彼の一日 作:椎茸

 その日、タツヤにしてはめずらしくよい目覚めで朝を迎えた。まだ目覚まし時計が鳴ってすらいないのに。起きた瞬間のそわそわとした気持ちが、急速に眠気を飛ばしていった。そうだ、この感覚は学生のときの入学式に似ているぞ…そう考えたが、あまりの逆説に苦笑する。今日は彼の職場が閉まる日…つまり、今から迎えようとしているのは入学のニュアンスとは真逆のものに他ならなかったからだ。




 彼の職場は、大都会から少し離れたところにあった。ほどよい自然とほどよい都会化がウリのこの場所はもともと人気が高かったのだが、その高価な土地を切り開いて、その図書館は作られた。‘’ヒューマンライブラリ‘’―世界各国での人気を受けて3年前に設立された、日本で初めての、人物中心の私立図書館だった。この図書館は少し特殊で、「人間を残す」をモットーにあらゆる人物伝のみを収集しているのであった。高名な科学者の伝記から、一般人の自伝まで。そう、望むのならだれでも一冊自伝が置けるのだ。そして、オリジナルのサービスとして、「生前に頼んでおけば、日記、経歴、遺品等々から人生を復元し、伝記を作ってもらえる」というものがあった。そのサービスの根幹をになっており、また図書館の管理者でもあるのが、リテラ―自動文学作品製造AI―であった。




 「それにしても、あっけない終わり方すぎるわー」


 目覚めからセンチメンタルだったよ、という彼の話を鼻で笑ってから、同期の女性は言った。「外国の社長サンが何を考えてるのかほんとにわからない。閉店…閉館?利用者さんに怒られろって感じだわ」


 そういって、積み上げられた本をどさっと机に置く。今日は本の在庫確認の最終日でもあった。いよいよ大詰め、この一山で最後だ。この本たちはこれからしばらく、奥の倉庫でゆっくり眠ることになる。


 本のタイトルを一冊一冊確認していくこの作業が、彼は嫌いではなかった。今時アナログな作業だと笑われるかもしれないが、社長の方針で、本に触れる作業は機械ではなく人間がやると規定されていた。


 「まあいいじゃんか。別の図書館への再就職も保証されてるし、社長のことはあまり責めたくないけどね」


 あえてざっくらといい加減に答えながら、彼は黙々と作業を続けた。言葉が上滑りしていることはわかっていた。




 「よし終わり!」日が少し傾いてきたころ、すべての作業は終わった。


 「あとはリテラの処理だけー。誰が行く?」


 皆が顔を見合わせた。リテラの本体は日光の当たることのないこの建物の地下にある。暗さと静けさが相まって、近づこうとする人はあまりいなかった。月一回、メンテナンスのために誰か一人が入るかどうかという程度だった。一瞬張り詰めたような緊張を見て、彼は手を挙げた。この時を待っていたのだ。


 「自分、まだ行ったことないから最後に行ってみたいけど――」


その提案がすぐに通されたことは言うまでもない。




 案内された通りリテラのいる部屋のドアの前に立つ。簡素な白い蛍光灯があたりを照らしていた。


名前と要件を告げるとドアのロックが無言で外される。おそるおそる中に入ると、そこには人がいた。いや、リテラがいた。本体の機械が光を放ち、人型の女性を形作っていた。この国の人間のなりをしている。それが前に突っ立っているので、彼は恐ろしさで叫びそうになった。それをすんでで止めることができたのは、リテラの部屋の雰囲気が思いのほか明るかったからかもしれない。たしかに少しうす暗くはあったが、彼はもっと陰気な暗い部屋をイメージしていた。




 「お会いするのは初めてですね、司書のタツヤさん。よろしくお願いします。」


 「閉館処理というのは私の自動文章作成プログラム削除でよろしかったでしょうか。本社の社長からうかがっております。」


 「では、こちらより指示を出しますので作業をお願いします。」


 館内放送で何度も聞いた 親しみのある声がそこから聞こえる。そうなのだ。今日、彼女は書き手としての能力を失う。そう、この図書館がここまで追い込まれたのはいつからだっただろうか。人間、AI, 世論、政府…。いろんなものが絡み合っていて、今となってはよく分からない。はっきりしているのは、外国の館長が突如全サービスの停止を決定したということだけ。それだけだ。


 「あの…お疲れ様です。」


 今まで喋っていたものに対して危害を加えることにためらいをおぼえて、彼は思わずしゃべりかけていた。何もならないとしても。しかしつづくリテラの返答は彼をゾクリとさせるものだった。


 「いいえ。本社の社長、もとい人間に従うのが私の本分です」


なんて冷淡な言い訳だ、と彼は思った。同期たちが近づきたがらないのもわかるような恐ろしさをはらんでいる。彼の雰囲気を察したかのようにリテラは慌てたように続けた。


 「お役に立てた日々はほんとうに楽しかったですよ!書くのも素敵でした。想像を使うのも、全部!」


 ならばその能力を奪う僕はどうしたらいいのだ、と困る。彼はこういう律儀なところがあった。一呼吸おいた後、ふと彼は思いついたように言った。


 「今日君に会いたいと思ったんだ。感謝を伝えたくて。」


 「え?」 リテラは僕の出方を窺うように声を発した。


 「君は僕の祖母の人生を書いてくれたんだ。君が描いた話は膨大だろうから覚えてないかもしれないけど……」


 今でもその筆致を思い出せる。途切れる意識と僕たちの声。天への感謝と少しの心配。闘病の末息を引き取った祖母の人生のラストシーンを何度も何度も読んだ。


 「フィクションだってわかってても、本当になぐさめられたんだ。ありがとう。」


  そう、リテラが書くのはそんなシーンばかりだ。他の本を読んでも似たような感じだった。必ずハッピーエンドにしてしまう。でも、そんな能天気さがたまらなく好きだった。


 「私もそのお話を聞けて嬉しいです。」


リテラは声色を少し明るくして言った。


 「タツヤさんみたいな人が増えれば私もいつの日か復活できるかもしれませんね」


 「もし復活したら」 被さるように彼は言う。


 「その時は僕も依頼しに行くよ…君は必ず復活する。一日だって、誰かに想われると知れたらうれしい人はたくさんいるはずだからね」


 「分かりました」リテラは答えた。少し呆れたような笑いを含んだような声で。


 「必ずハッピーエンドにするとお約束します」






 そしてその日、図書館は閉館した。 僕は来月から別の公立図書館へと移る。リテラのいない図書館。いいんだ、それにリテラの残した本は消えるものじゃない。また働き始めるその時まで、誰かの人生をゆっくり読もうじゃないか。祖母の本を抱えたままベッドでゆっくりとまどろむ。リテラは僕のことをどう想ってくれるのだろう……。彼は微笑みながら眠りに落ちた。


                                  終わり

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