10 約束


「今日は、お前ら一緒じゃないよな」


 体育の授業中、隣で亮介がぼそりと呟いた。

 今は男女で分かれてバスケをしている。

 そして僕と亮介はコートの外で見学中。


「一緒じゃないって、冬坂さんのこと?」


「そうだよ。最近いっつも一緒じゃん。

 二人で帰ったりもしてるみたいだし。仲良いよな」


 亮介の言葉には否定的な響きがあった。


「もしかして焼き餅を焼いてる? 別に付き合ってないから安心して」


 亮介は冬坂さんのことが好きなのだ。

 だから僕に嫉妬していると思った。


「そういうのじゃねえよ。

 なんつーか、言いにくいんだが……。

 あんまり冬坂と一緒にいないほうがいいかもな。

 付き合ってないなら、なおさら」


 歯切れが悪い物言いで、亮介は忠告する。

 僕には亮介が何を言いたいのか良く分からない。


「なんで?」

「アレだよ。女子の方を見て、なんか気づかねーか?」


 亮介は女子側のコートに視線を向けた。

 手前で男子、奥で女子がバスケをしている。

 女子も男子と同様に5対5の試合をしている。残りは見学。

 一見して何もおかしなところはない。

 目に付くのは美波がとても活躍しているぐらいなものだ。


「美波が活躍しているね」

「まあ、それもある。他には?」

「そうだな……」


 さらに女子の試合を観察する。

 冬坂さんも目立ってはいないが試合に出ていた。美波と同じチームだ。

 おそらく冬坂さんに関係があるのだろうと思い、彼女を中心に見る。

 そこであることに気付く。


「……あっ」


 冬坂さんは試合をしている。

 しかし、彼女がボールに触ることはほとんどない。

 同じチームの美波が活躍しているため、美波にボールが集まりやすいというのもあるが、それを理由にするのが難しいほどに……。


「ボールに触れてない」

「そうだ。冬坂が完全フリーなのにパスを貰えてない」

「もしかして避けられてる?」


 冬坂さんは確かにおとなしい子だ。あまり人と話をしない。

 たがクラスメイトたちから避けられているといったことはなかったように思う。


「なにかあったの?」

「そりゃ、こっちのセリフだ。なんで最近、冬坂と一緒にいる?」


 まるで僕の所為だといわんばかりに亮介が言う。

 もうすぐ冬坂さんが死ぬから、それを回避するためとは言えない。


「エッチをするため」とミオンが小声で言うが、僕はそれを無視をする。


「なんでって。同じ本を読んでて。それで仲良くなったから」

「……そうか。お前今、夏川と付き合ってることになってるぞ」

「え? 美波と?」


 たしかに僕は美波から告白をされた。

 だが僕はそれを断った。

 そして告白自体を無かったことにしようとなったはずだ。

 美波と僕は恋人でもなんでもない。


「やっぱりそうか。そんなことだろうと思った。

 お前ら付き合ってないんだな?」


 何かを察した亮介がふっと笑う。


「どういうこと? 僕と美波が恋人なの?」


「ああ、そうだ。

 お前と夏川は付き合ってると女子の間で、噂が広まってる。

 お前は夏川という彼女がいるのにも関わらず、冬坂といつも一緒。

 だから、クラスの女子たちが、夏川かわいそうって雰囲気になってる。

 そんなわけで冬坂が女子の間で浮いちまってるってわけだ」


「なんでそんな噂が?」

「たぶん、夏川が自分で言ってる」

「……そうなんだ」


 良く分からないが、美波と話をする必要があるようだ。

 このまま冬坂さんに避けられ続けたら困る。



 放課後、僕は美波を教室に呼び出した。


「話があるってなにかな?」


 期待とも不安ともとれる瞳を美波は浮かべている。

 ミオンは近くの机に座って、僕たちをぼんやりと眺めていた。


「もう分かってるよね?」

「なにが?」


 美波の瞳が揺れる。


「僕と美波が恋人だって、みんなに言いふらしてることだよ」

「…………」


 美波は下を向いて、押し黙った。

 僕はそれを肯定と受け取る。


「なんでそんなことを?

 あの告白はなかったことにしたんじゃなかったの?」


 それを望んだのは美波の方だ。

 僕はそれにただ乗っただけに過ぎない。


「……和樹の嘘つき」


 美波はパっと顔を上げると、唐突に言った。


「え? 嘘? ……僕が?」


 まったく心あたりがない。

 それになぜ僕が責められているのかも良く分からなかった。

 約束を破ったのは美波の方だというのに。


「他に好きな人はいないって言ったじゃん! それなのに……」


 そう言って美波は僕を批難する。

 美波の告白を断ったあと「他に好きな人はいるのか?」と質問をされ、僕は「いない」と答えた。

 事実、僕に好きだと呼べる人間はいない。

 嘘は一切ついていない。


「言ったよ。でもそれは嘘じゃない、本当のこと。好きな人はいないから」

「嘘! 和樹は冬坂さんが好きなんでしょ! いっつも一緒にいるし」


「別に、好きじゃないよ。

 話が合うから一緒にいるだけ。それだけだよ」


 冬坂さんの命が危ないとは言えない。

 ミオンが小さくため息を吐く。

 ミオンの言いたいことは分かるが、今は問題を解決するのが先だ。


「本当に?」


 真偽を確かめるために、美波は僕の顔を覗き込む。


「ああ、本当だよ。

 僕と冬坂さんが付き合うなんてことは絶対にない」


 僕がそう断言した直後、パサリと教室の入り口で本が落ちる音が聞こえた。

 振り向くと、そこには冬坂さんが立っていた。


「ご、ごめんなさい、私……」


 冬坂さんは震える声で謝る。

 そして本を拾い上げると走り去ってしまう。


「カズキ追いかけて! 早く!」


 ミオンが叫ぶ。

 僕はその声に背中を押さえて走り出そうとする。

 だが、すぐに美波に抱きつかれて阻止されてしまった。


「行かないで! どうして冬坂さんを追いかけるの?

 別に好きじゃないんでしょ? だったら、ここにいて」


「それは……」


 追いかける理由は、自分でも分かっていない。


「お願い追いかけて! カズキ!」


 珍しくミオンが慌てていた。

 いつものセクハラをしてくるミオンとは様子が違う。

 僕の心がざわつく。


「…………」


 結局、僕は冬坂さんを追いかけることはしなかった。

 まだ美波との話が終わっていなかったから……。


「……バカ」


 幻滅したようにミオンは呟いた。

 僕はただそれを聞くことしか出来なかった。

 腕にしがみつく美波の体をそっと引き離す。


「美波、お願いがあるんだ」

「なに?」


「クラスのみんなに、僕と美波が恋人じゃないって。

 本当のことを言ってほしい。

 それと冬坂さんとも仲良くしてほしい」


 僕は美波をしっかりと見つめてお願いをした。


「うん、分かった。でも私からのお願いも聞いて」

「なに?」

「冬坂さんを好きにならないって、約束して」


 美波は決して冗談では言っていない。本気の顔だ。


「カズキ、そんな約束しちゃダメだよ」


 ミオンが僕を静かに見つめる。

 僕が優先すべきことは、僕が冬坂さんの近くに居られる状況を作ること。

 そのためには、美波のお願いを聞き入れるしかない。

 今は、好きだの嫌いだのといった気持ちは重要ではない。

 それに今までだって誰かを好きになったことはない。簡単な約束だ。


「分かった。冬坂さんを好きにならない。約束する」


 僕がそう言うと、美波は大粒の涙をポロポロとこぼした。


「ごめんなさい。私、和樹が冬坂さんにとられちゃうと思って。

 それが嫌で嫌で。二人が一緒にいると、胸が苦しくて。

 だから……ごめんなさい。

 私、和樹のことが好きなの。大好きなの」


「……そう、なんだ。勘違いさせてごめん。

 美波が思ってることには絶対にならないから安心して。

 それと僕と冬坂さんが一緒にいるのが嫌なら、美波も加われば良いんじゃないかな?

 三人の方が楽しいと思うし」


 美波と冬坂さんが仲良しになれば、冬坂さんがクラス内で浮くことはなくなる。

 それに女子である美波ならば、僕が守れないときに、冬坂さんを守ってくれるかもしれない。


「……分かった。じゃあ、そうするね」

「ありがとう」

「うん」


 美波は涙を流しながら笑った。

 その隣ではミオンが無表情で立っている。

 僕はミオンを直視することができなかった。

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