第2話 示唆
痛みを感じることは好ましくない。
しかし、強い痛みを感じると同時に「生」を感じることができる。
「生きている」という実感が生半可ではない強さで感じられるのだ。
かつて、このような事を親友と呼べる存在に話したことがあった。話を聞いた親友はこう応えた。
「生を実感できるのは、それと同じくらい、死を感じているからだったりして」
凛とした、しかしながら柔らかさも併せ持った懐かしい声が聞こえた。
いっとき気絶していたらしい。気がついたら白い天井を見上げてるという、ドラマの場面のような状況だ。眼前に広がる白。
頭はまだぼやっとしているが、周りのモニター音ですぐに病院だと分かった。
残念な事にこのモニター音は嫌という程聞き慣れている。
傍らで声が聞こえた。誰かが電話をしているようだ。
「…まだ…予定と違う…」
聞き馴染みのある声ーー柊人だ。
仕事の電話だろうか。確かに仕事の予定は楽しいランチタイムから大幅に狂っている。
「会議…終わったか…?」
思っていたよりしっかりとした声が喉から出た。
途端、カーテンの向こうから柊人がそれはそれは勢いよく飛んで入ってきた。
「瑞稀!!!」
がっしりとしたごつい男の体が体当たりしてくる。むさくるしい圧力に思わず、うぐっと呻き声が漏れた。
のしかかられるなら是非とも、柔らかい爆乳の美女でお願いしたいのだが。
・・・シーツからだろうか。洗いたての無機質さを感じさせる匂いがうっすらと鼻についた。
「重いって」
呻きながら訴えると柊人は珍しくしょげた顔をして離れた。
「焦った。急に倒れるから」
「俺、カフェで倒れた?」
「そうだよ」
全く記憶にはないが、頭を強く打っていたのかもしれない。
「頭、結構強くぶつけたんだな。これ以上馬鹿にならないように祈らないと」
冗談ぽく言うと柊人も釣られて少し笑みを浮かべた。
「どれくらい寝てた?会議大丈夫だったか?」
起き上がろうとして尋ねると柊人が制止した。普段ヘラヘラしている癖に、思っていたより力が強く少々驚いた。
「3時間ぐらいかな。って言うか会議より先に!先生に観てもらわないと!呼んでくる!!」
バタバタと勢いよく走り去った気配を唖然と見送った。
「病院」という「箱庭」に監視役が居ない方がおかしい。身体に付けた医療器具から意識が戻った事など、奴らはとっくに分かっているだろうに。
酸素飽和度を測る器具(パルスオキシメーター)を今すぐにでも指から外して投げ捨てたい。
再び天井を見上げ、時を遡る。
すぐに思い出せる記憶は夢のようであった。響き渡るサイレンも、誰かの悲鳴や泣き叫ぶ声も、道端に転がり落ちていた血まみれの足ですら悪夢の一部のようだと、思っていたい。
程なくして主治医、井高野 仁(いたかのじん)という名のドクターが病室に入ってきた。
ーーー人型AI医療ロボット「ワトソン」を引き連れて。
Keyword:://【Watson-ワトソン- 】
質の高い医療を適切に提供する事を目的として導入された、人型AI医療診断ロボット。
人工知能「イザ」を搭載しており、迅速で高感度な診断を行い、医師に代わって医学的所見や治療方針を定める役割を担う。
フォルムは平成後期に某携帯ショップでよく見られた人型ロボットに似ているが、ワトソンの方が丸みと横幅があり、愛らしい外見をしている。顔面に映し出される表情もあれよりもずっと可愛げがあり、サイコパスを彷彿とさせるような目は決してしていない。:://
30代ぐらいだろうか、若く見える。井高野は人当たりの良さそうな笑みを浮かべて状況を説明してくれた。
爆発に巻き込まれて気絶した為、CT、MRIなどあらゆる検査を行なったが、特に異常は見受けられなかったらしい。
ワトソンが拡張現実を使用して全ての検査結果、数値、画像を目の前に映し出した。
一昔前の人間なら「SF映画みたい!」とはしゃぐような光景だろう。
今のご時世では、少人数の会議であれば、会議資料もテーブルの上に映して話し合う事も多い。
一応、医療機器に携わっているだけあって見慣れた結果画面だが、確かに特に気になる箇所は見受けられなかった。
「検査結果に異常は見受けられませんでしたが、何か気になる症状などはありますか?痛みなどは感じますか?」
ーー形式的な質問だ。俺は即座に「いえ、痛みはありません」と回答した。
患者が痛みを感じているかは、横に張り付いている「ワトソン」が既に判別している。わざわざ尋ねる必要など本来なら要らない。ワトソンの横に張り付いて行動する必要性も全く無い。
しかし、人対人で最終的な確認を医療従事者達は行うのだ。まるで、何かのイニシエーションのように。
そう。今や医者は「最終確認」をするだけの有資格者、と成り下がっていた。
かつてのように「先生」と有り難がたがられる時代では無い。ワトソンの助手、などと揶揄する声すらある。
まあそれでもご立派に「医師会」は厚労省に意見を突き立てる組織として活動しているが。
「念の為に一晩入院して頂こうかと思っております。」
井高野の発言に思わず眉をひそめた。
「可能でしたら、本日中に退院させて頂けませんか」
酷い監視付きの箱庭で寝るなんて真っ平御免だ。医療機器メーカー勤務の自分がこんな考えをするのはどうかしてると思うが。
井高野は困ったように微笑みを浮かべた。
「そうですか。うーん、どうしましょうか。まぁ、急に入院なんてなるとびっくりしちゃいますよね。うーん…」
何故だろう。不思議と、その笑みから穏やかな性格がありありと感じられた。
金や利権なんかとは無縁の、患者の人生と真正面から向き合う医師。ひと昔前ならそのような、誰からも慕われる良い先生として人生を送っていたのかもしれない。なんて事がざっと頭に過ぎった。
あまりに人当たりの良さそうな笑みを浮かべるので、彼を悪者にするのは少々気が引ける。
お互いが、さてどうしたものかと思案していた所にワトソンが声を出した。
「霧島瑞稀様の処方診断が終わりました。こちらの処方内容薬を服用してください」
ワトソンが拡張現実を使って処方薬を目の前に映し出した。
薬品名と使用上の注意、副作用が表示されるので目で追う。一般的な痛み止めと胃薬が処方されていた。
突然、病室の扉の向こうから穏やかな音楽が流れてきた。音楽と共に無機質な音声が流れる。
「患者様、処方薬をお持ちしました」
間髪入れずに別のワトソンが病室に入ってきた。先に入ってきたワトソンより横幅が数段大きい。胸の液晶画面にに薬剤のカプセルのマークが表示されていた。ーー医薬品提供用のワトソンだ。
Keyword:://【医薬品提供用ワトソン】
人型医療AIロボット「ワトソン」が処方内容を判断した後、その判断データを受信し薬剤の処方をすることに特化した人型医療AIロボット。
型番の正式名称は「Pharmacist Watson-ファーマシストワトソン-」だが、別称「ケミワト」と呼ばれる事の方が多い。(chemist-ケミスト-…イギリス英語から取られている):://
病室の入口に張り付いて待機していたのだろう。仕事柄、そういった場面は幾度となく見てきた。
「ケミワト」は胸部の扉を開いて薬剤の入った薬袋を自身の手で取り出し、手渡してきた。
「ワトソン」からのデータを受信後に「ケミワト」は身体内部で薬剤を用意し、薬袋に入れて準備をする。そして患者に自らの手を使って手渡すのだ。
そう、まるで人間のように。
薬剤師という職業が消え失せたのは最近の事ではない。医療分野の中で真っ先消えた職業の一つだ。
医療事務、病棟クラーク、臨床検査技師辺りなども直ぐに「機械」に代替されていた。
かつて人間が行っていた「仕事」は人工知能イザの発達により多くが消失することとなったのだ。
時代の流れだ、と今の人々は思うのだろうか。
差し出された薬袋を手に取る。
瞬間、かつて親友と呼べる存在の笑顔が脳裏を掠めた。
色素の薄い猫っ毛に、寝癖を付けて微笑む彼が。
ーー「大丈夫。ケミワトの薬を飲んだら、明日には良くなるって」
「霧島さん?」
井高野の声にはっと我に返った。
視線の先にある、手に掴んだ薬袋がひしゃげている。ああ、しまったと思わず舌打ちをしそうになった。
あの時の事を思い出すといつもこうなる。
「すみません。仕事の事を考えてしまって…」
井高野は果たして騙されてくれるだろうか。その純朴真面目が祟って更に心配をして入院を継続させるのだろうか。
しまったと思っても時すでに遅し。井高野は顎に手を当てて考え込んだ。
「うーん」
俺はすかさずワトソンを見た。診断中のシグナルは発していない。普段は電子カルテ分野にしか関わっていないが、仕事柄、ワトソンの事も勉強している。大まかな仕組みは一般人よりかは理解しているつもりだ。
井高野はちらりとワトソンを見た。
「うん。ワトソンが異常を検知していないので、問題ないですね」
真面目さが祟るかと思ったので意表を突かれた。
井高野は小声でさらに続けた。顔にはいたずらっ子の笑みが浮かんでいる。
「病院より自宅の方が落ち着きますもんね」
存外、この医師は純朴真面目ではなかったらしい。
井高野の穏やかな顔とワトソンを見比べる。ワトソンもスマートフォンでよく見るの顔文字のようなにっこりとした目を映し出していた。
「わかりました」と返答すると、最低限のお決まり文句を言ってから、二人は病室を静かに去っていった。二人の背中を静かに見送る。
ワトソンが居るのにも関わらず、医師が同行するのは、患者側の希望があるからでもある。
「機械に診断されるのは怖い」「機械の診断を信用できるのか」
俺たちの親世代や祖父母の世代は、そういった考えの人が実の所まだ多い。
学生の頃は「古い考えだな」なんて思っていたが、今になって分かる。
「その感覚」が恐らく正しいモノであると。
思わずため息をついてそのままベッドに倒れ込んだ。
ーー医師が診断せずに、「機械」が診断を下す。
ーー医師が処方せずに、「機械」が投薬をする。
ーー腹は立つがこの世界ではこれが「ルール」だ。
左手首につけたイーズウォッチが短く音を鳴らした。ーーメールの着信音だ。
画面上で確認をすると、十三件ものメールが入っていた。全て仕事関係者からで、安否確認メールだ。
ろくに読みもせず、そのまま腕をベットの上にくたりと落とした。
心配してくれていると分かっているのに、何故だか返信するのが酷く面倒くさく感じられた。全部まとめて明日にしてしまいたい。
間を開けずに入れ違いで柊人が病室に入ってきた。
「大丈夫だったか?」
入るなりそのままベット脇の丸椅子に腰掛けた。
「検査結果に問題はないってさ。今日中に退院出来るって」
起きあがろうとすると肩を支えてくれた。よく気がつく男だ。
「マジか。よかったじゃん」
あ、と柊人が突然大きな声を出した。
「さっき会社に電話しといたから、片岡さんから瑞稀宛に電話入るかもよ」
直属の上司、片岡佑(かたおかすぐる)に意識が戻った事を報告したらしい。
「後で俺からも連絡しておくよ」
ついでに会議の内容も軽く聞いておきたい。
「さっきケミワトとすれ違ったけど、なんか処方された?大丈夫か?」
「一般的な痛み止めと胃薬」
ベッドの横にある机を指さすと、柊人は「ああ、なるほど」と短く呟いた。
「ていうかさ!あの爆発事故めっちゃニュースになってるぞ!俺達超絶有名人じゃん~」
いつもの好奇心旺盛が勝って興奮気味になっている。柊人は自身のタブレット端末を俺の膝の上に置いた。
液晶に映し出されていたのは、爆発炎上後のカフェと周囲の風景。映像に合わせて慌ただしく原稿を読み上げる男性アナウンサーの音声も流れた。今更だが、このアナウンサーも人工知能だ。フォログラフィック機能を用いている。
「もう何が原因か特定されたのか?」
「全然」
昨今、施設のシステム全般は大概イザが管理をしている。例えば厨房システムなどに火災等の異常があれば、稼働システムに制御が掛かり使用できなくなるのだ。となると、
「外部から何か持ち込まれたか…?」
俺の推測に柊人が目を剥いた。
「まじ?それテロじゃん!」
「その可能性の方が高いだろ」
柊人が唸って考え込んだ。
「でもそれなら、なんでわざわざあんな小さいカフェ狙うんだ?もっとデカい公共施設狙わないか?普通」
それは俺も分からなかった。あのカフェでないといけない理由があったのだろうか。・・・私怨?
ゆっくりと爆発直前の事を思い出す。
スマートフォンの画面がフラッシュバックした。
「ミルザム…」
柊人がタブレット端末をcaptureの画面に切り替えた。
「ほい。預言者アカウント」
何処かのカフェテリアの写真に映る、フクロウの看板。
そして「早く逃げた方がいい」の文字。
「ミルザムはこのカフェが爆発することをまるで知っているかのように投稿していた」
「そうなんだよ!さすが!あらゆる事を預言するアカウントだよなぁ!」
柊人は関心しているが、そんな都合良く爆発事件なんて起きるだろうか。
預言者だから預言をした、で片付くのか?
何かを「知っている」と疑われてもおかしくはないじゃないか。ーー少なくとも、俺は疑っている。
人工知能が全てを管理する世界で「ミルザム」は間違いなく異質だ。
「・・・コイツが預言者じゃなかった場合、そんな悠長に楽しんでられないかもよ?」
柊人は首を傾げて一瞬ピタリと止まった。その瞬間、気がついたのか目を剥いて身を乗り出した。
「ミルザムが犯人って事か?!」
熱狂的なファンに向かって言うのは申し訳ないが、仮説をそのまま真っ直ぐに突き付けた。
「可能性としては十分に有り得る」
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