17 名前
「和樹くん、ちょっと待って」
昼休み、購買へと向かおうとすると、冬坂さんに呼び止められた。
「ん、なに?」
「……あ、あのね」
僕が振る返ると、冬坂さんは何かを言いたそうにしていた。
だが、言いにくいことのようで歯切れが悪い。
僕は内心で焦る。
購買へ行くのが遅れると、不人気の売れ残りしか買えなくなってしまう。
たとえ不人気でもカロリーは摂取できる。
しかし、出来ればおいしくカロリーを取りたいところだ。
「ごめん、購買に行かないと売り切れちゃうから。あとで良いかな?」
僕は話を切り上げて、その場を離れようとする。
だが制服の端をつままれて、阻止される。
「……お弁当」
小さく冬坂さんが言う。
「お弁当?」
僕は首を傾げた。
たしかに冬坂さんはお弁当を手にしている。それも二個。
「二個? もしかして僕の分だったりする?」
「うん、和樹くんの分のお弁当があるから。購買にいなくても大丈夫」
「ああ、そうなんだ。ありがとう」
ようやく冬坂さんの言いたいことを理解した。
そして、僕たちは机をくっつくて横並びに座った。
「このお弁当、どうしたの?」
冬坂さんはいつもお昼はお弁当だ。
しかし、二つ持ってきたのはこれが初めて。
誰か家族の分が余ったのだろうか。
「早起きして、私が作った」
「え? 冬坂さんが? もしかして毎日自分で作ってたの? すごいね」
「ううん、いつもはお母さんが作ってる。
だけど、今日は自分で作った」
「そう、なんだ」
おためしでも僕たちは恋人になった。
だから僕のために、いつもは作らないお弁当を、わざわざ作ってくれた。
この場にミオンがいたら間違いなく茶化してくるだろう。
しかし、幸運なことに今、ミオンは近くにいない。
他人の飲食を見るとおなかが減るミオンは、昼食時にどこかへ遊びに行くことが良くある。
「嫌だった?」
冬坂さんが不安な瞳を向けた。
「そんなことないよ。でもなんか申し訳ないなって。
わざわざ早起きしてまで、僕の分のお弁当を作ってもらうのはさ。
だって大変でしょ?」
「大変だけど楽しかった。それに私が作りたいって思ったから」
「そう、なら良いけど。じゃあ貰っていいかな?」
「……うん、食べよう」
僕は目の前のお弁当を開いた。
赤、黄色、緑とカラフルな色が目に飛び込んでくる。
いつも茶色のモノばかり食べているからか、余計に美味しそうに見えた。
「いただきます」
そう言って僕はお弁当を食べ始める。
冬坂さんは心配そうな顔で僕が食べるのを見ていた。
「うん、美味しいよ」
僕が感想を言うと、ほっとして冬坂さんも自分のお弁当に箸を付け始めた。
「和樹くん、お願いがあるんだけど良いかな?」
お弁当を食べ終えて、一息ついていたところに冬坂さんが口を開いた。
彼女がなにかお願いを口にするのはめずらしい。
「うん良いよ。それでお願いって?」
お弁当のお礼もかねて僕は快く頷く。
「名前で呼んで欲しいなって……」
「冬坂さん?」
「違う。苗字じゃなくて、……下の名前で」
「……下の名前」
そう言えば、いつの間にか冬坂さんは僕のことを「春岡くん」から「和樹くん」呼びに変わっていた。
やはり恋人になったのだから、下の名前で呼び合うのが普通なのだろう。
しかし、言い慣れた呼び方を変えるのは、結構大変だ。違和感を覚えてしまう。
「……ダメ?」
冬坂さんは不安そうに僕の顔を覗いた。
僕は彼女の名前を頭の中で復唱してから、口にする。
「詩音」
「――うん」
彼女は一瞬だけ驚いて、嬉しそうに頷いた。
はにかむ彼女を見て、僕も嬉しくなった。
「正解。……良かった。間違えられなくて」
「え? 間違えるわけないよ」
不思議なことを言う彼女に僕は少し驚いた。
いったい、どう間違えるというのだろうか。
「ミオンと詩音」
「…………」
僕は息を呑む。
「一文字しか違わない」
「そうだね。たしか前にも似てるって話をした気がするけど?」
「ミオンって名前だよね? 苗字じゃないよね?」
「…………」
僕は返答に困った。
彼女が何を言いたいのか、なんとなく察した。
「ミオンの苗字って……。もしかして冬坂?」
「…………」
詩音はミオンの正体を知っていた。
ミオンが未来からやってきた冬坂詩音だということを。
「い、いつから?」
僕は喉に詰まった言葉を無理やり吐き出すように訊ねた。
「放課後の教室で、和樹くんが独り言を言っているのを聞いて……」
僕がミオンと出会って初めて会話をした時だ。
たしかにあの時、誰かが廊下にいた。でも誰かまでは分からなかった。
その正体が今、判明した。
「……そっか」
「だから、和樹くんが私に近づいてきた理由も知ってる。
私を守るため、だよね?」
全部、お見通しらしい。
「ミオンは未来で死んだ詩音の幽霊なんだ。
僕はミオンから、詩音が近いうちに死ぬことを聞かされた。
だから君を守るために近づいた。
……今まで黙っててごめん」
責められることを覚悟しつつ、彼女に謝った。
「和樹くん、謝らないで。言わないのは普通だから。
私だって和樹くんと同じ立場なら、きっと相手に言わないと思う。
だって『もうすぐあなたは死にます』って言っても気味悪がられちゃうだけだし。
もし相手に避けらちゃったら、守れなくなるもん」
彼女は責めるどころか、僕の行動を肯定をしてくれた。
「……ありがとう」
自然と言葉が漏れた。
「それを言うのは私の方。ありがとう和樹くん、私を守ってくれて」
彼女は笑顔を浮かべる。
僕もつられて笑顔になった。
「私の方こそ、盗み聞きしたことを黙っててごめんね」
「ああ、それは別に良いよ。
幽霊と会話をしてる人間なんて、普通は頭のおかしい人だからね。
それも未来から来た幽霊って、それはもう狂人だと思われてもしかたないよ。
狂人に『お前の秘密を知ってるぞ』なんて、怖くて言えない。
何をされるのか分からないし、あはは」
冷静に自分の状況を把握したうえで、笑い飛ばした。
僕は今の自分がまともだと思っている。
だが、傍から見たら僕はかなりやばい人に見えるだろう。
そういう意味で、ミオンを素直に受け入れている詩音はかなりすごい。
反対の立場だったら、なにか証拠が無い限りは信じられないと思う。
「うん、ずっと怖かった」
「……そう、だったんだ」
普通に接していると思っていたけど、内心で彼女に怖がられていたことをいまさら知る。
「でも、話してくれたってことは、もう怖くないってことだよね?」
僕たちはおためしでも恋人になった。
もし怖がっていたのなら、恋人になんてなるわけがない。
「…………」
彼女は黙って僕の目を見る。
「……え? ……え? ……うそ?」
彼女の反応に僕は戸惑う。
「――和樹くん。病院に行こう」
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