09 不穏


 朝、僕はいつもの時間に冬坂さんが来るのを駅で待っていた。

 駅から一緒に学校へ行くのが、すでに日課になっている。

 しかし、この日はいつまで経っても冬坂さんが駅に来ることはなかった。

 僕の中に不安がよぎる。


 ――冬坂さんは近い未来に死ぬ。

 だから、僕は冬坂さんの近くで彼女を守ると決めた。

 しかし、24時間常に一緒にいることは不可能。

 守れるのはせいぜい登下校と学校にいる間のみ。

 彼女が自宅にいる時などは諦める。そう割り切っていた。

 僕の守備範囲外で彼女が死ぬ可能性は十分にある。


「いや、まだそうと決まったわけでは……」


 最悪の状況が頭を何回もよぎるが、頭をふって振り払う。

 寝坊の可能性や、もっと早い時間に登校した可能性だってある。

 僕は時間を確認する。もう時間だ。

 学校まで走らないと遅刻してしまう。

 もう少しだけ待ちたい気持ちがある。

 だが後ろ髪を引かれる思いで僕は学校へと走りだした。


「もうー、早いよー。おいてかないでー」


 後ろでミオンが文句をたれるが、今はそれどころではない。

 ミオンを置き去りにして、学校へと急いだ。

 息を切らして、僕は教室に飛び込む。

 と同時に、冬坂さんの席へと視線を向けた。


 ――冬坂さんはいた。


 いつも通りに本を読む冬坂さんがそこにはいた。

 冬坂さんは僕を一瞬だけ見たが、すぐに視線を外してしまう。

 なにか違和感を覚えたが、それ以上に無事でよかったと安堵する。

 息を整えながら、僕は彼女に近づく。


「おはよう、今日は早かったんだね」

「…………」

「駅で待ってたけど、来ないから心配してたんだよ」

「…………」


 僕があいさつをするも、冬坂さんは返事をしてくれなかった。

 必至に無視している、そんな感じに見えた。


「…………」


 僕はどうしたら良いのか迷う。

 選択肢は二つ。

 無理に話しかけて理由を聞き出すか、それとも一旦引くか。

 一呼吸置いて、あることに気付く。


 それは、クラスメイトの視線が妙に僕たちに集まっている。

 その理由は分からない。

 だが冬坂さんはあまり目立つことが好きではない。

 このまま話しかけたら、きっと彼女を困らせてしまう。

 急いで聞かなくても、二人の時にゆっくりと事情を聞けばいい。

 そう結論づけて、僕は彼女から離れた。


「あらら、カズキがおっぱい揉んでくれないから怒ってるよ」


 後から追いついたミオンがいつものセクハラをかます。

 それを無視して僕は自分の席に座った。


「…………」


 僕は自分の席で悶々とする。

 彼女に嫌われるようなことをした覚えはない。

 ミオンのようなセクハラだって、冬坂さんには言ったことがない。

 ……むしろ、それが良くなかったのだろうか?

 ミオンの言う通りに、おっぱいを揉むべきなのだろうか?


 いや、そんなはずはない。

 ミオンの口車に乗ったら、絶対に変なことになる。

 今は、冷静に状況を確認しよう。

 冬坂さんの態度がいつもと違うのは確かなのだから……。



 休み時間になると、冬坂さんは教室を出て行く。

 二人きりで話せるチャンスだと思い、僕も彼女の後をすぐに追った。


「わっ」


 僕は驚いて小さく声を上げた。

 出入口のすぐ脇に冬坂さんは立っていた。

 どうやら僕が追いかけるのを分かっており、まちぶせしていたようだ。


「あのさ……」

「――これを」


 僕が質問するのを遮るように、冬坂さんは一枚の紙を差し出した。

 折りたたまれた手のひらサイズの小さな紙を僕は受け取る。

 冬坂さんは紙を手渡すと、逃げるようにトイレへ行ってしまった。


「…………」


 僕は小さな紙切れを手に、その場に立ち尽くした。


「ほほう、これはきっとラブレターだね」


 ミオンが嬉しそうに紙切れを覗き込んだ。


「ラブレター?」


「朝から様子がおかしかったのは、これを渡したかったからかもね。

 早く股を開いて。じゃなくて手紙を開いて読んでみてよ」


 ワクワク顔でミオンが急かしてくる。


「……分かったよ」


 僕は綺麗に畳まれた紙を広げる。

 紙には短い文章が書かれていた。



 ――もう私に構わないでください。



「どういうこと?」


 僕はミオンに訊ねた。


「これは、どう見てもラブレターじゃないね、あはは……」


 ミオンは気まずそうに答えた。


「もしかして僕は嫌われちゃったってことかな?」


「うーん、そんな様子はなかったと思うけどなぁ。

 むしろその反対。好き過ぎて、胸が張り裂けそうって感じじゃない?

 ……ま、冗談だけど。きっとなにか事情があるのよ」


「事情ってなんだろう?」


「さあ? ただ言えることはカズキと関わると、詩音に何かしら都合が悪いことがあるってのは間違いないわね」


「……都合が悪いこと」


 僕には、それ何かがまったく思いつかなかった。

 ふと視線を感じて振り向くと、美波が僕のことを見ていた。

 美波はすぐに視線を外して教室の中に入っていった。


「あはは、カズキの独り言を聞かれちゃったかもね?

 もっと周りには注意しないと」


「そもそもミオンが話しかけなければ、僕は独り言を言わなくて済むんだけどな」


「あ、そっか。でもそれだと寂しいでしょ?

 ワタシはカズキが寂しくないように、話しかけてあげてるんだから。

 もし股間が寂しいようなら詩音を使って良いからね。ワタシが許可する」


 ミオンは腕を組み偉そうに言った。


「ありがたい申し出だけど、まずは今の状況をどうにかしないと」


「それもそうね。構うなって言われた状態じゃ。

 詩音を抱くに抱けないもんね」


「……まあ、そういうこと」


 僕は冬坂さんの去った廊下を一瞥してから、教室に戻った。

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