひと月出くわさないこともある。学生時代、席がやけに隣り合う時期があり、気付いたらニコイチ扱いだった。


此奴は本を読まない。知り合った頃に二度短編集を貸したが、二冊目を返却するときに心なし眉を曇らせ云った。


「矢張り俺はどうにもこういうのは駄目だ、文字が並んだのを見つめると尻がむず痒くなってくる」


「ふむ。文字の精霊の悪戯かも知らんね」


「なにだって?」


「知らんかな、『文字禍』だよ」


「そいつは食える魚かね」


 以降物語の話はしない。向こうも話題にしない。だが我々が友人であることは確かである。一点、奴が私のことを、活字中毒の捻れ者と見なしているきらいがあるので、そこにだけはそのうち改善を申し入れようと思う。




 先日のことだ。贔屓にしている作家の新刊で、金文堂の店先で見かけたのですぐさま会計へ持ってゆき、取っておいたのを暇にかこつけて開いて、妙だなと思った。


目が、活字の上をいやに滑るのだ。文の中身を理解するのは簡単なのに、情報がすんなり脳に入ってこず、どこかの器官でつかえている。私は空恐ろしくなって、覚束ない足つきで下宿の階段を上がる。


いや、その現象が一冊について起こるのなら問題はない。馬が合わない本は誰にも経験がある。だのに妙なのは、これが二十一冊分も続いたことだった。部屋に引き籠って、積んである気に入りの本をあちこち引っ張り出して、開いては、脇に重ね直した。室内の景色が三転ほどしても、どの種の本も、どうしても読む気にならない。


……読書に飽きるとは、これを云うのか。


 あたかも子供がふと勘付くようだった。手の中の玩具が、昨日まで世界で一番の気に入りだったけども、その考えは果たして正しかっただろうか。ぼくはこんなのに何の魅力を感じていたのだっけ。やがて子供はブリキの玩具を放り捨て、別の玩具の虜となる。


 今が本から離れるときかと、長年続けた習慣を崩すにしては呆気ないくらいの軽さで思った。


 しかし驚き、かつ困ったことに、長年染みついたつまらない意地という奴が、書物を手放そうとしなかった。


読書は長らく自分の強烈なアイデンティティであった。知り合いの万人が、私という個人を本という記号とともに思い出す。それを失えば、貧相で頑固な外っ面以外に何が残る? 読まなければ、もっと、読まなければ。足は呪われたように、金文堂の本棚へ通うのをやめなかった。


 でも、駄目なのだ。既に知ったことが書かれているだけでもう厭になって、読み進める気がしない。図書館と貸本屋から借りた数冊でさえ、半分残してそのまま部屋に置きっぱなしている程である。


――去っていった本の虫の群れの中で、取り残されていた私にも、羽化の日が来たらしかった。あのとき、かれらはどんな顔で幼虫の私を見つめていたのやら?


 この悩みを腹に抱えて以来、夜、布団の上で、意識が消失する前の二時間を噛みしめるのが日課となった。


うつ伏せになって本を読んでいれば現れたまどろみは、本なしだとなかなか訪れない。大の字になり、天井の木目の端がどの端に繋がっているか目で追い、飽きれば山月記はどういった話か、四大奇書とは何と何と何と何であったか、クラムボンとはなんだろうかと考える。呑気な思索を巡らせられるときは良いほうで、たまに頭がじらじら痛むことがある。たいてい鯨飲のせいだ。それでも黙って、うすい眠りが全身を包むのを待つのだ。


たった一度だけ、その暇潰しを続ける気も失せて、Mの下宿まで歩いて行った。


しし座が見事な晩だった。極薄い白絵の具を刷毛でさっと刷いたように見える雲が、千切れながら東に流れていく。その下で、黒々、ごみごみした大通りの中央を、僅かな靴の音とともにずんずん進む。本を持たずに歩くのは変な気分だった。通りのどこで曲がればいいか、どこに着くのか判っているから怖くはないが、ただ、誰でもいいのでこの道にいて、先を歩いていればいいのにな! と思った。そうしているうちに下宿に着く。


Mは確か宵っ張りでない。が、起きるまで戸を叩き、「遊びに来た」とでも云い張って、たらけた世間話でもするつもりだった。


しかし硝子戸は終ぞ開かなかった。つっかえ棒がしてあるらしい。赤ペンキの剥げた郵便受けを改めると、ここ四日の朝刊が丸めてぎゅうぎゅう押し込まれている。そこで漸く、相手が前に、九州のほうへ行くと云っていたような気がしてきた。九州だったかな。余所の国名だったかもしれないが、そこは大して重要ではなかろう。期間はまともに聞かなかった。


これでは骨折り損だ。なんだそっちも苦学生のくせにと憤慨した。


――己の無様さを晒すくらいなら、Mに会わなくて良かったのだとも思った。


私はきいと鳴る郵便受けをとりあえず空にしてやり、新聞を抱えて来た道を戻った。


何かに憑かれたように、無邪気に物語を愉しめた頃はよかった。だが今私の背後に憑いているのは、焦燥と倦怠をない交ぜにした化け物である。




 郵便受けに入っていたのは新聞だけではなく、請求書や投込チラシがところどころ挟まり相当な分量になった。次の日中身を部屋で仕分けていて、ひとつ異質なものに行き当たる。


そう分厚くない四六判のハードカバー。


自分の、本。


 そっと開いてみると、紙片が一はさまっていた。どうも手近なザラ紙に殴り書きしたらしい。文面はこう。


『すまん、随分前に借りたが、返すのを忘れていた。部屋掃除のとき座布団の下で見つけた。すまない』


 初めと終わりを謝罪で括れば許されるわけではない。しかも尻に敷いていたと? その本というのも、中々気に入っていた幻想小説だったので、感想もへったくれもない文面にしょっぱい思いをする。


「そもそもなぜ人から借りたもんを郵便受けに置く」と口を尖らせてみる。開き癖まで付いているようだ。


そのとき、開いていた頁の一文が、ふと目を捉えた。




「おまえは、ただの物知りになりたいのか?」




 十拍ほど心臓がとまった。


 がくんと脳髄を揺さぶられて、世界が切り替わったような気もした。それほど、このときの私にどんぴしゃりな言葉はなかったのだ。


 ページに触れるのもためらわれるような、変な緊張。私は四畳半の部屋に正座し、その本を最初から読み始めることにした。




『前略


長旅ご苦労。じつは話を聞き流していたせいで、お前がどこに行っていたのか知らないが。


お疲れのところ悪いが、とにかく愚痴を聞いてくれ。


黙っていたが、たまに森井のような奴が羨ましくなるときがある。


なんだろうな、ひとつしか本棚の無い家で育った人、とでもいうべきか。きっとお前らの頭は文字の霊力に犯されないで、ずっと健やかなのだろう。そののびやかさが羨ましい。


こっちは小さい頃から、手当たり次第に書物をむさぼり続けたばかりに、頭がジグソーパズル状になっている。いろいろな本の警句を切り貼りして、柔らかさなんてどっかにいってしまった。


いまからでも本を手放せば、お前らみたいに先入観なく、眩しく物事を見られるのだろうかと考えたりする。憧れるといっちゃ変だが、つい最近まで鬱々とそういうことを考えていた。


 しかしもう堂々巡りはやめようと思う。


 ここのところ、どうも本を読む理由を見失いかけていて。本は、五感で味わうものだとやっと思い出せた。


やはり本を読むことをやめない、やめたくない。文字のために脳がいくらか病んだって知るものか。


私はそれで幸せなのだ。


これは宣言文のようなものだから、一読してふうんと思ったら、もう処分してくれていい。ただ、言っておきたかっただけだから。


それじゃあ森井、また後日。


追伸、つっかえ棒の居留守は古いんじゃないか。昔のミステリばっかり貸したこちらにも、まあ責任はあるのかも知れんが。


草々』




私はペンを置くと、文面を読み返してうなずく。差出人の名前がなくとも、あいつはきっと判るだろう。あの乾いた笑い方が、無性に聞きたかった。


便箋を封筒に入れ、立ち上がって部屋の本を一冊取り、玄関へ行って下駄をつっかける。戸の向こうが明るい。


いつ家主が覗くとも知れない郵便受けに、封筒を出しに、私は往来に一歩踏み出した。

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