第123話
夏休み前、最後の登校日。
終業式も終わり、放課後になったものの、珍しく予定が何もない。
つまるところ、暇だった。
俺は、ふらっとサロンに向けて廊下を歩いていた。サロンには、予定がある日でも時間があれば足を運んでいるんだけどね。
元々は上流階級同士の交流のために作られた施設だから、それなりに顔は出しておかないと波風が立ってしまうわけで。
美味しいお茶やデザートも出てくるから、ついついそれを楽しみに行ってしまう側面もあるにはあるけど。
今日の日替りメニューは何かなあ。
楽しみだなあ。
……。
いや、飲み食いするのが目的じゃないんです。これは、メンバー同士の交流のため仕方なくでしてね。
今日は本当にただ顔を出すだけの予定だし。
実は、一人でファミレスかファストフードのお店へ行こうかと計画していたのだ。予定がない日は貴重だからね。
しかし、お店へ行く前にお腹は一杯に膨れてしまいそうだ。
忍耐力が欲しい。
こういう時にケーキを食べずに帰ることが出来るくらいに強靭な。
はあ。
嘆息しながらサロンの扉を開いた。
早かったかな。席はまばらで、メンバーは仲の良い子同士で集まって各々の時間を過ごしている。
中には楽しそうに夏休みの予定を話し合っている初等部の子たちもいて、大層微笑ましい。
そんな彼らと挨拶を交わしながら、いつも座るテーブル席の方へ向かうと、
「あら、咲也様」
先客が幸せそうにケーキをつまんでいた。
大食い姫——もとい、希空だ。
口の中へどんどん消えていくそれは、一体何個目なんだろうと気になったけど、藪蛇になりそうな質問は言わぬが仏。
喉の奥に飲み込んだ。
「こんにちは。今日は役員の仕事はお休み?」
「ごきげんよう。ええ、夏休み前ですから、あまりやることもないんです」
向かいの椅子を引いて座りながら尋ねると、彼女は困ったように微笑んだ。
「そっか。何だかこっちにいる希空さんと会うのは久しぶりな気がするよ」
「まあ。私だってさすがにずっと役員室にいるわけではないですよ」
冗談だよ、と彼女を揶揄いながら、不意に一つの考えが脳裏に浮かんできた。
もしかして、役員の仕事がないってことは、姉さんたちも今日はこっちにいるのでは?
下手に近くのテーブルに座られでもしようものなら、寄り道のことがバレてしまうかもしれないじゃないか。
反射的に周りを探してしまう。
が、
「会長と副会長はやることがあるみたいで、役員室にいらっしゃいますよ」
「あ、そうなんだ」
希空の話を聞いて、内心ホッと息をつく。
あの人たちに絡まれると面倒だからね。
目的を聞いたら絶対にお小言だ。
というか、俺別に姉さんを探してるなんて言ってないけど、この子心を読んだの?
エスパータイプ?
「そんな、さすがに心の中を見ることは出来ませんよ」
「あ、そうなんだ」
思えば昔からそうだ。
希空は、一歩引いたところで、全てお見通しとでもいうような態度でいることが多かった。
だから、すごく怖かったんだけどさ。
あの義弥ですら、彼女の思惑は計りかねている節があったし、本当に底が知れないのだ。
これも「光」の能力の一つだったりとか?
……いや、まさかね。
「咲也様は何か軽く食べられますか?」
考え込む俺に、ふと彼女が尋ねてきた。
親切にどうも——と思ったのも束の間、よく見たら先程まで希空の皿に乗っていたはずのケーキがなくなっている。
おかわりの「ついで」ですか。
さすが、早いですね。
……とは言えないので、素直にお願いすることにした。
美味しそうなケーキだったし。
「日替わりのケーキと紅茶をいただこうと思ってるよ」
「今日のケーキは旬のフルーツがふんだんに使われたロールケーキでしたよ」
たしかに、コロコロとフルーツがたっぷりのクリームに包まれていた。
「うわ、美味しそう」
「ええ、ええ! 本当にここのケーキは逸品です。今日なんて入っていたフルーツがどれも瑞々しくて、まるで『フルーツジュースの生クリーム乗せ』のようでしたもの。私、いくらでも食べられそうです!」
本当に食べ尽くしそうな調子だった。
こんなにも彼女が饒舌なのは珍しい。それほどに美味しかったのだろう。
つられるようにして口の中に溜まった涎を、思わずゴクリと飲み込んだ。
食通の希空が褒めちぎるケーキとか、すごく期待値が上がっちゃうな。
「希空さんは人一倍サロンのメニューが好きだよね」
彼女は、俺たちとテーブルを囲んでいる時も、役員室にいる時もサロンのケーキセットをよく食べている。
「美味しいですからね。学生の私たちのことを考えたメニューにしてくれていますし」
そう、希空の言うとおり。サロンのケーキは、ほっぺたが落ちる程に美味しいのにもかかわらず、野菜や卵白を使って、なるべくカロリーが高くなりすぎないよう配慮されたものとなっている。
食べ過ぎを気にする子や、ヘルシー志向な子でも食べやすいように作られているのだ。
厨房は、フランスの有名店で数年修行した経験のあるパティシエが仕切っており、舌の肥えている生徒会メンバーからの人気も上々だ。
中には「もっと美味しいデザートを出す店を知っている」とお茶だけして帰っていく子もいるけどね。
どこよ、その店。
今度行ってみるから教えて欲しい。
信じられないよ、こんなにも美味しいのに。
ああ、サロンでしか食べられないのがもどかしい。明前家お抱えになってくれないかな〜。
なんて。
冗談はさておき。
「お腹空いてきた……」
ケーキの話に花を咲かせたからか、お腹が鳴った。はしたないけど、それだけ胃がケーキを求めている証拠だ。
「ふふ。少し待っててくださいね。頼んで参りますから」
「ありがとう」
コンシェルジュに注文をしに行ってくれた希空へ素直に感謝を述べると、彼女は柔和に微笑んでみせた。
ケーキたちはすぐに運んできてくれるとのことだったので、それまでの間は自然とお互いの好きなスイーツの話をしながら待つことに。
「俺は……ティラミスが好きかなあ」
ココアパウダーや中のスポンジ生地に染み込むコーヒーの苦味が強めのものだと、大人の味って感じがして、なお好きだ。
ケーキが甘いだけではないということを教えてくれた。
初めて食べた時の衝撃を俺は忘れられない。
「真冬もティラミスが好きだと言っていましたよ」
「……へ、へえ〜」
そうなんだ。
別に嬉しくないけどね?
ほら自分同担拒否ですから。
嘘だけど。
「ところで、咲也様は夏休みはどう過ごされる予定ですか?」
こっちがまだ狼狽えていたというのに、構わず話題を変えられてしまった。
何ですか、藪から棒に。
「……ええと、お盆の辺りで祖父母の家に行くのと、家族で旅行に行くくらいで、それ以外は予定らしいものはないかな」
話していて悲しくなるくらい正直に予定を伝えると、
「あら、なら暇ということですね」
「そうだけど、ひどくない?」
ポン、と胸の前で両手を合わせながら微笑む彼女にツッコミを入れたが黙殺された。
「雨林院家は、夏休みに猪苗代の方へ避暑に行く予定なのですけど、咲也様もどうかと真冬と話していたのです」
え?
「え?」
「お暇なら大丈夫ですよね。では、予定は早く決めた方がよいですから、咲也様のお家にも近々お話を通させていただきますね」
と、ちょうど図ったようなタイミングで、コンシェルジュがケーキセットを持ってきてくれた。
すると、希空は話は終わりだとばかりにフォークを手に取る。
「いや、あの……」
「ね?」
「あ、はい……」
急すぎて理解が追いつかないけど、夏休みの予定が一つ出来たようです。
不思議だね……。
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